第一話「小説家になりたいからお参りしようin鹿島神宮」
こんにちは。ゾンビの人です。ただいまたぶん人生の転機です。知らんけど。
ここ一年はまさに自分にとって激動の一年だった。家を買い、車を買い、山に登り……あとは何も変わりないがとりあえず家を買っただけでも激動の一年と言えよう。
二十四歳になった自分にはとにかくこの辺りで人生を決めなくてはという強迫観念にも似た焦りがあった。
二十四歳。スポーツ選手や俳優はとっくに舞台に躍り出て最盛期を生きる歳。バンドマンや漫画家とかはたぶんこの年齢で徐々に頭角を表してあと数年で代表作を生み出すのだろう。たぶん。
とにかく二十四歳というのは若いようで若くもなく、動き出すには十分遅すぎて、動き始めたものが結果につながるには早すぎもしない。そんな焦燥の年齢である。たぶん。
そんな自分には夢がある。いや、夢なんて大それたものでもない気がする。少なくとも「この上野羽美には夢があるッ!」と大声で宣言できるかと言われればできない。
それでもやっぱり作家になりたい。当たり前だ。みんな思ってる。
ただ、こうして文面にすると「本当に作家になりたいか?」という感じだ。臆面なく言うのであれば「書くのが好きだから書いたものを出来るだけ沢山の人に読んでもらいたい」とかそんなくらいのものだ。あと「それでお金欲しいしそれで人生やっていきたい」だ。作家になりたくて小説書いてる人なんているのか。普通は順序逆だろう。
「引きこもりだけど、外にゾンビがうろついている」と「終末世界の歩き方。」をなろう大賞に応募した時、これが人生の転機になるはずだと思い上がっていた。というのも理由の一つに皆様のおかげでついたPV数、百万という数字があった。根拠はこれだけだった。百万回読まれたのなら出版社も「これはいける」と思ってくれると信じて疑わなかった。
結局のところ、一次審査を通過、二次審査を落選というなんだかネタにもならない結果に終わった。
二十四歳で何か結果を出すようなこともなかった。
現在は「なんで山なんか登ってんですかね」という登山小説を書いているのだがおそらく実を結ぶこともないだろう。ニッチすぎる。本当に書籍化したいのであれば、こう、山岳雑誌とかに寄稿するべきだ。
登山を趣味にする大半の方が中高年であり、そんな中高年が嗜む登山の小説をウェブ上に、まして中高年が全く興味もないであろう小説家になろうというサイトに投稿する時点で気が狂っている。
いくらナウなヤングをターゲットにした文章を書こうとそれは読まれなくて当然だ。これを専門用語でマーケティングの方向音痴と呼ぶ。
書きたいから書いている。夢半ばのままに、ぼんやりとした夢を見続けながら。
別に働いてる以上はそれだけで生きていける。作品を残す人とそうでない人は圧倒的に後者が上だ。創作なんてしなくてもいい。そういう選択もある。
ただそれでも書くことは好きだからやめたくはないし、書く以上は形に残さないと満足もできない。
生きるに生きられず、死ぬに死ねない。ワナビーとはつまりゾンビであると思う。
ともかく漠然とした焦燥がつきまとっていた。
何か不安があるような時、自分の力だけで何かを成し遂げられない時、人は古来より神に祈りを捧げてきた。たぶんそれくらいのメンタルだった。
職場の喫煙所で検索した「関東 パワースポット」もはや神に祈りを捧げる以外になくなった僕はその日の翌日、朝から茨城県に向けて車を走らせた。
……普段は女の子に囲まれた一人の男の子が主人公の小説を書くスペースに自分語りを書いているとすごく不安になるが世の中にはエッセイだとか随筆だとか、自分語りをいい感じに作品っぽくできる言葉がある。枕草子や徒然草だって結局のところ自分語りだ。自分語りの歴史は古い。
「これエッセイだから!」と言い張れば「個人ページ作るなりブログに書くなりしろ!なろうでやるんじゃねぇ!」とか言われても大丈夫なはずだ。
気になってエッセイのランキングを確認したら論文みたいなのがあった。もうなんでもありか。
さて。
「関東 パワースポット」で検索した結果、もちろん色々と出てきた。埼玉の誇り三峯神社、明治神宮、箱根神社、榛名神社、日光東照宮。三峯神社以外は行った事がある。誇りとか言ったくせに行ってない。あそこは遠い。
その中でも目を引いたのが茨城県は鹿嶋市にある鹿島神宮だった。
鹿島立ちと言う言葉をご存知だろうか。僕は鹿島神宮に行った後でこれを書くために調べ物してたら見つけた。行く前に調べろ。
ともかく、鹿島立ちとは昔、防人や武士たちが旅立つ際にこの鹿島神宮に旅の安全を祈願してから旅に出たことから転じて旅立ちといった意味で使われているのを見た事がないのでやっぱ僕知らないの普通じゃん!!
現在では何か事を始める際や、人生のターニングポイントかなとなんとなく思った人がこの鹿島神宮にて新しい人生を始めるためにお参りするらしい。
また、この鹿島神宮を日の出づる東端とし、ここから明治神宮、富士山、伊勢神宮と言った神様に所縁のある地は一直線に並んでいる。故にここを始まりの地とするようだ。
これほど自分にとって都合の、いや、ぴったりの神社はおらんやろ!と思い、思い立ったが吉日が座右の銘の僕は翌日さっそく繰り出した。
茨城県に行く機会のない僕としては鹿島と言われたところでどこにあるかさえも分からず、茨城県入りしてからマップを再確認すると思いっきり海の方だった。七時半に家を出て、到着予定時刻は十二時近くだったので随分遠いなと思っていたが、そりゃ海なし県から海に行くのだから遠くて当たり前だ。軽い気持ちで出たはいいが、地味に長い旅路だ。
ここで現在書いている途中で後悔したことが一つある。車で行ったから道中話題になるような事がない。
基本的に僕は突っ込みたがり屋で、少し変わったお店の看板だとかを見て一人で突っ込みを入れている不思議ちゃんなので、今回もそこら中で突っ込みを入れながら行き帰りしてきたのだが、運転中につき写真も撮れず、かといって「こんな看板があったからこんな突っ込みした」とか文章で表してもしょうがない。
僕は看板のインパクトに突っ込みを入れているのに、そのインパクトが皆無の状態で突っ込んだとして何が面白いのだろうか。
例として、一つだけ今日見た最もインパクトのあった看板を紹介しよう。おそらく写真で見たほうがずっとくるものがある。
「ラーメン 逆流」
さて、鹿島神宮前につくといきなりおばさまに有料駐車場へと誘導される。実のところ神宮に正面から入らないのであれば、奥に無料駐車場があったりするのだが知らないふりをして素直に停めさせていただいた。
どうやらその駐車場を管理するお店でお食事をすると無料で停めれちまうんだ!!という事らしかった。この手の駐車場は観光地に行くと大体あるし、客引きしてるのは大体商売上手のおばちゃんだ。
何かを買うと駐車料金無料システムは無料の概念を根底から覆してくれる。
有料だけあって鹿島神宮はめちゃくちゃ近い。徒歩一分くらい。比較的新しくて綺麗な鳥居に一礼をして中に入る。
よく鳥居とは人界と神界を隔てる門だと言われるが、確かに鳥居の中に足を踏み入れた瞬間、空気が変わった。ような気がする。正直、日陰と日向の差だとは思う。不信者すぎる。
後方にいた青年が「やっぱ空気違うわ」と呟いたところその友人に「だって日陰じゃねぇか」と突っ込まれていた。彼とはいい酒が飲めそうだ。生憎下戸だが。
境内に入るとさっそく工事車両があって、参道を回り道しなければならなかった。そういえば大体僕が大きい神社に行くといつも工事してる気がする。
参道を迂回して門をくぐり抜け、本堂で日頃の感謝とともに二礼二拍一礼。
本堂の写真を撮ったのだが人が多かったためにアングルが上気味になって、絶望的に写真撮るの下手な人が撮る写真みたいになった。
そしていつもなら初詣ですら引かないおみくじを引いた。参拝に極めて前向きな証拠である。
はい。厄年なので当たり前だと、半ば見なかったことにしてくくりつけてきた。
境内は広く、横に広い参道の奥には、奥宮、鹿園、要石、御手洗池とこれは絶対見たほうがいいというポイントが数カ所存在する。
そんな広い参道を歩いていると、パネルを持ったおそらくはガイドのおじいさんが近づいてきた。
「あそこ分かります?なんかの形に見えるでしょう?」
言われて振り返り頭上を見上げると、奇妙に曲がった枝と枝とがハート形を作り上げているではないか。思わず興奮気味に「ハートだ!すごいハートだ!」と一人で叫んだ。
続いて「ここに立ってみて下さい」と言われたので参道の脇に立った。
「あの三本一緒になってる木あるでしょう?あの真ん中の木を下からずーっと見上げてって下さい」
おお、ハート形だ。インスタ映えだ。荘厳な空間で女子向けのインスタスポットだ。
僕はここにガイドさんのプロの仕事を見た。
ハート形に見える木がある。これでも十分面白いのだが、ガイドさんはあえて何の形かを言わずに、あくまで客には見上げさせるだけで、自らハート形の発見をさせる。これによって、面白い形を発見したという経験が上乗せされ、見る人がより深い印象を覚えるのだろう。喜びもひとしおだ。
正直なところ、ゆっくり一人で境内を見たかったので、ガイドさんが寄ってきたときに若干の拒否反応が出たのだが、語り口の上手いシルバーガイはそれだけ言うと音も立てずに去っていった。
その背中にプロ根性といぶし銀の心粋を見ていた。
続いて参道沿いにある奥宮へと向かう。ここは旧本宮のようで、こじんまりとしたイメージを持つ奥宮とは違って今も苔を身に纏いながら参道の傍に堂々と佇む。その佇まいに荘厳さと寂寥は矛盾しないということを知る。
奥宮の真上はちょうど木の枝が途切れ、木立に囲まれて薄暗い境内の中で、光を纏った姿はとても印象的だ。
ここから要石と御手洗池に向けて道が二つに分かれる。先に要石を見に行くことにした。単純に御手洗池へ続く坂の急勾配にビビった。下り坂だが帰りは登らなくてはならない。せめて少し歩くようなら坂を登る前に少し歩いて要石を見ておこう。お前本当に山登ってんのか。
鹿島神宮の要石は大地震を起こすと考えられている大鯰の頭を押さえつけ、大地震から国を守っていくれていると信じられている。ちなみにこの要石、地中深くまで続いていて、あの水戸の光圀公こと徳川光圀がその周りを掘らせても一向に石が出てこなかったそうな。
またこの鹿島神宮と対の存在である千葉県の香取神宮にも要石があり、こちらは大鯰の尻尾を押さえつけているそうだ。こっちも要チェックや!
すごく……綺麗です。
地中に埋まった要石がどういう形をしているのか定かではないが、ツルツルとした表面を撫でてみたい気もする。明らかにここいらにある石とは違う。あと無性に周り掘りたくなる。水戸黄門が我慢できずに「助さん、角さん!掘っておしまいなさい!」と言ったか定かではないがとにかく掘らせたのだから、一般人がこの欲望に耐えれるわけがない。
ただ僕がこの石の周りを掘ったことで、東京直下型地震とか、南海トラフとかを引き起こしたら死刑では済まされないのでやめておく。二礼二拍一礼。これからも大きな地震から我々をお守りください。
御手洗池へと続く坂を下る。体が坂に持っていかれる感じは武甲山にあった舗装路に久しい。それくらいの勾配だった。登るのが辛いことももう分かりきってしまうほどに。
降りてすぐの茶屋の隣に御手洗池はある。決して昔の人が池とトイレを混同して呼んでたわけではなく、鹿島立ちをする際にここで身を清めてから旅に出たという言い伝えからだ。トイレと混同なんて言っていいことと悪いことがあるぞ。
池に佇む鳥居。透明感のある水。しかしどこか白濁したようななんともいえない濁り方をしている。写真は全くの無加工だが、まるでブルー系の加工をかけたように不思議な写り方をした。
この一角は本当になにかしらのパワーを感じる。いや、パワーは感じていないが、どこか不思議な感じだ。写真を見るたびに癒されるというか、心の奥を覗き込まれるような不思議な感覚を覚えないだろうか。
トイレとか口走ったことは後悔して反省もしている。
ここから一度本堂の脇の社務所に寄って、新しく買った車に貼る交通安全ステッカーと絵馬を購入した。
言い忘れていたが、ここの眷属はなんとまさか予想だにもしなかった、
鹿だ。
鹿と車と交通安全。必然山道にある動物注意の看板を想起させる。
また、感謝ばかり言ってもいられない。絵馬にはこのタイミングで臆面なく自分の願い事を書くべきだ。そうは思いませんか。
で、書いた。
正直に書いたつもりが、どこか弱々しい願いだ。なんか空白スペースあるし。これで創作でない書く仕事に就いたらどうしてくれようか。「物語を書くことを仕事にしてできればそれだけで暮らしたい」とか書くべきだったかもしれない。
ちなみに飯来をらくとは上野羽美の別名義であり、本名ではない。誤解を招く前に断言しておく。
全ての始まりの地、鹿島神宮。何か奮起した時、今年こそ自分の生活を変えたい時、人生の転機だと思った時、是非こちらを参拝してほしい。まだ特に変わったことはないが、祈りは力になる。そのはずだ。
とりあえずは鹿島神宮を後に、鹿島神宮と対の存在になっている、千葉県は香取市にある香取神宮へと向かった。