第七話「自転車で行けなかった三峯神社参拝の旅・大反省会~自転車で峠アタックの記憶を添えて~」
そんなこんなでたまにトレランしながら妙法ヶ岳を駆け抜け、三峯神社の社務所に戻ってきた僕はめちゃくちゃ息が切れていた。
「す、すいません。奥宮のっ、御朱印くださいっ」
「あ、はい。今参拝なされたということですね」
当たり前じゃ。この説得力、すげぇだろ。駆けてきたぜ。山道を。
もらった。
三峰神社はもちろん山岳信仰とも深く結びついている。通常「奉拝」と書かれている部分に「登拝」と書かれているが、山にある神社の御朱印にはこう書かれているそうな。
なんにせよ、こういうファンタジー膨らませられない書き物は字数稼ぎのために自分の気づきが重要になる。あらゆることに気づき、ツッコミを入れたり、より深く調べてみる。これが意外と楽しい。
15:30のバスに乗って三峰口駅へ。寝ようと思ったが、まるで眠れなかった。目を瞑ったら車酔いしそうな気がしたのだ。最近はめっきり車酔いしなくなったのだが、やはり運転しない側でこうグルグル回る山道を走っていると流石に酔う。
帰りは割とスムーズに電車に乗れた。じゃあねみなのちゃん。たぶんまた来る。雲取山登りに来るよ。
ガラガラの座席に座った僕は、この後寄居で降りて、なんだかんだ30キロくらい自転車で走ることを頭から消し去って、車窓を眺めた。
東京まで一本で行けるJR路線とは違って、17時を過ぎても人はまばらでなんだかんだ立ってる人もいなかった。
本当にゆったりしてるなぁ。
僕らは少し時間に余裕がなさすぎるとは思う。確かに時間厳守は大事だろう。守ることが当たり前で、褒められるわけではない。人として当然のこと。それは大いに賛同しよう。
ただ、それに苦しめられたり、苛立ちが隠せなかったりする人がいるのもまた事実だ。
時間は有限のように見えて無限なのだ。ただ悠久の時を有する世界で生きる人間の一生が光の速さで終わってしまうから有限だと決めつけているだけに過ぎない。
だから息詰まる生活を一度抜け出して「別に電車一本、バス一本逃しちゃってもいいや」的な旅をするのも良いものだ。逃すと次一時間後でも問題ないと思えるくらいの余裕を持って。あれだよ、自転車で4時半に家を出ればいいと思う。
17時過ぎ、寄居駅を出て、ひたすら254号を上る。東京側に行くので上るが正しい表現だが、下り坂が多いので下ってもいる。下らないこというのはやめよう。
橋の下の清流がいつのまにか晴れていた空の下で穏やかに流れていくのを見ていた。なんだか綺麗だなと思った。
さすがにまとめだけの文章でこの話を終わらせるわけにはいかないので、あまり関係がないが今日よりもっと計画性がなかった高校一年の春に秩父まで行った時の話をしようと思う。
高校に入ってすぐ、まだ環境も整わない中、気持ちの整理をつけるために特別なことをしたいと思った。
そこで夜中に思いついたのが「自転車で秩父に行こう」だった。
当時の僕に「秩父といえば?」と聞いても「山」としか答えないだろう。秩父に何があるのか情報が皆無だった。まだ他県の人の方が知ってるといったくらい。
でもやはり国道254号線を下って山へ行くワクワクは昔も今も同じだ。山が好きなのは間違いない。虫は嫌い。
僕は翌日、たぶん今回より遅めの5時半に家を出た気がする。流石に4時半じゃなかった。
持ち物は確かガラケーと新調したエナメルバッグに詰めたお茶犬(懐かしくて鼻水出た)のぬいぐるみ。あと小銭。確か200円。
無謀もいいところだ。なぜぬいぐるみを詰めた。
もちろん自転車は通学用のママチャリで、その時はまっすぐ国道254号線を行くのが邪道に思えて、どうせならときがわ沿いに走ってみようとか、地理も全く分からないのに無茶苦茶やった。東松山からときがわ町、鳩山町と訳の分からない道程でときがわを登っていき、小川町から東秩父村についたのが昼前だった。
今回の道程を途中まで踏めば東秩父村には遅くとも9時すぎについたはずだ。何をどうすればそんな時間になるのかも分からない。
そして僕はママチャリで悪夢の峠越えをすることになる。
とてもじゃないが立ち漕ぎですら進まない峠道。延々と続くように見えた。「こんにちは」そう言って去っていくローディのお姉さん。「えっ!?ママチャリ!?」と面白いくらい驚いていたバイカーさん。頂上近くで泣きそうになった僕。
車で行けば狭い峠道とはいえ、上り下り含めて三十分もかからない道を数時間かけた。
下りは下りでブレーキのかからない状態が続いて、壁に激突して無理矢理止めた。身も心もボロボロだった。峠を下りて秩父市街までやってきた僕だったけど、何をすればいいか全く分からなかった。
国道140号線を避けた僕が長瀞に行き着くわけもない。山も近いようで遠い。さて、どうするか。
その時はちょうどなん山でも紹介した武甲山のお膝元、羊山公園で芝桜が見頃だった。
臨時駐車場で自転車を止めて無料のバスで羊山公園に。降りたはいいが、入場料が払えなかった。すぐにバスに乗るのもアレなので入り口付近で時間を潰して帰った。何しに来たん?
確か午後二時とか三時とか。回り道しても帰れたものを僕は再び峠を越えた。今じゃ絶対にできない。寄居で日和ってる僕にはできない。
ここまで全くの飲まず食わずだった。途中の自販機で自分の持ち金で唯一買えるジュースを飲んだ。東秩父村の公共トイレの水飲み場で水を補給する。
今年、武甲山に行った時にその公共トイレを見つけた。懐かしさで泣きそうになった。涙腺が緩すぎる。
そして忘れもしない国道254号線、国立女性会館前の交差点。夕暮れ、とうとう腹が限界だった。ペダルを漕ぐ足も動かせないほどの空腹だ。しかし残金では食べ物は買えない。力つきるまであと少しのところでエナメルバッグの底で眠っていた、というか死んでいた粉々になったばかうけを発見した。
まるで数日ぶりに食料にありつけた遭難者の勢いで封を開け、粉をボロボロこぼしながら食べた。
断言する。今まで食べたものの中で、何よりも美味しかった。粉々に砕けたばかうけがどんな高級料理より美味しかった。
ばかうけのおかげで力を取り戻した僕は急いで帰って、日が落ちてすぐくらいには帰宅したような気がする。
実はそれからもチャリで長瀞に行って何もしないで帰ったり、チャリで八王子に行って何もしないで帰ったりいつまでも学ばないチャリ旅があるがここまでにしよう。
今回は目的を達成できただけでも良かった。でもいい加減きちんとした計画を立てろ。
3時間半の帰りの自転車漕ぎの中、そしてこの三峯神社の話を書いている時に思ったことがある。
どこにでもいるふつうの人間、いや、普通の人より劣っている人間の一日でさえ、割と書くことあるんだなぁと。
剣や魔法が無くたって、誰もが物語の主人公になれる。試しに外に出て大きな準備も必要ないような、旅とさえ言い切れない旅に出て、思ったこと、感じたことを書きしたためるといい。
なんでもないと思っていても意外と物語になってたりするものだ。
それは御都合主義もなく、誰にも否定できない貴方自身の物語だ。
そんなこと思いながら、次は諭吉を崩してお出かけすることを心に決めた。