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ボク、おかーさんになりました。  作者: 紺野咲良
2章 路地裏の少女たち
8/16

2-3

 ずいぶんと幼い声を背に受ける。ここの主だろうか。


「あ、ごめ――」


 謝罪しようと振り返ったボクは、絶句した。

 そこにいた女の子の年頃は十歳そこそこ。チョコレートみたいな色をした肩よりも長い髪、それと同じ色の瞳。使い古された衣服はほつれや汚れが目立ち、あまり裕福な生活をしていないことが一目で見て取れる。


「何か用……ですか?」


 女の子の身なりもなかなか衝撃的ではあったが、最大の衝撃は別のところにあった。

 驚いたことに、その子の頭には耳が生えていたのだ。まるで猫みたいな耳が、時折(ときおり)ぴょこぴょこと動いている。


「あっ……」


 ボクの熱っぽい視線に気づき、耳を押さえてうつむいてしまう。


「ご、ごめんね。じろじろ見ちゃって。初めて見たから」

「そ、そうなのですか」

「うん。キミみたいな子って、他にもけっこういたりするの?」

「……あまり、いないと思いますけど」

「そうなんだぁ……ざんねん」

「……?」


 きょとんとして首をかしげ、目をぱちくりさせている。そんな反応をされるほど、おかしなことを口走ってしまっただろうか。


「あ、あの……ざんねん、というのは……?」

「え? 会ってみたいな~って思ったんだけど」


 一度は諦めた異種族との邂逅(かいこう)。実に喜ばしい限りだが、欲を言えばもっと色んな子の姿も拝んでみたい。そういった思いからこぼれでた言葉だ。


「それだけ……ですか?」

「うん?」

「ショコラのことを見て、なんとも思わないのですか?」


 急に繰り出された甘そうな名詞に首をひねるも、どうも自分の名をそのまま一人称にしているらしいと思い至る。『ショコラ』というのがこの子の名前なのだろう。


「んん~……」


 この子が何にとまどい、どんな答えを求めているのかがわからない。

 なので、ここは率直な感想を述べてみることにした。


「かわいい」

「……はい?」


 ぽかんとされる。


「すーっごく、かわいい!」


 ならば今一度と、先ほどよりも感情を込め、声を大にして言い直す。

 もう少し気の()いた表現ができればよかったのだけど、この感激を前にしてはボクの貧弱な語彙力(ごいりょく)などたやすくお亡くなりになってしまう。致し方ないことなのだ。

 ボクの発言に面を食らったのか、しばらく固まってしまっていたショコラちゃん(仮)だったが……不意に、ぷっと吹き出した。


「おかしな人、ですね」


 そう言って、花が咲くように笑う。『おかしな人』というのは少々心外ではあるものの、ようやく警戒心を解いてくれたみたいなので良しとしよう。


「ボクはリンっていいます。キミは?」

「ショコラ、と申します」


 やっぱり、と小さく笑う。


「ショコラちゃんは、ここでなにをしてたの?」

「いまはお掃除をしてました」

「掃除って、ここの?」

「はい。ここに住んでますので」


 予想外の発言が飛び出した。


「住んでる……?」

「はい」

「キミ一人で? 大人の人とかは?」

「二人でです。子ども二人で、ですけど」


 こんな幼い子が、こんな場所に、子ども同士二人っきりで。

 身なりからも薄々察していたけれど……孤児(みなしご)、というやつなのだろうか。


「あ、それと……お店を開いてたり……なかったり、ですね」


 歯切れも悪く、苦笑いを浮かべながらそんなことを言う。


「お店?」

「はい。お料理を提供させていただいてるのです」


 改めてこの場を見渡してみる。

 言われてみれば――そして、かなり好意的に見れば、そう見えなくもない。とてつもなく味のある、オープンテラスの飲食店。そんな感じに。


「ほえー……その歳で……すごいなぁ」

「ほめていただけるようなことでもないのですけどね」


 真意がいまいち読み取れない、再びの苦笑い。

 この世界ではそう珍しいことでもないのかもしれない。ショコラちゃんのような歳の子が、自分たちで生計を立てるという話も。……それだけ困窮(こんきゅう)した子どもたちが多くいる世界なのかな、なんて不安もよぎる。

 しかし、失礼だろうけど……こんな路地裏の最奥(さいおう)な上に、これほどまで独特な味があるお店。本当にお客さんなんて来るのだろうか。


「あっ、よかったら、何か食べていかれますか? ちょうどもうじきお昼時ですし」

「いいの?」

「もちろんです、大歓迎なのですよ」


 そういえばこの世界に来てからまだ何も食べていない。歩きづめだったために、すっかりお腹もぺこぺこだ。

 それに、このお店がどんな料理を出してくれるのか純粋に興味もある。ついでに、この世界の食事情だって知りたい。違う地域の料理がちゃんと口に合ってくれるかどうかって、すっごく大事。


「ふっふー。こんなに大きなお客さまは初めてです」

「大きな?」

「はい。普段は子どもたちがお客さまですから」

「そ、そうなんだ……」


 ほんのちょっぴり嫌な予感がして、表情が引きつってしまう。

 もしかしたら、遊び感覚――いわゆる〝おままごと〟感覚だったりするのだろうか、と。

 どうしよう。食べられない泥団子や、心のきれいな者にしか見えないジュースなんかを出されたら。無為(むい)に歳を重ね、すっかり汚れてしまったボクには、この子を傷つけないよう上手く演技できる自信がさっぱりなかった。


「マリーちゃーん?」


 ショコラちゃんがこちらに背を向け、声を張る。口にしたのは、たぶん一緒に暮らしているというもう一人の子の名前だろう。

 全然関係ない話ではあるが、ショコラちゃんのお尻には尻尾もちゃんと生えていた。触れてみたい衝動に駆られたのか、無意識にそろりそろりと伸びてしまっていた右手を、左手でべしんと引っ叩き、たしなめる。


「なによショコラ……って、あんた誰?」


 そう言いながら奥からのそのそと姿を現したのは、ショコラちゃんと同い年ぐらいの女の子だった。

 背格好や身なりはショコラちゃんと似通っていた。真珠のように白い髪は背丈に匹敵するほど長く、腰の辺りで粗雑(そざつ)に一つにまとめてある。前髪の長さも同様で、片目がしっかりと覆い隠されてしまっているほどだ。残った側の落ち着いた光を灯す青の瞳が、歳不相応(ふそうおう)に大人びた印象を与えている。


「こちら、お客さまのリンさんなのです!」


 なんとも得意げに、元気よく紹介してくれる。初めて迎える大人の客がよほど嬉しかったのかなと、頰が緩んだ。

 が、逆に気は一層引き締める必要がある。あまりおいしくない料理を出されたとしても、お腹の膨れない()()()()を出されたとしても、この子たちを落胆させるようなことは絶対にあってはならないのだ。


「よろしくね。マリーちゃん、でいいのかな」


 笑顔で挨拶をするボクに、マリーちゃんは一瞥(いちべつ)だけくれると、


「帰って」


 そう言い、しっしと鬱陶(うっとう)しそうに手を振ってきた。なぜだ。


「ほーら、そんな無愛想なのはだめです。お客さまの前なのですから。もっと笑顔、笑顔」

「大人はお呼びじゃないの。いいから、さっさとお帰り願って」

「まぁまぁ、そうおっしゃらずに」


 なだめようとしてか、肩を揉み、ほっぺたをつんつんするショコラちゃん。逆効果だったらしく、苛立(いらだ)たしげにその手を振り払うマリーちゃん。


「ってか、そもそもなんであんたも平然と客になってるわけ?」

「えっ、ボク?」


 唐突ににらみつけられ、たじろいでしまう。


「あんたに決まってるでしょ。このご時世、あたしらに好き好んで近づいてくるような非常識な大人、初めてお目にかかったわ」

「え、えぇと……?」


 言葉の意味がうまく()み取れず、うろたえる。


「こう見えてリンさん、実は少し大きいだけの子どもなんですよ」

「さすがに無理があるわよ」


 ショコラちゃんがせっかく出してくれた助け舟も、即座にばっさり。いや、『子ども』でまかり通ってしまっても悲しいだけだからいいんだけど。


「でも、悪い人じゃないと思いますよ?」

「どう見ても悪いでしょ。()()

「あ~。あはは、それはそですね」


 あっさりと納得される。なにゆえ。

 自分でも賢い方だなんて思えないけど、出会ったばかりの子どもたちに揃って言われたら、さすがに傷つく。


「……ま、害にはならなそうだし。ちょうど片付けも終わって暇してるから、特別にいいわ」


 がっくりと肩を落としていると、マリーちゃんは毒気を抜かれた様子でため息をついた。きっとボクは相当情けない表情をさらしてしまっていたに違いない。


「さっすがマリーちゃん、とってもとーってもやさしいです」

茶化(ちゃか)すならやめるわよ」

「ごめんなさいでした」


 口では謝りつつも、ショコラちゃんの笑顔は絶えない。二人の関係性がうかがえる、なんとも微笑ましいやり取り。


「食べたらさっさと帰ってね」


 マリーちゃんが半目(はんめ)でこちらを見据(みす)えて釘を刺す。


「う、うん。ありがと――」


 発言の途中で、ふと重大な問題を思い出し、さーっと血の気が引いた。


「ごめん! そういえばボク、いまお金持ってないんだった……」


 飲食店を訪れるにあたって、根本的で致命的な大問題。これでは頭が悪いと言われても返す言葉がない。

 誠に口惜しいが、この場は諦めるしかないだろう。重ねて詫びを入れ、後日に出直す(むね)を告げようとしたら、


「お金なんていらない。どうせ、()()()()()()()()()()()()


 と、マリーちゃんが吐き捨てるように言った。


「……お金が? 価値がないって?」


 問い返しても、二人は答えない。無言で顔を見合わせ、マリーちゃんが首を振る。ショコラちゃんが頷きを返す。

 そんな二人の様をわけもわからず見守っていると、代わりにとこんな提案をされた。


「だから、物々交換でいいわ」

「ですです、子どもたちにもそのようにお願いしてますから」


 ぴしっ、と音を立てて表情が凍り付いた。


「も、もの……」

「なんでもいいわよ。何か一つぐらい持ってるでしょ?」


 念のため、一縷(いちる)の望みを託して、ぽんぽんと自分の身体を叩く。お尻、腰、お腹。……当然、何も無し。

 次いで、胸――を叩こうとして、その手に急ブレーキがかかった。

 なぜならば、男の頃にはなかった膨らみがあることに、すんでのところで気づいてしまったからだ。自分の身体なのだから、ためらう必要などないのだろうけれど。それでもやはり後ろめたいというか、なんというか。

 どうでもいいことで時間を食ってしまったが、結局、案の定、きれいさっぱり何も持っていなかったことの確認が取れただけ。


「……なんにもなさそうです?」

「あ、あはは……」


 乾いた笑いがこぼれる。

 子どもたちでさえ、完全なる手ぶらだった例などないのだろう。それを、あろうことか、大の大人が。


「……これだから大人ってやつは」


 まことに面目(めんぼく)ないです。穴があったらただちに飛び込みたい。


「まあ、それでしたら、ここは貸し一つということで。いまは持っていないというだけでしょう? またあとでなにかしら届けてくだされば構いませんから」

「ショコラちゃん……」


 なにこの子めっちゃやさしい。自分の情けなさも(あい)まって、涙腺が緩んできてしまう。


「ショコラがそれでいいなら別にいいけど。大人が約束なんて守ると思う? 逃げられて終わりじゃないの」

「リンさんは、そんなことをされる方なのですか?」

「うっ」


 純真無垢な、きれいすぎる瞳で真っ直ぐに見つめられ、気圧(けお)される。


「あ、あとでいいなら……必ず」


 反射的にうっかり頷いてしまったけれど……いいのだろうか。宿無し文無しの素寒貧(すかんぴん)だというのに。無責任にもこんな約束をしてしまって。

 内心頭を抱えるも、撤回するわけにはいかない。言語道断だ。このやさしくて純真な子が落胆する姿が目に浮かぶ。

 男に二言は無い。いや、女の子になっちゃったけど。ちゃんと心はまだ男だし。


「ほら、ほら! マリーちゃんマリーちゃん!」


 満面の笑みを浮かべ、ピョンピョンと飛び跳ね、全身で喜びを表現するショコラちゃん。


「期待しないで待っておくわ」


 マリーちゃんが大人びた仕草で肩をすくめ、小屋の方へとすたすた歩いていく。


「あっ、リンさんは期待しててくださいね。すごいんですから、マリーちゃんの料理」

「へぇー。楽しみだなぁ」


 手振りで案内され、大きな丸テーブルのかたわらにあった椅子の前に立つ。

 普段は子どもたちがお客さまなのだと言っていた。ならば、大人がこれに座るのは初めてだろう。女の子(いまのボク)の体重がどんなものか知らないけれど、さすがに子どもよりはあるはずだ。

 つまり、この椅子にとって未体験の負荷を与えることとなる。

 最初は足にしっかりと力を込めながら、おそるおそる静かに腰を下ろす。徐々に足の力を抜いていき……ほっと一息。思った通り少しガタつきはするものの、潰れる心配まではなさそうだ。


 安心したところで、マリーちゃんの手際を拝ませてもらおうと視線を移す。

 おそらく調理台であろう、木製の台の上に見える材料らしき物は……生米と、卵と、赤い物体。たぶん、トマト。

 それだけでは何を作ろうとしているのかがわからない。あの材料から、あの小さな手から、いったいどんな料理が生み出されるのか。一抹(いちまつ)の不安がよぎるも、それを差し引いても有り余るほどに胸が(おど)っている。

 ……が、次の瞬間。ボクは目を疑った。

 マリーちゃんが、あちこちが凹んだり、ゆがんだりしているフライパンを手に取り、お腹ぐらいの高さで握る。そして、右手をその下へかざすと、


 ――()()()()()()()()


「……へっ?」


 目をしばたたかせ、ごしごしと擦る。見間違いなんかじゃなく、突如(とつじょ)としてどこからともなく発生した炎だけが、確かに宙に浮かんで留まっている。

 その光景は、まるで手品。もしくは心霊現象。はたまた、あるいは、


「すっごい、なにそれ! ()()?」


 感激のあまりボクがそう叫んだ途端、マリーちゃんがぽかんとして手を止め、そこにあったはずの炎が音もなく消えてしまった。


「あ、あれ?」



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