07.点検の日
「──ありがっとございまーしたー!」
わざとらしい、楽しげな声があげられた。
どこか人を小バカにしたようなその音に、出ていく客の顔が僅かに強ばる。
しかし、怒鳴るような行動には、決して出たりはしない。
それは、どこか心の奥底で、満足感を得ていたからだろう。
何も言わず、黙って去り行く客の背を視界、店長たる男は大袈裟なほどに肩をすくめた。
──面白くない。
そう言いたげに、その場でくるりと回りながら長ったらしいため息を吐き出している。
鬱々しいその姿は、見るものを不快にさせる、不思議な力を持ち合わせていた。
現に、僅かにだがむっ、とした奥さまが、カチカチと音をたてながら立ち上がる。
彼女は座っていた、真っ白な丸椅子の上に靴の裏を付けると、そのまま不気味にも首を回した。
洋風人形の頭が勝手に回るシーンは、この場にホラー苦手マンがいたら、悲鳴をあげて逃げていきそうな光景を生んでいる。
『なにかしら。なんだかとても、言いたいことがありそうだわね?』
響くような声に、その場にどてりと転がった店長はくぐもった声をひとつ。
「そーだねぇー」なんて告げてから、のそのそと、這いずるように妻のもとへと近づいた。
当然ながら避けようとする彼女を容易く腕の中に収めた彼は、古座をかいて床の上に座り込むと、また深々と、長ったらしい息を吐く。
「今日は点検の日、なんだよねぇ……」
いつも、船のような形で弧を描いていた口が、逆さまに。
いかにも不満です、と言いたげに、店長は落胆の色を見せた。
「点検と言えば検査。検査と言えば改造。改造と言えば改造屋……」
『……』
まずなぜそういった流れになってしまったのか……。
ツッコミかけた人形は、密かに咳払い。
何も言うまいと心の中で決め込み、彼の話を聞くことにだけ集中する。
「わかるかい、ハニー? 改造。そう、改造屋だ。あのチンケな盲目男女。腕っぷしの強さから始まり、顔立ちや体つき以外はまごうことなき男のそれ。しかも暴力の目立つ奴ときた。この店の崩壊も、そう遠くはないかもネェ……」
はぁ、とここで大きく落胆。
芋虫のように床を移動しはじめた夫に、その妻は微妙な感情を胸の内に膨れさせた。
そもそも、彼女にとって、改造屋は全くの良い人なのである。
人形である彼女の点検もついでとばかりにしてくれるし、憧れとも言える女子会だって開いてくれる。夫の愚痴だって聞いてくれる。要は気の許せる仲なわけだ。
そんな彼女をここまで否定されるのは、決して気分が良いとは言えない。そもそも、この男を好かない自分からしたら、それこそ黙れと怒りを発してしまいたいほどに。
けれどそれをしないのは、あまりにこの男が嫌がっているからだろう。普段の、飄々とした彼らしくない行動には、彼女とて思うところがあるのだ。
『……レオナルドは良い方よ』
少し考え、一言。
改造屋をフォローせんと発言した彼女に、その夫はあからさまな顔で口を尖らせて見せた。
「なんだい、ハニー。君はあれの味方かい?」
『あなたを味方するくらいなら、彼女を味方するのは当たり前のことでしょう?』
「あんな暴力野郎を!? なぜ!?」
自分の胸に手を当て、よく考えてほしいものだ。
人形は呆れにため息を吐き出すと、カチリと音をたてて首を動かした。そうして、店の出入り口を確認し、軽やかな音を紡ぎだす。
『いらっしゃい、レオナルド』
彼女の言葉に、男が「ひえっ」と短い悲鳴を吐き出した。
「やあ、麗しのマドモアゼル。元気そうで何よりだよ」
言って、微妙な空気になってしまった店内へと踏み込んできたのは、赤髪の目立つ長身の女だった。
所々にポーチやら鞄やらを引っ提げた彼女の服装は、言ってしまえばスチームパンク。頭の上にも目立つゴーグルをちょこんと乗せており、これで改造屋と名乗られれば確かに納得はできそうだ。
女はコツコツとヒールのついたブーツを鳴らし、人形の傍へ。鬱陶しげに店長を蹴りとばすと、床に落下しかけた人形を自然な形でキャッチする。
「怪我は?」
『ないわ。ありがとう』
「いやなに、当然のことをしたまでさ」
ケラリと笑い、人形を腕の中へ。「少し体の方を見ようか」と、彼女はそのまま閉ざされた窓の方へと近づいていく。
「いやいやいや! まてまてまて!」
そこにストップをかけたのは、先ほど蹴り飛ばされ床に転がってしまったばかりの店長だった。
彼は若干痛む脇腹を押さえながら、空いた片手で女の纏う衣服を掴んでいる。
行かせてなるものか──っ!!
思い、歯を食い縛る。
執念にまで似た恐ろしさだ。
当然、行動を妨げられた女は不快そうにその整った顔を歪ませた。ただたんに仕事を全うしに行くだけだというのになぜ邪魔をされなければならないんだと、彼女は深く、深く嘆息する。
それは腕に抱えられた人形も同様であった。
「離してくれ、ミスター。私は君と違って時間に押されている。早く仕事を終わらせたいんだ」
「そんなこと言って我が妻と二人ボッチでイチャイチャする気だろう!? 認めないぞ!!」
「イチャイチャもなにも、私は女で、それでもって人間だ。人形の彼女と恋や愛など、育めるはずもないだろう」
ピシャリと言ってのければ、店長はあっさりと女を解放。ショックを受けたような顔で、ヒクヒクと口端を引きつらせる。
「い、異種族間の恋愛は可能だ!!」
「それは一部の奴の話だな。お前とその奥方についてはそれ以前の問題がある。不可能だ」
「そんなことはない! そうだろうハニー!?」
なぜそこで話を振るのか……。
人形は暫し沈黙した後、背けるように顔をそらした。ぷいっと可愛らしい効果音がついてきそうなその動作に、店長は撃沈。真っ白な床に、沈むように倒れ込む。
「窓借りるぞ」
そんな店長など知ったことかと、女はツカツカと窓枠に近づいた。そうして、見えていないはずなのに意図も容易く枷を外し、向こう側の見えぬそれを開け放つ。
「さあ、来たれ、我が工房──」
ゴォンッ、と、どこかで重い音が鳴り響いた。