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ボク、おかーさんになりました。  作者: 紺野咲良
2章 路地裏の少女たち
9/16

2-4

 マリーちゃんがまばたきを忘れ、息をすることさえも忘れてボクを見つめる。

 やがてひどく疲れた様子で、握ったままだったフライパンを、ことり、と静かに調理台へ置いた。


「……ねえ、ショコラ。この生き物、なに? 本当に大人?」

「ですからリンさんは、少し大きく見えるだけの子ども――なんですかね? もしかして、本当に……」


 ショコラちゃんまでも弱り果てていた。二人して不信感たっぷりの眼差しをこちらへ向ける。

 未知の生物に遭遇したときの目ってあんな感じなんだぁ……と、当の生物本人はのんきな感想を抱いていた。


「ご、ごめんね? 田舎から出てきたばかりで、ちょと世間知らずだから……」


 いつぞやにも使用した言い訳、『田舎者』。

 まさか『異世界人』とバカ正直に言うわけにもいかないし。これ以上不用意な発言を重ねては、どんな目を向けられるかわかったもんじゃないし。ボクなりに無難な言い訳を選んだつもり。


「田舎って言っても限度ってもんがあるわよ。どんな未開の地から来たってのよ。まともに人の世で暮らしていれば、田舎者だろうと子どもだろうと知ってることでしょ」

「そ、そうなんだ……あはは」


 どうもよほどの失言をしてしまったらしいことだけはわかる。けれど、冷静に考えてみてもわからないのだから仕方がない。

 今しがたの炎はボクの理解の範疇(はんちゅう)を明らかに超えてしまっていて、『魔法』という言葉でぐらいしか言い表せなかったのだから。そう口走ってしまった自分を責めることなんてできなかった。


「まぁまぁ。マリーちゃんに教わるまでは、ショコラもよく知らなかったわけですし」


 その言葉を受けて、マリーちゃんが、はっとした。


「……そうね。悪かったわ」


 バツが悪そうに謝罪する。今しがたのマリーちゃんの発言の中にも、何らかの失言が含まれていたらしい。

 ひとりでに頭の中で再生されたのは、この部分。


 ――まともに人の世で暮らしていれば、田舎者だろうと子どもだろうと知ってることでしょ。


 まともに。

 人の世で暮らしていれば。

 こだまのように繰り返される、ざらり、と心を撫でてくる響き。


「……」


 とりあえず、沈黙。

 勘ぐることならいくらでもできる。それを突き詰めていけば、ショコラちゃんの生い立ちや境遇、根幹に至るまで届く予感がある。

 だけど、知っている。誰かに詮索されるということが、どういうものかを。

 ボクも昔、散々問いただされた。両親がいないこと。祖母の家で暮らしていること。受ける同情。困惑した表情。どれもこれも、あまり良い気分はしなかった。

 だから、知っている。そんな真似をされてうれしい人間なんて、ただの一人だっていないことを。

 そんなわけでこの場は口を挟まず、(しゅく)として沙汰(さた)を待つことにした。


「いいんですよ。ほら、ショコラのときのように、リンさんにも話してあげてくださいな」

「はあ? なんであたしが大人なんかに――」

「しくしくしく。ショコラは古傷をえぐられたのです、これはしばらく立ち直れそうもないのです……」

「あんたねえ……」


 ショコラちゃんのあからさまな嘘泣きに、マリーちゃんはわなわなと肩を震わせる。見るからに一触即発。次の瞬間にはビンタかゲンコツが繰り出されてしまいそうだ。

 自分が原因で二人の喧嘩が勃発(ぼっぱつ)してしまうのではないかと、はらはらしながら見守っていたら、


「ったく、もう」


 マリーちゃんは、やれやれといった感じで頭を押さえ、あっさりと怒りを解いた。

 こんなやり取りも日常茶飯事なのだろう。おねだりすることに慣れていて、折れることに慣れてしまっている。そんな二人の間柄。


「マリーちゃんってば、やっぱりやっさしーです」

「ぶん殴られたいの?」

「えへー」


 本気で暴力を振るう気などないことをわかりきっているかのような、天真爛漫な笑顔。あの笑顔を前に、いったい誰が太刀打ちできようか。ある意味どんな暴力よりも暴力的だ。

 マリーちゃんは再びの大きなため息をつき、ひどく億劫(おっくう)そうな顔つきで、にらむような視線をこちらへくれた。目は口ほどに物を言う、とはよく言ったもの。「あんたのせいで面倒なことになったわ」と、痛いほどに、はっきりと聞こえてきた。


「あんた……リン、だっけ?」

「は、はい」


 全面的にボクに非があることは重々承知しているので、反省の意を示し、背筋をピンと伸ばして傾聴(けいちょう)の姿勢をとる。


「リン。あんたが言った魔法っていうのは、生まれついた素質に大きく左右され、気の遠くなるような修行を要する、ほんの一握りの人間にしか扱えない奇跡のこと。今じゃすっかり(すた)れ果てた過去の遺物」


 ボクの持つ魔法へのイメージともあまり相違ない、簡潔でわかりやすい説明。

 ただ、最後の一文。『廃れ果てた過去の遺物』――それには残念な思いを禁じ得ない。『異種族』と同じく、『魔法』もまた、ファンタジー世界における醍醐味(だいごみ)と思っていたから。


「マリーちゃんがいま使ったのは、魔法とは違うんだ?」

「そう。かいつまんで話しちゃえば――『何から何まで運次第の、謎に満ちた力』ね」

「運次第の、謎の力……?」

「ええ。詳細はお偉い学者さんにも解明できてないわ。ある日、何の前触れもなく使えるようになるらしいの。――()()は」


 マリーちゃんが立てた人差し指の先に、ぽっと小さな火が灯る。

 ボクに言わせれば、やはりそれは『魔法』と表現するしかなく。厳密には違っていたとしても、目の当たりにすれば同じように心が沸き立つものだった。


「修行なんて必要ない。素質の要不要に関しては不明。『本人の深層にある願望に呼応した能力が顕現(けんげん)する』――そこに関してだけは確かみたいだけど、他の具体的な条件はわからない。『深層にある願望』だから、発現したからといって、当人が求める能力であるとも限らない。つまり、『何から何まで運次第』ってわけ」

「な、なるほどぉ……」


『深層にある願望』――そう聞いて真っ先に浮かべるのは、『寝て見る夢』のこと。

 あれも内に眠っている願望が現れる、みたいな話を聞いたことがあるけれど。わけのわからない夢を見てしまうことだってままある。望んだ通りの夢を狙って見ることのできる人なんていない。たぶんだけど、そんな感じに近いのだろう。


「〝おねがい〟し続けるってのも有効、なんでしたっけ?」


 小首をかしげつつ、ショコラちゃんがそんなことを聞く。


「そうね。『(たぐい)(まれ)なる集中力の持ち主が、自力開花させた』っていう事例も結構あるみたいだから」

「うわ、すっご……」


 なんてことだ。うらやましすぎる。望んだ通りの夢を狙って見ることができる人物がいるだなんて――って、そうじゃない。いや、そっちもうらやましいんだけど。

 大変な修行も無しに、集中力次第、運次第で身に付く能力。それならボクにもチャンスがあるんじゃないか、試しにボクも何か〝おねがい〟してみようかなぁ……などと漠然(ばくぜん)と考えていたら。


「そんな胡散(うさん)(くさ)い話を真に受けて、ある地域じゃ常日頃(つねひごろ)から妄想に明け暮れることさえも良しとしてしまう風習が蔓延(まんえん)しちゃってるぐらい、老若男女問わず、皆一様にすっかり(とりこ)になってるのよ。この不思議な能力のね」

「この街の子どもたちも、がんばっちゃってるみたいですよね。『いつか立派な衛兵さんになるんだー!』とか、『冒険者として活躍するんだー!』とかって」

「そのあたりの職業には、能力の有無は特に重要視されるし、なにより花形(はながた)職だもの。憧れる気持ちはわかるのだけど」

「正直、ちょっと心配しちゃいます」

「同感。まったくもって教育上よろしくないと思うわ」


 ……耳がすこぶる痛いです。

 みんながみんな、そんな不確かなものに青春の全てを注ぎ込み……よもや人生の全てを捧げるようになっては、確かに世も末だ。この子どもたちの方が、ボクなんかよりよっぽど達観している。この場で唯一の大人として立つ瀬がない。


「どんな辺境の地だろうと……いえ、辺境の田舎だからこそ、かしら。風の便りに聞く、華々しくて夢のある話には強い憧れを持つものよ。そもそもひとつの集落から一人も開花しないほど希少な能力でもない。当たり前に送る生活の中で誰かが目覚めていて、当たり前に使われているはずだわ。ようするに、知らない人間なんて滅多にいない。――わかってくれた?」

「そ、そういえば、そんなこともあったような……なかったような~……」


 見事なまでの半目。微塵(みじん)も信用していない、不信感でのみ構成された眼差しに射抜かれる。

 決死の引きつった愛想笑いで応戦していると、「まあ、いいわ」と意外にもあっさりと見逃してくれた。きっと、ボクへの興味がさほどなかっただけだと思う。


「他にも、『極限状態に追い込まれると開花しやすい』なんて説もあったかしら。それに関してはあたしたちが()()()()だから、割と信憑性(しんぴょうせい)があるわね」

「……え」


 さらっと、とんでもないことを口にした気がする。

 ボクがひるんでる間に、マリーちゃんは説明を続ける。


「この能力は、『清く敬虔(けいけん)な心の持ち主が、日々(たゆ)まぬ祈りを捧げ続けることで生まれ出づる能力』――ゆえに《信仰》を意味する《フェイス》なんて呼ばれてるわ。あたしはあんまり好きじゃないけど」

「どうして?」

「少なくともあたしは、そんな殊勝(しゅしょう)な真似をしてた覚えがないもの。『よこしなさいよ』って感情のままに命じ続けてただけ」


 マリーちゃんが、おもむろに取っ手の損失したカップを手に取る。そして、立てた人差し指の先から……今度は火ではなく、玉状の水が顕現した。そして軽く指を振るったかと思うと……その水はまるで生き物のように、螺旋(らせん)を描きながら吸い込まれるようカップの中へと収まっていく。

 ただ水を汲むという行為も、そこにポットや水道が無いだけで、こうも神秘的な光景に変わるものか。そんな具合ですっかり見惚れて呆けていると、マリーちゃんからカップを託されたショコラちゃんが、こちらへと歩いてきた。


「どうぞ、とってもおいしいお水です」

「あ、ありがと」


 手渡されたカップを両手で包み込むように握ると、ひんやりと冷たい感覚がカップ越しにも伝わってくる。中を覗き込んでみたら、心なしか水がきらきらと輝いて見えた。

 カップに口をつけ、ゆっくりと傾けていき……ちびり、と飲む。

 直後、目を輝かせた。

 良い意味で予想を裏切るほど冷たい水が、唇を、口内を、喉を……心までをも潤してくれる。筆舌(ひつぜつ)に尽くしがたい爽快感が、じんわりと体中へ広がっていく。舌に残るは、ほのかな甘み。


「おいしい……」


 ほぅ、と多幸感に満ちた吐息がこぼれる。

 無論のこと、喉の渇きのせいもあったのだろう。それを考慮した上でも、これほどまでに水をおいしいと感じたのは初めてだった。


「ショコラちゃんも、なにかできたりするの?」

「ショコラは、怪我の治療とかが得意です」

「それに外傷の治りなんかも早いわよね。擦り傷なんて一瞬でなくなるし、病気にかかった姿なんて見たことないし。(うらや)ましいったらありゃしない」

「あぁー、ですねぇ。毒とかそういうのには強くなっちゃったみたいです」


 常時発動(パッシブ)で自己再生能力を持ち、状態異常に耐性がある治癒師(ヒーラー)さん。なにそれ強そう。


「へー、べん……」


 便利だね――反射的にそう言いかけて、言葉に詰まる。

 彼女らが持つ《フェイス》という能力は、『願望に呼応した能力が顕現する』と聞いた。

 つまり、そういうことなのだろう。


「大変……だったんだね」


 ――『極限状態に追い込まれると開花しやすい』なんて説もあったかしら。それに関してはあたしたちが実証済みだから、割と信憑性があるわね。


 傷が治り、病におかされないことを欲した。過酷で壮絶な日々があったからこそ《フェイス》を授かった。

 手放しで喜べることでも、幸運なことでもない。

 そんな能力がなければ、生きていけなかっただけ。


「……はい、まぁ」


 遠い目をしながらの、あいまいな苦笑。そんなショコラちゃんを見つめるマリーちゃんの瞳にも、かすかな(うれ)いの色が宿っている。

 ボクもそれっきり口をつぐんだ。これは自分ごときが安易に踏み込んでいい話題じゃないだろうと思って。


「さって、と。長話がすぎたわね。誰かさんのせいで」


 ご迷惑をおかけしました。椅子に座ったまま深々と頭を下げ、テーブルに()()()()()してしまう。


「これ以上お忙しいお客様に長居させるわけにもいかないわ。ちゃっちゃと作って、とっととお帰り頂かないとね」

「……」


 なんとも皮肉めいた口調。

 けっこう話し込んだのだから、少しぐらい心を開いてくれても――と一瞬だけ思うも、逆に心証を害す出来事しかなかった。もう一度、心の中で頭を下げる。


 マリーちゃんが料理を再開した。

 まず彼女の《フェイス》により炎を生み出す。次にその炎にかけたフライパンへ、生米と卵とトマトを適当にぶちまけ――……って。ちょっと待った。なんだあれ。

 ボクにだって多少は料理の心得がある。生米はまだしも、トマトはカットせずに丸ごとだし、卵に至っては割らずに殻ごとだ。あんな調理の仕方、素人目にもおかしいって一目でわかる。

 マリーちゃんのあまりに乱雑でワイルドなやり口に目をむいていると……不意に何やら、「ぽんっ」という音がした。


「……なんのおと?」


 水や油が跳ねたとか、そういう音じゃない。なんというか……とってもポップな音。少なくとも、料理の最中に聞こえてくるような音じゃなかったと思う。


「あと、よろしく」

「ふふー。ありがとです、マリーちゃん」


 そう言って、バトンタッチ。

 てっきり調理の続きを引き受けたのかと思いきや、


「どーぞ、召し上がってくださいな!」

「え……も、もうできたの?」


 調理はすでに完了していたらしく、盛り付けがショコラちゃんの担当だっただけらしい。

 しかし、早すぎる。調理開始から、およそ一分にも満たない。どこぞのファストフード店も顔負けな速度だ。

 度肝を抜かれながらも、ショコラちゃんから差し出された、()のひしゃげているスプーンを受け取る。次いでテーブルの上に提供された、端っこが一部欠けているお皿を覗き込む。

 大きく、瞠目(どうもく)した。


「こ、これはっ!?」


 視界に飛び込んできたのは、美しい楕円形(だえんけい)をした玉子。その下にわずかに顔を覗かせているのは、色鮮やかに赤みがかったご飯。

 たぶん、これは、おそらく。


「…………おむ、らい、すぅ?」


 思わず、間が抜けた声が飛び出す。


「オムライスっていうのね、それ。初めて知ったわ」

「えっ」


 作っておきながら、本人は料理名も知らなかったらしい。でも、少なくとも、見た目は完全にオムライスだった。

 だが、どう考えてもおかしい。ボクの知っているオムライスという料理はこんな速度で作れるものじゃない。それにフライパンへ投入したものだって色々と足りてなかったように思える。中でも最も足りてなかったのは下ごしらえだろうか。卵の殻や丸ごとトマトはあの短時間でどこへ消え去った。ともかくツッコミどころが多すぎて、発狂しそうだった。


「ささっ、どーぞどーぞなのです」

「う、うん……い、いただき、ます……」


 おそるおそる、スプーンで玉子を割る。ふわっふわで、とろぉっとした、見るも鮮やかなビジュアル。それだけでも強烈に食欲をそそられる。

 スプーンをさらに深くまで入れ、下に隠されていたものが徐々にあらわにされてくると……やはり改めて目を見張る。

 姿を見せたのは、どこからどう見ても、れっきとしたチキンライスだ。

 あり得ない。絶対におかしい。丸ごとトマトと生米から秒でチキンライスが作れるなんて裏技、聞いたこともない。そもそも玉ねぎやピーマン、ひき肉らしき物体が見えるのはなぜだ。いつの間に紛れ込んだ。

 発狂しそう、という先ほどの認識はどうやら誤りだったようだ。間違いなくボクはすでに発狂している。これらすべてが幻覚かなにかなのだろう。


「あんたが何をそこまで驚いてるのかわからないけど。何かおかしいとこでもあった?」


 器を()めるように見回してしまっていたせいか、マリーちゃんがほとほと呆れている。


「い、いやー……」

「早く食べないと冷めるわよ」


 言って、後片付けを始めた。洗い物に使用するのはもちろん、《フェイス(じまえ)》の水。

 遅ればせながら、はたと気づいた。

 これは彼女の『料理』ではない。一見、料理に思わせた、彼女の持つ《フェイス》という能力による産物……ということなのだろう。

 マリーちゃんには聞こえない声量で、


「大丈夫なの、これ?」


 と、ショコラちゃんに耳打ちする。


()()保証しますよ。天にも昇るおいしさです」


 なんだか、やや違和感がある言い方だったような。気のせいか。


 いまいち()に落ちなかったが、改めてオムライス(?)と対峙した。

 馥郁(ふくいく)たる香りが鼻孔(びこう)をくすぐる。それはボクもよく知る、オムライスそのもの。

 しばらくにらめっこをしていると、予想以上にお腹が空いていたのか、無意識にごくりと生唾を飲み込み、手が勝手に動きだしてしまう。

 オムライスをスプーンですくう。それがゆっくりと口元へ運ばれてくると、自動ドアのように口が開かれ……ぱくっ、と含む。


 瞬間。鋭い衝撃がボクを襲った。


 ひと噛み。脳天に雷が直撃する。

 ふた噛み。電撃を帯びた血が全身を一気に駆け巡る。

 三度咀嚼(そしゃく)する頃には、とある四文字に思考のすべてが支配された。


 ――おいしい。


 今までに出会ったオムライスの中でも――否。これまでの人生で食してきたどんな料理よりも、おいしい。比べものにならないほど、おいしい。

 ごくん、と大仰(おおぎょう)の飲みこむ。精神が、脳がとろける。身体の感覚が薄れていく。

 味覚以外の五感が完全に麻痺した。オムライスが触れた部位だけにのみ……口内に始まり、食道を通り、胃に至るまでの消化器官にのみ、全神経が集中する。


 ――おいしい。


 それしか考えらないが、そんな言葉ではとてもとても足りない。

 心を奪われる。骨抜きにされる。魂が浄化され、昇天していく。

 天にも昇る味とは、まさしくこのオムライスのためにある賛辞だった――


「…………?」


 いつのまにやら、目の前には幻想的なお花畑が広がっていた。

 小首をかしげつつ、きょろきょろと見回すと、そのお花畑の真ん中に立つ、いくつかの人影をみとめた。

 目を凝らす。だんだん、その人影の正体が明らかになってくる。

 息をのんだ。

 まさか、と思う。そこにいるはずがないのだから。

 でも、とも思う。見紛(みまが)いようなどなかったのだから。

 懐かしくて、恋しくて、うれしくて。こらえようもなく目頭(めがしら)が熱くなる。

 そこにいたのは――ボクの、だいすきな家族たちだった。


「お婆ちゃん……お父さん、お母さん……それに、瑠奈(るな)……」


 みんなが、ボクを呼ぶ声がする。

 みんなが、笑顔で手を振っている。



 ああ……ボクもいま、そっちに()くからね――


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