6.倫理と紋章.2
駆けつけると鉱山の入り口から煙があがっていた。
近くで見ていた人に声をかけると、中で魔物が暴れているらしい。
「怪我人もいるのか……」
「夜なのに?」
リリムの言葉に頷いてみせる。鉱山の中は昼だろうが夜だろうが暗い。太陽の位置を覚えて時間がわかる魔導石でもあれば別だが、あれは高価だったり希少だったりするので普段使いされないのである。鉱夫の生活は己の体力と腹時計が管理している。腹が減ったり食料が尽きれば帰るし、荷物がいっぱいになれば戻る、体力があればもう一度潜る。
「あんたエルフか!? 助けてくれ! 怪我人がいるんだ!」
かろうじて逃げ出してきたのか、包帯を巻いた男が駆け寄る。リリムに回復魔法は使えない。縋りついてきた男を困ったように見て、こちらに視線を投げかける。
「落ち着いて」
「薬売り! 頼む、俺じゃない、息子が危ないんだ!」
荷物は宿だ。音は大きかったが、スナッチが機転を利かして荷物を持ってくるとは思えない。リリムは人と接する機会がないから困っているし、首輪を外して呼びに行ってもらうのもあまりよろしくない。くそっ、頭を使うのは嫌いなのに!
「旦那が! 旦那がまだ中にいるの!」
助けてと叫ぶ人の多さに身体が足りない。
緊急を要するのに一度リリムを連れて宿に戻って良いのか。それとも、どうするのが正解か。
「ルートリア!」
スナッチだ。ようやく来た。
クラリスを連れて荷物を全部持ってきている。
「ちゃんと荷物を持ってきたの? 珍しく偉いね」
「クラリスが持っていったほうが良いって言ってくれた」
「じゃあ偉いのはクラリスか」
嬉しかったのでクラリスの頭を撫でると憤慨された。こっちは涙を流しそうなくらい喜んだというのに。
「どうする、潜るのか」
「怪我人が多い。外で救護する人間が足りない」
「クラリスとリリムを置いていけたらいいんだがな」
いや、リリムは魔物に挑むほうへ来て欲しい。本来エルフが得意な回復魔法を使えないリリムがここに残っていると恐らく不信感を抱かれる。責められてもリリムも困るだろう。ひとりひとりに説明する手間も作りたくない。
考えるべきは私か、スナッチだ。普通に考えればスナッチに行かせるべきだけれど、魔法でなければ倒せない相手が出た場合、まだ風魔法を扱い始めたばかりのリリムへの負担が大きい。行商人のはずのお前も戦うんかーいっていう怪しさ満点の状態は……なんとかしたかったけどしょうがない。
「クラリスは怪我人の手当て。スナッチはその手伝いと鉱山から出てくる敵からの護衛。リリムはついてきて」
きちんと装備を整えたリリムの手を引き、鉱山へ入る。爆発音はしたが火はあがっていない。道は広いし煙はあるが見えないほどじゃない。布を口に巻いて前へ進む。確か空気保護の風魔法があった気がするけれど、恐らく使わないということはリリムはまだ知らない。自分を真似てきっちりと布を当てている。
遠い昔に魔法は修練だと聞いた。実際はどうなんだろう。スラムで生活して身についたのは生き残る術だったから、肉体以外の強くなる方法がわからない。
「ねぇ、待って」
袖を引く感触がして振り返る。
「あっちから何か音がする」
リリムが指差す先に細い通路があった。煙はここで合流しているようだからどちらから行っても問題なさそうだ。音が近いということはもしかするとこっちが近道なのかもしれない。……ただ、私には何も聞こえないんだけど。
「エルフって耳良いの?」
「……狩猟には向いているらしいけど」
「私には全然聞こえないなあ」
それでも指差されたほうに向かうと、今度はリリムが変な顔する。
「聞こえないのに信じるの?」
「……一応なにかしら考えはしたけど」
「でも向かうんだ」
お互いに変だなあと思いながら前に進む。お互いの常識に当てはまらないことが多く、お互いにそれに腹を立てるほど元気でもない。結果として不思議だなあおかしいなあ自分と相手どっちがおかしいんだと考えている。クラリスやスナッチであれば自分と違えば「普通こうじゃねーの?」などとのたまうのだけれど別に嫌なわけでもないから言うわけでもなく。ただ違うということを認識する。受け入れるでも矯正するでもない、ただ覚えておくだけだった。そこは同じ考えを持つリリムに好感を抱いている。
違うけれど、居心地が悪くない。
旅においてとても重要だと思う。だからできるだけリリムに“旅の仲間”になってほしい。首輪をつけてる自分が悪いのだけど、ついてきてほしい人だと思う。
「ここまで来たら私にも聞こえる」
「前からそうかもとは思ってたけど、人間ってこんなに耳悪いんだ……」
金属のぶつかる音がする。爆発音は最初の一回だけだったけど、火は使わないでおこう。
あと、他人の常識を受け入れて隠されてしまうともったいないのできちんと言葉にもしないといけない。
「リリム」
「何?」
「耳が良いのは、リリムの長所だよ」
「長所……」
人間の耳が悪くて、それがリリムではなくエルフの特徴だったとして。それでも今ここにいるのは、旅に出ている珍しいエルフは“リリム”だけなのだ。エルフの中では褒められなかったことかもしれないけれど、私達の中では秀でた長所となる。人と違う部分を、特技を、自分できちんと認識してもらわなければ使ってもらえない。言葉の意味を噛み締めているのか、リリムはマスク越しに顎に手をあて、考える仕草をとった。
さて、次の曲がり角ぐらいじゃないかな。リリムに矢を準備するよう伝えて、様子を伺う。
煙で良くは見えないけれど、一人なにかと戦っている様子が見える。魔物は一匹か。何かを叫びながら恐らくツルハシで殴りかかっている。戦っている一人と、奥に……怪我人!
認識としたと同時に駆け出す。すれ違い様に魔物を斬り付け、怪我人に回復薬をぶっかける。戦っている鉱夫の服を掴み、強制的にに後ろに下がらせた。尻餅をついた鉱夫が驚く。
「な、なんだぁ!?」
「手伝いに来ました」
「あ、ありがてぇ。だがそこのお嬢さんみたいに炎魔法は使うな!」
どうやら最初の一回は倒れている彼女が起こしたらしい。魔法使いといった風貌だけれど一体なんで中に居たんだろう。
カチンカチンと魔物が動くたびに火花が散る。火薬か何かを纏っているのか、斬り付けたときは石のような固さだった。風魔法も怖いな。水魔法がいい。
「リリム! 水魔法でなんとか援護して!」
まだ練習もろくにできていないけれど、簡単なものなら扱えるはずだ。適正があるのだからこれから伸ばす事ができればいい。
さて、剣は効かない。おそらく矢も無理。魔法も火・雷・風は封印された。自分の扱える魔法は、あとは光と闇。スナッチの斧なら強引に壊せたかもしれないけれど、と思い後ろを振り返ってツルハシを奪う。手に馴染まないけれど仕方ない。お腹に力を入れて、あまり火花が起きないよう優先的にリリムが弱い水魔法で塗らした部分から削っていく。これは思ったより体力仕事だ。敵の攻撃を避けながらちまちまと相手を削っていく。
「……きっつ」
やっぱりスナッチを送り込めばよかった。爆発音が敵のものかもしれないと考えたから面倒なことになったんだなって自分の判断ミスに気付く。ただ、あの時点ではその情報もなかった。仕方のないことだと腕を振り上げ続けた。
四肢が砕けて動けなくなった魔物から魔石が転がり落ちたので拾っておく。魔物を倒すとたまに手に入る。売ると金になるし、加工する力があるなら魔導石にしてアクセサリーなどを作ることもできる。
汗だくの身体が気持ち悪い。リリムに水魔法でもかけてもらおうかと思ったけれど、恐らく慣れない魔法と初めての二人での戦闘にリリムも疲弊している。
「ありがとう! 君達は旅の人か?」
「……そうです」
もう行商人と名乗るのは諦めた。戦える行商人って名乗っていいんだろうか。首輪の鎖ギリギリのところに居たリリムが近寄ってくる。洞窟に入る前の回復魔法のゴタゴタですっかり村の人に怯えてしまっているみたいだ。耳だけじゃなく鼻もいいだろうに、汗臭いはずの私のすぐ傍に控えている。
助けた鉱夫に倒れている女性を運んでもらい、なんとか外へ出る。戦闘に時間をかけすぎたせいで外は大分落ち着いたらしい。既に逃げていた人たちの手当てが終わったのかスナッチがクラリスを布で扇いでいた。
こちらから声をかけるより先に様子を見に来ていたらしい村長が走りよってきた。
「ヨハン! ヨハン! 無事だったか!」
「父さん!」
旦那がまだ中に居るといっていた女性も傍に。少し見守った後、自分もスナッチに話しかけた。
「よ、おかえり」
「クラリスは魔力切れ?」
「この村の人間は回復魔法を使えるヤツが少なかったようでな」
回復魔法を使えるドワーフのほうが珍しいんだよな。光魔法とはまた別だし、私もあまりわかっていない。私も使えるようになったほうがいいだろうか。今度リリムには内緒でクラリスに聞いてみよう。
「お前らが助けた一人で全員だぜ……と言いたいところだけど二人いるな?」
「彼女は魔物を倒そうとして火の魔法を使って自滅したらしい」
「何者だ?」
「さぁ?」
冒険者だろうか。煌く金髪と格好から魔法使いとわかるけど随分とガタイがいい。背の高いけれどエルフではなく人間だと思う。
「まぁ、俺たちより怪しいというのは有り難いな」
「あ~」
「アレは放っておいていいか?」
回復するか否かの判断はスナッチに任せていたんだろう。クラリスは起き上がると、彼女を指差して嫌そうに告げた。
「気絶しているだけみたいだし放っておいたらいいと思う」
それより背負われている彼女を話題に出したことで、村長の目がこっち向いたことがきつい。
興奮して助かったと叫ぶ息子さんのおかげで私がガッツリ戦闘したことがバレている。スナッチに真っ先に言い訳を考えさせるべきだった。えーっと、まずい、こっち来た。背中にリリムを庇いつつ、謝り文句を考える。こちらが口を開くより先に村長はニッカリと笑った。
「息子を助けてくれてありがとうな!」
バンと肩を叩かれて思わず悲鳴をあげそうになった。これは明日は筋肉痛だけじゃなくて痣もできているかもしれない。唯一警戒してなかったらしいクラリスがへらりと笑う。
「ドワーフは大切なやつらと自分の命が幸福ならなんでも許されるのさ」
どんなに怪しくても、恩人は恩人。そういうことらしい。息子の鉱夫は嬉しそうに村人に恩人の戦いっぷりの話をした。私はあまりにも無様な戦いっぷりを思い出して落ち込み、スナッチはニヤニヤしていた。村長がお礼をしたいからぜひ次の日に家に寄ってくれと話してくれた。そのお礼はどんなものでも許されるのだろうか。
紋章の話をどう切り出すか、スナッチとは朝打ち合わせることにして宿の自分の部屋へ帰った。
「むぅ」
水で濡らした布で軽く自分の身体を洗ったものの腕の疲労感が消えない。明日も紋章のことで一悶着あるかもしれないと思うとあまり明日に疲労を残しておくのは良くない。
隣で同じように身体を拭いていたリリムがビクリと肩を揺らした。そういえば、鉱山にいる間は忘れていたけれど二人きりになると怯えられていたんだった。
「ごめん、独り言」
綺麗な背中に一応声をかけるとふるふると首を横に振っていた。大丈夫、という意味だろうか。それにしては随分耳が赤い。なんでだろう、女同士でもエルフは恥かしいのかな。別に気にしないのに。ただリリムほど美人だと女同士でも色々あったのだろうか。いや、邪推はやめよう。
そんなことよりこの腕だ。もったいないけど自作の回復薬をかけてみようか。立ち上がって二人のベッドの間にある荷物に近寄るとこちらを見ていないはずのリリムの身体が壁に逃げた。
「……」
「……」
居心地が悪い。
ベッドに座りなおして思いっきりリリムを睨む。やっぱりエルフは気配とか雰囲気とかそういうのに敏感みたいだ。何か口を開こうとして時間がかかっている。早く寝たいので痺れを切らして自分から口を開いた。
「二人きりのときだけ、そんな風に怯えられるとさすがに傷つく」
言い方がなんだか拗ねたみたいになってしまった。
ハッと顔をあげたリリムが限界まで赤かった顔を今度は青くさせた。文化の違いはあると思う。でも今までみたいに話してくれなければわからない。私は人間で、その中でも特に気配とか空気とかそういうのを感じるのは苦手だ。
「ごめんなさい」
別に謝ってほしいわけじゃない。だから、まだ言葉を待つ。頭が悪いだの耳が悪いだのはハッキリ言えるのに、リリムが言い辛いことってのはなんだろう?
「はっきり言ってくれないとわからないよ」
「う……」
何度か口を開いて、閉じて、いい加減イライラしてきた。そういえば戦ってから何も食べていない。やっぱり早く寝て朝ごはんを幸せに食べたい。
一つ溜息を吐くと、更に怯えたリリムが慌てて言葉を紡いだ。
「さ、触られると、思って」
何をだろう。あまり予想していなかった言葉だったので素直に首を傾げる。てっきり飛んでくる言葉は、人間が怖いとか女が怖いとか、剣を握るこの手が汚いとか、そういう言葉だと思っていた。
「どこに?」
「え?」
リリムも聞き返されると思っていなかったのか、青かった顔をまた赤くして小さな声で聞き覚えのある話をした。そう、それはリリムとクラリスを奴隷商から買ったとき。
-実はあいつな、かなりのスキモノで-
-エルフっつったら長命だろ。エルフと色々やれるっつーならやりたい夢があるらしくってよ-
-例えば……
その続きは私が聞き逃そうとしたスナッチの台詞だった。エルフとしかできない、まあ、その、ちょっとえっちなやつ。リリムの整った口元と透き通った声には到底似合わない内容が、恐怖感とともに吐き出される。凄く言い辛そうに。
「わ、私、本当にそういうの、経験ないから」
「いやー……あの……」
エルフの耳が良いと知ったのは今日だ。私は悪くないと弁明させてほしい。そもそも本当に悪くないし、今悪を定めるとすればそれはスナッチだ。そう思いたい。二人を買うためとはいえ、悪いものは悪い。
怯える理由を聞いてもっと落ち込むとは思わなかった。
「あれは奴隷商からリリムを買うためのスナッチの嘘だから」
最初に説明したじゃないか。旅の仲間が欲しかったけど誰もなってくれないから金で買ったと。そう言うとそれは目的として聞いたけれどそのえっちな話が嘘だとも聞いていないという。だから二人きりになると怖かったって、つまり、それは、私がリリムを襲うと思われていたわけで。
襲うかもしれない、と疑われるのはその気がなければなんとも虚しいものだと知った。
リリムとクラリスをもう少し信頼してもいいかもしれない。首輪は外さないけど。
ひとまず誤解を解こうにもリリムが怯えきっていて聞く耳を持ってくれない。やれ本当に初めてだからだのせめて痛くないようにしてほしい、だの。眠さと身体のだるさの限界が来ている。おまけに空腹でイライラしている。
「リリム」
「え?」
「うるさい」
「えぇ!?」
回復薬は明日使うことにした。スナッチを殴るのも明日。
なにか疑ったり警戒するのも面倒になってまだ服を着れていないリリムをベッドに押し倒して抱き枕にして寝転がった。ガッチリと腕と足でロックをかけたので、オロオロと声をかけられていたけれど無視して強引に意識を手放した。