入居者募集中 裏野ハイツ と エピローグ
3月は進学、就職と新生活を始める者達が集中するため引っ越しのシーズンだ。賃貸住宅のオーナー達はこぞって空いてる部屋を埋めようと躍起になる。
裏野のもそれに漏れず、今日も客を案内していた。
「駅まで7分とアクセスも良く、静かで住み心地の好い場所ですよぉ。あなたは運が良い。この辺りでこんな物件はもうここだけでしょうなぁ」
聞こえの良い宣伝文句を謳いながら裏野は煤けた眼帯を撫でた。
「気になりますか? なに、ちょっとした物もらいでしてね」
他にも適当なことを言いつつハイツの二階へ下見客を促す。
「こちらが201号室です。部屋は全て同じ造りですので、どの部屋でも使い勝手は同じです。木造にしては防音もしっかりしてましてねぇ」
部屋の見聞を終えて出てきたところに203号室のドアが開いた。
顔を出した冴島は裏野に気付くと相好を崩す。
「ああ、裏野さん」
「ああ、冴島さん」
裏野は好好爺な笑顔を冴島から客へと向けた。
「こちら203号室の冴島さん。今売り出し中の作家さんなんですよ」
冴島の名前を聞いた客は目を丸くした。
「ご存じでしたか? ええ、処女作でミリオンセラーを飛ばして、テレビで一躍有名になった作者の方ですよ。有名人が住んでいるのもさりげないポイントでして――、ねぇ、冴島さん」
「やめてくださいよぉ。次回作へのハードル上がっちゃうじゃないですか」
そこで友好的な笑いが上がる。
「次回作の草案はもう練っておられるんですか?」
冴島は客に目を向けて頭の先から爪先まで目を這わせた。
「ええ、ここは僕にとって発想の宝庫らしくて、なかなか面白い物がまた書けそうです」
コンビニに行くと言って冴島は階段へと足を向ける。
「ああ、冴島さん」
裏野の投げ掛けに冴島はぴたりと足を止めた。
「どうです、ここの住み心地は?」
冴島はおもむろに振り返り、
「聞くまでもないじゃあないですか。とても良いですよ」
提案がある、そう言って冴島が氷室に持ちかけたのは、早い話が共生だった。冴島には本を書けるだけの生な情報がなく、氷室には有効的な外交手段がない。冴島は本が書けなければまたつまらない人生に逆戻り。氷室の場合は新たな入居者がなければ食糧難で死んでしまうのが目に見えていた。
だから、大家の裏野と冴島が協力してせっせと氷室の食料を集め、冴島は食料から情報を溜め込んだ氷室から話を聞いて物語を思いつく。裏野には入ってくる入居者の金品が横流しにされ、事故物件と告知しなくていいように居住者が食われる度に新しいタナコとして冴島が書類上一週間だけ住む――手垢の付いた詐称行為だが、入居者は詐欺と分かる前に居なくなるので問題はない。昨今、近所付き合いが希薄になり隣人同士が互いに無関心を決め込む世の中の風潮もこの秘密を守るのに一役買っていた。
冴島も裏野もこれで安泰だと思い込んでいた。氷室という怪物を手懐けたと高を括っていた。
しかし、二人は気付いていなかった。日に日に自分の意思が薄れていることに。本を書いているときの高揚感も、金に対する欲望も、氷室の食事を用意することへの嫌悪感も……。
それこそが氷室の言っていた実験の第二段階だった。
つまりは人間の脳を支配すること。
氷室の操る微生物の一部を、冴島と裏野の体に潜り込ませて脳に直接干渉する。特定の脳内物質の分泌を促して感情を制御し、寝ている間に語りかけて洗脳を施す。
この数ヶ月で二人は完璧な奴隷になってくれた。体を構成する微生物も繁殖して増える一方だ。そろそろ第三段階に移行してもよさそうだと氷室はほくそ笑んだ。
次はもちろんさらなる行動範囲の拡大だ。
始めはよちよち歩きだった赤ん坊が成長するように、始めは動くこともままならなかったが、部屋から出てついにはこの裏野ハイツ全てを掌握した。
次は別の物件への移動を試みる。
その次は街へと出て行こう。
今度は都市へと拡大を進める。
さらに日本を手中におさめる。
そうして海を渡りいずれは……。
エピローグ
どんどんたべられる
ぼくは つよい
あれ
ぼくって
なに?
-了-