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「はぁ……」
もう何度目かわからない、ため息がこぼれた。こんなにも賑やかな街中まで、意気揚々と遠出したことを少しだけ後悔する。
周囲には目まぐるしいまでの人、人、人。それに比例して、すれ違うカップルの多いこと多いこと。あちらでは仲睦まじそうに談笑していたり、こちらでは人目もはばからず手を繋いでいたりして。
「いっくら肌寒くなってきたとはいえさぁ……いっくらクリスマスが近づいてきたとはいえさぁ……」
死んだ魚のような目をしての、呪詛のようなつぶやき。
時期的に否応なく増えるカップル。そのこと自体を非難するつもりはない。リア充爆発しろ、なんてことも願ったりしない。
願うとすれば、ただ一つ。
「あー……ボクも、彼女欲しいなぁ……」
ボクは生まれてこの方、異性と交際した経験がない。
つまり彼女いない歴二十四年なわけで。その原因は考え出せばキリがないが、優柔不断だとか、なよなよしているだとか、そういった内面的な女々しさはまず第一に挙げられるだろう。
そして、ボクがもっとも致命的だと思うのは……顔が、男らしくないこと。
より直接的な表現をすれば、女顔なのだ。
学生時代には、そのことでイジられることが日常茶飯事だった。幸い悪意をもって接してくる人はいなく、イジメというレベルにまでは至らなかったが、男子にも女子にも散々にからかわれた。
大人となった今でも、初対面の人の半数近くはボクを女だと勘違いしてしまうし、性別を知られたところで、女性に異性として見てもらえたこともない。
「はぁぁ~……」
今日一番の、盛大なため息がこぼれた。
とぼとぼと路線バスに乗り込み、帰路につく。
内装はロングシートタイプ。乗客数はほどほどで、座席はたっぷりと空いていた。これならば気兼ねなく座ることができると、ちょっとだけ得した気分になる。
適当な席につくなり、それまで手にさげていた袋を大事そうに抱え、何気なくチラリと中を覗き込んだ。
「……ふふ」
途端、それまでの落胆っぷりもどこへやら。表情も口元もだらしなく緩みだしてしまう。ボクの傷心を癒してくれるのは、やはりいつだってこれだ。
中身は、漫画やライトノベルが十冊近く。気軽に来れる距離にあるお店でもないため、こうして出向いた際には、ついついこのぐらい買ってしまう。
その内訳としては、購読している作品の新刊に、以前から知っている作者さんの新作、今日たまたま目に留まったジャケ買いのものと、様々だ。
共通点を挙げるとすれば、主な登場人物の年齢が十代の女の子たちであること。そして、同性同士の恋愛要素がある……いわゆる百合成分を擁する作品であること。これらの作品自体は、ほんのわずかなサービスシーンがある程度で、いたって健全な作品ばかりだ。
ただし、お目当てであった店舗購入特典の方は一味違う。
ポストカードやミニ色紙のイラストは、衣服のはだけ具合がだいぶ際どいし。特にタペストリーなんて、この場ではとてもとても広げられないぐらいだったりして。なんでこれらにR指定がないんだろうって不思議なぐらいの代物だ。
当然、買うにもかなりの勇気が必要だった。怖くて終始うつむきがちで、一切目を合わすことができなかったけど……レジ対応してくれたお兄さんは、ボクのことをどう思っただろうか。
カゴの中に積まれた大量の本。表紙には美少女が描かれているものばかり。それに付随する特典を用意してくれている間、二度見どころか六度見ぐらいされた気がする。
量が量だ。それを驚かれるのは仕方がない。煙たがられるのも仕方がない。そういう理由ならば、甘んじて受け入れよう。ほんとごめんなさいでした。
ただ、そうじゃない場合。目下、ボクがもっとも気になって止まないこととは。
ボクのことを、『どっち』だと思ったのだろう……ということ。
「ママー、あのおねえちゃん、かわいーね~」
対岸側の席にいた女の子が、ボクを見てはしゃぎだす。
「あら、ほんと素敵な笑顔ね。何か良いことでもあったのかしら。でも、ダメよ? 人を指差したりしちゃ」
「は~い」
その子のお母さんがこちらに顔を向け、「ごめんなさいね」と会釈をしてくる。
ボクはそれに対し、ぎこぎない笑顔しか返せなかった。
――また、間違えられた……。
ショックだった。人目さえなければ、いっそ大声を上げて泣き叫びたいぐらいに。せっかく回復した気分も、限りなく奈落の底に近い位置まで突き落とされてしまう。
子どもの純粋さって、時としてすごく残酷だと思う。でも、お母さんすら何の疑いも持ってくれなかったことの方が、ダメージが大きかったかもしれない。
「あ、こら。うろちょろしないの。危ないわよ」
赤信号で停止したのを見計らってか、さっきの子が席から離れ、ぴょんぴょんと飛び回る。
「え~」
口では不服そうでも、おとなしくお母さんの隣にちょこんと座り直す。二人は顔を合わせて、にっこりと笑顔をみせた。なんとも微笑ましい、母娘の一コマ。
それを見たボクは、また口元が緩む。
見た感じ、幼稚園の年長さんか、小学校に上がりたてぐらいだろうか。記憶にある妹の姿よりも、四つか五つほど小さい。今のボクとでは親子ほどにも歳が離れていると思う。
「子ども、かぁ」
あのぐらいの子は、どうしてもかわいい。決して危ない意味じゃなく、本当に、純粋に、子どもはかわいいと感じる。叶うならば、子どもが欲しい人生だった。
もしこんなボクにも奇跡的に子どもができるなら、やっぱり一人目は女の子が欲しいかな。一姫二太郎って言葉もあるぐらいだし。
呼ばれ方は……普通に『お父さん』がいいかなぁ。それとも『パパ』? 『お父様』なんてのも捨てがたい。奇をてらって『父上』とかも……それはさすがにないか。
反抗期には『オイ』とか『アンタ』とか呼ばれるようになっちゃっても、きっと嬉しい。『ウザ』とか『キモ』とか言われたって全然構わない。これも念のため断っておくけれど、そういった趣味はこれっぽっちもないです。
あまりじろじろ見てたら、そろそろ不審がられてしまう。いつかボクも、お父さんになりたいな――そんな密かな夢を抱き、視線を背後の窓の外に移す。
流れていく街並みを眺めつつ、もうすぐ着くかなぁ、早く家に帰って袋の中身を物色したいなぁ……などと、そわそわし始めた――
――瞬間。けたたましいクラクションが、鼓膜に突き刺さった。
何事かと反射的にバスの進行方向へと向き直る。すると視界に飛び込んできたのは、めちゃくちゃに蛇行しつつ、正面から迫ってくる大型車。
まごうことなき暴走車。
『ぶつかる』――誰もがそう悟ったのか、バス内には悲鳴の大合唱が巻き起こる。そして頭を抱えたり、手すりにしがみついたりと、衝突に備えてのめいめいの行動をとっている。
ボクもまた、頭より先に体が動いていた。
けれど、それは自分の身を守ろうとしての行動ではなく。なぜか座席から飛び出していて――
音も、衝撃も……痛みも。何も、感じなかった。
あぁ……。
一度ぐらい、女の子と手を繋いで歩いてみたかったなぁ……。