「クエスト実行中:お伊勢参りin外宮・内宮」
2日目。
今回は神宮参拝をツアーを組んで向かうことにした。
なんと言っても神社の頂点だ。色々見ただけじゃ分からないこともある。どのみち調べながら記事を書くことにはなるのだが、ガイドさんが現地で解説してくれた方が頭に入るというものだ。
朝ごはんを食べて集合場所の宇治山田駅へ向かう。ガイドさんの案内で乗り込んだ大型バスツアー。
ツアー客6名。車内めちゃくちゃ広々。
前回も言ったように外宮から参拝。その理由として行われる神事が外宮から内宮の順で行われているものだからというものがある。
伊勢市駅より歩いて十数分。外宮はまず火除橋から境内に入っていく。火除橋とはその名の通り火による境内の焼失と縁を切るという意味が込められている。
既にもう神域ではあるのだが、神宮についてとても重要な単語を一つ紹介しておかなくてはならない。
それが「式年遷宮」である。
式年遷宮とは二十年に一度行われる祭のことであるが、この祭りは一般的な祭りではなく、どちらかというと本来の意味、神事に近い意味合いを持つ。
二十年に一度御正宮の隣にある新御敷地という正宮と同じ土地の広さの空き地にそっくりそのまま新しく正宮を建てるという大規模なお祭りだ。準備だけで約七年間。前回2013年に行われた式年遷宮総工費は550億円にも上る。
神様の座す社は常に新しく綺麗なものにするべきという理由から社はもちろん内装も全て作り変えられる。
神宮は唯一神明造りという釘などの金具を一切使わずに建てる伝統的な造りになっている。20年毎というスパンは木材が20年で劣化するという理由、唯一神明造りという技術の継承に20年かかるという理由、諸説はあるが式年遷宮はこの唯一神明造りが大きく関係することに間違いはない。
外宮の御祭神はトヨウケビメ。ここでの正式名称は豊受大御神。主に衣食住の神様である。
外宮から参拝する理由として先に述べた「神事が外宮→内宮の順で行われること」と「豊受大御神が内宮の天照皇大神の食を司る御饌都神であること」の理由がある。
火除橋から先は左側通行で参拝路を歩くのだがこれについては外宮は右側に正宮、内宮は左側に正宮があり、神様より遠いところを歩くべきという理由がある。どの神社においても正面は神様の道であるので真ん中を歩くのは失礼にあたるというのは一般的であるが、神宮では左か右かも明確に示されているので守っていこう。
ちなみに何故正宮がそれぞれ右と左に分かれているのかという点だが、神宮曰く「んにゃぴ…よぐわがんにゃいです」
玉砂利が敷かれ、巨木が屹立する参道は、言葉にすれば普通の神社の境内でしかない。ただ、ここに流れる空気は誰もが神域だと察するくらいには神秘的な雰囲気を纏う。
正宮まではほとんど一本道。そして正宮の手前には先に述べた新御敷地がひろがる。立ち入り禁止の杭の中、ポツンと佇む社はなんとも神々しく、妙な寂寥さえ覚える。
そしてその隣が正宮だ。正宮は撮影禁止だが手前までなら写真に収めることができる。正宮そのものは普段は見ることも叶わないのだが。
二礼二拍手一礼。日々の感謝を想う。
正宮は基本的に感謝をする場所だ。神宮にお参りに行けたことを感謝しよう。
さて、後々内宮の写真も載っけるが今のうちに外宮の正宮の写真に注目してもらいたい。この社殿、造りは全く同じなれど実は内宮のものと明確な違いがいくつかある。その説明は内宮の時にしよう。初っ端から説明ばっかやもの。
さて、外宮には別宮と呼ばれる社が存在する。多賀宮、月夜宮、土宮、風宮である。
ここで僕は重大なミス…というか予期せぬツアーのデメリットに遭遇した。
外宮の参拝時間が50分。これは火除橋に入ってからの時間だ。ガイドさんの話を聞きつつゆっくり境内を歩いて正宮のお参りが済むと既に30分を過ぎている。
火除橋から正宮までは歩いて10分。はっきり言うと時間が取れないのだ。本日の目的は外宮、内宮で御朱印をもらうこととなればその時間も必要になる。
50分では別宮など参拝してもいられない。多少の時間の都合はあれどここまで忙しいスケジュールだったとは…。とりあえず外宮の御朱印をもらう。
一番最初のページを出して御朱印をもらおうとしたところ、巫女さんが「こちらの御朱印は2ページ目に押される方が多いので2ページ目に押しておきますね」とおっしゃってくれた。
クエスト半分完了。外宮の御朱印をもらう。
通常この判子のうえに文字が書かれることが多いが外宮は判子のみだ。最上級はシンプルに。フリーザ様最終形態みたいなもんだ。
これからの工程に半ばやきもきしつつ内宮へ向かう。
内宮と外宮は3キロほどの距離がある。今回はバスツアーを組んだので直行なわけだが組まない方はシャトルバスを利用しよう。外宮の正面は伊勢市駅だが、内宮付近に駅はない。
内宮の御祭神は天照大御神。神様の頂点である。
まず最初に右側通行で宇治橋を渡る。そうして広がる五十鈴川と周囲を囲む山。日本の原風景が飛び込んでくる。
不思議と僕は「あぁ…帰ってきたんだなぁ」と思わずにはいられなかった。帰ると言うより還るという感じだ。
さほど郊外というわけでもないが五十鈴川の透明度は凄まじく、水深が浅いせいもあるのだろうが源流並みに綺麗だ。少なくとも関東近郊じゃ山のあたりからしかこの透明度はないだろう。
川には木の棒がいくつも立っている。これなんでしょう。
これは木除杭といって上流から流れてくる枝などをここで堰き止め、宇治橋の劣化を防ぐためにある。言葉通り杭の下方では枝がまとまって引っかかっていた。
ガイドさん曰く宇治橋の鳥居は神域への鳥居ではなく、あくまで橋に建てられた鳥居だから一礼は要らないらしい。
しかし今思うとやっぱり一礼した方がいいと思う。
参道は広く、右手には日本庭園のような趣深い松の木や梅の木が並ぶ。正面には暗がりの中、木漏れ日を湛える鳥居。周りは山。
まるで上高地のような空気さえ漂う。
標高2000メートル付近の緑豊かな場所となんら遜色ない空気だ。鎮まりかえって、尚、ここにある。
手水舎も参道の先にあるが、ここはやはり五十鈴川で手を清めよう。
手水舎から少し歩いた先に川のほとりに足を踏み入れられる場所がある。その場所こそ本来の身を清める場所であり、古代における手水舎だ。
水は透き通って、小魚が群れをなす。
ここで手を清めるために清流に浸すわけだが、それでも小魚の一匹たりとも逃げることなく、悠々と泳いでいるままだ。
人間と自然の調和をこんな小さなところでも思い返すきっかけになった。
内宮は先述したとおり、左側に正宮がある。では右側はどうなっているのかというと、こちらもまた神域であり、人の手が一切入らない原生林が広がる。
参道を覆うように生える巨木、もとい神木の数々は樹齢およそ7、800年とされる。三峯神社にある畠山重忠が納めた2本の御神木がそれくらいの年数なので、同規模の御神木が無数に生えているのに等しい。
時折御神木の表皮に手を当て、悠久の時を生きてきた氣を貰いつつ先へ向かう。
内宮最奥の正宮へ向かう。外宮と比べて見ると分かりやすいと思うが…分かりにくいね。だって基本的に遠目からの写真しか撮れないし。
まず最初に鰹木と呼ばれる屋根の上にある丸太の数が違う。外宮のものが奇数であるのに対し、内宮は偶数である。
そして写真では分かりづらいというかまったく持ってわからないのだが、屋根の部分が実はV字に交差していて、その先端部分が外宮では地面に対して平行、内宮では字面に対して直角なのである。
興味が湧いたら公式サイトで確認してほしい。僕個人じゃ限界がある。
他にも細かな違いがあるがやっぱり写真が写真なので説明したところでしょうがない。
正宮を出たら、次は荒祭宮へ。
荒祭宮の御祭神は天照大御神。……あれ?
実はここで抑えておきたい語句がある。
「荒御魂」と「和御魂」である。
単純な話、神様は二重人格者なのだ(驚愕の事実)。
和御魂は神様の慈愛あふれる魂。安らかで平穏に満ち溢れる一方で和御魂は神様の激しく荒々しい人格のことだ。ドラゴンボールで言えば神様とピッコロ大魔王……違うな。ランチさんだ。
神様の人格の変わりようは凄まじくなんなら神宮では名前もちょっと違う。
正宮で祀る神様が天照坐皇大御神なら荒祭宮で祀る神様が天照坐皇大御神荒御魂。
名前もちょっと違うと本殿も二個建てられる。普段は美しい慈愛に満ち溢れた女神様も怒らせるとすごい一面を持ってると思うとなんだかこう、ニヤニヤしてこないだろうか。
さらに対を成す…というか世話役の外宮の女神様、豊受大御神がお食事を提供しているとか考えるとこう、なんかグッとくるものがあるよね。
ちなみに正宮では感謝を、荒祭宮では思い切って願い事を、というのが定例だ。このコドクトリップがじわじわと広まって「うちに来ませんか!?なんなら予算出しますよ!!」みたいなお仕事が飛んできてください。
さてここでもスケジュールが詰め詰めなのだ。なんていうかもう爪爪爪だ。マキシマムザホルモンだ。
御朱印を頂く。
ででん。特に言うことはないです。
クエスト達成。長きに渡った旅路もここで終点とはならない。ツアーはこのあとおかげ横丁へと向かうのだが、この後の構成上、少し早回ししようと思う。
ということで脈絡なく3日目。
もともとこの3日間は予報では全部天気が良くなかったのだが、なんとかここまで持った。というか見事に晴れ渡っていた。
これは神様が歓迎してくれたに違いない。なんてったって天照大御神だもの。女神様だもの。
当日、僕は内宮にいた。
本当なら倭姫宮、伊雑宮、瀧原宮といった外宮や内宮より少し離れた別宮を訪れたかったのだが、昨日のほとんど弾丸ツアーみたいなノリであまり参拝をしたという感覚もなく、遠出をして帰りの時間を気にしての爪爪爪のスケジュールになるくらいなら、もう一度内宮とおかげ横丁をふらふらして帰ろうと思ったのである。
3日目は厚い雲が広がって、雨は免れなさそうな気がしていた。
正宮と荒祭宮を参拝後にUターンで別宮である風日祈宮を参拝する。
御祭神は級長津彦命と級長戸辺命である。
その名の通り、あ、社殿の方ね。農作物に実りをもたらす風や雨の神様だ。神様の方はそもそも読めないでしょ。
古来より稲作で紡がれてきた日本の歴史。やはり神道において一番大事にされるのは米に関わることなのだ。
その帰りに昨日は見かけなかった神馬と神鶏を見た。神鶏に関しては一応内宮に放し飼いされているらしいのだが何度か訪れたことのある人も「初めて見た」と言っていた。
最後にお見送りしてくれたのかな、くらいは思ってもいいはずだ。
ここまで僕はそれらの事をただなんとなしに快く思っていた。いくらか神社に参拝していくうちに考えが変わって、神様に対する思いも変わって…ここでも色々と宣ってきたけど、僕はこの旅から帰ってきて参拝する事の本当の重要さを知ることになる。
それはまとめに持っていきたいので、とりあえず次回はまた2日目に戻っておかげ横丁からスタートして行こう。




