3-3
背後から猛接近してくる何かの気配に、マリーは足を止め、振り返った。
「ごっめーん! そこどいてーっ!」
「っと……!」
とっさに身をよじり、間一髪、衝突を避ける。ややバランスを崩してしまったものの、建物の壁に背を預ける形で事なきを得た。
「……なによ、あれ?」
マリーの口調には、苛立ちよりも呆れの色が濃い。こんなにも細い路地で、あれほどの速度。自殺願望でもあるのかと疑いたくなるほどの愚行だ。
ちらりとではあるが顔は視認できた。陽に映える金髪が印象的な、自分と同じ年頃の少女だったように思う。その顔つきや危険なまでの全力疾走を見るに、まるで何かから逃げていたような――そう思った瞬間、また新たな足音が近づいてくる。
「あいつ、どこへ……あああ、また親父さんにどやされるう……」
察するに、どうやら先の少女はこの青年から逃げていたようだ。
あまり関わり合いたくないなと思いつつも、他に人気もなく狭い路地とあっては、さすがにそれは無理な注文だったらしく。案の定、青年はマリーの存在に気づくやいなや声をかけてきた。
「ねえ、君と同い年ぐらいの金髪の女の子、ここを通らなかった?」
「そこの角を左に曲がってったわ。けど――」
金髪の少女が向かっていった方角を告げると、青年は慌てて道の先を確認しようと駆け出す。マリーもその後を追った。
「残念ながら、詳しい道まではわからないわね」
わかっていたことだが、その道の先は迷路のように幾重にも枝分かれして、見通しまでもが悪い。これでは標的を捜し出すのは至難の業だろう。
「あー、もう、くっそぉ……」
青年は頭を抱え、わかりやすく絶望した。
「ごめんな、ありがと――」
それでも諦めず捜索を続けようと顔を上げる。マリーに軽く礼を述べてから、駆け出そうとしたとき。
ふと、青年は何かに気づく。
「……それ」
最初に目に留まったのは、マリーの足元に転がっていた物。おもむろに歩き出し、青年にとってはよく見覚えのあるそれを拾い上げる。
リンゴだった。彼が勤めている店の商品であり、金髪の少女に盗まれた物のうちのひとつだった。
次いで、マリーへと目を移す。大事そうに胸に抱えた革袋。そして、あまり清潔とはいえない身なり。
何よりも、この場所だった。逃亡者を必死に追いかけていたため、いつの間にかこんな場所まで来てしまっていたことに今さら気づいた。
彼の胸に、ひとつの疑いが芽吹いた。
「……あのさ」
「なに?」
青年の中で、着々とピースがはまっていく。
それはもはや単純作業な上に、完成まで待つ必要がないほど全容が明らかで、瞬く間に大きな確信として青年の心を占めた。
「君……金髪の女の子と、共犯……ってことない?」
「……はあ?」
そんなマリーの反応が癇にさわったのか、青年は鬼の首を取ったように声を張り上げる。
「いや、君が主犯か? ――そうだろう、《穢れ眼》!」
言いながら、青年がマリーの前髪を払い除ける。
そして、その目で確かに見て取った。左右で瞳の色が違う、マリーの双眸を。
「やっぱりか……。仲間はどこへ逃げた? 早く教えるんだ」
マリーは乱された前髪を手櫛で整えながら、歳不相応に大人びた口調で言い諭す。
「何をどうしたらそういう発想になるかさっぱりなのだけど。寝言を言ってる暇があるなら、さっさと犯人を追いかけたら? そのほうがよっぽど賢明だわ」
「だからお前がその犯人なんだろ!」
「……」
青年は怒りに完全に我を忘れている。これは話になりそうもない、とマリーは早々に匙を投げた。
「知ってるぞ《穢れ眼》。各地を転々とし、悪行を繰り返す、迷惑きわまりない存在だってことはな! あの女の子のことも上手いこと言いくるめたのか? それとも脅したのか? 答えろ!」
「……大人ってやつは、どうしてこうも揃っておめでたい頭をしてるのかしら」
勝手に一人で盛り上がっている青年の姿を心底憐れみ、疲れたようにため息をつく。
「見せてみろ!」
「あ、ちょっと」
「盗んだうちの商品だろ? こいつの中身は!」
マリーが抱えていた革袋を強引に取り上げると、性急に中身をあらため始める。
青年は疑いもしなかった。これに詰まっている物は、先ほどのリンゴをはじめとした、盗品である青果らであるはずだと。
「……なんだ、これ?」
しかし中身を一目見た瞬間、驚愕に固まってしまう。予想を裏切られた上に、現れた代物は彼の理解の範疇を超えてしまっているようで、なかなか現実をのみこめずにいた。
その現実を、マリーは粛々と言い渡す。
「草よ」
「……くさぁ?」
青年はオウム返しに、間が抜けたような声をこぼした。
「そ。ご覧の通りの、名すらわからないような、そこらへんに生えてるただの雑草。それがあんたの店の商品なの? なかなか小洒落たものを扱ってるわね」
「なんで……こんなものを……」
「あたしの勝手でしょ。返して」
放心状態におちいった青年の手から、マリーはあっさりと奪い返す。
「だから言ったの。さっさと追いかけたほうが賢明だって」
「……なん、だって?」
「まだわからないなら教えてあげる。仮にあたしが黒幕だったとしても、あたしのことなんか後回しにして、実行犯であるあいつを先に捕らえるべきでしょう?」
「け、けど……お前が……あの、《穢れ眼》で……」
悪名高き《穢れ眼》の少女が主犯であると確信を持ってしまった。いまだに自身の強い思い込みを拭いきれず、その可能性を捨てきれず、あえぐように言葉をつむぐ。
「そうよ、《穢れ眼》よ。だから当然、あたしの居所なんて割れてるでしょうに」
「……」
「もし捕まったあいつが何かを白状したなら、改めてあたしを煮るなり焼くなりすればいいじゃない。別に逃げも隠れもしないわよ」
マリーはいわれのない嫌疑をかけられることに慣れていた。単なる憂さ晴らしに。体のいいスケープゴートに。大人たちは当たり前のように彼女を利用し、虐げてきた。
もはや怒りを抱くこともない。どんな難癖をつけられようとも、面倒事が長引きさえしなければ、どうでもよかった。もっとも、マリーの言動がもとで激しい舌戦と化したり、いたずらに逆上させてしまったりすることも多々あるのだが。
――ちょうど、今回のように。
「犯人は目立つ髪色だったし、なにより子どもだったんだから。こんな無益な時間を割かず、素直に追いかけていれば見つかる可能性も充分にあっただろうけど。今からじゃもう到底無理ね、ご愁傷様」
ぽんっ、と青年の背中を叩き、すたすたと立ち去ろうとする。
呆然自失としていた青年の中で、何かがぷつんと音を立てて弾けた。
「このッ……!」
激高した青年が、握り締めた拳を振り上げ、少女を目がけて猛然と走り出す。
「……ほんっと、どこまでもろくでもないわね。大人って生き物は」
迫る殺気を感じ取ったマリーが、その瞳に危険な炎を灯す。億劫そうに右手を青年へ向けて伸ばすと、開かれたその手の平から突として火の玉が現れた。
それを見た青年がわずかにひるむ。その隙を逃さず、炎の弾丸を放とうとしたとき――
「ちょっと待っ――へぶっ!?」
突如割り込んだ闖入者が、青年の一撃を頰へもろに食らい、面白いぐらいに吹っ飛んでいった。
少女と青年は呼吸をすることすら忘れ、揃って呆気に取られる。
「……リン?」
◇ ◇
「いったたたた……」
目がちかちかする。殴られた頰が普通に痛い。
セレナさんの意味深な反応を見るに、もしかしたらと思ってたけど、誰かを助けたいと願う気持ちが能力の引き金となるわけでもないらしい。あの人には振り回されてばかりだ。もうやんやん。
「なっ……は、はあ? き、君……大丈夫……?」
ボクを殴ったお兄さんが我に返ったようで、心配そうに駆け寄ってくる。
「ん、だ、大丈夫……と思う」
「ご、ごめんな」
「いいよ、急に飛び込んだのはこっちだから。でも、いったい何があったの? 子ども相手に、ずいぶんと穏やかじゃない感じだったけど……」
お兄さんの顔をじっと見ると、バツが悪そうに目をそらしてしまった。
代わりに、マリーちゃんが口を開く。
「あたしがそいつの店の商品を盗んだと疑われたの」
「えっ」
「やってないわよ。あたしがやったなら、ちゃんとやったって言うわ」
「そ、それもどうかと思うけど……」
実にマリーちゃんらしい堂々たる主張だと思った。たぶんだけど、彼女は本当に何もやってない気がする。
ならばと、再度お兄さんへと視線を移し、問いただす。
「なんでこの子のこと、疑ったの?」
「だって……《穢れ眼》だろ? 誰がどう考えたって、まっ先にそいつが怪しいって思うじゃないか」
「……」
それが一般的観点。この街に、この世界に蔓延する不文律。それを聞いた多くの人々が同調してしまうであろう、説得力ある根拠。
胸が、ずきりと痛む。
「そうやってすぐ思考停止するの、やめれば? おまけにあんたの過ちを懇切丁寧に教え込んであげたら、逆上までしちゃって。みっともないったらありゃしない」
「ま、まぁまぁ! 落ち着いて、マリーちゃん!」
「はあ? あたしは落ち着いてるわよ。リンのほうこそ落ち着いたら?」
慌ててなだめようとすると、逆になだめられる始末。これじゃどっちが年上やら。
マリーちゃん的には『親切』で教えてあげて、『穏便』に済ませようとしたつもりなのだろうけど。今しがたのような物言いのせいで、お兄さんの神経を逆撫でてしまったのだろうと思う。
けどマリーちゃんの言う通り、ボクのほうがよっぽど心を乱している。
瞳の色が違うからと誹謗中傷を浴び、隔絶されることはおろか、その心までもが穢れていると思い込まれているだなんて。なんだか無性に腹立たしくなってきた。
「お兄さんもお兄さんだ……ですよ」
少し、検証タイムに入ろうと思う。
セレナさんがくれたという、ボクの謎の能力。その発動条件の候補のひとつとして挙げた、『正当防衛の状況下でしか発動しない』という可能性が完全に潰れたわけじゃない。
幸い、ボクはすでにこのお兄さんから一発頂戴している。マリーちゃんに嫌疑をかけた罪、美少女の顔をぶん殴った罪。それ相応の、かるーいお仕置きをせねばなるまい。
「噂話に流されて、最初から疑ってかかって……さらには、こんな小さな子どもに殴りかかるだなんて――」
首がありえない方向へ曲がったりしたら困るので、あまり力を込めすぎないよう……おそる、おそる……やさしく、慎重に……
「――めっ!」
ぺちっ、と、お兄さんの頰へと、かわいいかわいいビンタをお見舞いする。
「ですから、ね?」
……異変、なし。
やはり正当防衛時限定説は誤答だったようだ。血迷って《ファングボア》相手に試そうとしなくてよかった。お互い命拾いしたね、お兄さん。
「わかっていただけましたか?」
「あ……、ぅ……」
ボクにビンタされた頰をさすりながら、顔を真っ赤にして、口をぱくぱくさせている。
急にどうしたんだろうと首をかしげていると、唐突に、ぴこーんとボクの脳内の電球が灯った。
なんか、察した。このお兄さん、ボクとよく似た匂いがする。すごくちょろそう。
「……泥棒の被害に遭われてしまったことには、同情します」
伏し目がちに、神妙な声色で語り掛ける。
「でも、だからといって、この子の話を聞こうともせず、悪者だと勝手に決めつけたりしちゃあダメじゃないですか」
「で、でも、そいつは《穢れ眼》で……!」
「だから、まずその呼び名をやめてください。この子は、マリーちゃんです」
「……っ」
お兄さんがはっとしてマリーちゃんのほうを見たものの、すぐに目をそらし、うつむいてしまう。
「ねえ、お兄さん」
「ひぁっ!?」
お兄さんの頰を、両手でふわりと包み込むよう挟み、こちらを向かせる。思わず笑っちゃいそうなぐらい、声が裏返るお兄さん。
「怒りに身を任せたりせず、世間の噂に惑わされたりせず。そんな理知的で、紳士的な方のほうが……私は、素敵だと思います……よ?」
今こそ解き放つ、キラースマイル。魔物には一切通用しなかったが、このお兄さんが相手であれば効果は抜群だ。ちょっと心配になるぐらい、目がぐるんぐるんしてる。
「これを機に、この子への認識を改めてはいただけませんか?」
追い打ちをかけようと、お兄さんの手を取り、祈るようにきゅっと握る。
「どうか、お願いします」
ダメ押しにと、瞳を潤ませ、じっと見つめる。お兄さんは「ぁ」とか「ぅ」とか、声にならない喘ぎをこぼすばかりだった。
どうだこんにゃろう、ボクがされたら百パーオチる攻撃のオンパレードだ。羨ましすぎて涙が込み上げてくる。そこ代わってください。
「わ、わかった……わかった、からっ!」
かわいそうに、耳まで真っ赤にしちゃって。これ以上続けると気絶でもしてしまいそうだし、ボクもそろそろ本気で泣きそうだったので、手の拘束を解いてあげた。
「……悪かったよ。マリー……さん」
「……気色わ――」
「ありがとうございます、やさしいお兄さん!」
なにか不穏なことを言いかけたマリーちゃんの口を慌てて押さえ、代理で元気いっぱいに応える。
「これ」
お兄さんが、手にしていたリンゴをマリーちゃんへと渡してきた。
「どういうつもり?」
「お詫び、ってわけじゃないよ。そんな物一個で許してもらおうなんて虫が良すぎるだろ。ただ、それだけ持って帰ってもしょうがないから……よかったらもらってってよ」
「そういうことなら、ありがたく頂戴しとくわ」
マリーちゃんが口角をわずかに上げ、リンゴを革袋へとしまい込んだ。
二人のわだかまりが、完全に無くなったわけじゃないかもしれない。けれど目の前で繰り広げられているのは、これまで誰も拝んだことのないような光景であるはずだ。
ボクが目指している光景、その片鱗が拝めたのだ。実現不可能な夢物語じゃないと知ることが叶った。そう思うと、感極まるものがある。
「リンさん……だったよね? なんかすっきりしたっていうか……目が覚めた気がする。ありがとう」
「いいえ。こちらこそ、お願いを聞き入れてくれてありがとう。そのお心、これからも忘れずにいてくださいね」
「ああ。殴ったりして、ほんとごめん。それじゃ、また」
どこか晴れ晴れとした笑顔を見せ、立ち去って行く。が、数歩進んだところで不意に肩を落とし、「あー……親父さんになんて言い訳しよう……」という独り言がかすかに聞こえてきた。絶望に満ちた背中が、路地の先へと消えていく。
「……あんたもよくやるわ」
薄々そうなる予感はしていたが、マリーちゃんが呆れ果てた半目をボクに向けてきた。
「なによ、さっきの不気味な小芝居は」
「ふふん、わりと得意分野かもしんない」
腐っても男だ。男心くすぐる仕草が手に取るようにわかる。この道を極めようとすれば最強になれるかもしれない。
まぁ、もう次はないと思うけど。恥ずかしくて妬ましくて血の涙が流れる寸前だったし。いろいろと大事なものを失いかねない諸刃の剣だし。金輪際やりとうない。
「っていうか、なんで来たの? 助けてなんて頼んだ覚えないんだけど」
「いや、まぁ。気づいたら体が勝手に、というか」
本当にその言葉通り、胸のざわめきに導かれるまま走ってたら、勝手にこの場へたどり着いちゃった感じ。セレナさんは『行けばわかるさ』なんて言ってたけど、結局よくわかんない。
「なんにせよ、マリーちゃんに怪我がなくてよかったよ」
「あんなの目をつぶってても避けられるわよ」
「……やっぱり?」
「当然でしょ」
ボクが体を張らずとも、マリーちゃんなら自力でなんとかできる気はしてた。
だけど、ボクが防ぎたかった事柄は、もうひとつあって。
「あと、さ。マリーちゃんが、誰かを傷つけたりしなくて、よかった」
マリーちゃんが、目を丸くさせた。
そのまま少し、固まる。
「ほんっと、変な奴」
初めて、だったかもしれない。
ボクの気のせいや白昼夢じゃなければ、マリーちゃんは、いま。小さく、小さく、噴き出したように思えて。ほんの一瞬だけ、初めて、歳相応な笑顔を見せてくれた。……そんな気がしたんだ。
「ほら。さっさと行くわよ」
ぐいっと腕を引かれる。
「どこへ?」
「ショコラのとこ。それ、手当てしてもらいましょ」
指差された辺りに触れてみると、ぴりっと痛みが走った。殴られた際に、唇の端と口の中を少し切ってしまっていたみたいだ。
「平気だよ、このぐらい」
「あたしのせいで痕が残ったりしたら寝覚めが悪いってだけ。いいから、つべこべ言わず来なさい」
「は、はい」
案外律儀なんだなぁと思いつつ、逆らえる雰囲気じゃないので、おとなしく従うことにした。
◇ ◇
「おかえりなさい、マリーちゃん……って、リンさん?」
「あはは……さっきぶり、ショコラちゃん」
あまりに早すぎる再会だし、次に会うのはオムライスの借りを返すときと決めていたので、なかなか気まずい。
「ごめん、ショコラ。手当てしてもらえる?」
「どこか怪我しちゃったんですか?」
「あたしじゃなくて、リンのほう」
「リンさんが? ……あっ」
ボクの唇の端ににじむ血に気づいたのだろう。ぱたぱたと駆け寄ってきて、早速治療を開始してくれる。
「ん……ありがと、ショコラちゃん」
ぽうっと、灯る光。以前に浴びた際よりも、やさしい温度。
患部の状態によって感じる熱量が違うのかもしれない。でもそうだとしたら、マリーちゃんの料理はいったいどれほど強い毒性を擁していたのだろう。……あまり深く考えないほうがよさそうだ。
「はいっ、もうだいじょうぶですよ」
再度、お礼を言うために口を開こうとしたら、
「ありがとうございました」
ぺこり、とショコラちゃんがボクより先に頭を下げてくる。
「な、なんでショコラちゃんが? お礼を言うのはボクのほうだよ」
「いえいえ。マリーちゃんのこと、守ってくれたんですよね? やっぱりリンさんっていい人です」
「あ……えと」
反射的にマリーちゃんと目を合わせると、彼女は無言で肩をすくめた。
口を挟まないところを見るに、『素直に受け取っておけ』ということらしい。先ほどと同じよう、『頼んだ覚えないんだけど』と言いたげではあったが。
「リン、あんたこのあとどうする気?」
「このあと……って?」
「あんまり詮索なんてしたかないけど。どうせ泊まるところも決まってないんじゃない?」
「うっ」
やはりマリーちゃんは聡い。たぶんだけど、ボクが素寒貧であることまで見透かされてそうな。
「ほ、本当なんですか?」
「う、うん……まぁ」
ショコラちゃんがひどく驚いた様子で詰め寄ってくる。
「それは大変です、もうじき日が暮れちゃいます、急いで――」
「ひとまず今晩はここにいれば。何もないけど、ある程度の雨風ぐらいしのげるわよ」
「はい?」とショコラちゃん。「へ?」とボク。二人の声が見事に重なった。
「……何よ、その反応」
交互に半目でにらまれる。
「そ……それは、つまり……? リンさんを、ここに泊める……と、いうことで?」
ショコラちゃんは目をまん丸にし、マリーちゃんの顔色をうかがいながら、こわごわと確認を取る。
「そう言ったつもりだけど。なにショコラ、反対なの?」
「い、いえいえっ、賛成です、大歓迎ですよ!」
ぼんやりと、二人の会話を聞いていた。
正直、聞き間違いとしか思えなかった。まさか、超がつくほどの大人嫌いのマリーちゃんの口から、そんな提案をされるとは夢にも思っていなかったから。
「ありがたい話だけど……どうしたの、急に」
「別に。大きな騒ぎにならずに済んだのは、あんたのおかげだもの。結果的には助けられたから、その分ぐらいは返そうと思っただけよ」
一晩だけとはいえ、大人であるボクをここへ泊める。ショコラちゃんの動揺っぷりが事の重大さを物語っていた。多少は心を開いてくれたのかなと、胸がいっぱいになる。
……だけど。
「気持ちだけ受け取っておくね。ありがとう」
「そう?」
「うん。治療してくれただけで充分だよ。ただでさえボクのほうがお世話になりっぱなしなんだから」
安っぽい意地、という自覚はある。
この子たちはいろんなことを教えてくれた。おいしい料理を振る舞ってくれた。その上さらに、今夜の寝床まで提供してくれるという。
これ以上、この子たちのやさしさに甘えるわけにはいかない。いつまでも『お客さま』気分でいたくないから。ボクがここに寝泊りさせてもらうことがあるとすれば、ちゃんと『親』として認めてもらえたときにしたいから。
「やせ我慢するような場面でもないと思うけど。ま、好きになさい」
ふっ、と小さく笑い、背を向けた。相変わらずのあっさりした態度でも、ほのかに温かい気がして。つられてボクも、小さな笑みがこぼれる。
マリーちゃんが奥へと消えていくと、今度はショコラちゃんが近づいてきて、ボクの顔を不安そうに見上げてくる。
「でも、あの……もし、本当にどうしようもなかったら……ここに来てくださいよ?」
「うん?」
「えっと、んと……」
何か、口にするのをためらっているようだ。なぜか顔に紅葉も散らしている。
「どうかしたの?」
きょとんとしつつ、屈んで問い掛けると、ショコラちゃんが耳打ちをしてきた。
「ま、間違っても、お外でお休みになられたりしないでくださいね? リンさん、男の人に…………、されちゃいますから……」
「……あ」
何を言いたいかが、よーく伝わってきた。
蘇る、男の人にごにょごにょされかけた苦い記憶。この街の治安はそう悪いほうでもなさそうだが、女の子が一人で無防備な姿をさらしてしまえば、誰に何をされるかわかったもんじゃない。
「だ、だいじょうぶ、だよ……あ、あはは~」
本当にどうしようもなかったら、恥も外聞もなく、この子らに泣きつこう。貞操第一。ボクのちんけな意地などはるか彼方へ放り投げてしまえ。
「……あは、は」
だったら、はじめから素直に甘えておけばよかったと、後悔の念が襲い来る。一度は強がっておいて頭を下げるだなんて、情けないにもほどがある。親や大人として以前に、人としてカッコ悪い。
「……はぁ」
前途多難、ボクは今日という日を無事に終えられるだろうか。
ボクの明日は……どっちだ。
 




