亡国の王女と邪教の姫
******
「――なぁミディア」
俺は傍らの相棒――ミディアに話しかけた。
俺たちの目の前には、傭兵ギルドの依頼票が張り出される掲示板がある。何の変哲もないその掲示板には、依頼票が一枚も張り出されていなかった。
「今夜の宿代、どうする?」
「……この分だと、野宿、ということになるわね」
ミディアは、自慢のプラチナブロンドをかき上げながら、忌々し気に吐き捨てた。
俺たちの路銀は尽きていた。一縷の望みをかけてギルドに来たが、平和な小国にまともな依頼はないようだった。
「まさか、隊商の護衛依頼すらないとはな。平和な国だ」
「こんなことなら、この国を素通りしてバスタッシュまで直に向かった方がマシだったかもね」
「……言うな。今更だ」
俺はギルドの受付に足を向けた。
「どうする気?」
「確認してくる。張り出されてない依頼がないとも限らないからな」
俺の後をミディアが追いかけてきた。
俺たちは各地を旅する傭兵だ。ミディアは駆け出し冒険者のころから面倒を見ていて、いつの間にか二人で旅をするようになっていた。
「なぁ、割のいい仕事はないか」
受付の男に話しかけた。男は無愛想に俺を一瞥し、片手を差し出した。俺は無言で傭兵ギルドの登録証を手渡す。
「……おまえ、よそものか」
「ああそうだ。各地を旅してまわっている」
このギルド登録証は、南方の国で得たものだ。そこから北上してこの国――ワレンタインまで来ていた。
受付の男は、俺の全身をなめるように眺めた後、背後に居るミディアも同じように品定めをしていた。
男は腕を組み、顎に手を当てて少しの間考えていたようだが、口を開いた。
「そうだな……今、腕のいい連中が出払っていて困っていた依頼が一件ある。それでよければ請けるか?」
腕のいい連中、か。こんな平和な小国に、腕の立つ傭兵など居つくまい。居るとしてもたかが知れた連中に思われた。
「……依頼内容次第だ」
背に腹は変えられぬ、とはいえ、汚れ仕事まで請けるほど落ちぶれた覚えもない。暗殺や窃盗の片棒など、御免こうむる。
受付の男は渋々と依頼内容を話し始めた。
「とあるダンジョンの奥に潜り、そこにある装置を破壊してもらいたい。報酬は金貨五枚だ」
「……太っ腹だな」
金貨一枚で平民が一か月遊んで暮らせる、そんな額だ。
この依頼は怪しい。直観がそう告げた。
「相応の難易度だ。依頼主も王都の高官だ」
「ねぇアイン。ここは王都の正規傭兵ギルドよ? 何を警戒しているの?」
ミディアの言うことももっともだ。ここが信用できないのであれば、他に信用できる場所などない。
俺は少し考え、受付の男に質問を繰り返す。
「何故、装置を破壊する必要があるんだ?」
受付の男の表情が曇った。
「……依頼内容に深入りするのは、賢い態度じゃないな。――だがまぁいい。古い邪教の遺跡だそうだ。邪教が目障りだから潰してほしい、それが依頼主の要望だ」
古い遺跡……古代遺物か。遥か昔の、失われた技術で製造された遺跡や装置――ロストアーツだ。
古代遺跡には様々なトラップや強力な守護者が居ることが珍しくない。で、あれば金貨五枚というのは相応に思えた。だが。
「――古代遺物を破壊する、なんて話は、今まで耳にしたことがなかったが」
収集家もいる古代遺物は高値が付く。国家が保護することも珍しくない。
「依頼主の思惑何ぞ、俺たちの知ったことじゃない。それより、請けるのか? 請けないのか?」
「他に依頼は――」
「ないな」
逡巡している俺の背後でミディアが語り掛けてきた。
「正規のギルドで、王都の高官からの仕事よ? 何を訝しんでるのかわからないけど、このままじゃ国境の通行料も払えないのよ?」
それは確かにそうだ。人を殺せ、や盗め、と言われている訳でもない。だが――
焦れたミディアが、受付の男に了承の意思を伝えた。
「その依頼、請けるわ。――後から、『壊れた古代遺物を弁償しろ』なんて話にならなければ、ね」
「おい、ミディア!」
止めたが、ミディアは受付の男と話を進め始めた。
「そんな話にはならないさ。――現地の連中には話が通っているらしい。この手紙を渡せ。場所はこの地図にある」
ミディアは受付の男から封蝋された手紙と地図を受け取った。
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俺たちは傭兵ギルドを後にし、大通りを歩いていた。昼間だが、人はまばらだ。
「まだ疑ってるの?」
「……まぁいい。もう請けた依頼だ。請けた以上は完遂するまでだ」
それが人道にもとるものでなければ、依頼は必ず完遂する――プロの傭兵としての、俺の矜持だ。
「この地図の場所だと……馬で二日か三日くらいね。いつ出発するの?」
「そりゃあもちろん――」
俺はにやりと笑った。
「今すぐだ」
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俺たちは馬を駆り、地図の場所へ向かった。
道中、兎などを狩り、食料の節約も忘れない。――そのくらい、懐具合はカツカツだった。
二日ほど馬を走らせた夜、目的の場所に到着した。
ダンジョンの入り口にはかがり火がたかれ、見張りが一人佇んでいた。馬を下りて木につなぎ、見張りに話しかける。
「依頼を受けてきたんだが」
俺が話すと同時に、ミディアが封蝋のされた手紙を差し出した。
見張りは手紙の内容をあらため、俺たちを一瞥した。
「……話は聞いている。朝になってもお前たちが戻ってこなければ、依頼は失敗したとみなしてギルドに報告する。それでいいな?」
”それまでに生還できなければ死んだとみなす”か。それなりに物騒ということか。
今は日が沈んで間もない。時間は十分あるだろう。
「――ああ、構わない。中には何が居るんだ?」
兵士は不愛想に答える。
「さあな。俺たちの知ったことじゃない」
俺たちはダンジョンの入り口をくぐり、石造りの階段を下りて行った。
――俺たちの背後で、見張りが手紙をかがり火にくべるのを、俺たちは確認し損ねていた。
******
ミディアが松明を手に、警戒しながら道なりに先行していく。
「……静かなものね。魔獣の気配も感じない」
ネズミ一匹見当たらなかった。餌がないのだろう。
「……そうだな」
拍子抜けだ。
大きな分岐路もなく、ただ道なりに進んでいく。そうして間もなく、大きな扉の前に辿り着いた。ノブにはさび付いた鎖が巻き付けてあった。
「これはまた――ずいぶんと原始的な”封印”だな。本当に古代遺物があるのか?」
訝しみながら、背中の大剣を引き抜き、鎖を叩き切る。
鎖は一撃で破壊され、残骸が床に散らばっていった。
「開けるわよ」
ミディアが扉を開けると、中はやや開けた部屋になっていた。天井も高い。
――中央に何かがうずくまっている?
「なんだ?」
ゆっくり近寄ると、それは光を発しながら動き始めた。
「石造りのゴーレムね。私の武器じゃ歯が立たない――アイン、あなたに任せるわ」
ミディアは片手でショートソードを抜き、背後に下がった。
ゴーレムは完全に立ち上がり、その体長は俺を超え、三メートルに及ぼうかという巨体だった。――なるほど、これは厄介だ。
「遺跡の守護者、って訳だ。――金貨五枚のためだ。早々に大人しくなってもらうとするか」
俺は大剣を構え、ゴーレムに斬りかかった。
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ゴーレムの体重を乗せた拳が、俺の頭を目掛けて振り下ろされる。
そんなものをまともに食らえば、人間など簡単にミンチだ。
俺はそれを躱し、ゴーレムの腕が床にめり込むと同時に、その肘を目掛けて、外側から大剣を振り回し叩きつける。――伸びきった関節を、逆から破壊していくのだ。
そんなことを何度か繰り返しているうちに、ゴーレムの左腕が破壊された。同じ要領で、右腕も破壊していく。
――俺の大剣は、その質量で叩き切ることに特化している。大剣の質量を高速で振り回し、力任せに叩きつける。それが俺の戦い方だった。
無防備になったゴーレムの頭に、振り回した大剣をなんどか横合いに叩きつけ――ひびが入ったところで、真上から頭部をかち割る。
ゴーレムの頭部がはじけ、その動きが停止し、その場に崩れ落ちていった。
俺は汗をぬぐい、一息つくと大剣を鞘に納め、ミディアに聞いた。
「朝まで、あとどれくらいだ?」
「まだまだ余裕はあるわよ」
ミディアもショートソードを鞘に納め近づきつつ答えてきた。
「でも、先を急ぎましょう。まだ他にいるかもわからないわ」
あんなのがまだいたら、と思うと辟易する。
俺たちは先に進んだ。
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道なりに進んだ先は行き止まりだった。奥にあったのは、壁に埋め込まれた石造りの装置だ。見たことのない模様が、光で浮かび上がっては明滅していた。
「これが目的の古代遺物でいいのか?」
「ここが最奥だから、おそらくそうね」
つまり、これを破壊すれば依頼は達成、というわけだ。さきほどのゴーレムより脆いことを祈ろう。
「ミディア、離れていてくれ――いくぞ!」
大剣を鞘から引き抜いて振り回し、装置に向かって振り下ろしていく。その都度、光が弾け、石に亀裂が入っていく。
そうして何度目かの振り下ろしを受けた装置は、静かに明かりを消していった。
「……終わったか」
「みたいね――あら、これなにかしら」
ミディアが足元に転がる石を拾い上げた。
最後の一撃で大きめの部品がはじけ飛んで行ったので、その一部だろう。コインサイズの、宝石のような玉だった。
「壊れているとはいえ古代遺物の欠片だ。好事家に高く売れるかもしれんな」
ミディアは「そうね」といい、腰のポーチにしまい込んでいた。
俺は古代遺物を破壊した証として、足元に散らばる装置の欠片を1つ拾い上げ、懐にしまった。
「さて、依頼達成だな」
「朝までに地上に戻れば、ね」
「違いない。さっさと引き上げるとしよう」
地上に戻った俺たちを、見張りは無言で見送った。
俺たちは再び馬を駆り、王都に戻った。
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傭兵ギルドでは、前回と同じ男が受付で出迎えた。
「随分と早いな。ちゃんと破壊してきたんだろうな?」
俺は懐から古代遺物の欠片をとりだし、手渡した。受付の男はそれを興味なさそうに一瞥し「まぁいい。少し待ってろ」と奥に引っ込んでいった。
戻ってきた男は革袋を持ってきて、俺に投げつけた。
「報酬だ。受け取れ」
革袋を受け取り、中を確認する――金貨が六枚入っていた。
「……どういうことだ」
報酬は金貨五枚だったはずだ。
受付の男は表情を変えずに答えた。
「口止め料、だそうだ」
男は肩をすくめた。他言無用――そういうことか。
しまった、と思ったがもう遅い。依頼は完遂している。どうにもきな臭いが、今更どうしようもない。
(ここは、おとなしく受け取って国外に行くべきだな)
「……わかった。俺たちは近いうちに、この国を立つ」
受付の男はニヤリと笑った。
「ああ、それがいいだろう。――賢い男だな」
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ギルドを後にし、大通りを歩いて両替商の元へ向かっていた。
ミディアは悔しそうに言った。
「……ごめんなさい、一杯食わされたわ」
「……連帯責任だ。手を下したのも俺だ」
事実、止める機会はあった。それをむざむざと逃したのは俺のミスだ。
俺たちは金貨一枚を両替した後、疲れた身体を押して入用の物を買いそろえ、その日は宿に泊まった。翌朝、バスタッシュへ向けて出立した。
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俺たちはワレンタイン王都から、馬でバスタッシュへ続く国境へ向かった。
「――ねぇ、気づいている?」
「……ああ、つけられているな」
街道を馬で進んでいるときも、野営をしているときも、視線を感じていた。遠目に見えたのは、ワレンタイン王国兵士の姿だった。
「……俺たちが国外に出るまでの見張り、という訳か」
「どうするの?」
「そうだな……襲ってきたら返り討ちにするが、そうでなければ捨て置け」
俺たちは、わざとゆっくり進んだ。獣を狩り、野営をして過ごしたが、襲ってくる気配はなかった。
二日目の夜、「どうやらただの見張りだろう」と結論付けた。その日も野営をして横になった。
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遠くで金属音が聞こえた気がして目が覚めた。
「――聞こえたか」
横になったまま、ミディアに声をかける。少しの沈黙の後「争っている音が聞こえる」と返ってきた。ミディアは俺より耳がいい。
起き上がり、気配を探る。見張りの気配はなかった。
剣を持ち、音のする方へ足音を殺しながら向かう。だんだんと音が大きくなる。――剣戟の音だ。足を速めた。
俺よりも俊敏なミディアは、先行して茂みに潜んでいた。その背後に付き、ミディアの視線を追う――兵士の集団が、誰かを囲い込んでいるようだ。囲い込まれた方は一人。背後に誰かを守っているようだった。
「こういうとき、どうするかはわかるな?」
ミディアは頷いた後、弓に矢をつがえ、囲い込んでいた兵士の頸筋へ矢を放った。――命中と同時に俺は駆け出す。
走りながら大剣を鞘から抜き、こちらに気づいた兵士を切り捨てていく。ミディアも追い付いてきて加勢し、囲い込んでいた兵士たち全員を切り伏せた。
「だいじょうぶか」
囲い込まれていた男に声をかける。――満身創痍で、もう助からないのが見て取れた。王国兵士の鎧、か。切り伏せた兵士たちよりも立派なものだ。
「……何者だ」
男の誰何の声に「旅の傭兵だ」と告げた。男は構えていた剣を下ろし、片膝をついた。力尽きるまで、そう長くはもつまい。
そうして腰を落とすことで、男が背後に守っていた人物が姿を現した。そこにはドレスを着た長い髪の少女が居た。
円らな青い瞳に涙をため、男に駆け寄り声をかけていた。衣服が汚れるのも意に介さず、男の介抱を始めた。
男は少女の腕を拒絶し「お前たちに頼みがある」と告げた。
「このお方を、バスタッシュにお連れしてくれないか」
「何があった」
俺の問いに、男は答えた。
「――謀反だ。将軍が裏切り、王が殺された」
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男の介錯を済ませ、少女を連れて夜道を急いだ。野営を引き払い、馬を走らせる。少女は俺の馬に相乗りさせた。
夜通し馬を走らせた後、馬に休息をとらせた。もうすぐ国境だが、馬を潰しては元も子もない。今のところ、見張りの気配が復活する様子もなかった。
倒木に座り込み、少女から話を聞くことにした。
「お嬢ちゃん、名前は?」
「リティシア――ワレンタインの王女です」
「お姫様だったの……じゃああなたを守っていた人は――」
「近衛兵です。クーデターが判明してすぐ、彼の手引きで城から逃げ出しました」
少女――リティシアはうつむきながら、ぽつぽつと答えていった。
「街に逃げ込む、とは考えなかったのか」
「”軍部が掌握されている”と、彼は言っていました。街に逃げ込んでも、すぐに発見されるだろう、と。一刻も早くバスタッシュへ抜けるように、数名の近衛兵と共に城を飛び出しました」
俺たちが見つけたとき、守っていたのはあの男一人だった。残りはすべて、追手にやられたのだろう。
ミディアが優しく問いかける。
「バスタッシュに、行くあてはあるの?」
「バスタッシュ王に謁見し、事情を説明しようと思います」
俺はリティシアの提案を止めた。
「……いや、それは少し待った方がいい」
「何故でしょうか」
「バスタッシュ王がクーデターに共謀していないとは限らない。情報が集まるまで、もっと信頼できる人物の元へ身を寄せるべきだろう。他に誰か、信頼できる顔見知りの心当たりは?」
リティシアは思案したあと、答えた。
「……一人、心当たりがあります。理知的な方で、よくお話をさせていただいていました」
「それは誰だ?」
「クイン・マクレーグ――王都に住む、蒼の賢者と呼ばれる方です」
賢者、ときたか。だがリティシアが、人となりを見て信頼できる、と判断した人物だ。今はそいつを頼るしかあるまい。
「わかった。バスタッシュに着き次第、そいつを捜すことにしよう。それと、バスタッシュに入ったら、すぐに姫さんの服もなんとかしたほうがいい。そのままでは悪目立ちする」
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休憩を終え、俺たちはまっすぐ国境を目指した。
関所では兵士に見咎められた。
「止まれ! ――王女殿下、なぜこのようなところに」
兵士たちは狼狽している。
「クーデターだそうだ。俺たちは王女をバスタッシュに逃がす。俺たちがここに向かったことは知られているかもしれんが、できる限り誤魔化してやってくれ。時間が稼げればそれでいい」
「この方たちの言う通りです。父への忠誠が残っているのなら、お願いします。私たちを通してください」
「……王女殿下が、そうおっしゃるのであれば」
リティシアの汚れた身なりを見て、ただ事ではないのを理解したのだろう。兵士は俺たちをすんなり通してくれた。
関所を通り過ぎ「通行料を稼ぐ必要、なかったわね」とミディアが冗談を言っていた。俺だってまさかこんな事態になるとは思っていない。
そのまま街道沿いの村のそばまで行き、馬を止めた。
「ミディア、男物の洋服と帽子を調達してきてくれ。俺たちはここで待つ」
ミディアは頷くと、村まで馬を走らせていった。
リティシアにはドレスを着替えてもらい、その長い髪を帽子の中に隠した。ドレスは、森の中の土深くに埋めた。
「これで、痕跡を多少はごまかせるといいんだがな」
俺たちはそのまま、バスタッシュ王都を目指した。
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道中は宿を避け、野営をつづけた。なるだけ人目を避けて移動した。
「悪いな姫さん、野営なんて慣れないことさせちまって」
「いえ、こんなときですから……」
そうは言うが、やはり夜はなかなか寝付けないようだった。慣れない野営でリティシアの疲れが限界を迎えそうな頃、ようやくバスタッシュ王都が見えた。太陽は天高く昇っていた。
「お前たちは……傭兵か」
俺とミディアの傭兵ギルド登録証を見た門番が確認してくる。
「ああ、それと、こいつは親戚の息子だ。今度、傭兵として手ほどきしてやることになっている」
「……ずいぶんと華奢だな。こんなんで傭兵になれるのか?」
「これから鍛えるところだ。ダメだったら下働きでもさせるさ」
門番は納得したように頷き「行け」と促した。
「無事、王都に入れたわね」
「まずは宿を取ろう。リティシアがもう限界だ」
王都の大通り、治安が良さそうな宿に入り、一部屋を取る。
部屋に入り鍵を閉めたところで、リティシアがソファに倒れこんだ。
「悪いが相部屋で我慢してくれ。事態が事態だ。俺とミディア、二人がなるだけ傍に居た方がいい」
俺も椅子に腰かけ、一息つく。
「私は体が温まる食事を頼んでくるわ」
「頼む」
ミディアがルームオーダーを注文しに行き、しばらくすると暖かいスープとパンが届いた。
「姫さん、少しは寝る前に体に入れておいた方がいい」
「……わかりました」
久しぶりに食べる暖かい料理は、思ったより体に沁みたのか、リティシアはスープを平らげた後、ベッドに横になっていた。
リティシアの寝息を聞きながら、ミディアと明日の打ち合わせをする。
「明日は俺が一人で蒼の賢者について調べてくる。ミディアはリティシアと一緒にこの部屋で待機していてくれ」
ミディアは頷いた。
「……なぁミディア。どう思う?」
「なにが?」
「俺たちの依頼と、クーデターのタイミングだ」
きな臭い依頼の直後に起きたクーデター。無関係とは言い切れなかった。
ミディアは頭を振って答えた。
「わからないわ。なにも」
ミディアは寝息を立てているリティシアの寝顔を見守る。
「そうだな」
――もし関係があった場合、俺たちはクーデターの片棒を担がされたことになる。
「……気に食わねぇな」
二人に聞こえないよう、吐き捨てるように呟いた。
ミディアは、リティシアの隣のベッドで横になった。
俺はソファに横になり、明日のプランを考えていた。
******
翌日、俺は魔術師ギルドに赴いていた。――蒼の賢者、つまり魔術師だろう。ならば魔術師ギルドで話を聞けるはずだ。
「なぁ、蒼の賢者を捜しているんだ。何か知らないか」
「あんた、蒼の賢者を知らないのか? 国内随一の魔術師で、爵位持ちの貴族様だよ」
「ほお、そんなに偉いのか」
「ああ。だが、稼いだ金は各地の古代遺物の収集に使ってるらしい。かなりの変人だな」
「どの辺に住んでるんだ? 丁度、売れそうな物を持ってるんだ」
「地図を描いてやる。ちょっとまっててくれ」
魔術師ギルドの受付から地図を受け取り、その場を後にした。
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夜になり、宿に帰る。扉を符丁でノックすると、鍵が開いた。
部屋に入り、鍵を閉める。
俺は椅子に座り、二人に報告をする。
「ミディア、姫さん。蒼の賢者の所在がわかった。明日、朝一番に三人でそこに向かおう。何か異論はあるか?」
二人は頭を振った。
その日もルームサービスで食事をとり、俺はソファに体を沈めた。
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「ここか」
貴族たちのタウンハウスが居並ぶ通り、その中の一角に蒼の賢者の邸宅はあった。
「さすが、伯爵様だな」
邸宅の玄関では、背の高い青年が掃除をしていた。
「蒼の賢者に会いたいんだが」
青年は振り向き、笑顔で答えた。
「お師匠様に用っすか?」
「ああ、会わせたい人物がいるんだ」
「お名前を伺ってもよろしいっすか?」
リティシアが一歩前に出て名乗った。
「リティシアと申します。クイン様には、おそらく、それでわかると思います」
――外ではこれ以上言えまい。
「んー、わかったっす! 伝えてくるっす! ちょっとそこで待っていて欲しいっす!」
青年は箒を放り出し、玄関の中へ消えていった。
”お師匠様”と言っていたが、あれが魔術師の弟子なのだろうか。とてもそうは見えなかったが。
しばらく待っていると、さきほどの青年と共に一人の少年が姿を現した。蒼いローブを身にまとっている。この少年も弟子なのだろうか。
リティシアが帽子を取り、口を開いた。
「――クイン様。お久しぶりでございます。」
少年は目を瞠ると、何かを察したのかあたりに目を配った。
「リティシア様とお連れの方、どうぞ中へ。――ルイン、貴賓室の用意をさせてくれ」
少年に促されたリティシアに続いて、俺たちも玄関をくぐっていった。
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通された部屋で、侍女たちにお茶の用意をさせた後、少年――蒼の賢者クインは人払いをし、ゆっくりと口を開いた。
「――リティシア様。何がありましたか」
「……将軍が謀反を起こし、父が殺されました」
落ち着いたクインの声に応じて、リティシアがぽつり、ぽつりと事情を説明していく。
聞き終わった後、クインはため息を一つついた。
「――なるほど。だが、あなただけでも助かってよかった」
クインはいたわるような目でリティシアを見つめて続けた。
「私の方でも、この件について調査を行います。――リティシア様。あなたはしばらく、ここに身を隠してください」
リティシアは小さく頷き、クインに呼ばれた侍女に従っていった。
クインは、今度は俺たちに向き直った。
「彼女をここまで連れてきてくれたことに、感謝します」
年のころは十二くらいだろうか。その割に落ち着いた声で、クインは頭を下げた。
「気にしないでくれ、たまたま通りかかっただけだ。――それよりあんた、名をはせてる割に随分と若いな」
魔術師ギルドでは”国内随一”と言っていなかったか。だが名声に対して若すぎる。
クインは笑いながら「やはり気になりますか」と答えた。
「私は、とある事情で歳をとらないんですよ。こう見えて、百年は優に生きています」
「百年?!」
俺とミディアは顔を見合わせた。――からかわれているのだろうか。
「今は信じられなくても、二十年もすれば嫌でも理解することになりますよ」
クインは楽しそうに紅茶を含み、続けた。
「――あなた方へは謝礼を渡す必要がありますね」
クインは懐から革袋を取り出すと、俺たちの前に置いた。
俺は、それを手で制した。
「その前に、あんたに見てもらいたいものがある。――ミディア、あの石を出してくれ」
「あの石? ああ、あれね」
ミディアが腰のポーチから石を取り出し、俺に手渡す。
「これがなんなのか、あんたならわかるか?」
俺はコイン大の玉を、クインの前のテーブルに置いた。
クインは怪訝な顔をしながら、ゆっくりと石を手に取り、持ち上げて光にかざし始めた。そのまましげしげと眺め続ける。
「……古代遺物、ロストアーツ。何故、あなた方がこれを?」
「ワレンタインで依頼を請けた。”古代遺物を破壊してくれ”とな。それは破壊した遺物の欠片だ」
「依頼主は?」
「王都の高官、だそうだ」
「壊した理由は?」
「”邪教が目障りだから潰してほしい”、とだけ聞いている」
クインは石を眺めながら、考えを巡らしているようだ。
「依頼を終えると口止め料を渡され、ワレンタインを出るまで見張りがついてきた。まともな依頼じゃなかったが、気づいたのは古代遺物を壊した後だった」
クインは何も答えない。
「もしも、俺たちの行いがクーデターのきっかけになったのであれば――俺たちも無関係ではいられない。何か手伝えることがあれば言ってくれ。腕は立つつもりだ」
クインは石から視線を外さずに、口を開いた。
「……では、あなた方の宿泊先を教えてください。何かあれば使いの者をよこします。それと、この石は私が預かってもよろしいですか」
有無を言わせぬ問いに、俺たちは頷いた。
宿の位置を残し、その場を後にした。
******
「ねぇアイン。これからどうするの?」
宿に帰り、ソファに沈み込んだ俺にミディアが聞いてきた。
「クインからの連絡を待つさ。それまでは、毎日ギルドで情報の確認をしておこう。何もしないよりはマシだろう」
「そうね……」
ミディアは何かを言いたそうだった。
「なんだ? どうしたミディア」
「あの依頼を請けたのは私なのに」
「それを受け入れたのは俺だ。――もう、そのことは気に病むな」
「そうね……」
「そんなことより、この金貨が尽きる前に、クインから連絡が来ることを祈ろうじゃないか」
******
俺たちの元に、クインからの使者が訪れたのは、それから一か月が過ぎたころだった。
「クイン様がお呼びです。お支度を」
「――やっとか。少し待っていてくれ」
扉を閉め、ミディアに声をかける。
「ミディア、支度だ。クインのところへ行くぞ」
「ええ、聞こえてたわよ」
そのまま使者の後について、クインの屋敷に向かった。
******
応接間に通された俺たちの元に、一か月ぶりのリティシアが姿を見せた。
「アインさん、ミディアさん、お久しぶりです」
リティシアは笑顔で挨拶をしてきた。
続いて入室してきたクインはリティシアに座るよう促し、その横に腰を下ろした。
「――まず、今わかっていることをお伝えしましょう」
クインは続けた。
「一つ。ワレンタイン王国のゲイル将軍がクーデターを起こし、それを成功させました。ワレンタインの王族は皆殺しにされ、ゲイル将軍はゲイル王国を名乗っています」
リティシアの表情が曇った。だが取り乱す様子はない。――事前に知らされていたのだろう。
「二つ。ゲイル王国は我々、バスタッシュ王国に宣戦布告をしてきました」
「宣戦布告?! なんの冗談だ?」
ワレンタイン――いや、ゲイル王国の兵力は最大でも五千に満たない。一方でバスタッシュは五万を下らないだろう。兵の質も比べ物にならないはずだ。
「正気の沙汰じゃないな……」
「ええ、正気の沙汰とは思えません。――通常であれば。ですが、この兵力差を覆せるだけの古代遺物を手に入れたとしたら?」
古代遺物……ものによっては、戦況を容易に覆せるほどのものが存在するという。それを手に入れたというのか?
困惑する俺をよそに、クインは続けた。
「三つ。ゲイル王国はバスタッシュに対して、リティシア王女の引き渡しを要求しています」
リティシアの肩が揺れた。
――やはり、この国に逃げ込んだのが露見したか。
「ですが、リティシア様の消息までは追えていないようです。ここに匿われていることも、我々以外は知りません」
クインは続ける。
「私としても、リティシア様を引き渡すつもりはありません。ですがこのままでは、いつか見つかってしまうでしょう。バスタッシュ王の胸中は未だ、定かではありません」
「どうするつもりだ?」
「リティシア様には髪を切り、名前を偽ってもらいます――旅に耐えられるように」
「……旅、ですか?」
初めて聞いたのだろう。リティシアは不安そうにクインに問いかけた。
「そうです。ゲイル王国が持つと思われる古代遺物に対抗するため、私は北の魔女に会いに行かねばなりません。ですが、リティシア様一人をこの場に残すわけにもいきません。よって、同行してもらいます」
「ゲイル王国の古代遺物に心当たりがあるのか?」
「ええ、ある程度の目星は。――そしてアインさん。あなた方には、リティシア様の護衛として、旅に同行してもらいます」
「俺たちも、か」
ゲイル王国の古代遺物――ならば、それに俺たちが関係している可能性は高い。
己の行いの償いは、己で済ませるべきだ。
「異存はない。が、路銀が足りない。恥ずかしいことだがな」
クインはくすりと笑う。
「それについては、私が報酬を出しますのでご安心を。タダ働きなどさせては、いつ裏切るかわかりませんからね」
クインの目には冷たいものが宿っていた。だが至極もっともだ。金を与えられない傭兵など、危険極まりない。
俺は両手を上げて笑う。
「――それでいい。ミディアも、それでいいな?」
ミディアも頷いた。
俺たちに頷き返したクインが続けた。
「出発は一週間後。海路でテオリーチェ王国に向かいます。あなた方も宿を引き払い、こちらで寝泊まりしてください。船の切符はこちらで手配します」
「助かる。では俺たちは宿を引き払ってくる――いくぞミディア」
俺たちはその日のうちに宿を引き払い、クインの家で厄介になることになった。
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リティシアは”リティ”と名乗ることにしたようだ。「あまり異なると、自分の名前だと思えないから」とのことだった。
髪の毛は肩より短い長さに切りそろえられていた。クインは「魔法でいつでも元の長さに戻せますのでご心配なく」と言っていた。それを聞いて、リティは安堵の表情を見せた。
「そうその調子! もっと鋭く踏み込んでみて!」
「そこは受け流して! 素直に受け止めちゃダメ!」
日中、リティはミディアと剣術の稽古をしていた。男性に対抗する戦い方を仕込んでいるらしい。
元々剣術を嗜んでいたらしく、ミディアは楽しそうに教え込んでいた。俺から見ても、リティの筋はいい。俊敏で柔軟なので、ミディアの教える剣が合うようだった。
「なぁ、なんで姫さんが剣術なんて嗜んでるんだ?」
リティははにかみながら答えた。
「昔から剣術が好きなんです。十二の頃から今まで、五年間続けてます」
「ってことは……今は十七か。年頃のお姫様のやることじゃないな」
俺が苦笑すると、リティは「よく言われました」と困ったように笑った。もしかすると、今は亡き親族を思い出したのかもしれない。
「――そうだ! アインさん、私の相手をしてくれませんか?」
「俺が? 相手にもならん。やるだけ無駄だ」
「どういうことですか?」
「そのまんまだ。俺とあんたじゃ、フィジカルが違い過ぎる」
「えー! じゃあ、一度だけでもいいんです! 相手をしてくれませんか」
ああ……これは一度やってみせないと納得しないか。
刃引きをした練習用の剣を持って、リティに相対する。
「行きます!」
リティが素早く切り込んでくる。
俺は両手を下げたままだ。
「はぁ!」
リティが剣を振るう。――その瞬間に、リティの持つ剣を叩き落とす。
リティは堪え切れず、剣から手を放してしまった。
「わかったか?」
「……はい」
”フィジカルが違う”の意味を噛み締めたリティは、大人しく引き下がった。
筋力はもとより、身長からして大きく違うのだ。そんな相手に”受け流す”など考えてはいけない。相対した時点で負けと思うべきだ。
俺は一人、内庭で大剣を持ち、素振りを繰り返していた。
******
「予定通り、明日出発します」
クインが皆を呼び、一人ずつ切符を手渡していた。
リティ、俺、ミディア、そして弟子のルインだ。
「ルインも連れて行くのか?」
「ええ。いると何かと便利ですからね」
「おいらはお師匠様とご一緒できるなら、地獄でもついていくっすよー!」
ルインは跳ねまわって喜んでいた。
「最終目的地は、テオリーチェのはずれにある魔女の住処です――できる限り、会いたくはないのですけどね。今回は緊急事態ですから、仕方がありません」
「何故、そんなに会いたくないんだ?」
「私に、不老不死の呪いをかけた張本人だからですよ」
不老不死――それは、一部の人間が追い求めてやまない奇跡ではなかったか。
「私はそんなもの、求めていませんから。しかも幼いときにかけられたせいで、成長もできません。悪いことだらけですよ」
世の中、そんなものなのかもしれないなと、クインの悔しそうな表情を見て思った。
******
港には、すでに船が入港していた。「船っすよー!」とルインがはしゃいでいた。
クインの買った切符は二等船室だった。
部屋割りはクインとルイン――これは理解できた。
リティを含めた残りの人間、つまり、リティとミディア、そして”俺”が一部屋に割り当てられていた。
「リティが俺たちと同じ部屋で構わないのか?」
この場合、男と女で分けるか、クインの側にリティが行くだろうと思っていた。
「リティの希望ですよ。ミディアさんと相部屋がいいと。私はあなたと相部屋になるつもりがありませんので、必然的にこうなります。――あなた一人のために個室を追加する気もありませんしね」
「……リティ、それでいいのか?」
「アインさんなら、変なことなどなさらないでしょう?」
「ミディアさんもいらっしゃいますしね」と、リティは笑った。
「あらやだ、アインったら子供相手に食指を伸ばす趣味でもあったの? 初耳よ?」
ミディアもにやにやとからかってきた。
――冗談ではない。一回り以上も年下の少女に手を出すほど、俺は女に飢えてはいない。
ため息をついて、頷いた。
「わかった。リティがそれでいいなら、異存はない」
長年、俺と相部屋で手を出されたことのないミディアだ。もちろん、わかった上でからかっているのだろう。
なんだか疲れた俺の様子を見て、リティとミディアは顔を見合わせ笑っていた。――何がおかしいのやら。女というものは、理解が難しい。
******
――船が出発した。
「船に乗るのも、久しぶりだな」
「そうね」
ミディアが応えた。
「船って、こんなに揺れるんですね」
リティは船に乗るのが初めてだったようだ。――内陸の小国出身だ。そうそう乗る機会もなかったのだろう。
船の上というのは退屈だ。素振りでもしてくるか。
「ちょっと甲板に行ってくる」
「あ、私も見に行きたいです!」
リティが声を上げた。ミディアは「いってらっしゃい」と言いながらベッドに横になっていた。
剣を携え、リティと共に甲板に向かった。
******
「これが海ですかー!」
初めて眺める海に、リティは感動を覚えていたようだ。陸の方向を眺めると、まだ小さく港が見える。
欄干に肘をついて波間を眺めるリティの横に行き、欄干に背中を預ける。
「楽しいか」
「ええ!」
「……なぁリティ。何故あんたは俺たち――いや、俺のことをそんなに信用できるんだ?」
ミディアは同性という理由が大きいだろう。だが俺は、年頃の娘が、同室を許容できるような相手には思えなかった。
「アインさんは、私の命の恩人ですから!」
――あの夜の事か。確かに、俺たちが居なければ、あのまま最後の近衛兵は倒され、リティも命を奪われていただろう。
「……たまたま通りがかっただけだ。それに、襲われている弱者をむざむざ殺させたら、寝覚めが悪い」
あの近衛兵たちも、助けられなかった。――いや、彼らが命を賭して、リティの命を俺に託した。それだけのことなのだ。
「……それでも、アインさんたちがいなければ、今の私はありませんでした。」
「そうか」
波の音が、二人の間に横たわった。
「それに――」
「それに?」
「ミディアさんから聞いてます。”十五の時から一緒に寝泊まりしてるけど、一度も襲われたことがなかった”って! あんなに綺麗な人と一緒に居て、理性を保っていられる人ですから!」
――やっぱり、言っていたのか。
「仲間に手を出すほど、女に飢えた覚えはない」
疲れてしまった俺は「素振りをしてくる」と、リティから離れて剣を振るった。
******
三日目の昼、俺は欄干によりかかり、なんのけなしに波間を眺めていた。
船旅というのは娯楽がない。じつに退屈なものだ。揺れる甲板の上で素振りをするというのも鍛錬にはいいが、一通りやってしまうとやることがなくなる。
「なぁ嬢ちゃん、ちょっと酌をしてくれよ」
「踊りは踊れないのか?」
ふと聞こえてきた声に、意識を持っていかれた。
声のする方を見ると、酔っ払いが三人、少女に難癖をつけているようだ。
( ――退屈な船旅だ。昼間から酒を飲みたくなる気分はわかるのだがな)
「お前ら、何をしている」
男たちに近づき、声をかけた。
振り向いた男たちは、それは見事な赤ら顔だった――飲み過ぎではなかろうか。
絡まれていたのは、銀の刺繍が入った白いローブを着込んだ子供だった。
「――子供に絡んでいたのか。お前らは飲み過ぎだ。散れ」
男たちと少女の間に割り込み、男たちを手で追い払う。
「なんだてめぇ! 何かっこつけてやがる!」
酔っ払いの一人が殴りかかってきた――まぁ正当防衛だろう。男の拳を躱して代わりに顔面を殴り飛ばした。
男はそのまますっ飛んでいき、動かなくなった。それを見た残り二人は「おぼえてろ!」と吠えながら散っていった。
「お嬢ちゃん、大丈夫だったか」
声をかけながら後ろを振り返る。年のころは十二から十四の間くらいだろうか。リティよりだいぶ幼い印象を受けた。
「……ありがとうございました。助かりました」
少女は無表情のまま、礼を言い、深々とお辞儀をした。
――こんな幼い子供が、あんな目にあっていたら怯えてもおかしくないはずだ。それが先ほどから、ずっと表情は変わらない。怯えている様子すら伺えない。
違和感を覚えていた俺に、少女は続けた。
「私はウェンディと言います。――創世神さまのお導きがありました」
少女は初めて、にこりと微笑んだ。
******
「その、創世神、というのは?」
また無表情に戻った少女――ウェンディが応えた。
「私が信仰する神様です」
「その導きというのは?」
「創世神さまは、必要な時、必要な人を使わしてくださいます」
意味は解らなかったが、要は「危ないところを助けてもらえたのも神の思し召し」、ということだろうか。
「後程、改めてお礼をしたいので、お部屋を教えていただけませんか」
「礼など、さっきので十分だ――だが、困ったことがあればここにくればいい」
俺は船室番号を伝え、船室に戻った。
******
「不思議な子に出会ったのね」
「創世神、てのも初めて聞く名前だな」
俺はミディアに先ほどのことを話していた。
リティは何を考えているのか、黙って耳を傾けていた。
と、コンコン、と扉をノックされた。
扉を開けると、大柄な俺の体躯に引けを取らない男が居た。
「うちのウェンディが、世話になったらしいな」
ウェンディ――そうか、さっきの少女の名前だ。
「大したことじゃないさ」
「いや、俺からも礼を言わせてくれ。俺はゲイングだ」
男は右手を差し出してきたので、握り返す。
「アインだ」
――俺と膂力で引けを取らない、か。かなりできるな。絞られた体つきといい、並の者ではない。
ゲイングと名乗った男の後ろから女性が顔をのぞかせた。
「あたしはデルカ。ウェンディの保護者よ」
――両親ではなく、保護者か。訳ありなのか。いや、それはこちらも似たようなものだろう。
よく見るとデルカと名乗った女性の横に少女――ウェンディが居た。相変わらず無表情のまま、俺を見上げていた。
「それでだな」
ゲイングが口を開いた。
「今日の礼に、晩飯をおごらせてくれ」
「あー、悪いが俺たちは――」
船室に居るのは3名だが、と続けようとしたのだが、
「心配するな。五人分の飯代くらい、安いもんさ」
――五人、と言ったか。
俺はいぶかしみながら問うた。
「……何故、五人だと思った?」
ゲイングが部屋の入り口から見えたとしても、ミディアとリティだけだ。ならば三人と言うだろう。何故五人だと知っている?
俺の懐疑の視線を受けたゲイングは、ウェンディを見た。ウェンディは無表情のまま、口を開いた。
「――お隣の賢者様と、そのお弟子さんもご一緒にどうぞ」
「……何故、そう思った?」
賢者や弟子などという単語を口に出したことはない。――少なくともこの船の上では。
ウェンディはにこりと笑った。
「――創世神さまが、そうおっしゃいました」
******
ゲイングに「少し待っていてくれ」と伝え、隣の船室に行くと、クインにウェンディのことと創世神のことをかいつまんで説明した。
「俺がさきほど、甲板で助けた少女なんだが、教えても居ないことを知っていた。俺たちが五人組であることも。クインが賢者であることも」
「彼女はどうやってそれをしったのでしょう?」
「”創世神さまがおっしゃった”と、そう言っていた」
「創世神……ですか」
クインはしばらく考え込んだ。
「で、だ。先ほど助けた礼に、晩飯をご馳走したいと、そう言われた。――俺たち五人に」
「……わかりました。受けましょう」
クインの目には、好奇心が宿っているようだった。
******
船の食堂にある個室で、俺たちは顔を見合わせ座っていた。
「改めて自己紹介をしよう。俺はアイン、隣がミディア、そしてリティだ」
「私がクイン、隣がルインです」
クインが俺の声に続いた。
「ゲイング、とデルカ、あとウェンディだ」
ゲイングが自分を親指で、二人を人差し指でさして紹介した。ゲイングとデルカは、ウェンディをはさむように座っていた。
クインが先に口を開いた。
「……ウェンディさん。あなたは創世神から、どこまで聞いていますか」
クインの目がウェンディの目を鋭く射貫いた。その鋭い圧に対して、ウェンディは落ち着いて無表情で答えた。
「賢者様が、北の魔女の元へ向かう、と聞いています」
またも、教えていない単語が飛び出てきた。
「……それは、創世神から聞いた、で間違いないんですね?」
「ええ、創世神さまからです」
クインは、鋭さを増した眼差しをふと緩め、ため息をついた。
「……この少女は嘘をついていません。先ほどから嘘検知の魔法を使っていますが、今この場で嘘を言ったものは居ませんでした」
「ちょっと待ってくれ、そんなおっかない魔法を使うなら事前に教えてくれ」
俺の抗議にクインは「黙って使うから効果があるんですよ」、と人の悪い笑みを浮かべた。どうやらこの賢者の前ではうかつに嘘も付けないらしい。
クインは笑みを消した後、口の中でもごもごと呟いた――直後、周囲から喧騒が消えた。
「――これ以上のことを他人に聞かれると面倒になるかもしれません。遮音の結界を張りました。この席の外に、声が漏れることはありません」
それはつまり、これから深入りした話をする、という宣言だ。
「ウェンディさん、あなたは創世神のなんなのですか?」
「わかりません。――けど、創世神さまは、いつも私のそばにおられます」
俺たちはその返答に困惑した。――いったい、この少女は何者なのだろうか。警戒すべきなのか、そうではないのか。
そんな俺たちを見たゲイングが、申し訳なさそうに口を開いた。
「あー、これは内密にしてもらいたいんだが……ウェンディには治癒を与える能力がある――致命傷を負っても、命を助けられる、そんな力だ」
「創世神さまが、力を貸してくださっているだけです」
ウェンディは否定しなかった。クインもまた、否定しなかった。――つまり、この場で嘘をついたものは居なかった。
「……なぁクイン。そんな魔法、存在するのか?」
「少なくとも私が知る限り、人間が使える魔法の中にはありませんね」
「なぁクイン、それはどういうことなんだ?」
「つまり、ウェンディさんは、神の御業の如き力を振るうことができる、ということです」
ゲイングが口を挟んだ。
「デルカは、ウェンディに命を救ってもらったんだ」
つまり、実際に目にしたという訳だ。
ウェンディはその能力で、知りえないはずの俺たちの情報も知ってのけた。そういうことになる。
クインがウェンディの目を見ながら話をする。
「創世神は、古い神の一柱です。古代遺物、ロストアーツが作られた時代に信仰されていた神々の、最高神といわれています」
最高神――神々の頂に位置するもの。
呆然としていた俺たちをよそに、クインが話をつづけた。
「それで、我々の事情をどこまで知っていますか」
ウェンディは、静かに頭を振った。
「……では、我々が北の魔女に会いに行く理由をご存じですか?」
ウェンディはまた、頭を振った。
「……いいでしょう。ではかいつまんで説明します」
クインは少し考えてから続けた。
「ワレンタイン王国――今ではゲイル王国を名乗っていますが、そこにあると思われる古代遺物に対抗するため、我々は北の魔女に助力を求めに赴く途中です」
先ほどから、クインはずっとウェンディの目だけを見て話をしている。彼女らの主導権が、ウェンディにあると見抜いたのだろう。
「私たちも同行させてください」
「……それは、何故ですか?」
クインの目付きが鋭くなった。
「創世神さまが、そうおっしゃったからです。”私のなすべきことがある”、と」
クインはまた少し考え、頷いた。
「――いいでしょう。あなた方の同行を許可します」
それを聞いたウェンディは、またにこりと微笑んだ。
「創世神さまのお導きがありました」
******
俺たちは夕食後、ゲイングと部屋番号を交換し合った。
「何かあれば、言いに来てくれ」
「ああ」
ウェンディたちと別れ、船室に戻る。
「不思議な子だったな」
「時々微笑むけど、基本的にずっと無表情な子だったわね」
「リティはどう思った?」
リティの方に声をかける。
「そうですね……悪い子ではなさそうでしたが、理解するのも難しそうに感じました」
確かに、あれでは狂信者と紙一重だろう。クインの解説がなければ区別がつかなかったところだ。
「なんにせよ、これからしばらくは旅の仲間、ということだな」
「デルカさんやゲイングさんとはうまくやれそうだけど、ウェンディちゃんとは、ちょっと自信ないわ」
ミディアが珍しく泣き言を言っていた。
******
その後、俺たちは船上で仲を深め合った。
ミディアとデルカ、リティとウェンディは年が近いせいか、仲良くなるのが早かった。また、四人集うとかしましく、中々ににぎやかだ。
俺は甲板で、よくゲイングと組手に興じた。
体躯と膂力で俺に負けない男は珍しく、丁度良い鍛錬相手となった。
クインはルインと共に読書に興じることが多かった。
こうして三グループに分かれるのが常だった。
******
「揺れない地面も久しぶりだな」
足が大地をおよそ一か月ぶりに踏みしめた。
「まだ足元が揺れている気がします」
リティはどこかふらふらしていた。
「次はどこに行くんだ?」
クインに聞いた。
「まず馬を調達しましょう。北の魔女の住処は、ここから馬で西に十日弱かかります」
俺とレティ、ミディア、クインとルイン、ゲイングとウェンディ、デルカ。五頭の馬を調達しそれぞれが乗り込んだ。
ここより西には村すらないらしく、道中は野営を張った。
招かれざる客は、三日目の夜に訪れた。
寝ずの番は俺とゲイング、ミディア、デルカが交代で行っていた。その時はミディアが起きていた。
「――聞こえてる?」
「ああ」
俺が上体を起こすのと、ゲイングが起きるのがほぼ同時だった。周囲に気配――取り囲まれている。
少し遅れてデルカが「寝たばかりなのに、腹が立つわね」と愚痴りながら目覚めていた。
リティ、ウェンディ、クイン、ルインの四人は寝ているようだ。
ミディアとデルカには四人の守りを指示し、俺とゲイングが手分けして殲滅することにした。
それぞれが得物を手に下げ、焚火の周りを取り囲む。
不意を突くのを諦めたのか、夜盗が周囲から姿を現し、俺たちを取り囲んだ。少しの間睨みあいが続いた後、俺とゲイングが弾けるように駆け出し、手近なところから夜盗たちの首を飛ばしはじめた。
俺とゲイングを迂回した奴らは、ミディアとデルカが手早く切り伏せていく。
半数を切り捨てたところで、夜盗たちは撤退していった。
「アインとゲイング、戦ったらいい勝負をしそうね」
「どちらが勝つかしらね」
ミディアとデルカが楽しそうに語り合う。
「勝手なことをいうな」
剣を鞘に納めながら死体を一か所に山にしていく。穴を掘っても野犬や魔獣が掘り返すだろうから、今は邪魔にさえならなければいい。
朝になり、起きてきたクインに昨晩の事を説明した。
「そうですか。では、私が燃やして埋めておきましょう」
というが早いか、死体にさっさと火をつけた後、魔法で地面に大穴を開けて、骨を埋めていた。
「……魔法は便利だな」
「魔法だって、相応に疲れるものですよ。襲撃に気づかず寝ていたのですから、これくらいはします」
「どうしたリティ、食べないのか」
リティの朝食は減っていなかった。
「いえその……朝から血生臭いものを見てしまったので食欲が……」
「そうか。あまり無理をするなよ」
リティは俺と相乗りだ。体調が悪くなってもフォローはしてやれるだろう。
「あれで凝りて、もう襲ってこないといいんだけど」
「なに、何度来ても返り討ちにするだけだ。問題ない」
俺はミディアの言葉に、ぞんざいに応えた。
******
港町から西に向かって八日目の朝、遠く丘の向こうに砦らしき影が見えた。
「――クイン、あれがそうか?」
「ええ、”魔女の住処”です。古い砦を再利用しているんだとか。このぶんなら、夜までに着きそうですね」
月が高く昇る頃、俺たちは魔女の住処の前に来ていた。
砦の入り口は解放されているが、門番一人立っても居ない。
「馬でそのまま中に入ってください。外につないでいると魔獣に食われますよ」
クインに言われるがまま、砦に入っていく――かがり火が置かれた内庭に出ると、一人の若い女が立っていた。真っ赤なローブを着込んだ魔術師のようだ。
「クイン、あなたからここに来るなんて珍しいわね」
「来ざるを得なかっただけですよ、マリンダ」
「そう――馬はそちらに入れておいて頂戴。話は中で聞くわ」
俺たちは馬を厩に居れた後、北の魔女――マリンダに続いて屋内に入っていった。
俺は目を疑った――砦の中を、人間大のゴーレムが歩き回っていたからだ。
「古代遺物?!」
「マリンダは古代遺物――ロストアーツの時代から生きる魔女です。この程度で驚いていたら身が持ちませんよ」
「古代遺物の時代からって……何百年前なんだ」
俺の驚愕にクインが応えた。
「通説では千年ほど前、と言われていますね。マリンダは年齢の話を嫌がります。彼女の前では自重してください」
俺たちの前を行く女が、何故魔女と呼ばれているのか――理解したような気がした。
******
応接間に通された俺たちは、マリンダに向き合うように座っていた。
「それで? クインくんは、私に何の用があるの?」
「ワレンタインの古代遺物、その封印が解かれた可能性があります」
マリンダは紅茶――ゴーレムに用意させたお茶を一口含むと、「それで?」と続きを促した。
クインは懐から石を取り出し、マリンダの前に置く。
「教えてください。あそこには何があったのですか」
マリンダは石を手に取り眺めながら「そうね」と呟いた。
「あそこには、古代の神が封印されていたわ」
古代の神――ウェンディの言う、創世神と同じ時代の神だろうか。
俺たちは続きを待つ。
「……驚かないのね」
「その石を見たときから、なんとなく察していましたから。――それは、封神の紋が彫り込まれてますね?」
「あら、クインくんったら、もうそんなものまで理解できるようになったの?」
マリンダは楽しそうにクインの顔を見た。
「その神について、知っていることを教えてください。今、ワレンタイン王国はゲイル王国へその姿を変え、我々バスタッシュ王国に宣戦布告してきています。――おそらく、その神の力を借りているはずです。それに対抗するだけの力が欲しい」
マリンダは真剣なまなざしのクインを、甘美なワインを味わうかのように眺めていた。
「――その対価は?」
「その石と交換で、情報をください」
マリンダは改めて、手の中の石を眺めた。
「そうね――情報くらいなら、教えてあげる」
マリンダは微笑みながら紅茶を一口含み、続けた。
「あそこに封じられていたのは強欲の神と呼ばれていたものよ。オイタをし過ぎて封じられた、下位の神」
「それに対抗することは可能ですか」
「下位とはいえ神よ? 人間の力だけで対抗するのは無理ね。古代の神は、己を信仰するものに力を与えることができる。多分、ワレンタイン、いえ、今はゲイルだったかしら? そこの兵士は、神の力を得て精強な兵士に変わっているでしょうね」
「……我々はどうすればよいと、あなたはお考えですか」
「そうね――強欲の神はとてもタチが悪いの。今のうちに叩いておくのがいいでしょうね」
「ですが、今”人間の力で対抗するのは無理”だと、あなたが言ったばかりですが」
マリンダはくすりと笑う。
「もちろん、古代遺物――ロストアーツの力を借りるのよ。――この石のあった古代遺物は、封神の補助装置。本命の封神装置はまだ生きているはずよ。それはつまり――」
マリンダは言葉をつづける。
「封印は完全に解かれていない、ということよ。神は、封神の門を通り抜けることはできない。門の中から人間に力を分け与えることはできるけど、本体は未だ門に封印された状態になっている。おそらく、今はそういう状態よ」
封神の門、というのが、その古代遺物の名前なのか。
「だから、その門を閉じてしまえばいい。そうすれば、ひとまず、事態は収拾するでしょうね」
「ひとまず、とは?」
俺は疑問を口にした。
「元々、2つのロストアーツを使って封印されていたんだもの。本来、そこまで力を持った神ではないわ。現地の門の状態を確認して、必要なら補助装置を修復する必要があるわね」
「古代遺物の修復……そんなことも可能なのか?」
クインがマリンダの代わりに応えた。
「ものによりますが、私でも補助装置の修理くらいはできます」
伊達に賢者を名乗っている訳ではない、ということか。
「ですが、肝心の神を封印しなおす手立てがない。開かれた門を閉じる手段など、今の我々にはない――だからマリンダ、あなたの力を貸してほしい」
マリンダはにやにやとクインを見つめ笑みを浮かべる。
「それで? 対価はどうするの?」
クインは逡巡していた。そしてようやく口を開いた。
「……あなたの望みを一つ」
それを聞いたマリンダは満面の笑み浮かべた。
「交渉、成立ね。いいわ、力を貸してあげる」
クインは、とても嫌そうな顔を隠さなかった。
「それで、具体的にはどうするんだ?」
「まず、門まで出てきている神を押し返すの。神が門から離れた隙に、門を閉める。やることはシンプルよ」
俺の問いに、マリンダが簡潔に答えた。
「どうやって押し返すんだ?」
「私と、そこのお嬢ちゃんの力を使うわ。」
マリンダはウェンディを見た。
「その子、創世神の力を使える子でしょう? 身体の中からロストアーツの力を感じる。体内に遺物を埋め込まれた人間なんて、久しぶりに見たわ」
ウェンディは無表情のまま、何も答えない。
「まだ未完成だけど、私たち二人の力を魔力増幅装置で強化すれば、門を閉じるところまではこぎつけられるはずよ」
「増幅装置? いつ完成するんだ?」
「核となる部品が足りないのよ。――そうね、今回の用途に耐えられるようなものとなると、竜の魔石ぐらいは必要ね」
竜の魔石、と言ったか。
魔石は魔獣体内にある魔力機関だ。竜のそれを取り出すということは、竜退治をする、ということだ。
俺は頭を振った。
「……竜退治など、強国が兵を挙げ、多大な犠牲のもとに行うようなものだ。今の俺たちにできることじゃない」
マリンダは笑った。
「そんな強大な竜の魔石じゃなくてもいいのよ。魔石の質が重要なの。竜種の魔石なら、ある程度はどれでもいいわ」
ゲイングが疑問の声を上げた。
「あんたほどの魔女なら、竜退治くらいできるんじゃないのか? どうして未完成だったんだ?」
「私は、竜種と契約を結んでるの。私が直接、竜を殺すことはできないわ」
クインが口を開いた。
「では、我々でなんとかできる程度の竜種はどこにいますか?」
「ここから北、山脈のふもとに幼年の火竜がいるの。その魔石なら、条件に適合するはずよ」
******
俺たちは竜退治の支度をするため、一度港町に戻ることにした。
港町に戻る道で、俺はクインに聞いた。
「リティはどうするんだ?」
目下の課題はそれだった。
ウェンディは治癒の能力があるので、いざというときのために連れて行きたい。だがリティは多少剣術が使えるとはいえ、ただの少女だ。
マリンダに保護を頼んだが、「ここは人が住めるような場所ではない」と断られていた。
「一緒に連れて行くしか、ないでしょうね。港町に一人で滞在させるには危険すぎますし」
ルインはクインの補佐をするという役目があるので、クインから離れることはできない。
俺とゲイングとクイン、そこにルインとウェンディを加えたメンバーで竜種を相手どれるか、というと、情けないが倒せると言い切れる自信はない。
どうしてもミディアとデルカの補佐は必要となる。二人とも、俺たちを補佐する戦い方を熟知している貴重な戦力だ。
「申し訳ありません」
足手まといの自覚があるのだろう。リティの表情は曇ったものだった。
「気にするな。リティだってこのパーティのメンバーだ。自分ができることを精いっぱいやってくれれば、それでいい」
俺は、気休めとわかっているが、リティに声をかける。
今まで、即席パーティに新米が紛れ込むことなど珍しくもなかった。熟練者がフォローしてやればいいだけの話なのだ。経験を積めば、新米だって役に立つ場面が増えてくる。そうして成長していくものなのだ。ミディアだってそうだった。
俺やゲイングたちにはそういった経験がある。だが、当事者の新米にとってはプレッシャーだ。そうして功を焦ってスタンドプレーに走られるのが、最も迷惑なことだった。
「いいか。決して無理をするな。焦らなくても、実力は後からついてくる。無理だと思ったことはやるな。それは時に、俺たち全員を窮地に追いやることとなる。わかったか?」
リティはゆっくりと、自分を納得させるかのように頷いた。
このお姫様が、いつまでこのパーティに居るかはわからない。事態が収束すれば、彼女は元の生活に戻るだろう。だがそれまでは、新人冒険者のつもりで扱うようにしていた。
港町に着くころには、リティの顔に笑顔が戻るようになっていた。ミディアやデルカがフォローしてくれたのも大きいだろう。まったく、彼女たちの存在にはいつも助けられる。
港町に入るときにクインが言った。
「往復で二か月分の食料が必要です。あとは各自、必要なものを用意してください。私は、役立ちそうな魔道具を購入してきます」
片道二週間程度の旅程だが、現地でどれほど時間を取られるかわからない。最大で一か月は滞在できるように、とのことだろう。
「ああわかった。リティは俺と共に来てくれ。集合は宿でいいな?」
皆が頷き、各々の物資を調達に散る。
俺はリティを引き連れて、ミディアについていくことになる。大剣一本あればいい俺と違い、サポートのミディアは用意するものがそれなりにある。
「竜種にどこまで通用するかはわからないけど、射程の長い弓を用意しておくわ。それなりの矢もね」
「頼もしい限りだ」
相手が火竜とのことなので、最悪接近戦ができない可能性がある。そうなったらミディアやデルカの弓に頼ることになる。
「リティもそのうち、弓を覚えるといい。狩りにも使えるし、覚えておいて損はない」
「弓、ですか」
「俺も覚えた方がいいのはわかってるんだが、どうにも不器用でな。覚えるのは諦めた」
的に当てる、というのが絶望的に下手なのだ。なんどかミディアから指南してもらったが、技量が向上する気配はなかった。それでいて、大剣を振るえば的を外さないのだから、人間というのはわからないものだ。
そうして購入した荷物を俺が持つ。三人分の保存食も担ぐが、まだまだ余裕はある。
「他に買いそびれた物はないか」
「私の方は済んだわ。リティも大丈夫ね」
「はい」
宿に戻ると、ゲイングたちは先に戻ってきていた。
「あら、やっぱりロングボウを用意したのね」
「考えることは一緒ね」
ミディアとデルカが笑いあっていた。
二人は軽戦士だが、遠距離支援も得意とする。接近戦を得意とする俺やゲイングをサポートするうちに、自然とそうなるのだろう。
「もっとも、竜種相手に弓がどこまで通じるかなんてわからないけどね」
「なにも用意しないよりはマシよ」
その心配は俺たちにもある。俺やゲイングがいくら力が強かろうが、竜種の身体に傷をつけられる自信はない。最悪、ダメージを覚悟して急所を狙うことになるだろう。
「ま、やってみるしかないさ」
ゲイングも竜種を相手どった経験はないらしい。お互い不器用なタイプだ。己のやれることをやるのみ、だ。
「それにしても、クインたちは遅いな」
「何を調達してるのかしらね」
クインたちは夜になってようやく宿に戻ってきた。
「目的の魔道具を探すのに時間がかかりました」
そういって、クインは俺とゲイングにブレスレットを渡してきた。
俺はしげしげとブレスレットを眺める。装飾のない、シンプルなリングに魔石を一つはめ込んである。
「これはなんだ?」
「魔法を一つ、付与することができます。これに、剣の切れ味を高める魔法を込めることで、竜種相手でもいくらかのダメージを期待できるでしょう」
「発動方法は?」
「その魔石を割ってください。それによってあらかじめ込められた魔法が発動します。持続時間は五分ほどでしょうか。――これは、私がお二人をサポートできないような状況になったときの保険です。普段は私が直接、魔法を付与しますので、軽率に使うことのないようにお願いします」
予備の魔石もいくつか購入しておいたらしいが、基本使い切り、ということだ。保険はあるに越したことはない。
「わかった。気を付けよう」
そう言いながら俺はブレスレットを利き手に嵌めた。動きの邪魔をするようなものではないようで、安心した。ゲイングの方でも動きを確認しているようだが、問題ないようだった。
この魔道具を探すのに手間取って帰りが遅くなったらしい。
「それなりに高価なものですし、頑丈なものではないので、防具代わりに使うことのないようお願いします」
「ああ、わかっている」
これで準備は整った。明日の朝出発、ということで、俺たちは各々の部屋に戻った。
「それにしても」
「なあに? アイン」
「宿も船と同じ部屋割りになるとは思わなかったよ」
俺とミディアの部屋にはリティが居た。
「別にいいじゃない。個室を取るほど贅沢がしたいの?」
「そういう訳じゃないんだが」
俺とゲイングで一部屋、ミディアとデルカ、ウェンディにリティで一部屋、というパターンも考えられた。だが四人部屋が空いていなかったのだ。
すっかりくつろいだ様子のリティが口を開く。
「私は構いませんよ? 船旅で慣れましたし」
「ミディアもそうだが、もう少し警戒心を持ってもいいと思うんだがな」
「ちゃんと相手を見てるから大丈夫よ」
ここまで無防備にふるまわれるのも、男として複雑な心境だ。
「まぁいいさ。それより明日の朝は早い。もう寝ろ」
俺はそういいながら、自分のベッドに体を放り出した。
明日から最長二か月、ベッドとはおさらばだ。いまのうちにこの感触を楽しんでおくとしよう。
******
港町から北西に十二日、山岳地帯に入り、丘の上から山のふもとを一望していた。
クインがふもとを眺めながら言う。
「あの麓に、竜の巣があります」
ミディアが応えた。
「ここからは森が続くわね。馬はどうするの?」
「もう少し北に行くと村があるらしいので、そこで預かってもらいましょう」
村に馬を預かってもらい、竜の巣付近の事を聞いて回った。
「ああ、竜が居るって話は聞いたことがあるが、あそこらへんは獣人が出る。危ないよ」
獣人、ときたか。
「どんな奴だ?」
「牛の獣人だ。村の狩人も、あの森の奥までは入り込まないよ」
「ゲイング。あんた、牛の獣人を相手にしたことはあるか?」
「そうだな。力は強いが、それだけだ。熊の獣人のように鋭い爪をもってるわけじゃない。それほど恐れる相手じゃないさ」
そうなると問題は相手の人数くらいだ。村では獣人の規模まではわからなかった。
皆と合流し、情報を共有する。
「牛の獣人ですか。――アイン、ゲイング。今のパーティで相手どるとして、どう考えますか?」
クインが俺たちに聞いてきた。獣人を相手にした経験なら俺たちの意見が参考になると思ったのだろう。
ゲイングが口を開く。
「そうだな。ミディアやデルカでも、真正面から相手どるのは難しい相手だろう。二人にはウェンディやリティを護衛しつつ、後ろに下がってもらって俺とアインで数を減らしていくしかあるまい」
「クインとルインはどうするんだ?」
「魔術師とその護衛だ。二人で自衛くらいはできるだろうさ。牛の獣人は魔法耐性もないしな」
その言葉にクインが反応した。
「魔法耐性がないんですね……であれば、集団で襲われたときには私が相手の数を減らしましょう」
「どうするつもりだ?」
「獣人たちを眠らせます。それほど強い魔法ではありませんが、耐性がないのであれば一度に相手どる数をかなり減らせるはずです」
つまり「獣人を見つけてもむやみに突っ込むな」ということらしい。まとめて眠らされたらたまったものではない。
「わかった、多数を相手どる場合はクインの指示に従おう。少数を相手どる場合は俺たちが独自の判断で排除していく。それでいいか?」
俺は確認を取る。
「ええ、それでいきましょう」
******
ここから目的地までは徒歩だ。馬から荷を下ろし、それぞれが担いでいく。とはいえ、旅慣れないリティの荷物は半分俺が持っている。
「甘やかしすぎじゃない?」
ミディアにからかわれる。
「途中でバテられても困るだけだ」
そもそも、リティの荷物はほぼ水と食料だ。大した量じゃない。
森の中に入ると、ほとんど陽光が差さないほど木が覆い茂っていた。足元を確認しながら進んでいく。
ゲイングが歩きながら口を開いた。
「こんな場所に牛の獣人が居るなんてな」
「普通は違うのか?」
「牛の獣人は基本草食だ。大抵は平原に生息する……まぁ、ダンジョンに居るくらいだ。そこに比べれば餌は多い方だろう」
「ストップ! ……居るわよ」
この中で一番目がいいミディアが、全員を小声で制止した。木の隙間から獣人を発見したらしい。
「何体だ?」
「……一体ね」
そういうことなら俺とゲイングだけで対処できるだろう。荷を下ろし、剣を抜く。ゲイングも同じ考えの様だ。
「じゃあ行ってくる。警戒は続けておいてくれ」
「わかったわ」
ミディアの示した方向に向かって、木陰に身を隠しつつ近づいていく。すぐに獣人の姿を発見できた。どこで手に入れたのか、手には剣を持っているようだった。
目で合図し、ゲイングに先制攻撃を任せる。
二手に分かれ、先にゲイングが地を駆け獣人に斬りかかっていく。牛の獣人がそれに反応し、ゲイングの剣を受け止めた。
それを確認してから獣人の背後に回り、俺も地を駆け獣人の首を大剣で薙いだ。ゲイングの猛攻を凌いでいた獣人の首は、たやすく地に落ちた。
「二人がかりだと楽なもんだな」
「あんたが押しきれない程度には力が強いんだ。一人で相手どっていたらしんどいだろうな」
獣人の持っていた剣を確認しつつ、ゲイングが言った。
「……この剣、だいぶ古いな。大方、襲った人間が持っていたものを再利用しているんだろう」
「ならば大量に持っているとは思えない。剣をもっていなければ、だいぶ相手をしやすいな」
俺たちはクインたちに合流し、先に進んだ。
なんどか哨戒する獣人には出会ったが、一体相手に俺とゲイングが手早く片付ける、ということを繰り返した。
「ねぇ、あれ、村じゃない?」
ミディアの指す方向、木の隙間から、遠くに開けた場所が見えた。
「獣人の村、か? 竜の巣に向かう途中に、そんなものに出くわすなんてな」
「私とデルカで様子を見てくるわ」
ミディアはそういうと、荷を下ろしてデルカと共に村に向かっていった。
「お二人だけで大丈夫なんでしょうか」
リティは不安そうに言った。
「なに、こういったことはミディアもデルカも得意分野だ。心配ないさ」
しばらく待っているとデルカだけが戻ってきた。
「村の規模は三十体ぐらいね。成体は二十体前後かしら。ミディアには見張りをお願いしてるから、動きがあれば知らせてくるわ」
クインを見る。
「……村の入り口側が開けているようです。そちらに出て、獣人が固まるように誘導してください。固まったところに魔法を仕掛けます」
俺とゲイングが頷きあい、デルカがミディアを呼びに行った。
「ルインはクインの護衛、ウェンディとリティは後方で待機して、回り込んでくる獣人が居ないか注意を払っていてくれ」
俺の言葉に、二人は頷いた。
ミディアと合流し、村の入り口側に出る。
俺とゲイングが前衛、クインをはさんだミディアとデルカが中衛、ルイン、ウェンディ、リティは少し離れて後衛だ。ミディアとデルカは弓を構えている。
「それじゃあ、牛退治と行きますか」
「倒しても、肉を食えねぇのが玉に瑕だ」
俺の言葉に、ゲイングが軽口で応じてくる。
陣形を維持したまま村の入り口に立つ。獣人がこちらに気づき、村が慌ただしく騒ぎ始めた。
武器を持った獣人たちがあらわれ、こちらに駆け寄ってくる。手に持っているのは剣、もしくはこん棒だ。
駆け寄ってきた先頭の獣人の一撃を受け止める。――確かに重い。ゲイングも獣人の相手を始める。
ミディアとデルカから放たれる矢が、獣人たちに降りかかる。矢を警戒した獣人たちの足が鈍ったところで、クインの魔法が発動し、あたりに紫色のもやが発生する――このもやには足を踏み入れるな、と事前に注意を受けている。
もやにつつまれた獣人たちはバタバタと倒れていき、もやから外れていた獣人たちをミディアたちの援護を受けつつなんとか下していく。
俺の振り下ろしを剣で受け止めようとした獣人を、剣ごと叩き切る。とどめとばかりに首を飛ばす。――これで動いている獣人は最後だったらしい。
「ウェンディ、リティ。周囲の様子はどうだ?」
「今のところ、獣人の姿はありません」
俺がウェンディたちとあらためて周囲を警戒している間に、ゲイングやミディア、デルカが眠っている獣人たちにとどめを与えていった。
静かになった村を眺める。
「魔法ってのは本当に怖いな」
クインが応える。
「今回はたまたま相性が良かっただけです。竜種のような相手なら、このような絡め手は通用しません」
******
獣人の村を立って数日、しばらくすると森が開け、山肌が姿を現した。
「……あの穴が竜の巣、かしら」
ミディアの言う方向には大きな洞穴があった。
「行ってみよう」
洞穴内部はひんやりと冷たい空気が漂っていた。
内部に陽光は届かないようなので、松明に火をつける。
俺とゲイングを前衛に、慎重に歩を進めていくと、奥の方に丸くなって寝ている竜の姿が見えた。
「だいたい五メートルぐらいか。幼体とはいえでかいな」
ゲイングの言葉に頷く。立ち上がられたら、頭部に剣は届くまい。
「腹に剣が通るのを祈るのみだ。――ミディアたちは弓で援護してくれ。ウェンディたちはこの辺で待機だ。クインは自分の判断で動いてくれ。魔法のことはわからないからな」
俺の言葉に全員で頷きあい、俺とゲイングは歩を進める。ミディアとデルカは散会して、俺たちをフォローできる距離を保っている。クインはやや後方からついてきている――魔法の届く距離を保っているのだろう。
目の前まで来ても竜は目を覚まさない。
(さて、どうするか……)
ゲイングと合図しあい、俺は大剣を振りかぶった。――剣には既に、クインの切れ味を増す魔法がかかっている。
おもいきり勢いをつけて、竜の首めがけて大剣を振り下ろす――が、多少食い込む程度で、首を落とすまでには至らない。
竜が起き上がり、俺たちに威嚇を始める。竜の咆哮が洞穴に木霊する。
「やはり、立ち上がるとでかいな」
剣を引き抜いていた俺はいったん下がり距離を取る。
一方でゲイングは、起き上がった竜の腹に剣を突き立てた。
身悶えする竜がゲイングを見定め、口の中に火炎を貯め始めた。――竜の息吹。まともに食らえば丸焦げだ。
だが、動きを止めた竜の目にデルカの矢が刺さる。その隙にゲイングは離脱するが、激痛で息吹を中断した竜はのたうちまわっている。
俺は助走をつけ、ゲイングが付けた傷目掛けて大剣を横薙ぎに振り切る。今度は深く大剣が肉をえぐり、血が噴き出た。
俺が離脱すると、間髪入れずにゲイングも追撃を行い、竜の傷を広げていく。竜が息吹を吐こうとすれば、ミディアやデルカが竜の目を狙って狙撃をし、邪魔をしていく。
「きりがないな!」
「丈夫なもんだ!」
俺とゲイングはひたすら同じ個所を狙い、竜の傷を深くしていく。だんだんと動きが緩慢になった竜は、ついに立ち上がれなくなり、四つん這いとなる。
今日、何度目かの全力の振り回しを、竜の頭目掛けて叩きつけると、ついに竜は倒れこんだ。ゲイングが隙を逃さずに近寄り、竜の目玉目掛けて剣を突き立てた。
「……やれたか?」
ゲイングが呟く。竜は動かない。
「竜の魔石は喉元にあります。取り出してください」
クインが他人事のように言う。
「そうは言うがな。こう頑丈だと切り裂くのも一苦労だぞ」
「まぁ、やるしかないさ」
ゲイングと交代で竜の喉を切り裂く作業を行い、しばらくしてようやく魔石らしき石を取り出せた。
「これがそうなのか?」
クインに確認する。
「……間違いなく魔石ですね。みなさんお疲れさまでした」
「ちょっと休ませてくれ。さすがに限界だ」
俺は解体作業で力尽き、その場で大の字になる。ゲイングも同様のようで、腰を下ろしてうつむいている。
「すごい汗よ?」
ミディアが水を渡してくれた。ありがたく飲み干す。
「これで子供だってんだから、竜ってのは恐ろしいな」
「まったくだ」
俺はゲイングとぼやきあう。成体の竜など、相手にしたくはない。
休憩して体力を回復させた俺たちは、再び森を通り、ふもとの村まで戻った。
そこから馬に乗り、魔女の住処を目指した。
******
「確かに竜の魔石ね。この品質なら十分使えるわ。」
魔石をマリンダに渡した俺たちは、魔道具の完成を待った。――あとは魔石をはめ込むだけで終わるらしい。
俺たちは応接間でマリンダの作業を待っていた。
「これでようやく、1つの目途がついたな」
「ですが、肝心の門に近寄る方法を帰ってから考えねばなりません」
俺の言葉にクインが応えた。
「門の場所もわからんしな」
「それなら、私がわかるかもしれません」
リティが声を上げた。
「そうか、お姫さんなら城の中のことがわかるか」
「はい。祭儀に使われていた古代遺物の間があります。おそらくそこだと思います」
「助かる。位置はどのへんだ?」
「城の地下です」
「ならば、そこまでの道案内は頼むことにしよう」
残る問題は、どうやって城内に忍び込むか、だが。
「それについては帰国してから考えましょう。状況も変わっているはずです。一度、情報収集をしましょう」
「あら、もう帰っちゃうの?」
マリンダが顔を出した。作業が終わったのだろう。
「あなたも同行するんですよマリンダ。あなたがいなければ門は閉じられません」
クインが嫌そうな顔でマリンダに言う。
「しょうがないわね。船旅は好きじゃないんだけど」
「魔道具は完成したんですか?」
「ええもちろん。でも使い切りだから、失敗は許されないわよ?」
「あれだけ苦労して魔石を取ってきたのに使いきりなのか」
俺は呆れてしまった。
「では出発しましょう。船の手配もしなければなりません」
俺たちはマリンダを加え、バスタッシュ王国に戻っていった。
******
バスタッシュに帰国したときには、出立してから半年が経過していた。
クインがしばらく情報を収集し、皆を集めた。
「ゲイル王国との戦線は膠着状態に陥っています」
「膠着? 戦力差はどれくらいなんだ?」
「我々が旅立ってすぐ、ゲイル王国は五千の兵で攻め込んできました。バスタッシュは一万の兵で迎え撃ちましたが、互いに決定打を与えることなく今に至ります」
バスタッシュの領土は広い。全軍を収集するのは非現実的だ。一方でゲイル王国は全軍を上げて攻めてきているようだった。
「ゲイル王は馬鹿なのか? 守備を捨てているように見えるが」
「まともな用兵ではありませんね。人材が居ないのでしょう。そのうえで、バスタッシュと膠着できていることが驚きですが」
とはいえゲイル王国の全軍が五千なのだ。守備に兵を割く余裕もないのだろう。そもそも開戦自体が狂気の沙汰なのだから。
「今、ゲイル側の兵数は何人だ?」
「三千にまで減っていると聞きますが、そこから減らすことができていないらしいです。バスタッシュは補充を繰り返して一万を維持していますが、このままだと万が一がありえます」
三千の精兵か。
「バスタッシュが兵を増員する可能性は?」
「今はそれも検討中のようです。ですが一万で押しつぶせない三千の兵を、三万の兵で押しつぶせるか、というと疑問ですね」
「ゲイルの兵站はどうなっているんだ? あの国に備蓄などないだろう」
「それについては謎に包まれています。あるいは、補給自体していないのではないか、とも」
「まさか……飲まず食わずで兵が戦えるとでも?」
「そう考えるしかないでしょう。開戦場所は国境付近です。略奪しようにも、ものがありません」
恐ろしいものを感じて背筋が寒くなった。現地の兵も、人間を相手にしているとは思えまい。
「ですが、これで光明が見えました。ゲイルは戦える兵すべてを前線に投入しています。つまり、城はもぬけの殻です」
「つまり、俺たちは戦場を迂回してゲイル王国に入り、城に侵入することが可能だと?」
「城に残っている兵士に、その無敵の兵が混じっていないことを祈るのみ、ですがね」
「門を閉じれば、戦場の兵士たちはなんとかなるんだな?」
「普通の人間に戻るでしょうから、すぐに瓦解するでしょう」
これで門を閉じるまでの道筋は見えた、か。
「そしてリティのことですが」
リティが反応して顔を上げた。
「バスタッシュ王は、ゲイル王国を下した後、領土を併合するつもりのようです。今更リティシア様が見つかっても、ろくな目には会わないでしょう。このまま身を潜め、他国に移るのが良いのかもしれません」
「そうですか……」
リティの顔は暗い。
「クイン、このままあんたが預かるってことはできないのか?」
「私は貴族です。それなりにつきあいもある。交友関係の中には、リティシア様の顔を知っている人間もいます。あまり私の周りに長居をするのも、得策とは言えません」
それを聞いて、不安そうなリティの顔を見る。
「なに、心配するな。安住できる場所が見つかるまでは、俺が面倒を見てもいい」
リティの顔に、わずかに光が差す。
「本当……ですか?」
ミディアが口を出す。
「私だって、アインに育ててもらったようなものよ。それに妹分ができるなら、私も歓迎だわ」
「行き場所がなくなるわけじゃない。身の振り方を決めるのは、事が終わってからで構わない。だから、心配はするな」
リティはゆっくりと頷いた。
クインがまとめる。
「では、我々は戦場を迂回して城に潜入し、門を閉じます。決行は明後日。それまでに各々、準備を進めておいてください」
******
俺たちは戦場となっている国境付近を迂回してゲイル王国に入り、王都のそばまで来ていた。
「本当に、おどろくほど杜撰な守備ね」
デルカが呟く。国境付近はもとより、王都もろくに守備兵が居るようには見えなかった。
王都の様子を確認してきたミディアが帰ってきた。
「王都の様子は悲惨ね。物流が滞って、商店にはろくに品物がおいてなかったわ。街の人たちにも活気はないみたい」
物流の大半をバスタッシュから賄っていたはずだ。それが途切れたのだから、さもありなん、だ。
「兵士の数は?」
「少なくとも、外からは姿が見えなかったわね。よく暴動がおきないものよね」
普通、ここまで困窮すれば、城へ略奪に走る民がでてもおかしくない――城になにかが居て、それを恐れているのだろうか。
マリンダが注釈を入れた。
「たぶん、強欲の神の気配が強いのよ。神の気配は、並の人間にとって毒よ。近づくだけで恐怖に支配される。あなた方も例外じゃないの」
「どうしたらいいんだ? 近寄れないんじゃどうしようもできないだろう」
「クインが精神抵抗の魔法をかけるわ。それである程度は耐えられる。あとは気力勝負ね」
俺はリティとルインを見る。この二人に、そこまでの気力があるようには見えないからだ。
クインが場をまとめるために口を開いた。
「ともかく、それで行けるところまで行きましょう。ルインはともかく、リティには限界まで道案内をしてもらい、限界に達したらその場に残ってもらうしかないでしょう」
「お師匠ー! おれっちはともかくってどういう意味っすかー!」
「おいていかれるのが嫌なら、気合で頑張りなさい」
ルインは不満そうだが、他に手立てはなさそうだ。
「それじゃあ、いくとするか」
******
俺たちは王都に入った。確かに人々に活気はない。元からまばらだった人通りが、今ではほとんどない。僅かに開いた商店の軒先には、申し訳程度の商品が置いてある程度だ。
そのまま大通りを進み、城へ向かう。
「そろそろですね。魔法を使います。――そこからあとは、みなさんの気力次第です」
クインが全員に精神抵抗の魔法をかける。特段なにかが変わったようには感じない。
「さぁ、先に進みましょう。リティ、道案内を」
ミディアとデルカに挟まれたリティが、城内へ進んで行く。俺たちは警戒しながらそのあとに続いた。
******
「本当に誰も居ないわね」
兵士どころか、貴族の姿も見えなかった。
「それより、みなさん無事ですか?」
俺にはなんとなく居心地の悪さを感じる程度だが、リティとルインは顔色が悪い。
「二人とも、無理はしないでくれ」
「いえ、まだいけます」
リティは気丈にふるまい、先へ進む。
「この奥です」
リティが奥へ進んでいくと、地下への階段があらわれた。ここまでくると俺でも、なにか恐ろしいものの気配を感じるようになる。
「リティ、顔色が悪い。ここでルインと一緒に待つんだ」
リティは逡巡したが、やはり限界だったのか、頷いた。
他のメンバーを見たが、表情が硬い程度でリティたちほど深刻な状況ではなさそうだ。ウェンディが平然としていたのが異色だったが、もとからこの子は無表情だったので、わからないだけかもしれない。
クインが先導を始める。
「ではいきますよ」
俺たちは階段に足を踏み出した。
******
階段を降り切ると、まっすぐな通路の先に扉が見えた。
「あの先か?」
「たぶん」
近づくにつれ、プレッシャーを強く感じるようになる。皆の口数が少ない。
扉を開けるとそこには、”門”があった。
両開きの門は開いており、その向こうは暗闇に包まれていた。
「じゃあ、私とウェンディで強欲の神を追い返すから、合図をしたら扉を閉じてね」
マリンダが右手を門にかざしながら俺たちに指示を飛ばす。その右手には大きな石がはめ込まれた腕輪をしていた。あれが増幅装置だろうか。
「ウェンディ、いくわよ」
「はい」
ウェンディが祈り始める。――と同時に、その身体が白く輝き始めた。マリンダの身体も赤い光を放ち始める。
一歩ずつ、マリンダたちは歩を進める。
俺たちも左右に展開し、いつでも扉を閉められる位置に陣取る。マリンダたちが門に近寄るたび、感じていたプレッシャーが薄くなっていくようだ。
歩を進めたマリンダたちが、門の目の前に辿り着いた。
「――今よ!」
俺とミディア、ゲイングとデルカがそれぞれ左右から扉を閉め始めた。
重たい扉は、ゆっくりと閉じていき――最後には音を立てて閉じた。
「……これで、終わりなのか?」
あまりに簡単に終わってしまい、拍子抜けだ。
「とりあえずはね。私とクインで門の状態を見るから、少し待ってて」
マリンダは門を検分しはじめる。
クインはマリンダの検分を手伝いながら、俺に説明してくれた。
「高位の存在は通常、人が目にすることはできません。もし見えていたら、あの門の向こうに神の顔でも見えていたでしょう」
なるほど、それほど近くに神とやらがいたのか。
見えなかったことに感謝しておこう。
「ウェンディ、無事か?」
ウェンディに振り返り声をかける。おそらく今回、一番負荷が高かったのは彼女だ。
「はい。創世神さまが常におそばにおられましたから。何も恐れることはありませんでした」
無表情で頷く彼女は、相変わらずのようだった。
「俺はリティたちを連れてくる」
そういって通路を戻った。
******
階段の上では、リティたちがへたりこんでいた。
「……大丈夫か?」
リティは顔を上げる。
「――はい、先ほどまでの恐怖が、急に消えて……力が抜けていました」
緊張が解けた、ということだろうか。――新米だったころ、戦場からようやく抜け出せたときの安堵感を思い出し、懐かしい思いだった。
手を差し伸べると、リティは手を取り、立ち上がった。
「ルイン、お前も立てるか?」
「……あっ! おれっちはお師匠様のところに行かなきゃっす!」
そう叫ぶと、一人で立ち上がり階段を下っていった。
「元気なやつだな」
俺は呆れながら、リティを連れて階段を下った。
******
俺とリティが部屋に戻る頃、マリンダたちは調査を終えていた。
「あら、丁度いいところにきたわね」
「調査は終わったのか?」
「ええ。門自体を調整すれば、補助装置なしで完全な封印に変えることができそうよ」
「それはどのくらいかかる?」
「ざっと二日から三日、でしょうね。バスタッシュ軍がここに来る前には終わるわ」
クインが口を開く。
「調整は私とマリンダで済ませます。みんなは先に私の家に戻って待っていてください」
「わかった。――もう危険はないんだな?」
「あったとしても、マリンダが居れば追い返せますよ」
クインが肩をすくめた。
「じゃあ俺たちは先に戻らせてもらう。みんな、それでいいな?」
異論は出なかった。
俺たちは王都を出て、再び戦場を迂回し、バスタッシュに戻っていった。
******
俺たちがクインの家に戻って二週間がたつ頃、ようやくクインが帰宅した。
「バスタッシュがゲイル王国を下しましたよ」
開口一番、クインは告げた。
「予定通り、ゲイル王国の領土はバスタッシュが併合するらしいです」
「戦場はどうなったんだ?」
「私たちが門を閉じるのと時を同じくして、突然ゲイル王国の兵が瓦解したそうです」
バスタッシュ軍はそのままゲイル王国軍を包囲殲滅し、ゲイル王は戦死したという。
「マリンダはどうした? 一緒じゃないのか?」
「途中で分かれました。今頃は住処に戻っている途中じゃないかな」
なるほど、自由な彼女らしい。
「封印はすぐに終わったんだろう? なんでこんなに遅くなったんだ?」
「そのことについてはあまり話したくありません。彼女の求めた対価を払っていただけです」
眉をしかめ、実に嫌そうにクインが言った。他人に触れられたくないこともあるだろう。俺はそっとしておくことにした。
「それより、リティのことです。事態が終結しましたから、あとは彼女の身の振り方を考えませんと」
そういって、クインは皆を応接間に呼び寄せた。
「リティ、いやリティシア様。あなたはどうしたいですか?」
リティには選択肢をすでに提示してある。
このままバスタッシュ王に名乗り出る。その場合、ゲイル王国の領土を譲り受けた貴族に嫁ぐことになるか、あるいは亡国の王族の血が邪魔になり、暗殺されるかだろうと。
クインの元に身を隠していても、いつかは露見し、同じことになるだろう。
あるいは――
「私は、アインさんたちと共に行きます」
リティは毅然と宣言した。
「……それで、構わないのか?」
「はい! 半人前ですが、よろしくお願いします!」
「わかった。リティが安住の地を見つけられるまで、俺がしっかり面倒を見てやる」
俺はゲイング達を見る。
「ゲイング達はこれからどうするんだ?」
ゲイングはウェンディをみつめ、ウェンディが口を開く。
「今はまだ、次に向かう場所がわかりません。ですが、しばらくはリティさんと一緒にいたいと思います」
リティはびっくりしたようだが、この旅で友人となった少女と、またしばらく一緒に居られることを喜んでいるようだった。
******
「なぁクイン、報酬が多すぎないか?」
俺は手渡された革袋の中身をみて感想を告げた。
「半年分の護衛報酬です。多いということはありませんよ」
「おまえ、金持ちだったんだな」
「仮にも貴族ですからね」
クインが返ってきた翌日、俺たちは旅立つことにしていた。旅立ちの日にクインから「餞別です」と、今までの報酬を渡されたのだ。
「クイン様、いままでありがとうございました」
「リティシア様、いやリティ。どうか健やかに」
二人は固く握手をしていた。リティにとって、バスタッシュは近寄りがたい国になった。もう二度と会うことはないのかもしれない。
リティの髪の毛は、結局短いままだ。「旅を続けるのにそのほうが都合が良い」と言って。
あるいは、髪と共に、貴族としての自分を置いていくつもりなのかもしれない。
「アイン、リティをよろしくおねがいします」
「任された。あんたを不安にさせるようなことにはさせないさ」
俺もクインと握手を交わす。
「じゃあいくとするか! しばらくはよろしく頼むぜゲイング」
「あんたと俺が居れば、大抵のことはなんとかなる気がするな」
「竜や神に比べれば、大概のものはたいしたことじゃないさ」
「違いない」
こうして六人の大所帯となった俺たち一行は、バスタッシュ王国を後にした。
******
あれから一年。
今でも俺たちはゲイングたちと行動を共にしている。
だが、いつかあのウェンディという少女は創世神とやらに導かれ、道を分かつ時が来るだろう。
リティはミディアに仕込まれて、今では一人前と呼べる腕前になりつつあった。
だがミディアは、そろそろ腰を落ち着けたがっているようだ。
それもいいなと、今では思い始めている。
そのとき、リティはどんな選択肢を取るだろうか。それがどんな選択肢であっても、俺は受け入れようと思っている。
「邪教の姫と剛剣の男」で消化不良だった分をなんとかした感じ、でしょうか。