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ボク、おかーさんになりました。  作者: 紺野咲良
3章 はじめてのおしごと
15/16

3-2

 ギルドを出ようとした際、案の定というか、聞き耳を立てていた人たち数名が競うように寄ってきて、同行を申し出てくれた。もちろん丁重にお断りした。

 ならばせめて助言をと提案されたので、そちらはありがたく頂戴しておいた。


 討伐対象の名は、《ファングボア》。冒険者の皆さまの中では、いの一番に名の挙がる初歩中の初歩な魔物であるらしい。初めて倒した相手がそれだという者も多くいた。


 その理由として、ひとつは基本的に温厚であること。

 単に知性に欠け、刺激や敵意に鈍いだけ、とも言われていたが、そこに関しては取り立てる必要はない。ようするに、こちらが手を出すまではほとんど襲い掛かってくることもなく、確実に先手を取れるというアドバンテージがあるという話だ。


 もうひとつは、攻撃手段が究極に単純であること。

 奴の取る行動は、その身を唯一にして最大の武器とした、一直線への突進ただの一手のみ、だそうだ。

 しかしながら、その破壊力だけは凄まじいの一言らしく、いわく『君のような華奢(きゃしゃ)な体ではひとたまりもない』だとか、『まずミンチにされちまうだろうな』だそうです。おそろしや。

 ついでに『なあに、当たらなけりゃどうってこたぁない』とも誰かが言ってたっけ。その人が本当の猛者さんなのか、ただの脳筋さんなのかは定かではないけど。


 みんな親切で、いい人たちだった。それだけに、同行を断らざるを得ないことがなおさら申し訳なかった。

 本当に惜しかったんだ。路地裏での嫌な思い出さえなければ……そして、ほんのわずかでもいいから、みんなが下心を隠す努力をしてくれていれば、お断りすることもなかったのに。やっぱ男の人ってこわい。



 人里へと、危険生物が降りてくる。

 それは元いた世界でもまれに聞く話だ。だが、危険性はおそらくそれ以上のはず。

 これよりボクが相手取ろうとしているのは、魔物(モンスター)なのだから。

 万全を期そうとするならば、武器の一本や、道具の携帯をおこたるべきではないのだろう。しかし悲しいかな、それらを用意するお金などないわけで。徒手空拳で挑むことを余儀なくされている。

 街の外を目指す道中、依頼書とのにらめっこをしつつ、ギルドで得た情報を頭の中で反芻(はんすう)する。

 初歩の魔物とあなどることなく、さして多くない特徴を正確に叩き込み、イメージトレーニングだって繰り返し行う。たとえ気休め程度だろうと、やらないよりマシなはず。それがいまのボクにとれる『万全』だ。


 街の出入り口である見上げるほど大きな門をくぐりぬけ、来た際とは逆走する形で、周囲に気を配りながら街道を行く。すると、ほどなくして見覚えある森を右手側にのぞんだ。


 ――あっちの方に見える森とか一歩でも入ってみろ。運が悪けりゃ秒で死ぬぞ。


 セレナさんが、物騒にもそんなことを言っていた場所。プリシラさんも、さほど相違ない注意喚起をしてくれた場所。

 目撃情報の多くは、かの森の周辺だった。当然、森のそばを歩けば発見できる可能性も高いだろう。かといって余計な(やぶ)をつつかぬよう、適度な距離を保ちつつ、森の周りをぐるぐるする形で歩を進める。


 街道から外れ、緩やかな丘を登り、消えかかっている(わだち)を踏みしめる。

 帰巣本能、というものがボクにも備わっているのかもしれない。そう小さく笑みをこぼす。

 見事なまでに戻ってきた。そして、偶然にもその地で『それ』との出会いを果たす。


「――――いた」


 標的の魔物、《ファングボア》。くしくも、ボクがこの世界へと舞い降りた地での邂逅(かいこう)であった。

 成体であれば立派に高くそびえる(ファング)が生えているらしいが、見つけた個体にはそれがない。言うなれば、ただの『ボア』ということになる。

 やはり情報通りの子どものようだが、それでも相当に大きい。四足歩行でありながらも背丈がボク並だ。確かにあんなものの突進を食らってはひとたまりもないだろう。


 ここで少し、本筋とは離れた考察、および自分語りのお時間をいただきたい。


 不思議に思った。この身に宿された《フェイス》の力が、なぜあんな『馬鹿力』だったのかと。

 今にして考えれば、なんのことはない。『その場に適した能力』が発現しただけに違いないのだ。

 そこに至るまでの根拠としては、こうだ。

 ボクは病的に優柔不断だ。そのうえ欲張りでもあり、ひとたび書店へ出向けば色んなものに目移りし、ジャケ買いや衝動買いした書籍は数知れず。本来の目的は一、二冊であっても、きっちりその冊数に収まったためしなど一度たりとてない。


 ――なんだってできるんだ。オマエが望むならな。


 ボクのことなら何でも知っているというセレナさんが、そう言ったんだ。それも二回。大事なことだから二回も言ってくれたんだ。

 気が多く、特別なひとつを選べないボクだからこそ、望めばなんだってできる《フェイス》を与えてくれた。そういうメッセージに他ならないのではないか、とボクは確信している。

 本人の願望に呼応するという《フェイス》の力。その場その場で抱いた願望をもとに、臨機応変に、自由自在に開花することができる。最高に便利で、最強の力。これぞボクに『おあつらえむき』な能力なのだ。


 以上。ご清聴、ありがとうございました。


「ふ、ふふ……」


 頰が痙攣し、口角が勝手に上がる。堪えようもない笑みがこぼれ出してしまう。

 ここへ至るまでの道中も、たいへん難儀であった。魔物と対峙した際のイメージを練り上げるたびに、不気味に表情がゆがんでしまいかけた。慢心するなと何度厳しく言い聞かせても、たやすく勝てるビジョンしか見えなかったのだから。

 多くの男の子が一度は憧れてしかるものだ。圧倒的な力で、敵をばったばったとねじ伏せる……いわゆる『無双』というものは。

 なればこそ、邪悪な笑みのひとつやふたつ許していただこう。まもなく訪れようとしているのは、その夢が現実となる瞬間なのだから。


 手始めに何をしてみようか――そう考えたとき、まっさきに浮かんだのは、マリーちゃんの姿。

 ずっとうらやましかった。彼女が火を出す様ときたら、まさにボクが思い描いているファンタジー像そのもので。いまこの時にひとつだけ能力を授かれるとしたら、迷わず火を扱える能力を望んでいたと思う。


「よしっ」


 初陣で使役すべき能力は定まった。

 はじまりの地で幕を開ける、新米冒険者リンちゃんのいきなり最強無双(たん)

 チャプター1、『火を出してみよう』。


「……んー、っと?」


 やりたいことは決まったものの、腕を組んで、首をひねる。

 これ、どうやって出せばいいのだろう。さっぱりわからない。非常に困った。

 マリーちゃんも、ショコラちゃんも、これといって特別なことは何もしていなかったように思う。しいていえば、手や指の動きがあったぐらいだろうか。

 試しにと、立てた人差し指の先をじっとにらみつけ、『火、火、火……』と念じ続けてみる。まあ当然というか、何かが起こる気配は一向にない。


「……とりあえず、叫んでみる?」


 あの子らはボクよりもずっと年季がある。長い月日をかけ、修練を重ねることで、心の中で念じるだけでも発動するようになったのだろう。たぶん、おそらく。

 イメージがしやすいような、安直な名称を浮かべる。火属性の初級魔法といえばこれ、っていう感じの名称を。

 浮かべたはいいものの――少し、ためらう。これを叫んでいる自分の姿を想像してしまい、それがあまりに滑稽(こっけい)で、恥ずかしくて……正直、むり。やめたい。

 でも、と(かぶり)を振る。これを乗り越えなければ前に進めない。きっと誰もが通る道のはずだ。それに幸い、辺りには誰もいないのだ。痛苦は一瞬で済む。

 目をぎゅっと閉じ、意を決して、羞恥心に震える声で叫びを上げた。


「ふ、ふぁ、ふぁいあ~……ぼぉるぅ……!」


 ――しかし何も起こらなかった。


「…………うん。なるほどね」


 考えられる問題点が、いくつか浮き彫りになる。

 ひとつ。最初から無詠唱などおこがましい。

 ボクが思う『魔法』というものには、『詠唱』というものが不可欠だ。そのイメージからかけ離れるな。無詠唱が許されるのは、熟練された使い手のみだ。

 ふたつ。照れるな。

 声が震えすぎだ。どもりすぎだ。詠唱文だって言い間違えれば失敗するのが道理だ。魔法の名すらもはっきりと口にできないのであれば、発動するものだってしないに決まっている。

 自身からそれらの叱責(しっせき)が入ったのだ。《フェイス》とは『願望』に――つまり『心』に呼応する能力。ボク自身の心の不一致により、発動を阻害されているおそれがあった。


「いくよ」


 すぅっ、と目を細め……低い声音(こわね)で、自らへ呼び掛ける。

 心を縛る理性は不要だ。常軌(じょうき)(いっ)するためにある。

 恥や気位(きぐらい)などかなぐり捨てろ。過去の自分にサヨナラを、新たな自分を解き放て。

 人の領域にありながら炎を使役しようというのだ。それ相応の熱を心に灯せ。魂を焦がすほどの炎をその身に降ろせ――!


「『煉獄(れんごく)より呼び覚まされし浄化の炎よ、我が(かいな)を通じ、顕現(けんげん)せよ』――《メギド・フレイム》ッ!」


 ――やはり何も起こらなかった。


「…………ですよねー」


 すんっ、とボクの内にのみ生まれた炎が、儚くも消え去る。

 狂気に満ちた精神状態から反転、瞬時に絶対零度にまで落とし込まれたクールな頭脳の持ち主はすぐに気づいた。

 そもそも履き違えていたのだ。《フェイス》とは『信仰』を意味する。つまり『祈り』。すなわち推測される原因としては、純粋に祈る気持ちが足りなかっただけのこと。

 ひざまずき、両手を組み、静かに目を閉じて……決死の思いで、祈りを捧ぐ。


「炎よ出ろ! いっそなんでもいいからなんか出て! 出なさい、出てください、おねがいしますなんでもしますからー!」


 ――心地よい、そよかぜが吹いた。


「…………うん、うん。おーけい、わかった。ぜーんぶわかった。そういうことね」


 完全に理解した。これは根本から正す必要がある。そう、『解釈B』が正解だったんだ。


「『この身に魔法の(たぐ)いなど不要』――ということだね、セレナさん」


 バカで優柔不断だからこそ、何も考えず、悩まず。小細工など一切無用な物理一辺倒。時代は物理、物理こそ正義、物理こそ至高。唯一無二にして絶対なる力。約束された勝利の『馬鹿力』。

 今度こそ正しく受け取ろう。そういうメッセージであり、それこそがボクの能力だったのだ。

 これまでの間、亀ほども動いていなかった《ファングボア》へと向き直り、一心に見すえる。


「――ふぅっ」


 ひとつ、息を吐く。心頭滅却。明鏡止水。

 もう迷わない。ただただ己の身を信じるのみ!


「たりゃあぁぁぁー!」


 逆に気の抜けるような掛け声とともに、かの魔物のどてっぱらへと、拳の一撃を叩き込まんとして飛び出した。

 さぁっ、吹き飛べ、弾け飛べ――!


 …………ぺしん。


 魔物の体に初めて触れる。ごわごわの毛、ぶにゅりとした体。

 唐突に、昔、動物と触れ合ったときのことが思い起こされる。魔物といえど、触り心地はそのときの記憶そのものだ。

 ある動物には、その背に乗せてもらった。また別の動物には、おせんべいをあげたりした。

 その動物というのは――馬と、鹿。奇遇にも、いまのボクを表すのにふさわしい動物たち。

 おもむろに、魔物がこちらを振り向いた。


「……」

「……」


 目と目が合う。盛大に何かが始まりそうだ。素敵なBGMとか聞こえてきそうなシチュエーションだ。


「てへっ」


 かわいらしく微笑んでみる。

 そう、言うなれば、キラースマイル。超絶かわいいボクの渾身の笑顔は、知性なき魔物にだって通用する――


「ブルァァァァァァッ!!」

「わけないよねえぇぇぇぇっ!?」


 脱兎のごとく、疾風のごとく、全速力で駆け出した。


「わぁぁーっ、きゃあぁぁぁぁぁっ!」


 馬鹿みたいに叫び、馬鹿みたいに逃げ回る。

 皮肉なことに、そんなボクに『馬鹿力』の能力はなかったようだ。




    ◇    ◇




「ぜぇ、ぜぇ……はぁ、はぁ……」


 奇跡的に命からがら逃げのびたものの、いまに絶命してしまいそうな荒い息遣いを繰り返す。

 広大な草原の中。膝から崩れ落ち、四つん這いになったボクの四肢(しし)は、生まれたての小鹿のようにぷるぷるしていた。


「……なんでやねん」


 力尽き、突っ伏す。本場の人が聞いたら絶対に怒り狂うであろう、お粗末なイントネーションの関西弁を遺言として。


 あのときのボクの力は、いったいなんだったのだろう。

 気のせいや白昼夢では説明がつかない。その力による被害者も出してしまったし、目撃者だって大勢いた。確かにあのときのボクは、超常の力を発揮していたはずなんだ。

 発動には条件があるのだろうか。回数制限やクールタイムでもあるのだろうか。


「わけ、わかんないよ……もぉ」


 苛立ちと悲しみの混ざった文句を垂れたとき――ふと、誰かに見られているような気がした。

 同時に、笑いを噛み殺しているようで、これっぽっちも堪えきれていないような、そんな声も聞こえてくる。どこかで聞き覚えのある、もう遠い過去のように思える、懐かしささえ感じる声。

 いまだ自由がきかない体はそのままに、かろうじて首だけをそちらへ向けた。


「どうしたの、セ――レナ、さん……?」


 そこにいた人物は予想通りだったものの、その相手の体勢は少々予想外だった。

 透明なハンモックでもあるかのように、ふよふよと宙に浮かび、足を組んで寝転んでいる。リラックスしてるなんてもんじゃない。あまりに品がなく、女神さまとしてあるまじき姿――と思うも、『エセ女神』を自称してたんだっけ、この人。


「……どうしたの、セレナさん」

「いやぁ、腹痛くってよ。()()()()のせいでな」


 うん、でしょうね。こちとらあなたがお腹を押さえてることに対しての心配なんて一ミリもしてないんです。


「そうじゃなくて。なにしに来たの、って聞いてるの」

「そうつれないこというなよ。傷つくだろうが」


 そんな繊細な心の持ち主にはさっぱり見えません。


「肝心なときに来てくれなかったくせに」

「そりゃ愚問ってもんだ。あのぐらいの修羅場、オマエなら自力で乗り越えられると()()()()んだよ」

「……」


 ジト目でにらむ。


「言ったろ、なんでも知ってるってな」

「……」


 さらに、ジト目。


「なんだよ、疑ってんのかぁ? ちゃーんと役に立っただろ? オマエにくれてやった能力」


 その言葉が引き金となり、かっと目を見開き、がばっと起き上がった。


「そうだよ、それ! 『なんだってできる』って言ってたのに、嘘だったの!?」

「そいつぁ曲解が過ぎるな。それは能力のことに関して言ったつもりじゃねえし。サービスでくれてやっただけの力が、んなアホみたいな力なわけねえだろ。常識的に考えろよ」


 言動も存在も非常識の塊みたいな人がなんか言ってる。


「じゃー、どういう力なの? 発動条件とかはあるの?」

「誰が教えるか。そう簡単に教えたらつまんねえだろ。さっきみてえな場面が拝めなくなるじゃねえか」

「……そですか」


 こういう人だということを知ってたはずなのに。聞いたボクがバカでした。


「あー、まだ腹痛え。ほんっとさいっこーだったわ。中でも一番はあれだな、なんつったっけ? たしか……『煉獄より呼び覚まされし』――」

「やーーめーーてーーっ!」


 セレナさんの口をおさえるなりしようと飛び掛かるも、寝転んだ姿勢のまま、するりとかわされた。不可視のハンモックは可動式らしい。反則だ。


「なんだよ、()()お預けかよ」

「なんもかんもお預けだよ、永遠に!」

「しゃーない。あとでまとめて『リンちゃんおもしろ場面集』として大放出すっかぁ」

「ほんと、やめて。ゆるして。冗談抜きで恥ずか死ぬ自信あるからね、ボク」

「そう言われると逆に試してみたくなるな」


 もうやだこのエセ女神(あくま)


「ま、たっぷり笑わせてもらった礼だ。ヒントぐらいくれてやる」


 寝ながらテレビを見る人よろしく、横になって頰杖をつく。もちろん、ふよふよと浮かびながら。

 いまいち信用ならないし、だまされ、もてあそばれる気しかしないけれど、手掛かりも何もないのだ。不本意ながら笑いを提供してあげた分の情報料はきっちり払ってもらおう。少しでも答えにたどり着く可能性があるならば(わら)にだってすがる。そんじょそこらの悪魔よりタチが悪そうなので、魂は絶対に売り渡したくないが。


「発動してた時と、ついさっき。状況の違いを考えてみろ」

「状況の違いぃ……?」


 首をひねり、顎に手を当て、空を見上げる。

 ぱっと浮かんだ違いといえば、これだろうか。


「対象が、人間か魔物かの違い? まさか人間にしか使えないっていうの?」

「そんな意味わかんねえことする必要あるか? 逆ならまだしも」


 おっしゃる通りだ。魔物にしか使えないというのならまだわかるが、人間にしか使えないだなんてどう考えても道理に合わない。

 ならばと、次の案を述べてみる。


「先に危害を加えられたかどうか、かな?」


 言いながら、これは割といい線いってるんじゃないかと思った。

 最初のほうは腕を引かれて痛みを感じていたし、ちゃんと引きずられもしていた。正当防衛の状況でしか効果を発揮しないというならば、いくぶんか理に適っている。


「なら試してみるか? ほれ、さっきのイノシシ野郎に突進もらってこいよ」

「やだしんじゃう」


 すっごく愉快そうな、悪巧みしてそうな笑みを浮かべているあたり、絶対ハズレだこれ。仮に試してしまえば、誤答と判明する頃には天に召されてしまっている。


「じゃー、んー……」


 あと、考えられる違いといえば。


「動機……か、心構え……とか?」


 あのときのボクは、ひとりではなかった。

 小さな子どもたちが――マリーちゃんと、ショコラちゃんがいた。

 ボクはあの子たちを助けたかった。大人たちの魔の手から、守りたかった。


「……?」


 先ほどからボクが何かを言うたびに、即座に茶化すように口をはさんできたセレナさん。

 それがいまは、何も言わず――意味深に微笑んでいる。


「もしかして……?」


 それが正解なのか……あるいは、限りなくそれに近いのか。

 これはさらに突き詰める必要があると、どんな言葉を投げかけるべきかと思っていたら、


「そんなことより……()()()()?」


 不意にセレナさんは、そんな主語のない抽象的な問い掛けをしてきた。


「なにが?」

()()()だろ?」

「……?」


 違和感があった。

 胸騒ぎというか、虫の知らせ……ともかく、よくない『何か』を察知しているような強い感覚がある。

 それが『どこからか』も、なんとなくわかる。たぶん、森の方……いや、そのさらに奥。これはおそらく、《メルシオ》がある方角だ。


「なに? これ、って……」

「行けばわかるさ」

「いや、いま教えてよ!」

「アタシから言えんのは一言だけだ。『とっとと行け』」


 がっくりとうなだれる。本当にこのエセ女神さまときたら、会うほどに、言葉を交わすごとに失望させてくれる。

 こんな人の言う通りに動くのは誠に(しゃく)ではあるが、これ以上構っている暇もないようだ。ボクは『よくないもの』が迫ってきているのを、ひしひしと感じ取っている。


「もう、ほんっとイジワルなんだからー! ほんっとわけわかんない、いつかちゃーんとぜーんぶ話してもらうからねー!」


 大声で言い捨て、走り出す。


「はっはっは。やーなこったぁ」

「この人でなしぃー!」

「そりゃ、アタシはエセでも女神だからなぁ」

「うわーんバカぁーー!!」


 止めどない涙を垂れ流し、涙の道を遺しながら、ボクは懸命に街へと急いだ。

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