帰ってきたの?
ここは…………元の世界なの?
次元の渦に落ちて、怖くて目を瞑ってほんの数秒だ。
目を開けた私の瞳に映る景色が信じられなくて、茫然とその場に立ち尽くした。
「楓!」
突如、腕を掴まれたので、飛び上がりそうなくらいビックリとする。
「えっ、何その顔?そんな驚かないでよ」
そこにいたのは、一緒に買い物に来た友達の花田 咲だった。
「………本当に咲ちゃん?」
「はい?そうに決まってるでしょ。それより、振り返ったらいないから探したんだからね。この雑貨屋に入ってたの?」
どうゆう事?これ夢じゃないよね。私帰ってきたの?
「あの………どのくらい私のこと探してた?」
「まあ、5分くらいだけどさ。このお店気になるなら一声かけてよ、ちょっとのつもりだったんだろうけど」
「ごめん…………」
まるで何事もなかったように、普通の生活が、時が流れている。
このショッピングモールも数えきれないくらい来ていて、見慣れた景色なのに違和感すら感じた。
「ちょっと、ボーっとしちゃって大丈夫?体調悪いの?」
全然頭が整理できない。追いつかない。
強張っていた体の力が抜けたからか、クラクラとした。
その場にしゃがみ込んでしまった私を心配して、咲が声をかけるが返事も出来なかった。
その後は、少し休んでから咲と別れ、自宅に帰ってきた。
当たり前なのだが、何も変わらない我が家に、自分の部屋。
お風呂に入り、夕飯を食べながら両親と日常の会話を交わし、疲れたからと自分の部屋へと行くと、ベットへと倒れこんだ。
まだ信じられなくて動揺してるのに、体はここにいた時と変わらぬ生活を過ごしている。
そうすることさえ違和感を感じるのに、それがここでは当たり前だとも分かっていた。
柔らかい布団に埋もれて、とても気持ちがいい。
でも、それにさえも感じる違和感。
あの世界で過ごした20日間が私にそう感じさせている。
こうしてベットに寝転んで、穏やかに過ごしていると、まるであの世界での出来事が夢だったんじゃないかとさえ思えた。
ハンガーに掛けて吊るされた制服に目をやる。
一見綺麗に見えるけれど、よく見るとあちこちほつれたり破けたりしていた。
この世界の誰に言ったって信じないだろうけど、私は間違いなくここではない別の世界に行っていた。
帰ってこれて嬉しい。それに心からホッとした。
なのに…………この気持ちは何だろう。
あの世界に執着も未練も全くない。でも、アヴィのことを思い出すと胸が苦しくなった。
きっと心配してるよね。
こんな別れ方をするなんて思ってもみなかった。
私は無事だって、元の世界に戻れたよって伝えたいけど、そんな手段はどこにもない。
アヴィと私はこれっきりの運命なのだ。
〝カエデ〟
私の名を呼ぶ声。無邪気に大笑いする楽しそうな顔。
〝俺の嫁になれよ〟
私を見つめる温かい瞳。悪態ばっかだったのに、いつの間に私の事好きになってたの?気に入られてるとは思ってたけど、結婚したい程だとは思ってなかった。だから面倒みてくれてたの?
初めはホントどうしようもない、悪戯好きなクソガキだと思った。それなのに今はアヴィが側にいないことが寂しい。
もう私の名前を呼ばれる事もない。あの笑顔を見る事もない。抱き合って眠る事もない。もう会う事すら出来ない。
涙か一筋頬を伝う。
もう会えない。それが寂しくて、悲しかった。
―――
あれから、1ヶ月が経った。
戻ってこれてから、初めは平穏な変わりない日々に落ち着かなかったものだが、今ではもうすっかり元通りだ。
異世界での夢のような記憶も、新しい日々に塗り替えられ、段々と思い出す日も少なくなっていった。
それでも、アヴィを思うとやっぱり胸が痛んだ。
でもいくら考えたってもう会えないのだから、忘れようと考えないようにしても、時おりふと思い出してしまう。
あんなクソガキと思ってたのに、いつの間にこんなに気になるようになってしまったんだろうか。
やっぱりあの顔?滅多にお目にかかれない美形だから?中身は子供だし、観賞用と割り切ってると思ったのに、私って面食いだったのかしら。
それとも、あの嫁発言で?お子様だと思っていたアヴィが私を嫁に迎えたいだなんて、その思いと男の部分に心を動かされた?
つい、いろいろ考えてしまうけど、こんな事考えたって意味はないのだ。もうアヴィとは会う事はないのだから。
「楓」
かけられた声に、ハッと我にかえる。
「あ…………。咲ちゃん、何?」
「何じゃないでしょ。ボーっとしちゃって、テスト勉強するんじゃないの?」
「うわぁ、そうだ。やらないと大変だ〜」
ぼんやりしてる場合じゃなかった。ここで頑張らないと数学と英語がヤバい。
今は、ファーストフードのお店て、友達3人でテストに向け勉強しているところだった。
「ゆいなと一緒に追試すればいいじゃん」
リップを唇にぬりぬりとしながら、もう1人の友達の青木 ゆうなが言った。
いかに自分を可愛く見せるか、可愛いものは大好きで、勉強は大嫌い、毎回赤点をとって追試常連のおしゃれ女子である。
「テスト受ける前から追試って……。ゆうな、ちょっとは勉強しないとあんた留年するよ」
咲が睨むが、ゆうなは気にせず鏡を取り出し目元のチェックをする。
「留年は困るけど、そこまでじゃないし〜。だいたい勉強したってなりたいものないし。高校卒業したら、お嫁さんか、ショップの店員さんかな〜」
ゆうなのお嫁さんという言葉にドキッとした。
べ、別に私とは関係ないのに。嫁って言葉に反応しちゃって恥ずかしい。
「ゆうなは今の彼氏と結婚したいの?」
今が高2だから、卒業後ってことは再来年には結婚か。私には全然関係ない未来の話だけど、人によってはもうそんな事も考えてるんだ。
「え?したくないけど。同学年の男子なんてガキよガキ。全然気がきかないし、くだらない事ばっか言ってさ。もっといいのがいたら、これから乗り換えるの」
「そうなの?お似合いだと思うんだけどな。関君いい人じゃん」
「お似合いって、同レベルみたいで嫌だ〜」
そう言ったゆうなを咲がしらっとした目で見る。
「あんた前に社会人と付き合って、子供扱いされるって怒ってたじゃん。歳上からすればガキくさいんでしょ。でもね、結婚するなら経済力のある社会人とでしょ」
「え〜。もう社会人はこりごりなんだけど。いちいちうっさいし、注意ばっかで、お前は私のお父さんかっつーの」
「じゃあ、ちゃんと勉強しな。赤点とらないくらい頑張んなよ」
そう言うと咲は再び教科書に目を移した。
気が強くて、何でもはっきりと言う幼馴染の咲ちゃん。
たまにキツイ性格だと誤解されるけど、実は真面目で優しい、女の子らしいとこもある私の大好きな友達だ。
「あれっゆうな〜?」
不意に、通りかかった男子高校生が声をかけてきた。
ゆうなの彼氏の関君だ。他にも友達2人を連れてる。
「あっ関く〜ん、凄い偶然〜」
ゆうなは急に甘ったるい声を出し始めた。
関君と付き合って1ヶ月ちょっと。ガキだとか不満を言いながらも、可愛く見られたいんだな。
ゆうなは大人ぶってるけど、関君といると何だかんだ楽しそうだし、無理してないし、いいと思うんだけどな。
「えっ、もしかして勉強してんの?ゆうなが?」
「ひど〜い、私だって勉強くらいするよ。赤点取りたくないし」
あはは、追試を受けるつもりじゃなかったかな?
「偉いじゃん。なぁ、俺らも一緒していい?」
その問いに、咲は顔をしかめたが、ゆうなは気にせず大きく頷いた。
「いいよ〜。皆んなでやった方が楽しいよね」
その言葉を受け、関君をはじめ、その友達達が椅子を持って来て同じテーブルにやってきた。
咲と顔を見合わせ苦笑いする。
ゆうなにも困ったもんだ。
関君はゆうなの前に座って話し始めると、残る男子2人は咲に話しかけてきた。
咲はキリッとした美人なので、この機に話しかけたかったんだろう。まあ、気持ちは分かるけどね。
とにかく今日はテスト勉強しに来てるんだから。
私は私でさくさく進めちゃうよー。
1人で勉強を進め始めると、少しして男子の1人が話しかけてきた。
「あははっ、難しい問題?すっげー渋い顔してる。関口さんってコロコロ表情変わって面白い顔してんねー」
はあ?面白い顔?
「普通の顔だけど」
「2人のマスコット的キャラ?」
「は?」
こんニャロ〜。お前こそ大した事ない顔して何ぬかす。
アヴィの足下にも及ばない顔面のくせして。あれだけの顔面偏差値に言われるなら仕方ないと思えるけど、あんたになんか言われたくないんだけど。
「うわっ凄い睨まれてる。そんな怒らないでくれよ〜」
おどけてみせるその仕草にも、めっちゃ腹立つ。
もう1人の男子も何何〜とか、ニコニコしながら顔を突っ込んできた。
「関口さんに面白いね〜って言ったら機嫌悪くなっちゃってさ〜」
咲がそっけないからって、話題をこっち振ってきて盛り上げようとしてんでしょ。
「私勉強するから話しかけないで」
「うわっ素っ気な〜。もうちょっと愛想良くしないとモテないぞ〜」
苛々する〜。別にあんたなんかにモテたかないんですけど。それとも、大した事ない顔なんだからって嫌味?
「ちょっと、うちら勉強しに来てんだけど。邪魔するなら他に行って」
咲の冷たい一瞥に、男子達がうっと怯む。
その後しばらくは静かにしていた男子達だったが、そうは長く続かず、そろそろいいかと喋りだしたところで、早々に解散となった。
彼氏か…………。
同級生の男の子。恋愛とか、ときめきもないなぁ。
同じクラスの男子も、高校の男子も付き合いたいと思う人はいない。
この歳で、興味がないとか私がお子様なんだろうか。
〝カエデ〟
でも、私の名を呼んで笑うアヴィの顔を思い出すと、ちょっと胸がキュッとなる。
もう会う事もない人なのにね。
キュッとなっても仕方ない。ときめきはこの世界の人でないと駄目なんだ。いつまでも考えたって、どうにもならないのに。
あそこで過ごしたアヴィとの記憶は強烈だったから、まだ忘れるなんて無理だ。当分は思い出すだろう。
だけど、何年も経てばいつかは記憶から薄れていってしまうかもしれない。そう思うと何だか寂しくて、今はまだたまに思い出して懐かしむのもいいかなと思えた。