1-3
「――笑えないな」
突如、セレナさんが不機嫌をあらわにさせる。
「えっ……」
ただならぬ雰囲気に気圧され、言葉を失う。
「そりゃ、よくやったと褒めてくれるだろう。温かく迎え入れてくれるだろう。――表向きは、だ」
「……」
「無我夢中だった。なら、しょうがないのかもしれない。でも、できることなら……まず第一に、どうにかして、オマエ自身の命を守ろうと行動してほしかった。……それが家族としての本音だろ」
「……」
「オマエにはもっと生きてほしかったって思ってるに決まっている。こんなにも早い黄泉での再会なんて、望んじゃいないんだ」
セレナさんの言う通りだった。
逆の立場に置かれたとき……仮に家族が存命だとして。今回のような事故に遭ったのが、ボク以外の家族の誰かだったとすれば。その際に他者をかばい、怪我を負ったり……あまつさえ、命を落とすようなことがあれば。その行いを、ボクは素直に褒められるだろうか。
少なくとも、笑える自信はない。家族の死を嘆く気持ちの方が、圧倒的に強いに決まっているから。
「それにな。あの女の子の立場だって少し考えてみろ。あんな小さな体に『オマエの命』なんつー、とんでもないもんを背負わせたことになるんだぞ?」
またしても絶句してしまう。
実際には、たまたま勝手に体が動いてしまっただけだ。自分を犠牲にしてでも女の子のことは助けたかっただとか、そんな勇敢な話じゃない。けれど結果として、女の子に、その家族に、ボクという存在を植え付けてしまった。
見知らぬ誰かの死。そんな重荷を押し付け、背負っていく覚悟や責任を強要してしまった。
「人を助けることは、良くも悪くも誰かの運命を変えてしまう。ちゃんと念頭に置いておけ。伴うリスクも、その後のことも」
ボクのことなんかすぐに忘れてくれていい。命あることを手放しで喜んでほしい。
それらもまた、ボクの勝手な願いなわけで。こちらの都合を押し付けてしまっていることに変わりはない。
「ゆめゆめ忘れるな。人を助けるってのが、どういうことかを」
正直、浮かれていた。人生最後にして最大の善行と思っていた。いっそ英雄にでもなったつもりでいた。
しかし、蓋を開けてみればどうだろう。円満に幸せな結末を迎えた者なんて、どこにもいない。
「ごめん……セレナさん」
あまりに浅はかで愚かだった。忸怩たる思いに苛まれ、しょげる。
「こっちこそ悪かったな。説教臭くなりすぎた」
「ううん。ありがとう、大切なことに気づかせてくれて」
浮かれた気分のまま、家族に会わずに済んでよかった。心からそう思う。
おそらく、みんなの胸中など露知らず、空気を読まず、照れくさそうに、得意げな顔をしていたに違いなく。そんなボクの姿を見ては、叱ることはおろか悲しむことすらもできず、余計にみんなを苦しめてしまっただろう。
「オマエが褒められたことをしたのは確かなんだ。もう少し慎重に事を運ぶようにすればいい。とりあえず自分の身を大事にして、誰もが笑っていられるよう気を張れってこった。――次は、な」
ぽんぽんと肩を叩きながらの、あっけらかんとした口調。慰め、励ましてくれようとしていることは伝わってくる。
けれど……最後の一言には、逆に下を向いてしまう。
「次……なんて、あるのかな」
ボクの人生は終わったんだ。
この先に何が待ち受けているのか、わからない。けれど、次の機会などというものがあるとは、到底思えなかった。
「あるんだよ」
セレナさんの断固とした口調に、弾かれたように顔を上げる。
「なんでこうして会いに来たと思ってる? 凛。アンタには、もう一度生き直してもらう。アタシの世界でな」
唐突な申し出に、目をぱちくりさせる。
「……本当に?」
「それはアタシの力を疑ってんのか? 喧嘩なら買ってやるが」
「いやいやっ、そ、そんなことは……!」
疑う気持ちが少なからずあったのは確かなので、強く否定はできなかった。
だって、そんなの常識的に考えてありえないし。でもよくよく考えてみれば、こんな状況に置かれていることだって、ボクの常識からはすでに大きく外れているのだけど。
「……いいの?」
なかば無意識に、そんな台詞も口からこぼれる。そのような恩恵に授かる権利がボクなんかにあるのか、疑問で不安で仕方なくて。
「いいも何も、そのためにこうして貴重な時間をさいてるんだろ」
「でも……」
「断るとか言ったら殺す」
「ひっ!?」
清々しいまでの物騒な言動。なんでボクは、数分間でもこの人のことを女神さまだと思い込んでしまったのだろう。
というか、そもそも……あれ。ボク、死んでるんじゃないっけ。
「気にすんな、細かいこと」
表情から読み取ったのか、心を読まれたのか、諭される。
「で、どうすんだ? 断るか?」
あまり考えたくないことだけれど、その問いは『死ぬか?』と同義なのだろう。
なんでボクが、とか。これは何かアブナイ契約なんじゃないか、とか。そういった困惑や不安は、もちろんある。
けど、いくら優柔不断なボクでも、この問いに対する返答ばかりはそう悩む必要もなく、すぐに決まった。
「ううん。断るだなんてとんでもない……願ってもないよ」
悔いはなくとも、死にたい理由なんてもっとない。
ボクとしては会いたい気持ちが若干あるけれど、家族はまだそれを望んでいないということも、セレナさんが教えてくれた。
多少怪しくとも、多少強引でも。生かしてくれるというなら、断る道理なんてなかった。
「よっし、決まりだな」
「よろしくお願いします」
ぺこり、頭を下げる。
「んじゃあ、どんな人生を歩みたい? せっかくだから色をつけてやるよ」
「色?」
「オマエの希望に沿えられるよう、適当な能力でもあしらってやるってこった。アタシができる範囲でな」
「……そんなことまでしてくれるの?」
再びの生を与えてくれるというだけでも、おそれ多いというのに。ますますもって恐縮してしまう。
「いいからさっさと言えって。アタシの気が変わらないうちに」
「じ、じゃー……えぇっと……」
急に言われても、ぱっと浮かぶはずもなく。
「とりあえず何でも言ってみていいんだぜ? 大金持ちになりたいとか、空が飛べるようになりたいとかな」
例として挙げられたものも結構いいなと思ってしまい、今度は逆にやりたいことや欲しいものが湯水のように溢れてくる。どれもこれも惜しくて、到底選べそうもない。自分の優柔不断さが本当にうらめしい。
「んん~…………」
しばしの間、腕を組み、天を仰ぐ。
気づけばセレナさんも同様に腕を組んでいたが、とんとんとんとん……と、指で自分の腕をつつき、足先も同じリズムでぱたぱたさせている。絶対にイライラしているやつだこれ。
「あ~……じゃあ、あれか? 『女と手を繋ぎたい』ってやつにしとくか?」
「……へっ?」
一向に答えの出せないのを見かねてか、セレナさんがからかうような口調で、度肝を抜かれることを言い出した。
「最期の望みだったろ、オマエの。いやー、傑作だったわ。あわれすぎてマジウケる、草生える」
「な、なんでっ……!?」
「なんで知ってるか、か? 知ってるって言ったろ、何でもな。エセ女神なめんな」
むしろ本格的に悪魔的な何かに見えてきた。何をどこまで知られてるかと、気が気じゃなくなる。
「ぶっちゃけると、それはオマエがさっき寝言で口走ってただけなんだがな」
「――ぶっ!? げっほ、ごほごほっ!」
不意打ちで追い打ちを食らい、目に涙さえ浮かばせて盛大に咳き込む。
「オマエ、寝てた方が素直なのな。他にも色々と言ってたぜ? なんでも――」
「わーっ、わぁぁーーーっ! やめてっ、言わないで、ぜんぶ聞かなかったことにしてぇー!!」
一体全体、ボクは何を口走ってしまったのだろう。気にはなるが、それを知ってはきっと死ぬ。恥ずか死ぬ。いま死んでようが構わず死んじゃう。
「チッ。しょーがねーなあ、勘弁しといてやるよ」
「うぅ……ありがたき幸せ……」
「今は、な」
「……」
これは『またあとで弄んでやるぞ』宣言だろうか。
確信した。悪魔だ、この人。
「ん。ほら、手」
そう言いながら急に手を差し出され、ビクっとわずかに後ずさる。
「な、なに?」
「繋いでみな」
手が出ないどころか、逆に引っ込んだ。正直怖い。この人への不信感が募りに募って、何されるか不安で仕方がない。
「なんだよ。アタシの手じゃ不満だってのか?」
「……滅相も御座いません」
断ればそれこそ何されるかわかったもんじゃない。渋々ながら、おそるおそる、断頭台に上がる気持ちで手を伸ばす。
白魚のような指――とは、まさしくこのことをいうのだろう。透き通るように白く、すらりと長い指。力加減を誤れば壊れてしまいそうな手を、きゅっと握ってみる。驚くほどすべすべしていて、やわらかくて……体温としてはボクよりも冷たいはずなのに、どことなく温かい。
性格は悪魔のようでも、風貌だけは女神のようで。こうして触れてみれば、やはりそれは女性らしいもので。否が応でもどぎまぎしてしまうし、握る手にじわりと汗がにじむのさえ感じる。
「この手で何ができると思う? その命で、何ができると思う?」
セレナさんが、ぐっと力を込めて、ボクの手を握り返してきた。
「なんだってできるんだ。オマエが望むならな」
「なんでも、できる……」
「そうさ。オマエは、どんな生き方がお望みだ?」
再び、じっと考え込む。
運動や料理、音楽や絵画の才能。そういった一芸に秀でるのが無難なところだろうか。どれもこれもボクには無縁だったもので、純粋な憧れがある。
ただ、それらよりももっと強い憧れがあるのは……先ほどセレナさんが挙げた、『空を飛ぶ』類のもの。いわゆる、魔法のような特殊能力。そうなってくると、選択肢や悩み事が急激に膨らんでしまう。
せっかく頂戴した能力がさほど役に立たないものや、需要がないものでは悲しい。それに、世界観にあまりにそぐわないもの……例えばオーバーテクノロジーなんかは避けたい。悪目立ちをするのも嫌だし、能力を扱うことを渋って宝の持ち腐れになってしまうのも困る。
セレナさんと相談しながら決めればいいのかもしれないけど、この人がまともに取り合ってくれるかは、はなはだ疑問で。『メンドーくせえ』と一蹴されそうな気がしてならないし。
だから、慎重に、厳正に――とはいっても、このままではいくら時間をかけたって……いや、時間をかければかけるほど、どつぼにはまってしまいそうだ。
どんな技能があれば、新たな世界で労せず暮らせるだろう。
どういったことを望めば――楽に、生きられるのだろう。
そこで急激な違和感がボクを襲い、はっと息をのむ。
「……楽に、生きる……?」
それは違う。そう、心が訴えかけてくる。
『楽して』生きたいんじゃない。『楽しく』生きたいんだ、って。そう、心が声高に主張してくる。
一番大事なことを履き違えていた。そこさえ見誤らなければ、こんなにも簡単な話だった。
ボクが渇望し、切望し、こいねがう。そんなこと、はなから一つしかなかったんだ。
「決まったみたいだな」
ボクの顔つきの変化を目ざとく察知したのか、セレナさんが小さく笑う。
「うん」
力強く、頷きを返した。
すぅー……っと、大きく息を吸い込み……ゆっくり、吐き出す。セレナさんの目を真っ直ぐに見つめ、意を決して口を開く。
ボクが叶えたい一番の願望。ボクがもっとも楽しく生きられる人生。それは――!
「女の子と……い、いちゃいちゃ、して……生きたいな~……な、なんてっ」
煩悩まみれの人生がお望みだったようです。大変お恥ずかしながら。
「んん? なんだって?」
意気込んだわりに、結局目をそらしてしまったうえ、蚊の鳴くような声しか出せなかったためか、セレナさんの耳にはちゃんと届いてくれなかったようだ。
「だから、その……い、いちゃ……」
「もっとはっきり言えっての」
「う、うぅ……」
体が熱い。特に顔が。
絶対に真っ赤になってしまっている顔を見られたくなくて、うつむく。
「おい、凛?」
セレナさんはそれを逃すまいとして、ずいっと詰め寄ってくる。顔を覗き込まれると、我ながら心配になるほど全身がぷるぷると震え、嫌な汗がぶわっと噴き出してくる。
これはちゃんと言い直すまで解放されそうもない。もうどうにでもなれと、目をぎゅっと閉じ、懸命に声を絞り出した。
「お、女の子と……いちゃいちゃ……して、生きたい……です」
「は?」
ぽかんとした顔をされる。
そして、しばし固まるセレナさん。
永遠とも思える、地獄のような時間。
頭がぐつぐつと煮えたぎる。視界がチカチカする。意識が遠のく。このままでは本気で恥ずか死んでしまいそうだ。
再び目を強く閉じ、この悪魔のような偽女神さまに、どこまで熾烈な形相をされるのだろう、どんな侮蔑の言葉を浴びせられるのだろうとビクビクしながら、じっと耐え続けた。
「ああ……そういうことか。ま、そういうこともあるよな」
ようやく得心してくれた様子のセレナさん。意外にも拍子抜けしてしまうほどのあっさりとした反応に、ほっと胸を撫で下ろす。
「あ、当たり前でしょ」
緊張から一気に解き放たれた反動か、開き直って唇をとがらせる。
かわいい女の子と、よろしくやりたい。男として生まれたなら持って当たり前の願望のはずだ。絶対にボクは間違ってないと、こればっかりは断言できる。
「オーケイ、わかった。オマエの望み、叶えてやる」
セレナさんが、パチンと指を弾く。
直後、眩い光が辺りを包んだ――――
◇ ◇
「――――……ん」
うっすらと目を開ける。目に飛び込んでくるものを一つ一つ認識していくにつれて、ぼんやりとしていた頭が徐々に覚醒していく。
まず、辺りの風景ががらりと変わっていた。今の今まで視界を占めていた真っ暗闇と打って変わる、溢れんばかりの陽の光。透き通るような空の青。生い茂る豊かな緑。
ここが、どこなのか。そんな当たり前のことを考えるより先に、ボクの意識はとある存在に釘付けになってしまう。
ボクの目の前には、女の子が立っていた。
年頃は二十歳ぐらい。ツーサイドアップにされた、藤の花を思わせる青紫色の長い髪。アメジストを埋め込まれたかのような輝きの瞳。その体躯すべての造形に非の打ちどころがなく、まるで人形のようで。百人に問えば百人が『美少女だ』と即答するであろう、見たこともないほどかわいい女の子だった。
ただ少しだけ、何か引っかかるものがある。
人形のよう――先ほどそう思った最大の理由として、女の子はこの間、瞬き一つしなかったのだ。
結構な時間たっぷりと見入ってしまったはずなのに、魂が抜かれてしまったかのように微動だにしない。……ちょうど、この女の子に心を奪われていたボクのように。
かと思えば、突然ややぎこちない笑みを浮かべた。……いたたまれなくなり笑顔を作ってみせた、ボクと寸分たがわぬタイミングで。
さすがにそこで本格的に訝しみはじめ、首を傾げる。自らの頰に手の平をあてる。それらの動作が、またしてもシンクロした。
無意識に女の子へ向け、手をのばす。女の子も、ボクへと手をのばす。ゆっくり、ゆっくり……言わずもがな、それはまったくの同じスピードで。
やがて、その指先同士が触れた――瞬間、気づいてしまった。
目の前にいたのは……否、あった物の正体は、大きな鏡。いわゆる、姿見。
つまるところ、美少女の正体とは……他でもない、ボク自身だった。




