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ボク、おかーさんになりました。  作者: 紺野咲良
2章 路地裏の少女たち
13/16

2-8

「ちょーっと待ったぁ!!」


 広場へ飛び出しながら力の限りの叫び声を上げると、その場にいる者が一斉にこちらを向いた。


「リンさん……?」

「あのバカ、なんで戻ってきたの」


 子どもたちも信じられないものを見るような目を向けている。そんな二人へ、ごめんね、と一瞥(いちべつ)を返した。


「誰だお前?」

「ボクはこの子たちの客だ!」

「……はあ?」


 反射的に口から飛び出たセリフに、一堂、怪訝(けげん)な顔をした。

 その反応はとても正しい。『違う、そうじゃないだろ』と、ボク自身からもツッコミが入ったぐらいだ。


「あ~……客、ねぇ。はいはい」

「ようするにただの他人ってこったな」

「部外者は黙っててくれねえか? こっちは取り込み中なんだよ」


 これまたもっともな言い分で軽くあしらわれてしまう。


「ご、ごめん、やり直すね」


 ほんとすみません。泣きの一回をください。

 すぅー、はぁー。大きく一度、深呼吸をしてから。自分の気持ちの最終確認をする。

『それ』を成そうとすることは、きっといばらの道だ。でも抱いてしまった気持ちに嘘はつけない。『こう』しなければ、ボクはずっと後悔することになる。

 ボクが受け取ってきた愛情を、この子たちにも分け与えたい。少しづつでいいから、『大人』が、『家族』が、本来どういった存在かを伝えていきたい。

 だから――


「ボクは……この子たちの、保護者だ!」


 だから――『家族』として、『親』として。この子たちと、全霊で向き合っていきたい。

 そう、思ったんだ。


「…………」


 自分としてはカッコよく決めたつもりだったのに、異様なまでに静まり返ってしまっている。大人たちはもちろん、マリーちゃんも、ショコラちゃんも、物言わぬ石像と化してしまった。

 あんなにも暖かな陽気だったというのに、ここだけが急激に冷え込んでいる。木枯らしのような風が吹き抜ける。


「……に、なりたいと思ってます」


 あまりにいたたまれなくて、小声でつけたしてみた。

 その効果なのかは定かでないが、子どもたちが息を吹き返す。


「……救いようのないバカね」


 特大のため息をついて、頭をおさえているマリーちゃん。


「ほご……しゃ?」


 いまだに混乱が収まらないのか、目をぱちくりさせてるショコラちゃん。


「あんた、何言ってんの?」

「自分でもそう思うよ。でもあんな形でお別れなんて嫌だったし、それに借りだって返せてないままだし」

「借り?」

「オムライスの、だよ。まだなにも渡せてなかったじゃない」


 マリーちゃんとショコラちゃんがわずかに目を見開き、二人して顔を見合わせる。


「す、すっかり忘れちゃってましたね!」

「この状況で、よくもまあ……そんなこと持ち出せたわね……」


 ショコラちゃんは笑顔を、マリーちゃんは苦笑を浮かべる。緊張にこわばっていた二人の表情も、幾分(いくぶん)か和らいでくれたようだ。


「ともかく! この子たちに危害を加えようってんなら、ボクが黙ってないからね!」


 男たちへ仁王立(におうだ)ちで向き直り、びしっと人差し指を突きつけた。

 完全に自分に酔いしれてる。びっくりするほど気分がハイだ。もう何も怖くない。


「なに? こいつら、親いたん?」

「どあほう、んなわけねえだろ」

「言うに事欠いて、保護者……ねえ?」

「ちょーっと()()()がアレなんかな。可哀想に」

「構ってらんねえなぁ。誰か送って差し上げろ」

「いや、待て」


 その一声は皆の無駄口を制し、彼らの視線を一度に集めた。声の主がどうやらこの集団のリーダー格らしい。

 リーダーはボクの体を下から上までじっくりと眺めている。そして、最後に顔を食い入るように見つめはじめた。

 ……なんだろう。何やらすごく嫌な予感がします。


「なるほどな」


 リーダーの視線の動きから、何を言わんとしてるかをいち早く察した者が、したり顔で頷いた。


「あ?」

「おっさんからのはした金を頂くより、()()()の方がおいしいんじゃないかってこったろ?」


 まさに、と首を縦に振るリーダー。


「ああ。売り物としてもコッチの方が上等だろう。あるいは()()()()()()っつーのも……なあ?」


 ニイっと口角を上げ、男どもと目を合わせる。

 何を言ってるのか、わからなかった。いや、わかりたくなかった。

 けれど本能的に何かを感じ取ったのか、変な汗がにじみだし、じりっと一歩後ずさる。


「ははぁ……確かにな」

「それもそうだな」

「こんなとこに思わぬ上玉がいたもんだ」


 一様に頷き始める。それぞれの値踏みするような、吟味(ぎんみ)するような視線を一身に浴びる。

 男だった頃には経験したことのない空気。ざわつく胸。走る悪寒。嫌な予感が現実味を帯び、体や思考が硬直してしまう。


「……何を、考えている? その子は無関係だろう!」


 これまでずっと放心気味に棒立ちしてたフレッドさんが血相を変える。可哀想なぐらい、その声は震えていた。


「あんたとの契約はたった今破棄する。すっこんでろ」

「ふ、ふざけるな! おい君、早く逃げろ!」

「えっ、えっ……」


 フレッドさんが果敢にリーダーの胸倉へと掴みかかった。鈍った思考では目まぐるしい展開に追いつけず、おろおろしてしまっていると、


「おい」

「うぃー」


 そんなリーダーからの呼び掛けと目配せに、一人の男が億劫(おっくう)そうに応じる。


「は、早く――……ぐぅッ!?」


 どごっ、という鈍い音が響いた。同時にフレッドさんが苦しそうな呻き声を発し、地面へと崩れ落ちてしまう。


「なんだぁ? 一発で伸びちまったのか? なっさけねえの」


 彼の腹部を殴打した男が、さぞつまらなそうにその体を見下ろしていた。


「そう言ってやんな。手間かかんなくていいじゃねえかよ」

「だな。適当にそこらへん捨てとけ」


 邪魔者を片付けた男たちは、改めてボクへと向き直り……悠然と近づいてきて、取り囲む。


「嬢ちゃん次第ではあのガキどもを見逃してやるからさ」

「子の不始末は()が責任とらなきゃ、だもんなぁ?」


 気味の悪い猫なで声に、くつくつと笑う声。

 言い分はわかる。わかるけれど、こんな展開は想像だにしなかった。


「ちょっと! 待ちなさいよ、あんたたちの目的はあたしたちでしょ?」


 すっかり蚊帳(かや)の外にされていたマリーちゃんが声を荒げる。


「ついさっき大人同士の問題になったんだよ。ガキに用はねえ」

「もうどっか行っていいぜ? 俺らはこのお姉さんと大事な話があるんでな」


 筋肉質なゴツい腕で肩を抱き寄せられ、ぞわり、と全身が総毛立つ。何が悲しくて男の人にこんな扱い方をされなきゃならないのだろう。

 その腕を引きはがそうとしてみても、逃れようと身じろぎしてみても、びくともしない。


「い、いや、あのっ」

「なんだよ。大見栄切ったくせに怖気づいちまったか?」

「気の毒に、関わる相手を間違えちまったな」

「まあ安心しろって。優しいお兄さんたちが、たーっぷりとイイコト教えてやるからなぁ?」

「そ、そうじゃなくって! こう見えても、ボクはおとこ――」


 ――じゃ、ないんだった。今はれっきとした女の子だった。


「へえ、そのナリでか?」

「なら脱がせて確かめてみねえとなぁ?」

「ひっ……!?」


 ぞっとするような下卑た顔が、至近距離に迫ってくる。

 とっさに口をついたセリフも、怯えた反応も、余計に彼らをたきつけるだけだったらしく、欲情しきった視線がボクの体へと突き刺さった。


「ほら、こっち来いって」

「痛っ……」


 強引に腕を引かれ、表情がゆがむ。

 相手のガタイを見るに、元の男の体だったとしても力で敵うとは思えない。それにしたって、ここまで何もできないとも思えない。

 懸命に暴れてはみるものの、掴まれた腕は微動だにしない。足も一切の踏ん張りがきかず、なすすべもなく連れていかれようとしている。これでは無抵抗も同然だ。

 今の自分が女の子であることを思い知る。男女の差というものを痛感する。


「や、やめてぇーーー!」


 男だった時ですら、『そういうこと』なんて未経験なんです。

 大切に守り抜いてきた『はじめて』が、こんなムードもへったくれもない状況下で、複数人の名も知らぬ相手に無理やり散らされる。極め付きにはその相手が同性(おとこ)だなんて。数え役満です、オーバーキルです。ありがとうございました。


「ダメです、リンさんを離してください!」


 ショコラちゃんが、悲鳴にも似た叫び声を上げた。


「大人の男の人たちがよってたかって、あーんなことや、こーんなこと…………そっ、そんなのダメですー! 連れてっちゃ嫌です~!」

「……ショコラ、いったい何を言ってるの?」


 恥ずかしそうに顔を真っ赤に染めつつ、そんなことを言っている。

 どうやらショコラちゃんは、ボクがこのあと具体的にどうされてしまうかをわかってるようだ。どこで覚えたの、そんなこと。キミの将来が心配だよボクは。いや、人の心配をしている場合じゃないのだけど。


「ま、マリーちゃん!」


 ショコラちゃんが肩を揺さぶると、マリーちゃんは後頭部をかきながら、ため息をついた。


「ったく、わかってるわよ。なんなのあいつ、場を混乱させただけじゃないの」


 ぐうの音も出ない。

 ほんとごめんね。やっぱり何もできなかったよ……。


「……あ、あれ?」

「どうしたの? ――って……はあ?」


 結局は足手まといになってしまったことをしょげていると、二人は続けざまに目を丸くさせた。何やらおかしなことが起こっているようだ。


「……うん?」


 遅ればせながら、ボクも異変に気づく。

 さっきから景色がまったく変わっていないのだ。先ほどまでの引かれ具合から推測するに、とっくに少女たちの目の届かない物陰まで連れ込まれている頃合いなのに。

 もしかして、時間がゆっくりに感じてるだけ? これが走馬灯ってやつなのかな、命の危機だけじゃなく貞操の危機でも見るものなんだぁ……などと、のんきな感想を抱いていると。


「くっ、この……!」

「この女、どうなってやがんだ!? びくともしねえ!」


 大の大人が二人がかりで、顔に青筋さえ浮かばせ、死力を尽くしてボクの体を引きずろうとしている。


「おい、何を遊んでいる?」

「違う、こいつ、急に動かなくなりやがったんだよ! なんだってんだよ、いったい!」


 抵抗しても無駄かと半ば諦めていたので、精神的にも肉体的にも弛緩(しかん)しきっていた。にもかかわらず、足は浮いていないし、体は傾きもしていない。

 もう何が何やら。目をぱちくりさせつつ、きれいな直立不動を続行する。


「あのガキどもの前で惨めに泣き叫ぶ姿なんて見せたくねえだろうと思って、せめてもの情けかけてやってんのによぉ」

「強情だなぁ、おい。見られてる方がいいってか? なら、お望み通り――」


 二人の男はとうとうしびれを切らしたのか、ボクの衣服へと手を伸ばしてきた。

 さすがにそちらはカチコチに固まっていたりすることもなく、このままでは力任せに引き裂かれてしまう。あられもない姿をさらされてしまう。許せない、ボクだってまだろくに拝んでいない肢体(したい)だというのに。


「やっ……だ、だめっ!」


 本格的な貞操の危機に(ひん)し、反射的に拘束から逃れようと身をよじり、跳ねのけようとした――


 ――そのときだった。


「うっわぁあああああっ!?」

「はっ? ――……あぁぁぁぁぁッ!?」


 二人分の絶叫がこだまする。


「……はいぃ?」


 目の前で起きた不可思議な光景に、思わず頰をつねりかけたが……簡単に言うと、こうだ。

 一人はフィギュアスケーターばりの華麗なスピンを披露しながら、勢いよく瓦礫の山へと突っ込んでいった。

 もう一人は……こちらはとても表現しがたい。トランポリンや棒高跳びでは高さが足りないし、スキージャンプでは誇張しすぎだ。ともかく、ぽーんと空高く放り出され……遠くの方で、どすーん、という音がした。たぶん、廃屋のひとつに落下したみたい。


「……なにこれ?」


 ボクはもちろん、その場にいる誰もが呆気にとられている。

 深く考えるまでもなく、これは異常だ。明らかな超常の力だ。無論のこと、ボクには身に覚えがない力。

 ぎ、ぎ、ぎ、と、壊れたロボットのような動きで、ゆっくりと少女たちへ振り返る。二人のいずれかが、他者の身体能力を強化してくれるような《フェイス》も保有しており、それを使ってボクのことを助けてくれたのかと思った。

 けれど、二人はぽかんとしたまま揃って首を振った。自分たちは無関与だと言わんばかりに。


「……あ」


 と、なると。犯人候補は、もはやあの人しかいない。


 ――ちゃんとオマエにおあつらえむきな能力もサービスしといてやったから。


 すっかり忘却の彼方へと追いやられていたけれど、そんなことも言っていた気がする。


「まさか、これが? ボクにくれたっていう能力?」


 絶対的窮地を打開してくれたのはありがたい。けど、『おあつらえむき』と言った能力が、なぜこんな『馬鹿力』なのだろう?

 ……それは一時、さておくとして。


「てめえ……その力、《フェイス》か……」

「クッソ、()()()()かよ」


 一団の表情は焦りへと転じ、完全に及び腰になっている。

 形勢逆転。散々もてあそばれた分、すっごく気分が良い。実に胸がすく思いだ。


「関わる相手を間違えたのは、どうやらそっちみたいだね」


 ここぞとばかりにふんぞり返り、


「どうする? やる?」


 この上なくかわいらしく、にっこりと笑いかけた。


「……行くぞ」


 リーダーの一言に、皆は弾かれたように動き出した。先に瓦礫に突っ込んでしまった仲間を拾い上げ、残る一人の宙を舞った仲間の方角へと走り去っていく。

 ちゃんと見捨てずに回収するんだなと感心していたら――「逸脱者が!」「悪魔の申し子め!」「この淫売!」「チート野郎!」……などなど、ふんだんな捨て台詞を残していかれてしまった。


「…………なしてぇ?」


 世にも悲しげな、なっさけない声がこぼれる。

 いくら捨て台詞とはいえ、なんであそこまで言われなきゃいけないの……。


「気にしないでいいわよ」

「マリーちゃぁん……」


 すたすたと近づいてくる小さな女の子へ、すがるような眼差しを向ける。それを受けたマリーちゃんはビクっとひるみ、一歩退いてしまった。ボクは相当にひどい顔をしていたようだ。


「すっかり日常に定着してはいるけれど、やっぱり得体の知れない謎の力だから。『人道に反するもの』だの、『神への冒涜(ぼうとく)』だの、いまだに《フェイス》の存在を危険視や反対視する派閥も少なからずいるのよ。まあ、でも――」


 いったん言葉を区切り、男たちが去って行った方向へ、不機嫌そうな視線をやる。


「あいつらのは、ただの低劣なひがみね。元冒険者って話だったし、おおかた嫌な思い出でもあるんでしょ。冒険者さんの界隈は特に顕著(けんちょ)な《フェイス》至上主義みたいだし、持たざる者は文字通り無能扱いされるぐらい風当たりが厳しいらしいから」

「な、なるほど……」


 幼い頃から冒険者に憧れてはいたものの、《フェイス》を授かることはなく。

 それでも一度は奮起したものの、《フェイス》の有無による差を埋めきれず。

 紆余曲折(うよきょくせつ)の末、無念にも夢を断念してしまった、元冒険者たち。それゆえ、あんなふうに荒んでしまったのかなと思うと、ほんのわずかな同情心も胸をかすめる。


「――と、まあ、そんなことより。あんた、やってくれたわね?」

「え……!?」


 マリーちゃんがボクに向けたのは、一見して笑顔のようなもの。しかしそれは、これまで見せてくれた彼女のどんな表情よりも戦慄(せんりつ)を覚えるものだった。


「どうにか穏便にお引き取り願おうと、こっちが必死に頭めぐらせてるのに、それを丸っきり台無しにしてくれちゃって。いったいどんなお考えがあって乱入してくれたのかしら」

「お、穏便……?」

「そうよ。この上なく丁重に頼み込んでたじゃない」

「……」


 ボクの記憶が正しければ、火に油そそいでたようにしか見えなかったんですが。


「なによ、その目?」

「いえ、なんでもないです」


 なおも半目でにらみ続けられる。ボクごときの精神力ではこの目に抗いようなどない。いずれ必ず口を割られる。


「まぁまぁ、結果としてリンさんが助けてくれたわけですし」

「ショコラちゃん……」


 頼もしい救世主の登場に、ほっと胸を撫で下ろした。


「カッコよかったですよ、とーっても! あんな怖くて強そうな大人の方が、簡単に、こう……ぶんっ、びゅーん、ぐるぐるーどっかーんって!」


 全身を使っての大げさなジェスチャーを交えながら、耳をぴょこぴょこ、尻尾をぱたぱた、目をきらきらさせて語る、興奮しきった様子のショコラちゃん。


「やかましい」

「ふぇっ……」


 無情にも一喝(いっかつ)され、頭を押さえて縮こまる。本気で苛立ってるマリーちゃんには、ショコラちゃんも形無しのようだ。


「何より一番腹立たしいのはね。あんた、ちゃっかり使えたんじゃないの。《フェイス》でしょ? さっきのあれ」

「う、うん……たぶん」

「自分が使ってる力がどういうものか知らなかったの? それとも、とぼけてたの?」

「いやー……その、怒らないで聞いてね?」

「内容によるわ」


 あぁ、絶対に怒る人のセリフだ。これ。

 遠い目をしつつ、おとなしく白状する。


「ボクにこんな能力があること、ついさっき知ったの」


 少女たちの目が、まん丸に見開かれる。

 ほどなくして、二人分のため息が重なった。


「ほんっと……あんたって……」


 頭痛をぶり返してしまったのだろう。マリーちゃんは頭を押さえている。


「へんてこリンさんですね」

「へんてこリンだわ」

「あ、あはは……」


 言われても仕方がないなと、苦笑がこぼれる。


「だからさ、あの人たちがおとなしく引き下がってくれて良かったよ。全然わかんないもん、どういう能力なのかとか」

「何の能力も持たない輩が、《フェイス》持ちに歯向かうだなんて命知らずな真似しないわよ。あーあ……どうせ力づくで撃退するなら、この手で消し炭にしてやりたかったのに」


 物騒なことを口走りながら、手の平の上に炎を出現させる。

 料理の際に用いた火とは違う、禍々(まがまが)しい炎がごうごうと燃えさかっている。そっくりそのまま、マリーちゃんの現在の心境を表しているかのような炎。相当にご立腹のようだ。


「うっ……」


 ふと、うめき声が聞こえてきた。


「あ……」

「いたわね、そういえば」


 すっかり存在を忘れてしまっていたけれど、気絶させられていた商人のおじさん――フレッドさんが、意識を取り戻したようだ。


「だいじょうぶ……ですか?」


 ショコラちゃんが駆け寄り、フレッドさんのお腹へと手をかざし……《フェイス》を用いた治療を始める。


「あんた、ほんとお人よしよね」

「このおじさんは良い人だと思うんです。リンさんのこと、逃がそうとしてくださいましたし」


 ショコラちゃんの手から発せられるレモンイエローの光が、すぅっと消えていく。それにともない痛みも消えたのか、フレッドさんがゆっくりと上体を起こした。


「……すまない……ありがとう」

「いえいえ。他に痛むところとかはないですか?」

「ああ、もう平気だ。君は癒しの《フェイス》を持っているのか……すごいな」


 身体的には癒えたはずなのに、その顔は土気色(つちけいろ)だ。おそらく精神面によるところが大きいのだろう。


「あんな者どもに頼んだのが間違いだった……君たちを危険な目に遭わせてしまって、申し訳ない……」


 フレッドさんが深々と頭を下げる。どれほどの慚愧(ざんき)の念に駆られているかが、痛いほどに伝わってくる。


「だから言ったでしょ。人を見る目がないって」

「君の言う通り、だな……」

「お恥ずかしい限りです」


 なぜかショコラちゃんも応えた。そういえば彼女も同じセリフでマリーちゃんに叱られていたんだったと思い出す。


「本当に……すまなかった」


 フレッドさんがもう一度、深く頭を下げた。


「あー、そういうのいいから」


 それを見て、マリーちゃんはさぞ面倒くさそうに早く頭を上げろと手振りで伝える。


「……許して……くれるのか?」

「そんなはずないでしょ」


 悲愴(ひそう)な声にも、すげなく返し、


「あんたは()()()()()()()として、()()()()()()()をしようとしただけ。それにいちいち目くじら立ててたら身体がもたないの」

「……」

「わかったら、さっさとどっか行って」

「ま、待ってくれ!」


 不意にその目に強い光を灯し、フレッドさんが詰め寄った。


「恥を忍んで改めてお願いする。先方と一度、直接会って話してみてくれないか?」

「あぁ……あたしたちを『かいたい』って人のこと?」


 皮肉めいた口調。『買いたい』と『飼いたい』、二つの意味が込められているのだろう。

 それを否定しようと、フレッドさんは断固として首を振った。


「あの方はそんな(よこしま)な感情など決して持ち合わせていない。言っては悪いが、大層な親馬鹿なんだ。純粋に娘さんの話し相手や遊び相手として、君たちのことを欲していたのだろうと私は思っている。一度でいい、この通りだ」


 必死に頭を下げるフレッドさんのことを(あわ)れに思ったのか、ショコラちゃんが「どうします?」と無言で小首をかしげて、マリーちゃんの顔色をうかがう。


「何度言われても答えは変わらないわよ。行く気なんてさらさら無い。会う気も無い」

「しかし……!」

「百歩譲ってその人が本当にただのお人よしだとするなら、なおさらだわ。いずれわかるもの。あたしらを引き取ったのが、間違いだったってことにね」

「……」

「そうなれば同じことよ、あたしたちはまたあてもなくさまようことになる。その人の名や家庭に傷だけを残してね。そんなの、御免だわ」


 どこか実感のこもった口調。哀しげな瞳。

 元は貴族の家で暮らしていたというマリーちゃん。今しがた口にしたような出来事を、間近に目にしてしまったことがあるのかもしれない。


「そういう存在でしょ、あたしたちは。あんたたち大人の方がよくわかってるはずよ」


 (きびす)を返し、悠然と離れていく。

 しばらくはおろおろと視線をさまよわせていたショコラちゃんも、ぺこりと頭を下げ、マリーちゃんのことを追いかけていった。



 取り残された大人二人は、揃って視線を落とす。

 あの子どもたちは、自身のような特異な存在に関して、おそらくはこの世界の誰よりも達観し、諦観(ていかん)し……そして、絶望している。彼女らが抱える闇は、あまりにも深い。

 そして、あんな小さな子どもに、あんなことを言わしめてしまう、この世界の『正しさ』が、どうしようもなく歯がゆい。


「……本当は、わかっているんだ。私も……街の皆も」


 ぼそり、とフレッドさんが力なくつぶやく。


「あの子たちの存在を恐れ、離れていく者がいるならば……あの子たちを街から追い出してしまえばいい。それは手近な答えだ。だが同時に、ひとつの噂に(まど)わされ、避けられてしまうような、取るに足らない街であることを認めることになる」


 悔しそうに、地面へ拳を打ち付ける。


「あの子たちの影響力は確かに恐ろしく強い。それでも、私たちの手で、あの子たちの存在など(かす)んでしまうほどの素晴らしい街にすべきなんだ」

「……その信念は、素敵だと思います」


 悪いものを排除するのではなく、この街自体をより良いものにしようという意思。それは尊くもあり、応援したいものでもある。

 でも……頷きがたい点がひとつある。


「でも、ボクはあの子たちの存在を霞ませたくないです」


 フレッドさんが目を見張り、ボクの顔を穴があくほどに凝視してくる。


「生まれた種族だとか、身体のつくりが違うだとか、そんなことで爪弾きにされるなんて……あっちゃいけないと思うんです。あの子たちは、決して怖くなんかないんだって……良い子たちなんだって、みんなに伝えたいんです」

「……」

「そうして、徐々にでいいから、あの子たちに関する新しい噂が広まっていってくれればいいなって思うんです。いまはまだ、夢物語みたいな話ですけど」


 他人の目を避けて、日陰で暮らすのではなく。当たり前の人として、堂々と陽の下を、笑顔で歩いていけるように。

 ボクは、そんな道を探したい。


「もし、それが叶うなら……どんなに喜ばしいことか」

「険しい道なのはわかっています。だけど、ボクは――」


 改めて口にしようとすると、思った以上に照れくさくて。

 それでも、自らの決意を揺るぎないものとするために、あえて言葉にする。


「あの子たちの親になるって、決めたので」


 頰をぽりぽりとかきながら、ぎこちない笑顔をみせた。


「……そうか」


 ずっと硬い顔をしていたフレッドさんが、ようやく破顔した。


「償いなど望んでないかもしれないが……機会があるなら、必ず君たちの力になる。あの子たちにも、そう伝えてくれ」


 互いに会釈を交わすと、フレッドさんは表通りへと戻っていく。

 その背を見送りながら、ひとりごちた。


「……見つけなきゃ、ね」


 この街のために、あの子たちのために、ボクができることを。



    ◇    ◇



「『帰って』って、いったい何回言わせる気よ」


 二人のもとへ近づくと、開口一番、マリーちゃんからそんなことを言われる。


「いや、もう少し話したいというか……今後の相談とかしたかったんだけど……」

「こっちは話すことなんて何もないわよ。ほら、さっさとお帰り下さいませ、お客様」

「えぇ~……」


 なんとも無愛想な店員さんだ。しかし、もうとっくに食事は済んだわけだし、そもそも無銭飲食の客を相手にしたものとしては、まだやさしい対応かもしれないが。


「そういえば、リンさんリンさん」


 ショコラちゃんが、とことこと近づいてくる。


「う?」

「さっき言ってましたけど……保護者が、どうこう……って」

「あぁ、うん。そうだね、ボクはそうしたいって思ってるよ。キミたちが認めてくれるなら、だけど」


 微笑みかけながらそう答えると、ショコラちゃんは、ぱああっと目を輝かせ、恥ずかしそうにもじもじし始めた。


「つまり、その……お、『おかーさん』……と呼んでも?」

「うんうん、そうだよ、おか――」


 ぴしっ、と音を立てて固まる。

 そうだ。ボクが『お父さん』などと呼ばれることは、もうないのだ。密かに抱いていた夢は、儚くも散った。


「ど、どうしました?」

「ううん、こっちの話だから……そうだよ、そう呼んでくれてもいいんだよ」


 ショックではあるが、たった一字違いだ。そのうち慣れる。いや、慣れても困るんだけど。体の性別はもうどうしようもなくとも、心まで女性でありたいとは思ってないから。

 などと、しょうもないことを考えていたら、


「アホらし」


 そう、マリーちゃんがばっさりと言う。


「ショコラねえ。あんた、そうやってすぐ人を信用するのやめなさいっての。こんな頼りない世間知らずが母親? あたしは大反対だわ」

「そんなことありません! リンさんは頼りに――なりませんし、世間知らず――ですね!」


 ……あれ? フォローが一切入らないどころか、逆に追い打ちを食らった。やめて、目の奥がツンとしてきちゃう。

 けれど。


「そう……だね。キミたちの言う通りだよ」


 悲しくとも、それが現実だ。いまのボクにこの子たちの保護者たりうるものは、何も無い。常識的なこととか、金銭面のこととか。そういう最低限で当たり前なものさえ無いのでは、てんでお話にならない。


「でも、がんばる。もっとキミたちに信用されるよう、認めてもらえるよう、がんばるからさ」


 この子たちに恥じぬよう、ちゃんと、しっかりとした、頼れる大人になってみせる。

 いずれ立派な親に……『おかーさん』になってみせる。

 それが、いまのボクの夢だ。


「もう関わらないほうが身のためだと思うけど」

「それは……どうして?」

「さあね」


 背を向け、気だるげにひらひらと手を振る。もう話は終わりだから帰れと言わんばかりに。

 この子にぞんざいに扱われるのに慣れてきてしまっているというのもあるけれど、この程度でめげるつもりなんて毛頭ない。


「またね、マリーちゃん!」


 こちらを向いてくれずとも、構わずに元気よく声をかけた。


「ショコラちゃんも、またね」

「はいっ。ショコラはちゃーんと、期待してますからね!」

「ありがとう! がんばる!」


 二人とも晴れやかな笑顔で、大きく手を振り合いながら、ボクはその場を後にした。




「……次はもっと厄介なのがやってくるからよ」


 その小さなつぶやきは、ボクの耳には届かなかった。


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