7.倫理と紋章.3
朝起きたらリリムが困った顔で自分を見ていた。
そういえば昨日は面倒だしうるさかったから自ら拘束して寝たんだっけと思い出す。限界まで赤かった顔は白い肌に戻っているものの、耳と頬が少し赤い。リリムが私よりも大きいからか、私が胸元に顔を埋めている体勢になっている。
「おはよう」
「……おはよう」
普通に挨拶すると戸惑いながら返事をしてくる。嫌われてはいないようだけれど、眠れてもいないかもしれない。
「眠れた?」
「い、一応」
緊張しすぎて気絶するように寝たか、もしくは慣れたか。この状態で抵抗していないなら、もう慣れてしまったんだろう。人肌の温かさに頬を摺り寄せると微かに花の匂いがする。そういえば昔酒場のゴロツキどもがエルフは良い匂いがすると言っていた。リリムは肉は少ないけれど胸はあるしふかふかしている。肌触りもいい。なるほど、これは病みつきになる理由がわかる。
だらけきった顔でもう少しもう少しと堪能していると、もう襲わないとわかったからかリリムは大きく溜息を吐いた。
「……とりあえず、服を着させて」
「はい」
大人しく腕の拘束を解くと、身体の前をすぐに隠して私に背を向けて服を着た。髪がさらさらとしていてうなじが色っぽく見える。何もしていないけどなんだか背徳的だ。私は悪い奴隷使いなのかもしれない。本当に何もしていないけれど。
私も久々にしっかり寝たからか腕以外の身体の調子がいい。やっぱり腕は痛いのだけれど、さて回復薬を使うか、それとも成長のために自然治癒か。
村長の態度から突然襲われたり拘束されることはないと思うが、昨日村長を守るはずの門番が村の大事に来なかったことが気になる。国が勝手に寄こしたと言っていたから、恐らく村長以外を守る気がないのだろう。彼はあくまで村長の家の門番であるということは、大事にされているのは紋章だ。つまり村長が私たちに危害を加えなくとも彼が国のために乱入してくる可能性があるということ。
回復薬を眺めて考え込む。
「痛いの?」
「まあそれなりに」
「変な体勢で寝るから」
「それはそれ」
特効薬だからピンチになってからかけてもいいだろうか。いや、備えすぎて悪いことはない。今までの迷いなんてなかったように躊躇なく腕にかけた。少し熱くなって痛みがひいていく。
「用意ができたら行こう」
リリムと荷物をまとめて部屋を出ると、外でスナッチとクラリスが待機していた。昨日限界まで魔力を削ったクラリスは少々ぐったりしている。
「お前は元気だな……。よく眠れたのか?」
「薬も使ったし、リリムの抱き心地が良かったから割と回復した」
「待て待て待て」
「ちょちょちょっとちょっと本当にもう」
クラリスにアイアンクローをかまされてリリムに両手で頭をぐりぐりされている。かなり痛い。なんか複雑に痛い。どうして二人揃って人の頭に乱暴をするんだ。スナッチだけが爆笑している。
「この変態! ああもう! 二人きりにさせるんじゃなかった!」
「言い方が誤解を生んでるから! 変なこともしてないのになんでそういう言い方するの!?」
二人揃って違うことを言いながら責めないでほしい。聞き取れない。あと痛い。
「ルートリア、お前リリムのことも抱き枕にしたのか」
「『も』!?」
「お前らやっぱりそういう関係なのか……?」
「やめろ気持ち悪い! 俺とルートリアはただの腐れ縁だし、ルートリアに手を出すくらいなら俺は綺麗なお姉さんがいい!」
「私もスナッチは固いし暑苦しいし嫌だー」
それに私が昔抱き枕にしたのはこの男ではなくスラムで一緒に育ってきた妹のような女の子たちである。無論ぬいぐるみなどないため、その代用といった形だけど……。布団を簀巻きにして寝ていたこともある。そうか、最近うまく眠れなかったのはリリムとクラリスへの警戒心の他にそれもあったのかも。
「つまりこの子の場合は……そういう習性なのね」
「そういうことだ」
人を動物みたいに。いや、エルフからすれば人間も動物なのか?
クラリスは今日も頭が痛そうだ。頭をいじめられたのは私なのに。250年も生きていると考え方が広くなるのではなく凝り固まっていくのだなあと勝手に納得した。
「リリム……お前には苦労をかけるぞ」
「これからの旅が今改めて怖い」
スナッチもリリムもおかしなことを言う。
「スナッチには今から迷惑をかけるぞ」
きちんと宣言してスナッチにこれからの相談をする。
私が戦ったことはもう隠せないとして、村長にどうやって直訴するかだ。恩人だからといって正直に紋章が欲しいなどと言って渡してくれるものだろうか。嘘をついて悪用をするのも心苦しい。それならいっそきちんと盗んで悪党として扱われたほうが村人に対して国が辛く当たることもないだろう。ただ問題はお尋ねモノとなった場合、紋章を盗んだけれども使えないという事態が発生する。それでは意味がない。
「僕は話したほうがいいと思う」
ドワーフ同士って凄くわかりやすいのかなあ。クラリスがそう言うならバカ正直に行動してみようか。そうなれば気にするのはマリンベルに遣わされているあの門番だ。村長だけをどこかに誘い込めればいいんだけど……。こういうのはどっちかっていうとスナッチの十八番か。
「スナッチ、村長をどこかに連れ出せると思う?」
「門番は警戒してるだろ。……いや、待てよ」
門番は昨夜鉱山に来なかった。村長が居たにも関わらず。
「夜はいないか、鉱山に来ないか。どちらかだな」
「それなら観光がてら鉱山案内でもしてもらおうかな」
門番がついて来たら夜を伺うか。まだまだ先は長いのに足止めを喰らうと焦れるな。なんとか慣れ始めたリリムとクラリスの修行に当ててもいいけど適当に行うにはもったいない。ここに来るまでに私とスナッチも人を守る戦い方が下手だということもわかっている。初心者4人だとやっぱり知識が欲しいな。あと人手も欲しい。
村長の下へ向かうと、やはり門番がいた。
昨日挨拶を済ませているからか、村長に用があるというだけで中に通される。
「おぉ、待ってたぞ!」
村長はにこやかに私たちを迎えると、バンバンと肩を叩いてくれた。酒でも呑んでるのかこのテンションは。……機嫌が良くなるとクラリスもこうなるのだろうか。想像できない。
座れと言われて並んで座る。
「跡継ぎはあいつしかいねーからなあ。本当に有難うよ!」
本当に声がでかい。ドワーフは正直、豪快、根が明るい。クラリスみたいにブツブツと愚痴や文句を言うばかりのほうが珍しい。魔法だって扱えるし、もしかすると純ドワーフではないのかも。
「うちには弱い魔物としか戦えないでくの棒ばかりでな。国から来たヤツらも俺が襲われたときにしか動かねぇ。放っときゃ息子は死んでいただろうよ」
「あの女性は?」
「あぁ?」
「私たちより先に魔法使いの女が中に居た。火の魔法で自滅していたみたいだけれど」
「あー! 息子が担いでいた女か!」
村長曰く、挨拶にも来ていなかったらしく本当に誰も何も知らないらしい。おまけに朝にはいなくなっていたとか。まあ、関係ないならいいか?
「とにかく俺はお前らに感謝している! 見てのところただ旅をしていたわけじゃないだろ」
目線がリリムとクラリスに向く。やっぱり鎖は見えているのかなあ。
「何を目当てに来たんだ?」
外に目線をやり、首を横に振る。できるだけ門番に聞かれたくないため、遠まわしな言い方を選ぶ。
「鉱山を案内してほしい」
「……ふむ、いいだろう。見ず知らずの村人を助けたうえで俺を襲うとは思えんからな」
何より恩人を疑うなんてしたくねぇからな!と豪快に笑う村長。どちらかといえばクラリスよりスナッチに似ているかも、と考える。
案内された場所は昨日の鉱山とは別の場所だ。恐らく私たちが何を欲しているか理解しているんだろう。暗くじめっとした洞窟を抜けると一面暗い蒼色に囲まれた広場に出た。同じ鉱石でできているんだろう。淡く光っているのか、洞窟内なのにしっかりと見渡すことができた。
なんとなく指先を適当な壁に触れてみると触れた部分だけが強く光った。
「驚いたな」
村長が帽子を下ろし、目を剥いてこちらを見る。
「その鉱石は紋章に使われるもんなんだが、勇者以外には発光しないもんなんだ。その光が勇者の証になるんだとよ」
……なんだって?
村長が村人でも自分と息子しか知らない場所だの、大事な場所だから普通の鉱山とは入り口を別にしているだの、何か話しているけれど耳に入って来ない。スナッチと顔を見合わせて一つ頷いた後、同時に口を開いた。
「それじゃあこっそり手に入れても使えなかったんじゃないか!」
「お前なんで光んの!?」
「お前らなんで顔見合わせた癖に違うこと喋ってんだよ!」
一拍遅れてクラリスから謎の突っ込みが入ったけどどちらも重要なことだと思う。もし無断で泥棒しても無駄だったのだ。じゃあ紋章を隠す意味ってなんだ?
もしかするとトラップだったのかもしれない。それがなければ勇者のフリはできないぞと情報を漏らすことであの門番に怪しい人間を淘汰させていたのかも。だから細工師である村長しか守らず、鉱山は放置だったんだ。本当は盗られても問題がないから。
「そこにごちゃごちゃした塊があんだろう」
言われて指差された場所を見る。壁と同じ色をしたアクセサリーが確かにごちゃごちゃと捨て置かれている。そう、捨て置かれている。つまりここは墓場だ。
「欲しいのはそれだろ?」
「いいの?」
「本来ならここに入れることも許さねえが、恩人の頼みだしな。それに言ったろ、本来だったら勇者以外には無用の長物だ。悪用するしか使い道はねぇが……」
一つ手にとってみると、手の中で発光する。心臓の音に合わせて点滅しているようだ。
「あんた、良い血筋なのか?」
「わからない」
「確かに2つの国の第二王子にしか反応しねぇはずなんだがな」
手の中で発光する石を眺める。なぜか安心する。
横から覗き込んでいたリリムが視線を私の目に移した。なんだろうと思って見つめ返すと、リリムの細い指先が頬に触れた。食い入るように見てくる。普段だったら先に目線を逸らすのに。
「やっぱり、同じ色だね」
いつもの囁き声でそう言われて、顔を離して石を覗き見る。いつか水面や鏡で見た自分の目の色と確かに似ている。
「なるほど、つまりこれは……ラッキー!」
「もっと深く考えろよ!」
小さな身体いっぱいに文句を言うクラリスをスナッチがどうどうと宥めている。
「何か法則があんのかもなあ。しかもお前、スラムに来る前の国がどこかもわかってないから意外とやんごとなき血筋だったりしてな」
「そうなったら魔王を倒した暁には冒険譚のタイトルをスラム姫にしてもらおう」
考えてもわからないので適当に話を混ぜかえしていると、村長が反応した。
「魔王を倒す?」
しまった。
聞かれる前に野望が漏れてしまった。村長が正気かという顔に変わる。こうなってしまっては開き直るしかあるまい。スナッチが頭を抱えた。最悪の場合に備えて手に持った一つを握りしめて真面目な顔を作る。
「あんた、それが光っても勇者ってわけじゃないんだろ?」
「目指してはいる」
「もし紋章が手に入らなかったらどうする気だったんだ?」
「……気合か何かで倒そうかと」
ドワーフ特有のくりっとした目をまっすぐに見返していると、村長の顔が笑いに変わる。
「ハッ! ハッハッハッ! こりゃあいい! そうか、そうかよ!」
バンバンと音を立てて肩を叩かれた。
「恨みか? 復讐か?」
「ある意味ね」
「そうか、でもこのご時勢に勇者を頼らず自分で魔王を倒そうってか! その発想は無かったよ!」
よほど面白かったのか村長は大笑いしている。酒場で仲間を募っているときにも見た笑いだけれど、村長には悪意がない。本当に信じられなくて、本当に面白いと思っている。けれど汚物や悪者を見るような目ではない。拾った紋章を固く握った手をポンポンと柔らかく叩かれる。
「いいよ、やるよ。黙っててやるから、それは持っていけ」
「いいの? バレたら……」
「こんなゴミの中のなにが無くなったって気付きゃしねーよ。よそで悪用されてるっつってもここから盗まれたって証拠は出てこないからな」
良い人だ、と思った。リリムやクラリスだけじゃなく、私もいつのまにか人間嫌いになっていたのかもしれない。彼はドワーフだけれど、無意識のうちに疑っていた。いつ糾弾されるのか、どのタイミングなら自分が傷つかないかを伺っていた気がする。
「魔王を倒したら、その冒険譚には俺の話も入れてくれよな!」
「……もちろん」
自然にあがる口角を自覚する。
リリムとクラリスがすごく驚いた顔をしているのが視界の隅に映った。スナッチは兄貴面して嬉しそうに笑っている。