「のんびり観光したかっただけなのにin飛騨高山」
奥飛騨温泉郷は平湯、新平湯、福地、栃尾、新穂高という5つの温泉街からなる。
今回お邪魔したのはその中でも新平湯温泉にあたるペンション木之下さんだ。一見するとただのいい感じの洋風一軒家だが立派な宿である。見頃になった紅葉が美しい。ん?紅葉がない?写真は夜撮ったものだ。疲れてたんだ文句言うな。
さて、チェックインから夕飯までは退屈な時間である。と言いたかったが、すぐ寝た。仕方がない。寝てないまま数時間歩き通したのだ。
今回のメインは何と言っても飛騨牛。分厚く切られた肉を炭火で頂く。
口に入れた瞬間とろける舌触り。甘ささえ感じる肉。100点である。
料理に対するコメントは希薄ではいけない。食感香りその他もろもろを伝えなくてはならない。
だが例えその全てを細かく伝えようと思っても最後は美味しいの一言に帰結する。グルメレポートは難しいのである。
さて、写真には色々と乗っかっているが、牛肉を焼いてタレにつけるだけではなんとなく勿体ないとは思わないだろうか。さぁ、貴方ならどんなアレンジを加える?
一つ目は定番のワサビを乗っけて頂くやり方だ。上品な辛味と肉の脂がマッチして美味い。日本に生まれて良かったと思う一瞬である。
二つ目は大葉に包んで頂くやり方だ。女将さんはそういうつもりで出したわけじゃないだろうが使えるものは使う。
うーん、サッパリ。日本に生まれて(略
ご飯の後はお待ちかねの風呂である。
ペンションということもあり、お風呂は大きくない。相風呂というものは正直気まずいくらいの大きさなのだ。
看板にも他の部屋の方が入っていた場合は使用をご遠慮願いますとか書いてあった。
8時ごろに一度向かう。
子供の声が聞こえる。辞める。
8時半ごろ向かう。
まだいる。辞める。
9時に向かう。
静かだ。でも誰かいた。辞める。
9時半に向かう。
まだいる。辞める。
10時に向かう。誰もいない。よっしゃ入ろう。
ここで問題が一つ。脱衣所の天井付近。本来はここに窓でもつければいいのだが、地味に吹き抜けになっていた。
寒い。なぜ全裸にならなければならない場所が館内で一番寒いのだろう。大急ぎで温泉に向かう。
しかし何故か浴室も寒い。ヒートショックを起こしかねないくらい寒い。すぐさまシャワーを出す。
しかし何故かお湯にならない。温度調節のレバーもない。お湯になるまで待つしかない。
桶で浴槽のお湯を掬い上げ、悲鳴をあげながら被る。
確かにこれは他の利用者がいたらダメだ。
人がゆっくり温泉に浸かっている横で寒い寒いと喚き散らし、あまつさえその温泉を汲んでバシャバシャかけられたら溜まったもんじゃない。下手すると暴行事件に発展しかねない。
ようやく温泉に浸かる。
人は何故温泉に浸かると「あ゛ぁ゛〜」と言ってしまうのだろう。もはや本能と呼べるくらい声になってしまう。ここのところ腰痛や肩凝りがしんどかったのでそれらのコリをほぐしていく。だいたい温泉の効能とか看板に書いてそうなものだが無かった。でも何かしらあるだろう。だいたい温泉はコリに効く。そういうものだ。
風呂に入った後で一度外に出て星を見ることにした。
この日は一日にわたって雲一つない快晴だった。風もなく、天体観測にはちょうどいい日だ。
宿から出て見上げた空は低く、手を伸ばせば届きそうなくらいだった。大自然の中で星空を仰ぎ、己の小ささを知る。一方で宙の大きさを知り、己の可能性を思う。人間とは本来そういう生き方で良かったのかもしれない。
作り物の光は時に暖かく、時に冷たい。解釈は人それぞれだろうが、星空はいつだって遠く淡いものだ。故に光を探す。自分とは違う誰かという光を。そうやって生きてきた。
忘れてはならない。この生き方を。この空を。人が思うより宙はずっと雄大で、儚いということを。
─完─
朝ごはん。
炭火の上になんか乗ってる。これなんでしょう。
これぞ飛騨高山の郷土料理、朴葉味噌である。
ホオノキの葉っぱの上に味噌やら肉やらを乗っけてそのまま焼く。
飛騨高山の冬は厳しく、漬物も朝には凍ってしまう。その凍った漬物を溶かすため一緒に味噌を混ぜて食べ始めたのが起源と言われている。しょっぱそう。
ご飯に乗せて食べるとアツアツで味噌のコクが美味しいのなんの。
でも、なんで東北にしろ山深くて寒い地域は塩分を多く摂るんでしょうね。
一つは体温維持の方法として血圧をあげる塩分が使われてきたということ。そして、寒い地域では塩蔵が長持ちさせる方法として一般的だったということがあげられる。
そのため現在では生活習慣病とされる血管系の病気も山深い地域では流行病や、生まれたからには避けて通れない病気だったと考えられてきた。
またこういうところに出ると食べられる大きいなめこの汁が美味しい。正直これ食べたあと、帰って小さいなめこ見るといくらかグレードダウンを覚える。
流石に上高地のように真っ白というわけでもないが、窓から見えた奥飛騨には霜が降りている。そんな早朝、早速出発する。
この日はこのまま山を降り飛騨高山方面へと向かう。
その前に一度少し戻り、平湯温泉にある平湯大滝を見ることにする。
なんというか、道中語ることが少ない。
ここは奥飛騨温泉郷。立派な温泉地、観光地。
かくいう我らが秩父も観光地。埼玉県で唯一日本の滝百選に選ばれている丸神の滝や栃本の不動滝など、立派な滝ほど道中がしんどい。険しい山間の狭小路の先だとか、駐車場からそれなりに歩くとか、道中意外とハラハラドキドキものなのだが、奥飛騨はそれがない。
安心安全お手軽に滝が楽しめる。いいんだか悪いんだか。
まぁいいや。
平湯大滝は上記の日本の滝100選にも選ばれた滝であり、落差は64メートルと華厳の滝に負けず劣らずの瀑布である。
ここには大昔、疲弊した甲斐国の兵士が白猿によって導かれた先が平湯大滝と平湯温泉であったという伝説がある。
こういう伝承は好きなのでどんどん拾っていきたい。
写真はこじんまりとしてしまったが、華厳の滝より滝との距離があるためである。大瀑布の音もどこか寂しい。
これだけなのでさっさと降りよう。
続いて向かうは飛騨大鍾乳洞。奥飛騨に来たならますとごーなスポットである。
全長800メートルという長さの鍾乳洞は大鍾乳洞と呼ぶにふさわしい大きさだ。
観光鍾乳洞としての歴史はそれなりに浅く、1965年に発見されたものだ。色とりどりのライトが幻想的で美しい。
実はこのライト、色がついてないとダメらしい。白色のライトだと鍾乳石に苔が生えてしまうのだ。
鍾乳洞で検索をかけると多くの観光鍾乳洞は色とりどりのライトアップがなされている。単に見栄えを良くするためのものではないというのは初知りだった。
またここにはヘリクタイトと呼ばれるねじれたまま伸び続ける鍾乳石もある。特に飛騨大鍾乳洞は日本でも随一の数を誇る。
次行こう。前回と違って書くことが多いのだ。ネタがないならとっくに鍾乳石の出来かたとか書いてる。
山を降りて高山市へ。高山市といえば陣屋など古風な街並みが有名だが先に昔の飛騨の農村部の暮らしを見ることができる飛騨の里へ向かう。
この辺りで言えば世界遺産の白川郷や五箇山集落に見られる合掌造りを見たいものだが、そこまで遠くまで行かずとも高山市内にも合掌造りが見られる。そう、飛騨の里はお手軽に合掌造りを見ることができるスポットでもあるのだ。
さて、飛騨の里というのは白川郷などとは違い、集落そのものを残したわけではなく、昔の住居を移築して農村を再現したものだ。どちらかと言えば屋外型資料館と言った方がいいのかもしれない。
中に入ると…
どうですかこの景色。紅葉と苔むした茅葺き屋根。タイムスリップした気になりませんか。
この合掌造りの家には農具や生活様式などが展示されているのだが、入ってすぐの場所に竹馬、コマなど思わず手を止めて遊びたくなるようなおもちゃがある。
筆者の子供の頃といえば、友達とポケットモンスタールビーサファイアで遊んだり、友達の家に行けばずっとエアライドかスマブラDXをしていた。情緒もクソもないが、あの頃は同じゲームを何百時間でもできたなぁとしみじみ思う。
そんな世代ともなると「わぁ!懐かしい!」というより「今できるのかこれ」といった感じだ。やったことがないわけではないが、自信がない。
一応竹馬も乗れた。コマも回せた。スマブラの方が面白いと思った。
屋外型資料館とは言ったが、敷地面積もそれなりに広く、田んぼや池、神社や寺の鐘まである。実際この記事を書くにあたって飛騨の里の公式HPを見るまでは集落そのものを残したものだと思っていたくらいだ。
合掌造りである。
雪深い地域では雪の重みで家が潰れてしまわぬように屋根を鋭角に立てる必要がある。そのため多くの家が今でも珍しい三階建てとなっている。
実際に中に入ってみることも可能で、どの家に入っても囲炉裏がある。火を起こすのがしんどそうだが、うちにも囲炉裏が欲しい。
あぁ!いけません!いけません!
それにしてもこの飛騨の里、馬頭観音をはじめとした観音像や、お地蔵様、このような立派な道祖神などがリアルな間隔で置いてある。
田舎を歩くのが好きでよく何も考えずにフラフラするのだが、こちらの方が多少立派というくらいで、探してみればあなたの地域にもあちらこちらに道祖神があるかもしれない。本当に集落を「再現」したものなのだろうかというくらいそのまま集落がある。
さて、岐阜に降りてから何を買おうかとお土産屋さんに行って周っている。これ!というものがない状況でどうしても目につく代物が。
飛騨名物さるぼぼである。
安産祈願や子供の成長を願うお守りではあるが、実は飛騨だけにゆかりのあるものではない。
奈良時代に唐から伝えられたさるぼぼだが、その後外国からの人形文化が盛んになり、さるぼぼは流行遅れになってしまった。
しかし山深い田舎は流行の影響を受けずに文化として残っていく。そして全国的にさるぼぼが忘れ去られた今、なんだかんだで残り続けたのが何を隠そう飛騨高山だったのだ。なんだか悲しくなるなぁ。
さるぼぼは飛騨高山の至る所で見られる。見すぎて食傷気味だし、他に買うものもないからつい買ってしまう。まぁ、縁起物だし。
次は高山市の古い町並みへ。
何がすごいって看板にそのまま古い町並みって書いてあるところ。川越ですら小江戸川越って名前があるのに。なんかないのか。なんとか通りとかなんとか横丁とかなんかさぁ。
「私、気になります!」キキー!ドーン!
飛騨高山も秩父と同じくアニメの舞台になることが多い。君の名は。もそうだし氷菓も同じく飛騨高山が舞台だ。
アニメの舞台になりがちな要素として「それなりの観光都市であること」「住民の地元愛があること」「景観が都市部より田舎っぽいこと」がある。気がする。
逆に観光地しかないとアニメの舞台になりづらい。大事なのはその土地にキャラクターが住んでいることに対して違和感がなく、かつ、そのキャラクターがその街を愛することができる要素があるとアニメの舞台になりやすい。というか原作の時点で書きやすい。気がする。
そんな高山市は実は香川県や大阪府より面積が広い。何を言ってるか分からねーと思うが俺も分からねー。
帰りの時間も気にしながらそぞろ歩く。
紅葉の色づきはまさにピーク。昨日は冬景色で今日は見事な秋模様だ。流石にここまで来ないと体験できない移ろいである。
さて、もうそろそろ帰りたい。でもこのまま帰るには少し勿体ない。朴葉味噌を食べた。飛騨牛も食べた。あと一つ、忘れてはならない食べ物がある。
どどん。高山ラーメンだ。
透き通ったスープ。あっさりとした味。まさに「こういうのでいいんだよ」系といった感じだ。
お店の人が「お酢も入れてみてください」と言ったのでトポトポと流し込む。
ずるずるぞぞぞ。
変わらない。思い切った量を流し込む。
……ん?
ギリギリまで流し込む。すると、スープにほのかな酸味が出現し、スッキリした味わいになった。思いの外たくさん入れないと変わらないので、覚悟を決めてドボドボ入れてみよう。それでやっと酸味が顔を出す。
まとめに入ろう。
今回は飛騨高山方面への旅行をしてみた。終わり。
…書くことがないなぁ。何かを学ぼうって言った旅行じゃないしなぁ。
えー…引き続きコロナには充分警戒して旅に出てもらえばいいじゃないかなと思います。
さて次回ですが、だいぶ日が空いて秩父札所巡りの工程を半分終えました。
ついでにさっさと終わると明言したダム巡りも一個進みました。どっちかの投稿になると思います。では。