08.メンテナンス
──まず目についたのは巨大な歯車だった。
所狭しと存在するそれらがひろがる天井の下、ポツンと置かれたのは一つの小さな作業机。年季が入っているのか、ボロボロのそれは木製で、塗装があちこち剥がれかけている。
机上には必要最低限の作業道具と工具箱、それから随分古びた型のパソコンが一台置かれていた。耳をすませばプスプスと嫌な音が聞こえているが、さて、大丈夫なのだろうか。不安である。
今にも爆発してしまいそうな機械音を耳、女はすいすいと工房の中へ。歩く度に何処からともなくポロン、と鳴る音に心地よさを覚えながら、作業机の前まで移動する。
「さあ、少しここでお待ち、麗しのレディ」
若干埃を被ったパソコンの上を片手で払い、そこに人形を座らせた。人形は逆らうでもなく、大人しく女の行動と指示に従っている。
「アインス。我が目をここへ」
振り返るようにして出された指示に、どこからか『イエス、マスター』と声が響いた。恐らくは高々とした天より降ってきたものと思われるが、実際どうかはわからない。
イエスの声から暫く待てば、女の足下より蜘蛛型の機械が出現。胴体が目玉となっているそれは随分と小型な造りだ。手のひらサイズにも満たないだろう。
「うえっ、きっも……」
開けっぱなしの窓の方から嫌みな声が聞こえた。
それは華麗にスルーし、女は目玉を肩の上へ。「待たせたね」と、人形に向かい、その整った顔を近づける。
「では、メンテナンスを始めるよ。なにか不平不満があればいつでも言ってくれ」
『ええ、わかったわ。ありがとう』
遠くで「近すぎる」やら「離れろ」やら野次が飛んできているのだが、それはお構いなしに、二人はメンテナンス作業に移行した。
「──はい、終わったよ。お疲れ様、レディ」
メンテナンス開始から暫く。瞬くように蜘蛛型の眼光が動き、机の上へと降り立った。ぴょん、と軽やかに跳んだそれを視界、人形は優雅な声を響かせる。
『いつもありがとう。助かるわ』
「なに、これも仕事さ」
『うふふ、あなたは本当に良い方ね。あの人にも見習ってほしいものだわ』
ほう、とそこで一息。ため息混じりの吐息を吐き出せば、女はメンテナンス道具を仕舞いながら「悩み事でも?」と人形を心配した。こう見えて地味に長い付き合いだ。不安な面があるのやもしれない。
「なにか困り事があるなら、すぐに言ってくれ。我が友の落ち込む姿を、私は知りたくないからね」
ちらりと、未だ窓の向こう側にいる店長を振り返り一言。女は全てを知っていると言いたげに、人形の頭をそっと撫でた。
そこからの女の動きははやかった。
店内に舞い戻ってきたかと思えば、そこにある窓全てを素早く点検。何事もないことを確認すると、メンテナンス代を店長に請求。金をもらって飛ぶように帰宅した。
まるで嵐が過ったようだ……。
一人思う店長の傍ら、人形は悲しげにため息を吐き出す。折角来たのだからお茶でもしたかった。彼女はそう言って、優雅な動作で腰かけていた椅子から立ち上がる。
「おや、ハニー。何処かへ行くのかい?」
かけられる声には無視を返して、人形は開かれた窓より己が部屋へと移動した。パタンッ、と無機質に鳴る開閉音が、虚しく白い屋内に響き渡る。
「……ハニー」
悲しげに一言。
店長ははぁ、と、短いため息を吐き出した。