第十六話「日光社寺を巡って、多くを学びたい。in華厳の滝」
時刻は15時を回ったが、僕はまだ帰る気にはなれなかった。日光といえば何でしょう。東照宮、竜頭ノ滝、華厳の滝、中禅寺湖、男体山、いろは坂、戦場ヶ原……思いつくだけでこんなにあるやん。
せっかくなので華厳の滝だけでも見て帰ろう。
日光社寺を出て、さらに山の方へと進む。現れる完全な一方通行路、そう、いろは坂である。いろは坂はその名の通り「いろはにほへと」の五十音の数ヘアピンカーブがあるアトラクション(言っちゃった)だ。
大きく車線をはみ出すこと請け合いなので登りと下りは二車線あっても一方通行路という作りになっている。ちなみにサブタイが日光社寺から変わっていないのは麓の二荒山神社の境内がいろは坂を含めた男体山だからである。山そのものが御神体なのだから当たり前ですね。
この境内の広さは伊勢神宮に次いで日本で二番目というのだから驚きだ。
関東民なので伊勢神宮の規模が分かりません。三重の方、伊勢神宮の広さを語ってください。
いろは坂……一応小学校時代に経験済みなのだが覚えてないな。とりあえず「酔うから気をつけてね」と言われたので乗り物酔いの激しい僕は絶望してた記憶しかない。つまり酔わなかったということだ。
運転する側になるとそうも言ってられない。酔う前に事故ることを気をつけねば。
「いー!!」
「ろー!!」
「はー!!」
音声付きのドラレコがあったらこんな感じのキチガイが録音される。これはみんなに内緒にしておいてほしい話なのだが「無口だね」と言われる僕は車内に一人だとずっと喋っている。一人で。
理由は分からないが、自分でも車内に一人という環境が一番喋るというのは理解している。
みんなに言うなよ。馬鹿にされんだから。
そんないろは坂を無事登りきった場所が中禅寺湖であり、華厳の滝だ。さっそく行ってみよう。
おそらく修学旅行の記憶で一番残っているのがこの華厳の滝だ。
エレベーターに乗り、降りると夏でもすごく寒い通路に出て、歩いた先が華厳の滝だった。
そうそうこれこれ。
もうそろそろ日も暮れ始める時間だったが、まだ修学旅行生がいた。元気だなぁ。今のうちに大きな声出しとけよ。大人になったらその声出なくなるから。
エレベーターに乗り込む。ちょうど修学旅行生が途切れたタイミングだったのか、大人の観光客ばかりだった。
100メートル降下するエレベーター。記憶より遅かった。たぶん東京タワーの記憶と混じっている。
ドアが開くと、懐かしのあの寒さが飛び込んできた。一応モンベルのフリースに腕を通していたのだが、それでも寒かった。
通路の先からは元気にはしゃぐ子供たちの声が聞こえる。その元気、今のうちに発散しとけよ。振り絞っても出なくなるから。
どーん。
轟音をあげて岩に叩きつけられる瀑布。滝とはつまりこれだ。ちょろちょろ流れる滝なんて滝じゃねぇ。そう確信できる滝が目の前に迫る。
華厳の滝は落差97メートルの大瀑布であり、中禅寺湖から大谷川へ流れていく。
よく自殺の名所などと言われるが、どこから自殺するんだって場所だ。
今日も小学生たちが友達の肩に手を置いて心霊写真を捏造していたが、当時の僕でも「これどっから自殺するんだ」って思っていた。死にたいわけではない。
それもそのはず、華厳の滝が自殺の名所と呼ばれるようになった最初の投身は今から百年以上前に遡る。
藤村操という16歳の学生がミズナラの木に遺書を残して投身自殺をし、その後を追うように四年間で200人近くが華厳の滝に身を投げたというのだ。そりゃ100年以上経っても自殺の名所として名前だけは名高いわけだ。
ちなみに藤村操がミズナラの木に刻んだ遺書がこちらだ。Wikipediaより引用する。
巌頭之感
悠々たる哉天壤、遼々たる哉古今、五尺の小躯を以て此大をはからむとす。
ホレーショの哲學竟に何等のオーソリチィーを價するものぞ。
萬有の眞相は唯だ一言にして悉す、曰く、「不可解」。
我この恨を懐いて煩悶、終に死を決するに至る。
既に巌頭に立つに及んで、胸中何等の不安あるなし。
始めて知る、大なる悲觀は大なる樂觀に一致するを。
「不可解」読めない。16歳で書く文章じゃない。明治時代の学生どうなってんだよ。24歳にもなる大人がこんな駄文つらつらと書いてんのが恥ずかしくなるだろ。やめろよ。
現代語訳したものを発見したのでそれをさらに意訳すると、とりあえず死の間際に雄大な空と大地と悠久の時間に身を打たれ、ハムレットに登場するホレーショが自らの哲学を否定されたことを思い出し、ならば森羅万象は到底説明できるものではないと悟り、彼は恨みを抱き死を覚悟した。
岩壁に立つ彼に不安はなく、死の間際に気づく。大いなる悲観は大いなる楽観であると。
わかんね。
それもそうだ。藤村操はエリート家庭に生まれ、学生の時代にすでに成功を約束された青年だった。
そんな青年が死を目前にして哲学的な悩みを孕みながら死ぬのだから、エリートとは真逆の僕に理解できるわけがない。
でもこの遺書は確かにカルト的な人気を集めそうな文章だ。所々に絶望や諦観、それゆえの悟りがある。遺書というか辞世の句に近い詩文だ。彼の後追いをしようとする人がいたのも理解できる。いや、するなよ。
彼の英語教師を務めていたのが夏目漱石であり、彼の死が晩年の彼を苦しめたというのは有名な話だそうだ。
何の話でしたっけ?少なくとも死生観の話ではなかったと思うんですが。
そうだ。華厳の滝だ。
滝はいいなぁ。壮大な自然を凝縮した景観だよ。
流石にこの瀑布ともなるとものっそい水しぶきが飛んでいる。マイナスイオンの波だ。これから秋が深まるならともかく、まだじんわりと暑さが残るこの時期には快適だ。
滝の右手には奇妙な形をした岩がある。これ何でしょう。
こちらは柱状節理という現象で出来た岩だ。溶岩が急激に冷やされると五角形、又は六角形に亀裂が走る。すると岩が崩落しやすくなり、かくしてこのように露出するのだ。
この柱状節理は東尋坊を始めとして日本各地で見られる。自然が作る彫刻に魅入られた方は是非とも柱状節理ハンターに転身してほしい。
ハンターといえば、MHWの龍結晶の地でもこの柱状節理によって出来た岩が見られるぞ。すげぇどうでもいいね。
華厳の滝ではやはり小学生たちが所狭しと群がってはしゃいでいる。すごい元気だ。うるせぇ。
滝の音に子供達の声。耳の容量が少なくなる。そんな中で滝に魅せられて先生の指示も聞かずにぼんやりと滝を眺めている子がいた。
なんとなく、僕はあんな感じだったなと過去を思い出す。
「今日も黄昏てるねぇ……」
中学校2年、鎌倉遠足。友達が夕日に見惚れる僕にそう言った。言われて気づく。友達との間にできた距離。
「黄昏てないよ」
そうは言っても、僕は友達との話からいつのまにか去って遠くを見ていた。
高校生になって演劇部に入った。文化部であり、顧問もなかなか顔を出さないとなると、大会間際くらいしかまともに部活をしない。
先輩も後輩も混じってみんなで駄弁るなかで、僕は一人少し離れた窓際で、西日を見ていた。
そんな日が続いて先輩が卒業する前の日、こんな事を言われた。「いっつも会話に入らないから心配だったんだけど、一人が好きなの?」
本当に申し訳ないのだが、僕は例えば「なんかつまんないなぁ」とか「一人になりたいなぁ」とかそういう事をおもわずして無意識のうちに一人黄昏ているのだ。はっきりそう言われた時に初めて気づいた。
故にその子に自分を重ねてしまう。たぶん何を思うでもなく、激しく落ちる滝を見ているだけなのだ。学校行事だからあまりはっきりとはいえないが、そっとしといてあげてほしい。
エレベーターに乗り込むと今度こそ小学生の群れに出くわした。先生も同伴だったのだがまるでうるさい。もちろん注意も受けて「おい静かにしろよ!」と友達に言う子もいたのだがそれすらうるさい。
いや子供のする事ですからな。大目に見ましょう。そういう大人たちが増えたから運動会が中止になったりするんです。大目に見ましょう。うるさいけど。
閉店間際の売店でロクに食べていなかった昼飯を摂るためカレーパンを買った。
めちゃくちゃ長いカレーパンだ。食感はふんわりというかなんというか、菓子パンを食べてる感じだ。
味はというと辛くはなく、菓子パンにような食感のパンは菓子パンのような甘さを記事に蓄えていた。おやつだこれ。華厳の滝とどういう縁があるのかは知らないが、おススメです。多分華厳の滝くらい長い形状のパンだよってことだ。知らんけど。
帰りに中禅寺湖に寄ることにした。何をするでもなく呆然と湖を眺めたかった。狂騒があれば静寂を欲するものよ。
湖周回に点々とある駐車場に車を止めて、すぐ近くのベンチに腰を下ろす。
日光、疲れたなぁ。回るところがありすぎてとてもじゃないが一日では回りきれない。今度はいろは坂から上、中禅寺湖や男体山などの自然が魅せる景勝地を中心に訪れてみよう。
人はあくまでも動物にすぎない。理性を持ち、文明を作っただけの動物だ。こうして自然を目にするたびに、人は傲慢であってはいけないなと思う。
けれど人はこうして日光に社寺を建て、観光地として人を呼び込む。これを傲慢だとする見方もあるが僕は違うと思う。
人は自然に対し、感動できる心を持ち、畏敬の念すら覚えるのだ。だから人は日光に集まる。国外からでさえもその景色を見るために。そしてきっと言語は違えどこう思うのだ。「人とはなんてちっぽけな存在だろう」
最後に行ったのが修学旅行という人も多いであろう日光。まだまだ見るところはある。大人になってから初めて目につくものも多いはずだ。それもある意味修学旅行と言えるのかもしれない。
日々学ぼう。教科書が無かろうと、教師がいなかろうと学べるものは沢山ある。だから学ぼう。
帰路に着いた僕に待っていたのは無数の稲光だった。埼玉県の、ちょうど僕が住んでいる地域は激しい雷を伴うゲリラ豪雨に見舞われていた。
すっかり眠くなっていた僕もフロントガラス越しに見える稲光に高揚した。常に稲光が空を割って、轟音とともに鳴り響く様はまさに神の所業にも思える荒れっぷりだ。
激しい雨は降り続き、田んぼを突っ切る二車線の道路は川のようになった。
ちょうど一つ前の車が何やら速度が遅く、氾濫した道を20〜30キロ程度の速度で走らざるを得なかった。
まぁ、いいや。こんな豪雨、滅多にお目にかかれない。普段なら苛立つ僕も前向きに運転する。
その帰りにショッピングセンターに寄って、夕飯を買って駐車場を出ようとした時だった。
車がうんともすんとも言わない。
夜も遅かったがいつも世話になっている修理工場に連絡して来てもらうことになった。
「バッテリーだね」
どうやら氾濫した道を低速で走ったのがマズかった。機械部分まで水に浸かっていなかったから大丈夫だろうと思っていたのだが、ダメなものはダメだったらしい。
「普通の速度で走ってれば大丈夫だったんだけどね」
一つ学ぶことができた。豪雨の中は出来るだけ早く走れ。
まぁ、今回は不可抗力だ。前の車がいけない。僕は悪くない。今度は遠回りになろうとも低速の車がいたら曲がってやり過ごすべきだ。これも一つの学習である。
あーあ。せっかくいい感じにまとまってたのにこういう終わり方か。ということで日光社寺でした。




