04.奥さん
「一日で十と五千。なかなか良い傾向じゃないか。ねえ、我が奥さま?」
片手に持った札束を一枚一枚数えながら、部屋の色と同色の椅子に腰かける男は笑う。ワラウ。
ここまで儲けるのは久方ぶりだと、世の口コミに感激を覚えているようだ。
懐より黒電話を取り出し、「僕もコミコミしてみようかなー?」なんて言っている。
まずどうやって黒電話を仕舞っていたのか。
そこから追及していきたい気分だ。
『随分とぼったくるのね、アナタ』
響くような声が鳴った。
光沢のある受話器を耳にくっつけた男が、その状態のままにんまり笑む。
彼の視線の先には、ピクリとも表情を変えぬ人形が、ちょこんと綺麗な姿勢で立っていた。
金色の睫毛の下から覗く瞳が、僅かな輝きを帯びている。
「やあ、僕の奥さん」
ガチャンッ。
受話器を戻した男が、椅子から立って人形の傍へ。
しゃがみ込み、小さな彼女と顔を合わせるように、到底人間とは思えぬそれを下に向ける。
「やっと話してくれる気になったのかな? 君ってばもう、ずうっと黙りだから、僕はてっきり嫌われちゃったのかと思ったヨ」
『あながち間違いではなくてよ』
「わーお、ショッキングー」
軽い冗談を流すように、彼は笑い、立ち上がった。
「君は相変わらず冷たいね。それこそ冷凍庫の中で作成される氷のような冷たさだ。まあそんなところも好きなんだけどネ」
『ありがたくないけどありがとう』
「ドウイタシマシテー」
一体この二人(?)はどういった関係なのか……。
楽しげな男に、声は疲れたような息を吐きだした。
どこか高貴さを感じさせる言葉遣いが、少し間を置き、また何事もなかったように発される。
『それはそうと、お外へ出たいわ。いつまでもこんな場所にいるなんて、いろいろよろしくないもの』
「しかし、外は危険だヨ。君のように麗しい女性は、すぐにそこらの野良に狙われてしまう」
『あなたじゃないんだから大丈夫よ』
それはつまり、どういうことか……。
悩ましげな表情で、男は一度腕を組む。
しかしなぁ、とぼやく彼は、かなりお悩みのご様子だ。
さすがに、愛する妻の頼みを、聞かないわけにはいかないのだろう。
「うーん……うーん……」
部屋の中を、ぐるぐるぐるぐる、壁に沿ってひたすら歩く。
その、きっと意味はあまりないであろう動きを四、五回繰り返し、彼はようやっと足を止めた。
かと思えば、飛ぶような速度で人形の傍へ。
かなり小柄な彼女を両手で抱えあげると、「決めた!」と明るい声を張り上げる。
「外出はナシ!」
『この引きこもり』
「なんとでも言いな。でも、僕のココロはゆるがない」
それに、まだ店仕舞いをしたわけではないのだ。
また新たな客が来る可能性だってある。
折角の儲けを、棒に振る必要性はない。
なによりやはり、彼女を危険な外へ出すなんて、許しがたいことである。
「君には僕がいるんだし、暫くは窮屈だろうけど我慢しておくれ」
『あなたがいるのが問題なのではないかしら?』
「それを言われちゃオシマイさ」
大袈裟に肩をすくめた男に、再び、人形はため息を吐き出した。
盛大なそれは、彼女の抱える大きなストレスを表しているようにも聞こえる。
『とにもかくにも、私はお外に出たいの。お散歩をしたいの。それを認められないと言うのであれば、私は今すぐ、この籠のような、窮屈な場所から出ていきますから』
「あああ! 待って待って! 待っておくれよマイハニー! そんな離婚寸前の夫婦みたいな会話は求めてないから!」
『ならば出しなさい。今すぐに』
強気な妻である。
このままでは嫌われてしまうと悟ったのか、若干冷や汗をかいた男は、そろそろと扉の方へ。
つい先ほど、過去を求めた客人を解放したばかりのそれに、懐から取り出した鍵を挿し込んだ。
──ガチャリ。
音をたてて、ノブが回される。
──ふわり。
開かれた扉の向こうから、柔らかな風が室内目指し飛び込んできた。
共に視界に写るのは、広大な緑色だ。
小さな花がひょこひょこと顔をだし揺れているそこは、どこかの観光スポットだろうか。
人の気配はないものの、たてられた看板には『自然をお楽しみください』と、丁寧な文字が記されている。
『……人がいないのだけれど?』
カチッ、と人形の首が動き、男を見た。
どこかゾッとするようなその動作に、男は「いやぁ、あはは!」なんて笑っている。
「きっと皆、今頃買い出しでもしているんじゃあないかな? だからほら、誰もいないんじゃ……」
『あら。だったら私も買い出しに行きたくてよ。お散歩がてら、出会った方とお茶をしても楽しそうだわね』
「なんと!? それは浮気かい、ハニー!?」
そんなことは止しておくれと、男は叫ぶ。
そんな彼の腹部に頭から突っ込んだ人形は、『ふんっ!』と可愛らしい声をあげると、カチカチと音をたてながら外に出ていく。
どうやら妥協してくれたようだ。
「あ、愛が痛い……っ」
容赦のない頭突きを食らった箇所を両手で押さえ、震える男はよろよろと外の世界へ。
出ようとして、扉の前で足を止めると、困ったように、その場で大人しく腰を下ろす。
美しき緑の世界には、踏み出さないようだ。
「僕の奥さん! あんまり遠くへは行かないようにねー!」
のんびりと忠告し、真っ白な床にソロソロと座る。
膝を抱える形で様子を伺う彼に、人形はクルリと振り返ると、もう一度だけ『ふんっ』と鼻を鳴らした。