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コドクトリップ  作者: 上野羽美
あの頃に戻りたい、日光社寺
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第十五話「日光社寺を巡って、いつか静かに眠りたい。in薬師堂・二荒山神社・大猷院」

 東照宮境内にある薬師堂へ。東照宮の薬師堂と言えばご存知鳴龍。こちらの薬師堂も寺ではあるのだがやっぱり神社の境内にある。


 薬師堂なのでもちろん薬師如来を祀っているのだが、覚えているのは鳴き龍くらいなものだ。


 薬師如来はその名の通り(?)病気を治してくれることにご利益がある。阿弥陀如来が死後の平穏を与えてくれるのに対して、薬師如来は現世での安らぎを与えてくれるのだから今を生きる僕らにはそっちの方が大事だよ。


 そんな仏様のようなご利益がある薬師如来にも、いや、まぁ、仏なんだけどさ。薬師如来やそれを信仰する人々を守ってくれるという十二神将がいる。


 十二神将もまた、干支に深く関わりを持ち、やはりそれぞれの干支の生まれを守ってくれると信じられている。以下、干支とそれ守ってくれる十二神将である。

 ……と言いたいのだが、どうやら干支と十二神将の関係は諸説あるようで寺によってその配置がまちまちなのだ。とりあえず代表的なものを記載。薬師堂でもこの配置だった気がする。


毘羯羅(びから)→子

招杜羅(しょうとら)→丑

真達羅(しんだら)→寅

摩虎羅(まこら)→卯

波夷羅(はいら)→辰

因達羅(いんだら)→巳

珊底羅(さんちら)→午

頞儞羅(あにら)→未

安底羅(あんちら)→申

迷企羅(めきら)→酉

伐折羅(ばさら)→戌

宮毘羅(くびら)→亥


 寺にお参りした際、覚えておくとお参りしやすいけど名前難しいし似たようなの多いし僕覚えてられる自信がないよ。


 鳴龍は狩野永真安信という画家が天井に描いた絵なのだが、こちらも消失したので複製したのものになる。鳴龍の真下で拍子木を叩くとやたらと響き渡って、音の終わり際に鈴が転がるような音がするのだ。


 鳴龍はまるでアトラクションのように人数制限がある。観光客が龍の鳴き声を聞き、その次にいる十二神将に手を合わせる。入り口にはそれを待つ人がいる。鳴き声を聞いたら十二神将に手を合わせる。


 薬師堂が東照宮の境内にあるので勘違いされがちなのか、お坊さんは誰も「手を叩いてはいけませんよ!ここはお寺です!神社ではないですからね!」と念押しする。現在は廃仏毀釈がないだけで、神仏分離には変わりない。


 とりあえず僕を守ってくれている宮毘羅に手を合わせる。その足で御朱印を貰いに行く。


「はい、手を叩かないでくださいねー!ここはお寺です!お寺では手を合わせましょう!」


 御朱印を書いてもらっている間、お坊さんの念押し虚しく、誰かが手を叩いていた。小学生ではなかったように思う。


 鳴龍のある薬師堂は撮影禁止のため御朱印を載せる。


挿絵(By みてみん)


 東照宮の中でも一番かっこいい御朱印だと思います。


 東照宮の境内を出て向かうは輪王寺の常行堂。

 常行堂の名の由来になったのは常行三昧と呼ばれる修行だ。仏様の周りを念仏を唱えながら歩く。故に、常行堂は宝冠阿弥陀如来と呼ばれる阿弥陀様が孔雀に乗って宝冠を手に持った仏像の周りを歩いて一周するような形で拝観するのだ。


 先に御朱印帳を預けて向かう。


 中央に座す宝冠阿弥陀如来像は日本で唯一の代物だそうだ。そりゃ孔雀に乗って王冠持ってれば差別化もつくというものだろう。課金アイテムに違いない。


 ぐるりと一周。撮影禁止のために写真も載せられない。


「はい、御朱印の方、出来上がりました」


 お坊さんから御朱印を頂く。


「これ、あの有名な埼玉の三峯神社のものですよね」


「あ、はいそうなんですよ」


 さすが三峯神社。もう全国区の知名度だ。同じ関東のものだけどなぁ……。


 残すは二荒山神社と大猷院だ。周るだけでも結構時間食うのにそれを書くんだから大変だよ。小学校の頃東照宮について調べたことを書きましょう。とかいう課題が出なくて良かった。確か旅行の思い出は書いたと思うが。


 二荒山神社へと足を運ぼう。


 二荒山神社は僕にとって興味深い御神体が山という神社だ。男体山、女峰山、太郎山の日光三山が御神体であり、それぞれの山に神様が当てられている。オオクニヌシ、タキリビメ、アヂスキタカヒコネだ。

 右から順にお父さん、お母さん、息子と家族の山になっている。


 二荒山神社に入って最初に出くわすのが因幡白兎であろう。遠くから見るとウサギに見えるそうだ。


挿絵(By みてみん)


 見えますか……?僕は見えました。


挿絵(By みてみん)


 ところで僕はこちらの大黒様に「二荒山神社の御祭神は大黒様です」と書かれているのに気がついてしまった。オオクニヌシ、タキリビメ、アヂスキタカヒコネじゃないんですか……?違う神社参拝しちゃったかな?


 ちなみに大黒様=オオクニヌシだ。すごいめんどくさい。なにがめんどくさいかというとここでも神仏習合の話が出てくる。

 オオクニヌシは神道由来の神様だ。この国を作り上げためちゃくちゃ偉い神様である。その名前から大国様とも呼ばれる。

 もう一人、神様がいる。ヒンドゥー教のシヴァ神だ。インドの神でもメジャーな部類なので聞いたことがあるだろう。このシヴァ神の化身がマハーカーラ。マハーが偉大なるという意味でカーラが暗黒という意味だ。これが大黒天という名で仏教に繋がる。


 もうお分かりですね。


 神道の大国様とヒンドゥー教のシヴァ神由来の仏教の大黒天という神仏習合によって出来たものが七福神の一人、大黒様なんですよ。うわめんどくせえ。


挿絵(By みてみん)


 ご丁寧に金ピカの大黒様まであるし……。また金ピカ大黒様か。こちらも中ノ嶽神社にいらした。我が心、明鏡止水〜されどこの手は烈火の如くって感じだ。強い(確信)


 そんな大黒様とは打って変わって境内には八乙女さんという巫女さんがいる。


挿絵(By みてみん)


 日光二荒山神社に代々仕える巫女さんのことを八乙女といい、彼女の名前は神尾明里ちゃんというらしい。かわいい。


 ちなみにこの特徴的な髪結いは実際に社務所の巫女さんがしているものだ。こういうの好き。


 もちろんこの記事を書くにあたっても色々調べてはいるのだが、なんか見落としというか、あまり見覚えのないスポットがたくさんあるし、自分が撮った因幡の白兎やら大黒様の写真はないし……本当にここ二荒山神社だったのか……?


『二荒山神社』は『二社』あったッ!とかやめろよ。


 まだ余裕あるなぁ。(文字数が)


 大猷院に行こう。


挿絵(By みてみん)


 大猷院は家康の孫である家光のお墓である。家康が神格化して祀られているのに対して家光はお墓なので輪王寺の境内ということは留意していただきたい。手を叩いたらいけません。


 まずは仁王門。


挿絵(By みてみん)


 ここ大猷院は仁王門、二天門、風神雷神に四夜叉門と色彩豊かな仏像がおられる。一応家康よりも目立ってはいけないと大猷院は黒と赤を基調とした質素な作りになっているそうだが質素ってなんですか。


 二天門。


挿絵(By みてみん)


 サタデーナイトフィーバーのジョン・トラボルタがこの二天門に感銘を受けてあの有名なポーズが生まれたらしい。

 嘘です。適当言ってるとそのうち怒られますね。


挿絵(By みてみん)

挿絵(By みてみん)


 風神・雷神。


 四夜叉門。


挿絵(By みてみん)

烏摩勒伽(うまりょきゃ)


挿絵(By みてみん)

阿伐摩羅(あばつまら)


挿絵(By みてみん)

毘陀羅(びだら)


挿絵(By みてみん)

犍陀羅(けんだら)

 ダメだ、仏様なら一発変換できるのに、夜叉は無理だ。

 特に烏摩勒伽は全国的に見ても珍しい仏様だそうだ。青い人です。


挿絵(By みてみん)


 大猷院はなるべく質素にとのことだがやっぱりどう見ても質素に見えない。ただ場所としてはかなり静謐な場所だ。苔むした岩肌、杉林。日光社寺の中では奥まった場所にあるからなのか、静けさに包まれている。


挿絵(By みてみん)


 さらにはここ、大猷院の奥に皇嘉門なる門があり、この奥で家光が眠っているようだ。静かなのも頷ける。


 僕の先祖のお墓は長野県の山の中と、埼玉県は川島町の土手っぷちにある。

 毎回お墓に行くたびに思うのは「僕も死んだらここで眠るのか。まぁここならいいかな」ってことだ。


 田園にも満たない個人所有の畑と田んぼが並び、車はすれ違いができないほど狭い田舎。

 だいたい夕暮れに御墓参りにいくのだが、夕焼けと涼しげな風と畦道と近くの林から聞こえる蝉の声はいつまでたってもノスタルジックな雰囲気のままで変わることを知らない。


 それがいいよな。

 生きている間は別として、死んだ後の自分の周りが変わってしまうのはなんだか寂しいものがある。置いてけぼりのまま周囲が真新しくなってしまうのなら眠りにつくのも嫌だ。


 変わらない場所が欲しい。できればそこで眠りたい。


 日光社寺はこれからどんなことがあろうと、いつまでもそのままで日光にあるのだろう。変わらない場所で眠りにつけるのなら、偉い人もそうでない人も眠りたいと思う。

 そして、出来れば忘れないで欲しい。


 人は死に、生きている人がその人を忘れてしまった時にもう一度死ぬと言われている。

 日光社寺で祀られ、或いは眠りにつく徳川の将軍たちはそういう意味では不滅なのかも知れない。


 彼らは変わらぬ場所で眠りにつき、今も僕たちの中で生きているんだ。


 そんなことを考えながら日光社寺を後にした。

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