くすぐり・ファイナル
合わせて読みたい以下前編
1作目 https://ncode.syosetu.com/n3958fv/
2作目 https://ncode.syosetu.com/n4516fv/
好き。
「谷坂も宮下にツンツンしてないでたまにはデレたら?」
「どういう意味ですか、それ?」
手芸部の部長が珍しく私に声をかけてきたと思えばこれだ。
宮下、私の可愛い後輩は部活でも可愛いと評判らしいが、私にゾッコンであることは誰の目にも明らかだった。
私が納得いかないのは、好意を示せということではなく。
「別に、私は宮下のこと嫌ってはないですよ。むしろ好きな部類です」
「あれっそうなん? その割に冷たいような」
「私とあいつの好きってなんか違くないですか? あいつのが重いっていうか深いっていうか」
ラブとライクくらい違うと言いたかったのである。一緒にいて楽しいと思うし、たまにそれ以上の何かを感じた気もするけれど……。
それでも宮下のように、追っ掛けて入部して、毎日べったりくっついて美人ですねとか好きですなんて言うような愛に応えられる気はしない。
私なりの適切な距離感、のつもりだ。
「好き同士なのに違いとかないでしょ。仲良くやんなよ」
「ふうん、それもそうですね。そうかもしれない」
よくよく宮下のことを考えているけれど、それはどれも不確かな自分の気持ちを確認するようなもので、自分の意見や論というものは持っていなかった。
部長はクラスメイトであるけれど、時に聡いことを言う一面がある。そして私は深く考えているようで何も考えていない奴だった。
なので、その意見を真正面から受け止めて理解する。
「まあちょっと……話そうとは思ってた。宮下とは」
「もうすぐ卒業だしねー。きちんと話つけるんだよ。OKでもNGでも」
「ああ、うん。やってみる」
両肩を叩かれて、部長の私以上に気合十分な顔を見ると、私も頑張ろうという気持ちになる。
「沙田は、良い部長だったよ」
卒業も近いから、そんな感傷的なことを言うと沙田部長は、一瞬、完全に硬直をした。
そして、泣いてしまいそうなセンチメンタルな笑顔を浮かべる。
「谷坂も良い先輩だったよ」
強く握るような、気持ちの籠ったような強さで肩を揉まれて、その後に痛みを和らげるように優しく撫でられて。
「……全然手芸しなかったけど、なんか楽しかったなぁ」
「そりゃ遊んでるだけなんだから楽しいでしょうよ」
「うひっ! まあ、そうだね! 真面目な谷坂は正直嫌だった? 私みたいな部長は」
自虐のようなことを、満面の笑みで言う。
毒気を抜かれるような人で、彼女は部長というよりもムードメーカーに向いているのかもしれない。
私は厳格な部員でもなければ、普通の女子高生だから。
どれだけ意地悪なことを言ってやろうか、なんて企んでも、笑顔を前に釣られて笑ってしまう。
「……最初は、こんな部活かぁって思ったけど。でもやっぱり楽しかったよ、あの騒がしい空気も、みんな笑ってる場所も、宮下も。終わるのが寂しいって思う」
寂しい。
真っ先に出た言葉は、自分の胸を刺すように改めて郷愁めいたものを私に残す。
更に、その言葉を受けて部長はジーン、と深く染み入って、揺れる瞳のまま、私を抱き締めた。
それはもう、痛いくらい。
「谷坂ぁ! うぅぅ……!!」
「あー、うん、うん」
あまりに強い力で抱き締められて、少し引きながら。
部長をなだめて背中をさすり、大人っぽい態度を見せながら。
誰にも見せない程度に、私も少し涙ぐんでいた。
何の気なしに入った手芸部も、月日が経つにつれ、私にとってかけがえのないものになっていた。
なんて卒業シーズンで感傷的になっているから感じるのだろう。大学に行けば、また新しい出会いと経験を程々の価値観と距離で、傷つき、馴染みながら、また離れがたいものになっていくのだろう。
人生の繰り返しだ。もっとも、中学の時は、そんな風に感じ入ることはなかったけれど。
ただ、このまま卒業できないくらいの関係が私にはある。
ケジメをつけた方が良い。私にとっても、彼女にとっても。
思えば卒業を前にして、最も気がかりなのは彼女だった。
私のことが好きだと言って憚らない、宮下。
――――――――――――――――
「それで、どういうご用ですか、先輩」
「もうすぐ卒業だから」
「部室にはいまだに来るくせに」
にひひと宮下は悪戯っぽく笑う。確かに部はとっくに引退しているけれど、私や佐田は何度も顔を出していた。
居心地が良いから、というのもあるが、やっぱりこの後輩の顔が見たいからでもある。
「わざわざ二人きりになりたいなんて、応えてくれるんですか?」
「……まあ、そういうこと」
いつも朗らかな宮下の表情が真顔になる。小さく口を開けて無表情に、静かに悦に入る様子は、今まで見たことのないものだった。
「宮下の好きっていうのが、やっぱり私にはよくわからないところだけど。彼女とか結婚とか、友達とか、大事な先輩とか、わからないけど。でも私にとって、宮下は本当にかわいい後輩だから。宮下と一緒にいると、自分が手芸部の一員だって気持ちになれたし、それでずっと馴染めたから本当に感謝してる。クラスの友達より、宮下と離れる方が不安で寂しい気になるくらいにはね」
家に家族がいて、クラスに友達がいて、手芸部には宮下がいる。
「宮下に会いに手芸部に来てた」
「……それで」
「それで?」
「……じゃああの、お付き合いとかしてくれるんですか?」
「宮下のそういう好きの答えも考えてきたよ」
「それで!」
「考えてきたけど、やっぱりわからない」
「……」
宮下の表情は、小さく口を開けて無表情で、絶望に沈むようだった。
そういう反応になるだろうことは、私だってうすうす気づいていた。
けれど私がどれだけ考えても、やっぱりそれはわからない。
「ごめん、こんな答えで。でも私じゃ宮下の気持ちに応えられない」
「……私とキスできないってそういうことですかね!?」
「えっ、えっと、まあ、うん。したいとかはないし……」
「そういう、そういう答えってズルじゃあないですかっ!? 分からないから、分からない自分が悪いみたいな! 理解できないから理解しようともせずに決めつけて! 私はそうか仕方がないなぁで済ませませんよ!! ずっと、ずっと伝え続けたのによくわからないなんて、それはただ逃げてるだけじゃないですか!」
見たことのない宮下からとめどない言葉が溢れてきて、私はとっさに否定しようとしたが、その言葉も出てこない。
何か考えているようで、私は確かに深く考えていないことが多いから。少し考えて、どうでもよくなって、そんな風に繰り返していた気がする。
宮下の言う通り、逃げているだけだった。そう糾弾されて、ぐうの音も出なかった。
「高校生活のいい思い出にしないでくださいよ。はっきりフッてください。どうせ思い出になるなら嫌な思い出として、人を泣かせた思い出として一生残り続けてやりたいんでさぁ! さぁ!」
宮下は激昂と言っても過言ではない表情に、行動にまで出そうな身振り手振りで言い放つ。
かと思えば、まるで仏像のように、すっと目を閉じ、屹立した。
すややかに眠る赤子のような表情にも、もう何事も言わない死人のようにも見える、言葉とは裏腹な穏やかな顔だった。
「み、宮……」
名前を呼ぼうとすると、何も言わずに宮下は、ゆっくりと腕を上げて、手のひらを見せた。
犬を制するみたいな動きは、『待て』を意味している。
私より冷静に見えて、喋らないでくれ、という強い懇願が感じられた。
やがて、黙っていると、彫像のようであった宮下の閉じた瞳から一筋涙が溢れた。
すぅ、と流れだ涙は、それを皮切りに次々と溢れて、やがて宮下は顔を覆って嗚咽を漏らす。
何かを言うでもない、ただ私を待たせたまま、宮下は静かに、一人静かに涙を流し声を漏らす。
宮下は、そんなにも私が好きだったのだろうか。こんな、いい加減であいまいな私のことを。泣くほどに。
愛されているなんて実感すら、私にはいまだにどこか浮遊しているような感覚で、宮下の気持ちの少しも伝わっていないのだろうと思えた。
「宮下……」
いや、気持ちはきっと伝わっている、そういう実感がある。
ずっと宮下は私を想っていて、これだけ私のことを意識しているとわかった。
ただ哀れむような、慰めるような、そんな役に立たない言葉しか思いつかない。
結局、私は考えても無駄なのかもしれない。結局手芸だって大成というような形にならず、大作を作ったこともない。
ただ地道に、何も考えず、手を動かすだけしかしていなかった。
わからないから、手を繋ぐ。
わからないから、抱きしめる。
わからないから、キスをする。
宮下の好きという言葉も、態度も理解しようとしなかったけれど、結局私の頭で考えるのには限界がある。泣き止みそうにない宮下に、真摯に応えるには、もう一つずつ、地道に試す以外なかった。
それが普段通りの私でもあり、宮下の知る私だろうから。
手のひらで制する宮下の、その手を握る。会話を拒むように目を閉じる宮下は、その手を握っても、わずかに震えるだけで言葉も開眼もないまま、変わらず像のように反応がなかった。
手を握る方と逆の腕を宮下の背に回して抱き寄せる。顔がすれ違うから表情は見えないけれど、涙でしゃくりあげる宮下の振動は伝わってくる。
「宮下」
反応がなくても、これ以上は伝えないと、何かあった時に失礼だなぁとおもう。
それ以前に、私も実感がないから、宣言をしてからじゃないと行動に移せる気がしなかった。
「宮下の、私を好きな気持ちが、どれくらいか、どういうものか、考えてないけど、試したらわかると思うから……、嫌じゃなかったらキスしてみるけど」
泣いている宮下の反応は変わらず、否定も肯定もわからない。いっそ振ってくださいと言っていたからには、それは嬉しくない行為だろうけれど。
暖かく震えるくせに無機物のように反応を拒むから、私は思うがままにそっと頬を寄せた。
そしてーー
ーーそれは、そんなに嫌がるものでも悪いものでもなかった。
「……宮下は、これ以上がいいんだったよね……?」
ここまでは、親しい友達にしている人もいるだろう、社交的な宮下なら、慣れていることかもしれない。
私は誰一人としてしたことはないけれど。
恋愛をしたことがない私にとって、キス以上は、もう、少なくともここで、勢いでできることはなかった。頬に伝う涙をそっと口づけするように吸い取って、体を離すと、宮下はもう目を開けていた。
「今、キスしませんでした?今キスしませんでした?」
「し、したけど」
彫像はどこへやら、涙の筋が顔に残るまま宮下は、わー、わーっとなっていた。
泣いているわけでもない、怒っているわけでもない、驚いている、にしては喜色に富んでいる、かといって素直な喜びではない。
そんな、わー。
「な、なぁーんでキスするんですかぁ……」
「やってみたらわかるかと思って……、宮下のこと……」
「そんな魔法みたいな話あるわけないじゃないですか……キスするから好きな人じゃないですよ、好きな人だからキスするんですから」
眠り姫がキスをすれば目覚めるように、キスで宮下は元に戻ったのだけれど。
その前に。
「……じゃあ私が宮下を好きってこと?」
「そんなポジティブに受け止められませんよ。ぽけっとしちゃって。ホント美人ですね」
「……私は、普通に宮下好きなんだけど、それで良くない? 沙田なんかもなんか行動起こしたら? って言ってくるけど」
「沙……部長が、ですか。私はもう特大ホームランゲットした気分ですけど」
「宮下はもう満足したんだ」
「は……、いえ、いえいえまだです。ちょっと足りないですよね」
「そう……、じゃあ、……、家に来る?」
「……えぇっ!? そ、れ、は、……」
「嫌ならいいけど」
「わ、行きますよ。はい」
私より半歩遅れて、来たこともない家へ向かう宮下の心情はどういうものなのか、それは推し量るには難しい。
恥じらいながらも、どこか強く見える表情は、どこか覚悟を決めている風に見えた。
――――――――――――――――――
「ご家族普通にいるじゃないですか……」
「いるよ? 家だし」
「んだよ~この人も編み物かよ~」
冷やかしの弟が部屋を出て、宮下と二人になる。初めて来る私の部屋でも、編み物に集中している限り、宮下は普段通りの冷静さを保てるらしい。
「にしても、家でも編み物するんですね。私、部室以外ではしたことないです」
「テスト期間までに終わらせたかったことがあって、それからたまに家でもやるようになったなぁ。部でもそんな人はいないだろうけど」
「ですね」
こうしていると、普段通りの空気が、家の中とも部室とも違う独特な居心地の良さを感じる。
ふと宮下を見ると、しっかり編み物に集中しているようだった。
彼女も、慣れたものだと思うと、それが妙に。
頭を撫でたくなった。
「なんですか」
「やっぱり寂しいね」
「……私の方が寂しいですよ」
「かわいいこと言って」
「本気ですよ。もう部に出る意味もないです。先輩目当てで行ってるんですから」
「私も宮下がいたから行ってた」
「嘘ですよ」
「本当だって。案外似た者同士なのかも」
「似てませんよ、先輩は、全然……」
「なに?」
「……美人です」
「宮下以外に言われたことないよ、それ」
「私がおかしいのかなぁ?」
宮下は本気で私のことを美人だと思っている、という事実が今判明した。
頭を撫でるために近づいた宮下は、今までにないほど照れて、編み物をする手を止めてまで自分の顔を隠し始めている。
「私が宮下を可愛いって言うのも本気だけど」
「先輩もおかしいですよ」
「似た者同士だよ、やっぱり」
意外と、すんなりと、宮下のことを理解できたかもしれない。
まさに、魔法のようだった。
再び私が宮下に魔法をかけると、彼女はぼうっと私を見つめていた。
「……うん、宮下の気持ちが分かった気がする」
「……魔法が、使えるんですか? 先輩……」
私はまた、宮下が私を好きになる魔法をかける。
――――――――――――――――――――――――――
「それっ」
「お、お、お」
不意に、宮下の体をくすぐる。すぐにきゃははと笑うでなく、宮下はぎこちなく、固まりながら私から離れた。
「信用されてきた? ふふ」
「……え、と、まあ」
「カチカチだけど」
「……笑うって言いますか、えっと」
「どうしたの?」
「……ムラつきます」
真顔で。
まーあ、真顔で。
「の割には、離れていくじゃん」
「……いえ流石に。ご家族もおりますし」
「近づいたらしそうなほどムラついてるの? それは……本日のところはお引き取り願えますか?」
「……あー、っと、編み物、します」
「うん」
少し深く、息を吐いてから宮下が編み物を続けていく。
緊張気味だった動きも、指が進むごとに、どこか緩和していき、やがていつも通りの空気感が現れた。
その心地よさに浸りながら、編む。
終わりがないと思えるような繰り返しにも、確実に完成は見えてくる。
「……また来てもいいですか。ご家族がいらっしゃらない時など」
「ふ、別に、いいけど」
「……あ、間違えた……」
もうくすぐっても笑わない彼女は、そう言って肩を落として、また完成へと目指していく。