03.哀れな人間
「──お分かり頂けたカナ?」
ケラケラと、それこそ楽しげな笑いを一つ、二つとこぼしながら、男は唐突に、開かれっぱなしの窓を閉めてそう問うた。
呆然と立ちすくみ、大量の汗を額に滲ませる女の心配など、全くもってしていない。
寧ろ気にもとめていないようである。
それもそのはず。
だって彼はただ──。
──ただ、客の感想を聞きたいだけ、なのだから……。
「……いま、の……っ」
男の、どこか嬉々とした反応とは裏腹に、震える声で女は紡ぐ。
声と同じく震える体を両手で抱き締め、沸き上がる恐怖を抑え込むように、しゃがみ込んで。
「わ、わたしの……っ」
「希望のオワリ」
「わ、わた……の……っ」
「未来のオワリ」
歌うように告げて、座り込んだ女を無視し、男は窓に枷を戻した。
ジャラジャラうるさい音をわざとらしくたてる彼に、女はピクリとも反応することなく、ただ床を凝視しうつ向いている。
──私は、私はなにか、とんでもないものを目にしてしまったような……。
まだ鮮明な記憶に、ぶるりと背筋が震えた。
そっと首筋に触れてみれば、ひんやりとした感覚が、襲うように背を駆ける。
この感覚は、なんだろう。
私は一体、今、何を思っているのだろう。
混乱が混乱を呼び、徐々に現状が理解しがたいものへと変わっていく。
これが所謂、キャパオーバー、なのだろうか……。
「お客サン、はやく立ちな。そこに居られると邪魔だよ。ジャマ」
震える客人に対してかけるには、あまりにも間違えすぎている言葉を吐き捨て、男は窓の閉まり具合を確認。
きちんと固定されたのを確認してから、うん、と頷くと、そのまま右隣の窓へと移動する。
窓の南京錠を外したところを見るに、どうやら次に解放されるのはそこらしい。
「こ、今度はなに……?」
一種のトラウマを植え付けられたような感覚で、怯えたように女は言った。
這いずるように後退する彼女に、男は振り返り、ニタリと笑う。
「ご来店さ」
「ご、らいて、ん……?」
なんのことだと追及しようとした瞬間、枷を外された窓が音をたてて開け放たれた。
その向こう側、顔を覗かせた巨大な何かが、音をたてて窓の中より飛び出してくる。
「ひ、ひぃっ……!?」
女は転がるように部屋の隅へ。
縮こまって震えながら、室内に突如として現れた、鬼のような怪物を見上げた。
──ギョロリ。
若草色の顔に、嵌め込まれたような巨大な目が、小さな店内を見回す。
「あ? なんだ? 客が来てたのか。珍しいこったな」
響くような低い声が、大きく部屋の中を循環した。
たまらず耳を押さえて鼓膜を守る女をよそ、男は「そうでもないサ」とケラリと笑う。
「最近はわりと来客多いんだよ? これでも。なーんか口コミで広がっちゃってるっぽくてサー。通過料五千ネ」
「このぼったくりが」
文句を垂れながらも、差し出された男の手に、鬼は懐から取り出した紙切れを雑に乗せた。
よくよく見るとそれは日本円のようで、紙の真ん中には有名な偉人の顔が記されている。
鬼から万が出てきた……。
なんとなく見たくないような現実を目の当たりにした女の顔に、ほんのちょっとの悲しみが浮かぶ。
鬼ならもっとこう、古い硬貨を出してほしかったのに……。
そう思う自分は、ワガママなのかもしれない。
「今日はドチラまで行くつもりで?」
開きっぱなしの窓を一度閉めた男が問えば、鬼は「地獄駅」と一言。
閉ざされたばかりの窓を開けると、またその中へと入っていく。
体格より小さな枠の中によく入れるなと、傍観に徹する女は不思議顔だ。
「なに? 仕事?」
札を数える男が問う。
鬼は「いいや、違う」と否定した。
「地獄駅の近くでイベントがあんだよ。最近有名なアイドルのな。それ見に行く」
「ああ、あの鬼っ子天使とかいうよくわからない部類のアイドルね」
「そうそれ。スゲーかわいいのよ。まじ鬼の天使って感じでよー」
「へー。どうでもいいや」
紛いなりにも客の立ち位置である鬼にこの対応。
こいつは店長であってはいけない人種だと、女は改めて再認識。
飛び交うオタク的な会話は敢えてスルーし、痛みだした頭をそっと押さえる。
友よ……。
確かに珍しい店だ、ここは……。
帰宅したらそく電話してやると心に決め、消えた鬼から視線を男へ。
また窓を閉め、鎖やら南京錠やらを取り付ける彼に、彼女は意を決したように声をかけた。
「あ、あの……店長、さん……?」
「ナニカナ?」
店長と呼ばれたことに喜びを覚えたようだ。
パッと振り返った男は、にこやかに女へ顔を向ける。
その間、ガチャガチャと、窓を施錠する手は止まらない。
「あ、あなたは確かさっき、行ってたわよね? その窓が、この店の『看板商品』だ、って……ということはつまり、その窓自体を、その、売っているということなの……?」
「マサカ」
けらりと笑い、男は片手を振った。
そんなことは有り得ないと言いたげな彼は、窓がきちんと閉まっていることを確認した後に、「売ってるのはこの中身」と窓枠を指で叩く。
コンコンッ、と鳴る音が、なんとなく耳に心地よい。
「中身……?」
「そう。中身」
説明しよう、と彼は語る。
「一つは『過去へと帰れる』窓。一つは『望む場所へと行ける』窓。一つは『未来を歩める』窓で、一つは『全てを消せる』窓」
とん、とん、とん、とん。
順に指差される窓が、反応するように音を鳴らす。
それがまるで、意思を持っているようにも感じられ、女はごくりと喉を鳴らした。
こんな緊張感、いつぶりだろうか……。
「『過去へと帰れる』窓は、名前と同じく過去に遡る力をもつ。遡りの指定はないから、ずっとずーっと昔。それこそ石器時代にだって行けちゃうヨ。
『望む場所へと行ける』窓は、頭に思い浮かんだ場所へと行ける力をもつ。移動場所に制限はなく、夢の世界でも、なんなら二次元でも四次元でもひとっとび。
『未来を歩める』窓は、どんなに先の未来にも行ける力をもつ。現在を、過去を捨てたい。はたまた、今も絶望に苦しむ人のための、救済措置的な役割をもっているんダ。
『全てを消せる』窓は、全てを無に帰す力をもつ。これを開くにはかなりの覚悟が必要ダ。まあ、覚悟という点においては、どの窓も共通で必要なモノなんだけどネ」
あとお金、とちゃっかり仕事はする男。
いやらしく手の形を丸くした彼に、女は納得したのかしてないのか、「はぁ……」と曖昧に頷いてみる。
とりあえず、この窓たちがかなり凄いことはわかった。
多少の胡散臭さはあるものの、信用するための素材は、もう十分に与えられている。
今さら疑う必要性もないだろう。
「因みに私が開けた窓って……」
「『過去へと帰れる』窓、だネ」
にっこり顔の店長に、女はですよね、と苦笑い。
すぐに、「でも、おかしいわ」と、内なる疑問を吐き捨てる。
「私はあんな、殺されてなんていない。今もほら、生きているわ」
「ソウダネ。しかし、君は死んだ」
わかっているんだろう?
そう言いたげに指差されたのは女の胸元。
丁度心臓がありそうなその位置を、示された女は苦い顔だ。
わかっている。
ああ、わかっているとも。
あの窓の中で死んだのは、間違いなく私だ。
純粋に夢を描いていた、幼い私。
無垢なる命が、強い言葉に押し潰されて、死んだのだ。
私が思い描いていた、明るい未来のように……。
「……気分が悪いわ」
ついでに言えば胸くそも悪い。
額を押さえて息を吐く女に、「なら帰れば?」と軽くあしらうのはこの店の店長。
彼は、自称『僕の奥さん』である人形を大切そうにその手に持つと、まるでダンスでも楽しむようにくるりくるりと踊り出す。
既に、客の相手は飽いてしまったようだ。
というか寧ろ、眼中にもないらしい。
「……そんなことしてたら、いつか潰れるわよ」
憎たらしげに低く告げ、女はこの空間から出ていこうと踵を返した。
が、店の出入口まで来たところで、彼女はピタリと足を止める。
そして、まるでそうしなければいけなかったとでも言いたげに、自然な形で、未だ躍り続ける男を振り返った。
「……ねえ」
なにかに気づいたかのように、見開かれた目が、足を止めた彼を見る。
「過去は、変えられるの……?」
それは甘い甘い誘惑に、落ちてしまった哀れな音。
「──まいどあり」
弧を描く口元をさらに歪め、男は笑う。
薄汚くも残酷な、人間という生物の存在を、嘲笑するかのように……。