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うらの  作者: 付焼刃俄
5/8

五室目 103号室 宮武昇

 その日も(みや)(たけ)(のぼる)はお留守番だった。

 お父さんとお母さんがガイショクに行く時はいつもお留守番だ。だから昇はいつものように天井裏で二人の帰りを待つのだった。

 最初のうちは気持ち悪かった。天井裏という場所は暗いのだ。持っている懐中電灯はそれなりに頼りがいがあったけれども、トゲトゲのある何本もの足でガサガサ走る黒い虫や、噛まれたら痛そうな歯を持っている小さな動物がいっぱいいるのだ。

 それでもやることがない昇は探検した。懐中電灯の明かりを向ければ、先に挙げた気持ちの悪い生き物たちは逃げると分かったし、それらの生き物はもういないからだ。

 天井裏でのお留守番は両親に「お前は2歳になったよ」と告げられた頃から始まったが、昇の初めから泣かなかった。

 ところで、昇は今日両親からガイショクの理由をこう聞かされていた。

「お前が3歳になったからガイショクに行ってくる」

 のだそうだ。

 その意味はよく分からないが、昇にとってはどうでも良いことだった。自分が何になろうが下での毎日が変わることなんてないのだ。

 天井裏は暗くて気持ち悪かったが、今では楽しい遊び場だ。

 なぜなら友達ができたから。

 彼は天井裏の真ん中らへんの天井に空いた穴の向こうにいる。

 彼はその穴の向こう側を〝ニーマルニゴウシツ〟と呼んでいた。

 初めて会った時は驚いた。なんたって見た目が昇と全然違うのだ。全身灰色で肌がガサガサしているのにぬめっているようにてかってて、口を開かないのしゃべれるのだ。目なんてどこにでも作ることできると言って、股間に二つの目玉を作ってみせられたが面白いと言うより気持ちが悪かった。

 彼はそんな昇に「君はおもしろいねぇ」と優しく笑った。

 昇は彼に会うために天井裏の真ん中らへんに歩いて行った。

「ここを歩くときは忍者のようにゆっくりとだよ」

 彼が戯けて言った忠告を昇はいつも守っていた。それこそあの二人の話なんかよりもずっとずっと大切に守っているのだ。

 昇は天井裏の真ん中らへんにつくとバンザイした。すると間をおかずに抱き上げられた。優しさと温もりに溢れた心地の好い力加減だ。

「ようこそ昇君、お誕生日おめでとう」

「オタンジョウビ? なにそれ?」

 202号室の洋間の床に下ろされた昇が見上げると彼は腕組みした。

「君が生まれた日だよ。つまりは君だけの記念日さ」

「ぼくが生まれたのはもうずっと前だよ。何回も来るわけないよ」

「やっぱり君は面白いなぁ」

 彼はからからと笑った。と言っても口は開いてないので、相変わらず変な人だなぁと昇は思った。

「今朝は助かったよ。あれは中々大きくて腹持ちが良さそうだ」

 彼が指さす先には今朝隣の部屋から誘い込んだエサがあった。千葉とか言うお婆ちゃんだ。両親と一緒に引っ越しの挨拶に行ったとき、やたらにこっちに笑顔を向けてきた気持ちの悪い人で、昇はよっぽど連れ去られると思ったものだ。

 千葉のお婆ちゃんの身体にはねっとりとした透明の液体がまとわりついていて、あちこち空いた穴から白い枝のような物がのぞいている。

「あんなのおいしいの~?」

「うん、美味しいよ~」

「うえ~、まずそ~」

 昇は彼と一緒に笑った。

「今日は何して遊ぶ?」

「何をして欲しいんだい?」

「じゃあ、壁のぼりしたい」

「いいよ」

 彼がそう言うなり昇の身体はひとりでに壁に吸い寄せられた。壁に背中が付くと持ち上げられ、まるで空を飛ぶように壁から天井へと滑り、反対側の壁を経由して床に下りて、また壁伝いに天井に滑り上がった。

 三周ほど部屋中を滑り回ったところで昇の目も回ってきた。それを察してだろう彼は緩やかにスピードを落として床に立たせてくれる。

「楽しかったかい?」

「うん、楽しかった」

「ところで昇君、物は相談なんだけどね」

 昇が足元をふらつかせていると彼は急に真剣な声を聞かせてきた。

「今はあれとストックがあるから大丈夫なんだけれど、今後のことを考えると新しいエサが必要になってくるんだ」

「やっぱり僕らの食べ物じゃたりないの?」

「そうなんだ、どうしても足りないんだ。下のも上のも全部食べ尽くししちゃったし」

 言いながら彼は一階の天井裏と二階の天井裏に指を振る。彼はついにあの気持ちの悪い生き物たちを食べきってしまったらしい。

「やっぱりあのくらいの量がないとねぇ」

 彼はクローゼットの中の千葉のお婆ちゃんを指さしながら言う。

「あっちは?」

 昇は千葉のお婆ちゃんの隣に置いてある物をさした。

「あっちのは数のうちに入らないんだ。もう軟組織が別の物になっているからね――」

「で、ぼくに相談?」

 また難しい話が始まったと思って昇は口を挟んだ。

「そうなんだ。それで、よかったら昇君に新しいエサを連れて来て欲しいんだ」

 昇は口を突くようにこう言った。

「お父さんとお母さんでもいい?」

「え?」

 彼は初めて昇の前で鼻白んだ声音をだした。

「だって他には無理だよ。ぼく外に出れないもん」

「いや、犬とか猫とかでいいんだけど」

「だから外に出られないんだって、無理だよ」

 彼は少し悩むように唸ってからこくこくと頷いた。

「でも……本当にいいのかい? お父さんとお母さんいなくなっちゃうぞ」

「いいよ。その代わりこっちに来てもいいでしょ?」

 もう何度も彼に頼んでいることだった。でも彼は何に抵抗があるのか知らないが、昇と一緒に暮らすことを拒んでいた。

 しかし――。

「そこまで言えるなら仕方ないね。こっちに来るといいよ」

 今度はあっさりと承諾された。

「やったぁ!」


 宮武夫妻は外食に行く途中で引き返してきた。昇の父親が財布を忘れたのだ。

「財布忘れるなんてありなくねぇ」

「うっせーなぁ」

「もうあんた取ってきてよね。外暑いんだから」

 近くの月極駐車場に車を停めると昇の母親は押しつけるように言う。普段は世間体から夫婦そろってニコニコしているが、一枚でも壁に隔てられたら簡単に化けの皮が剥がれる。

 父親はやれやれと車を降りて行った。

 しばらくはスマートフォンをいじっていた母親だったが、10分経ち20分経ち、いい加減に夫が遅いことに気が付く。

「なにやってんだよあいつ」

 車のエンジンを切った母親はマンションまで戻った。

「ったく、メイクで汗ばむんだよ」

 苛々しながら自宅の前に着くと窓から、明かりも漏れていないのが気になった。

 ひょっとしてパシらせたの怒ってどっか行ったのかな? ああ、あとで謝っとかないと――面倒くせぇなぁ。

 そう思って何となくドアノブを捻るとドアが開いた。

 ……え、居るの?

 部屋に上がると奥の方から泣き声がした。昇の声だ。頻りに「お母さん」と自分の事を呼んでいる。

 夫のことが頭に浮かんだ母親はハイヒールを脱ぎ散らかして奥の部屋に急いだ。

「昇どうしたの? お父さんは?」

 クローゼットの点検口に投げ掛けても、昇はこちらを呼び続けるだけだった。見ればいつも使っている脚立が脇に倒れていた。出る時は確かにたたんで立てておいてはずなのだ。

 昇は下りてこれるわけがない。額はちゃんと閉めていったから泥棒と言うことも無いだろう。なら脚立を使ったのは夫と言うことになる。

「昇! そっちにお父さんがいるの?」

 もう一度訊いたが昇はこちら呼び続けるだけだ。

 くそっ、ガキが!

 仕方なく母親は脚立を立てて上っていく。

 点検口に頭を突っ込んだ瞬間――。

 母親は口を押さえ付けられた。突然の事に驚くも叫ぶこともできないでいると、間近で昇の笑い声が聞こえてきた。

 声の方へと目を向けると昇がこちらに屈み見ながら、懐中電灯で自分の顔を下から照らしていた。

 昇――、何よこれ! お父さんはどうしたの?

 そう言おうとしたが鼻だけでは惨めな叫び声にしか鳴らなかった。

 昇はおもむろに手を持ち上げると後ろの方を指さした。

 さらに目を巡らせると視界の端に何か入った。そこには何かぶら下がっていた。二本の棒状の物が天井裏の天井に空いた穴からさがっていてふらふらと揺れている。それが足だと分かると同時に、履いているズボンが夫の物だと気付いた。その力の無い揺れ方に生気が感じられないことに母親は息を飲んだ。

 その時、昇の物ではない笑い声が耳に入ってきた。何とも形容しがたい嘲笑にぎょっとして目を馳せると――。

 そこには子供の顔があった。

 それも明らかに死んでいるのが分かる陶器のような顔色で、目蓋と唇と鼻が削られたようになくなっている。

 まるで狂った笑いを浮かべているように見えるその顔に、母親は叫べない口で絶叫した。

 もがき振り払おうとするも人間とは思えない力で引っ張られる。足元の脚立から足が離れ、勢いにバランスを失った脚立が倒れた音が響いた。

 母親が点検口に飲み込まれるようにして引き上げられるとパタリと蓋が閉じられた。


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