階層都市の少女たち
この短編小説は自作曲「biridian star」を題材にして書いたものです。
自作曲「biridian star」は惑星ノスタルジー( http://sound.jp/nostalgie/#main )というプロジェクトに参加した際に書いたインストゥルメント楽曲です。
※この短編小説は作者kugumoが個人的に書いたものであり、上記プロジェクトの内容に関わるものではありません。(自作曲「biridian star」を除く)
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2015.12.18 修正
2015.12.17 修正、公開
2015.11.30 修正
2015.06.30 修正
2015.06.29 原稿完成
「──このように、私達の惑星では”深層”に埋まる旧都を資源化して再利用することで、社会を維持および発展させてきた。ところが、近年における急速な社会発展に伴い、それらの涸渇化が進んでいることが専門家などの間で問題視されている。今後、枯渇化の影響によりエネルギー不足や地盤沈下、地震、それに伴う多くの二次災害などが予想され──」
──ブルブル──
スカートのポケットに入っている携帯端末が震えた。淡々と授業を進める先生に気を付けながら、携帯端末を取り出して画面を見ると、新着メッセージが一件届いていた。
『今日の午後、どうする?』
メッセージを確認した私は顔を上げて、斜め向こう側の席を見る。ウェーブがかったミディアムショートの、アッシュベージュ色の髪を揺らす一人の女子生徒が、机の陰に隠した携帯端末をいそいそと弄っている。彼女は私の視線に気付いたらしく、こちらを向いて、にひ、と笑った。
『授業中だ』
不良生徒を注意しようと私もメッセージを送る。すると、息をつく暇もなく彼女から返信が届いた。……人の話をまったく聞いていないようだ。
『アイス食いに行こうぜ』
『霧原区に美味い店があるんだってよ』
『コーンに乗ってるやつくいてぇ!』
一方的に盛り上がる彼女からのメッセージで画面が埋もれていく。ウイルスに感染したコンピュータの画面によく似た、その光景を眺めていると、
『私も混ぜて(はぁと)』
兎の耳を生やした可愛らしいキャラクター画像の付いたメッセージが紛れ込んだ。別の誰かからの書き込みだ。気のせいか、どこか少し無理をしているように感じる。
『お、いいよー♪ 何段まで積めるか勝負しようぜ!』
飛び入り参加の客人を歓迎すると、彼女はハミングでも口ずさみだしそうな顔で携帯端末を覗きながら、うきうきと髪を揺らした。
――だが、楽しそうにしていられたのも束の間、彼女の髪は徐々に威勢を失っていく。それから、ゆっくりと顔を上げる彼女。その視線の先には、教卓に腰をかけながら携帯端末を弄る、女教師の姿があった。
先生は彼女を見て、にっこりと微笑んだ。その顔の上半分が暗闇に染まっているような気がしたのは、私だけではない。
「うう、怒られた……」
休み時間になり、干された布団のようになって教室に帰ってきた彼女は、こちらに来るなり私の机へと覆い被さる。
「少しぐらいいいじゃんかあ、横暴だあ」
両手を伸ばして愚痴をこねつつ、机を揺らしながら子供のようにジタバタする女子生徒。
彼女の名前は後藤 美由。同じクラスの女子生徒で、幼馴染である。性格は直感的、無鉄砲で、思いつくままに行動しては何か問題を起こす。眺めている分には飽きないけど、放っておくといつの間にかいなくなって、見つかったかと思えば何かの事件に巻き込まれていたりするなど、危なっかしいところもあるから、別の意味で目が離せない。
「だいたいさあ、あんなだから、いつまで経っても結婚でき――」
美由の話が先生の私的事情に伸びようとしたとき、彼女は背後から吹き込んでくる吹雪に背筋を凍らせた。
「…………」
横たわる美由の傍で、はぁ、とため息をついた先生が、私だって努力している云々と漏らし、肩を落とす。それから先生は、片手にぶら下げたクリアファイルを抱え直して、
「あなたたち、”霧原区”に行きたいって言っていたわよね」
と、私達に聞いた。霧原区は、授業中、美由が行きたいと話していた、アイスの美味い店がある地区のことだ。
「悪いのだけど、ちょっと頼まれてくれないかしら」
そう言いながら先生はどこか申し訳なさそうな顔をすると、抱えていたクリアファイルを漁り、
「これを、お休みの篠野さなえさんに届けてほしいのよ」
と言って、抜き出したプリントを私に差し出した。
昼過ぎ、学校を終えた私と美由は、先生から預かったプリントを持って篠野さんの家、それとアイスの美味いらしい店に向かって路地裏を歩いていた。ちなみに、今日は半日授業のため、午後の授業は休みだった。
「そういえば、あたし、篠野さんとあまり話したことないかも」
美由が両手を頭の後ろに回しながら青空を仰ぐ。
ここしばらく、篠野さんは学校を休んでいる。元々休みがちな子で、出席してもすぐに早退してしまうことがほとんどだった。たまに教室で見かけることがあっても、席に座って一人で本型端末を読んでいるような、いわゆる大人しい子という印象だった。読んでいるものがファッション関係や最近の娯楽とかならまだ親しみもあるものの、それが一昔前の、どちらかというとマニア向けのような内容で、一般的な趣味を持つ大多数のクラスメイトにとって、それは共通の話題とはなりえないものだった。そういうことも相まってなのか、彼女はクラスにうまく馴染めていないようだった。私も彼女と話したことがあったかどうか、はっきりと思い出せなかった。
左右の道草を食っては渡り歩く美由の後方で、私はなんとなく携帯端末を宙にかざした。誰かと繋がり合うことが当たり前の世界では、篠野さんのような生徒は、いっそう浮いてしまうのだろうか、そんなことを考えた。
しばらく歩くと、辺りが見慣れない景観になってくる。整然とした上層や中層とは打って変わって、個性的な建物がまばらに雑然と建っている。この惑星の都市は発展とともに空へ空へと伸びてきたため、下に行くほど古い様相の建物が多く見られるようになる。とはいっても、使われなくなった建物は取り壊されて資源化されたあと、上層の資材として再利用されるため、廃墟や更地も目立つ。それに加えて上層や中層へと便利さを求めて移り住んでいく者も多いから、ひとけも少ない。寂れている、という言い方がしっくりくる層だと思う。それでも、古くからの老舗のようなところには、一部のマニアや奇抜さに惹かれる人、口コミを通じて聞きつけた美由のようなにわかファンがやってくることもあって、上層や中層とはまた異なる営みを見せているときもある。もっとも、最近では、ここからさらに下にある深層の資源が枯渇してきているようで、深層に近いこの辺りの資源化が進んで人が棲まなくなれば、ここ下層も、いずれ深層のようになるだろうと言われている。
もう少し歩いたところで、携帯端末のディスプレイに”目的地に着きました”という表示が現れた。どうやら篠野さんの家に着いたようだ。
「”篠野”、”篠野”……」
私は辺りを見渡し、点々と建ち並ぶ木造の住宅の中から”篠野”と書かれた表札を探す。しかし、それらしい文字が見当たらない。先生から送られてきた情報が間違っているのだろうか。私は先生に確認を取ろうと携帯端末を弄ろうとした。すると、
「おーい、ちーひろー、こっちー」
道の向こうの美由が、私の名を呼び、こちらに手を振ってきた。
篠野さんの家までやってきた私達は、玄関口で横に並ぶと、呼び鈴を鳴らした。ポーン、と引き戸の奥から音が漏れてくる。黙って待つ私達。虫の音が辺りに響く中、私は篠野さんの家を見上げた。古い木造住宅で、所々に継ぎ跡があり、なんていうか、年季を感じさせた。
「…………」
しばらく経ったが、返事が無い。留守なのだろうか。私達はもう一度呼び鈴を鳴らして待っていたが、誰かが出てくる様子はなかった。しかたなく、私は先生から預かったプリントをポストに入れると、美由を連れて引き返そうと踵を返した。そのとき――
「お、なんかあっちのほう変わってる」
美由が庭に入っていった。
「おい、勝手に……っ」
彼女の後を追って、私も奥へと入る。家の壁と垣根の間をサンドイッチのようになりながら割って入っていくと、木造の縁側とコンクリート塀に囲まれた、意外にも開けた空間が広がる。そしてすぐに、その中を園児のように走り回る美由の姿が目に入ってきた。
「あははは」
…………。私はしばらく呆気に取られていたが、我に帰るなり、すぐさま彼女を追いかける。
「まて、こら……っ」
「あははは!」
庭を駆け回る二人。私は心の中で篠野さんとご家族の方に何度も謝りつつ、気ままに向きを変える美由に宙を掴まされながら、彼女を羽交い絞めにすることで、ようやく捕まえる。すると、
「……あ……」
そこで私達は、コンクリートの壁を背に、セメントで固められた地面に座り、本型端末を読む一人の少女を見つけた。シャギーがかった黒髪のセミショート、白い肌、か細い身体――学校で見かけたときとは違い、私服を着ていて、首元には一風変わった懐中時計のようなペンダントを掛けているけれど、物静かそうに本型端末を読む姿はまさしく彼女のもので、そう、そこに座っていたのは、紛れもなく、篠野さんだった。
「――――っ」
彼女は私達を見るなり怯えた表情を浮かべて、本型端末を抱え込んだ。それを見て自分達の今いる場所のことを思い出した私は、すかさず事情を説明する。
「え、ええと……いきなりごめんね。私達、先生からプリントを預かって来たのだけど、こいつが勝手に入って行っちゃって。ほら、お前も謝れっ……ごめんね、後でよく言って聞かせておくから……。あ、プリントはポストのほうに入れておいたから、後で確認してね。それじゃ、邪魔してごめんね、失礼しましたー……って、あれっ!?」
苦し紛れの弁明を後に残して美由を連れて立ち去ろうとした私は、腕の中に捕らえていたはずの美由が、いつの間にか消えていることに気付いた。急いで辺りを見回すと、
「おお、あっちにも変なものが」
さらに庭の奥の方へと走っていく美由の姿が見えた。あの野郎……!
「あ……そっちは……っ」
それを見た篠野さんが急に慌てだす。何だろう。とにかく、今は奴を捕まえないと……。私は美由に駆け寄ると、再び彼女を羽交い絞めにする。
「お前、いい加減に……っ」
組んず解れつとしている私と美由の元に、篠野さんがおずおずと近づいてくる。
「あの、そっちは危な――」
そして、彼女がそう言いかけた瞬間、
――ぐらり――
(え――?)
急に視界が傾き、
「きゃっ……!」
「う、うわあぁぁぁ……!」
崩れ落ちる地面とともに、私達は底知れぬどこかへと飲み込まれていった。
「んん……」
痛む身体を起こす。それから片目を開ける。ぼんやりと緑色と黒い何かが見える。まばたきをしてから、もう一度見る。草木や苔に覆われた、大きな車輪の付いた鉄の塊、それがどこかから漏れてきた陽射しに照らされて、静寂の中で佇んでいた。私はもう片方の目を開ける。これはおそらく”汽車”と呼ばれる旧時代の乗り物の、先頭部分だったものだろう。歴史の授業で習ったことがある。
ぽーっと、しばらくそれに見入っていた私は、はっ、と我に帰り、急いで辺りを見回す。ううん、と身体を起こす篠野さんと、尻を突き出して倒れている、微動だにしない美由――
「お、おい、美由……!」
私は美由に駆け寄り、体を揺さぶる。すると、
「ううん……二段……もっと盛り盛りで……」
涎を垂らして寝言を呟く美由。彼女の幸せそうな顔に呆れると、私は間抜けに突き出された尻を叩いた。
二人が怪我なく無事であることを確認して胸を撫で下ろした私は、自分達が落ちてきたところを見上げた。一緒に崩れてきた瓦礫やら何やらによって、穴らしきものはしっかり塞がっていた。登るにもちょっとした高さで、再び崩れる危険性も考えると、ここから自力で外に出るのはやめておいた方がいいかもしれない。ひとまず救助を求めようと、私は携帯端末の画面を見た。壊れてはいないみたいだ。だけど、肝心の電波が届いていないようで、繋がらない。携帯端末を頭上にかざして周辺を歩き電波が届く位置を探ってみるものの、画面のすみに表示された”圏外”の表示が変わることはなかった。他の二人にも端末が繋がるか聞いてみたが、美由も私と同く繋がらず、篠野さんの本型端末は、落ちる前に、私と美由に近寄る際に置いてきたらしい。端末で助けを呼ぶのも難しそうだ。だったら、大声を上げて助けを……いや、隙間も見えないほど塞がれた穴、分厚そうな天井、それに、あれだけ響いていた虫の音が外から全く入ってきていないことを考えると、おそらくちょっとやそっと叫んだところで、外に声は届かないだろう。落ちるときの物音や私達の声に、誰かが気付いてくれればいいのだけど……。
それから私達は、頭上に向かって大声を上げたりしながら、しばらくの間その場で待っていたが、いっこうに助けが来る気配はなかった。
――ふと顔を上げると、奥へと進めそうな通路口が視界に入った。もしかしたら出口に繋がっているかもしれない。私は頭上の塞がった穴や天井を見上げた。時折、ぱらぱらと塵や埃が降っている。一度崩れたところが再び崩れてくるとも限らないし、それに、このままここでじっとしているよりは、ここを離れて出口を探したほうがまだ出られる可能性もあるような気がする。
私は二人に話すと、彼らを連れて出口を探すことにした。
暗い通路の中を、私達は出口を探して練り歩いていた。
「巻き込んじゃってごめんね、篠野さん」
歩きながら、後ろを歩く篠野さんに謝った。人様の庭に不法侵入した挙句、こんなことに巻き込んでおいて、ごめんの一言で済むような話ではないけど……。
辺りを見る。丸みを帯びた深緑色の壁に、一定間隔で薄黄色い電灯が取り付けられている。その明かりに照らし出されるようにして、ちらほらと、歴史の教科書に載っているような古めかしい物が姿を覗かせている。ここは、おそらく――
――”深層”。大昔の都であり、現代の資源採掘において主要な階層である。おもにここで採掘されたものが資源化され、私達の暮らす上・中・下の階層の維持と発展のために活用されている。下層の廃墟も資源化されたりしているけど、採掘に特化された形として開発がなされていないという点で深層とは異なる。とはいえ、その深層の資源も、ここの様子を見る限り、世間で言われているほどには採り尽くされているようだった。外との連絡手段として少し期待していた採掘用のロボットも、このありさまでは、ここよりもまだ資源が多く残る地帯に回されていることだろう。
人工的で飾り気のない通路を眺めながら、そんなことを考えていると、最初に落ちてきた場所を離れていくらか進んだところで、私は前を歩いていた美由が何やらゴソゴソとやっていることに気付いた。
「……何を……」
また何かやらかすつもりじゃないだろうなと、私が覗き込もうとすると、美由が振り向く。すぐに美由の顔が目に入ってくる。
「…………」
「…………」
「…………」
「…………っ!」
美由の顔を見た私は不覚にも噴出しそうになり、とっさに美由から顔をそらした。
「…………」
それから、ゆっくりと向き直る。
「……お前、なにして、んふっ!」
目を開けると、変わらずこちらを向いている美由が見えて、私はまた顔をそらした。う゛っ、変な笑い出た……。私は腹からこみ上げてくるものが鎮まるのを待ちつつ、彼女の顔が視界に入らないよう注意しながら、それを外すよう彼女に手で合図し、一息つくと、再び向き直った。
「どうしたんだそれ」
「そこにあった」
美由が指差した先には、見慣れないものがゴロゴロと転がっていた。よくよく辺りを見回してみると、そんなものがちらほらと置かれていることに気付く。へえ、ありふれている材質の小物は案外残っていたりしてるんだ。
「…………」
私はそれらを見ているうちに、モヤモヤと興味のようなものが沸いてきて、だんだん堪えきれなくなり、そのうち幾つかを手に取ると、美由に取り付けた。
「……っ…………っ……」
美由が謎の変貌を遂げた。それを見て私は腹を抱える。
「……っ…………っ……」
「…………」
「……っ……」
「…………」
「…………。ふー」
「ふーじゃないだろ」
そんな風に私と美由が意味もなくふざけていると、
「……ふふっ」
その様子を見ていた篠野さんが小さい声で笑った。私は、どこか少しだけ安心したような気がした。学校でも見たことのなかった、彼女が見せる初めての笑顔だった。
それから私達は、道行く先々で変な物を見つけては、それを弄って遊び、出口を探して練り歩いていった。
「それ、変わってるね」
長々と続く一本道を歩いていたとき、美由が、篠野さんの首から掛けられている懐中時計のようなペンダントに気付いて、覗き込んだ。
「あ、あの……」
篠野さんは恥ずかしそうにそれを両手で覆い隠す。俯いて赤面する彼女。しばらくそうしていると、ふと私と美由の顔を交互に見てから、目を伏せて、どこか勇気をふり絞るように、
「……お、音が、鳴るの」
と言って、懐中時計のようなそれに触れた。すると、
――――♪
少しチープな音色の、軽快で少し不思議な感じのするメロディーが通路に鳴り響く。たぶん、一昔前のアニメか何かの音楽だったような気がする。その様子を見て、おおーっ、と声を上げて喜んだ美由は、
「貸して貸して!」
と、音の鳴るそれに食いついた。
「おい、大事な物だったら……」
調子に乗る美由に見かねて、さすがに私は彼女を制止した。しかし、それでも篠野さんは、躊躇しつつも、それを美由に手渡す。
「どうやるの?」
「外側のふちのところを……」
「こう?」
――――♪
美由の手中のペンダントが、再びメロディーを奏でる。
「おお、すげえ」
喜ぶ美由の様子を見て、心配そうだった篠野さんが微笑んだ。それから、もう一度試そうとする美由。
「……あれ? 動かない」
どこかが動かないらしく、あれこれと美由が試している。そして、彼女が、ぐぐ、と力を込めた、そのとき――
――パキィィン――
硬いものが割れる音がした。その場の空気が固まる。あ……っ、と呟く美由。よく見ると、それの一部が割れていた。カチャカチャと、なんとかメロディーが鳴ることを確認しようと、慌てた美由が弄りまわす。しかし、聞こえてくるのは、サー、というノイズだけだった。次第に顔から血の気が引いていく美由。彼女は篠野さんの顔をうかがおうと、油の切れたロボットのような動作で振り向く。篠野さんの顔は――無表情だった。
「わ、わりぃ」
美由が無理に笑顔を作って取り繕おうとする。しかし、篠野さんは無表情のまま宙を見つめて固まっている。そしてしばらくすると、固まったままだった篠野さんの、両目から、二筋の涙が彼女の両頬を伝った。それから彼女は悲しそうな表情を一瞬見せると、俯いて、暗闇の向こうへ走り去っていってしまった。篠野さん、と言いかけた美由の、彼女へと伸ばされた片手は、届かずに、力なく沈んでいった。
「おーい、篠野さーん」
高い天井の通路、壁には縦長の通路口がいくつも口を開けて並んでいる――いや、広大な空間に太い柱が立ち連なっているのかもしれない――方向が分からなくなりそうな場所の中を、篠野さんに呼びかけながら捜し歩く。
「お前も捜せ」
「わざとじゃないもん」
つーん、と顔を逸らす美由。彼女の態度を見て私が拳を見せると、ごめんなさいごめんなさい、と、彼女は両手をぶんぶんと振って交差させた。拳を下げた私は、肩を沈める。
あれからだいぶ捜し歩いたものの、篠野さんはいっこうに見つからない。暗闇に消えていった彼女を追っていくうちに通路も入り組み始め、あちこち枝分かれしていく道に私自身も迷わないようにすることで精一杯だった。こんなとき携帯端末が使えれば、自分達の位置や彼女の居場所だって分かるし、彼女にメッセージだって送れるのに――いや、もし使えたところで、私達と彼女はお互いの携帯端末の番号を知らないのだった。それに、あんなことがあったのだ。たとえ知っていたとして、彼女は私達にメッセージを返してくれるだろうか。そもそも、今こうして呼びかけている私達にだって、果たして答えてくれるのだろうか。近づいたところで、また暗闇の中に逃げられてしまうのではないか。
――それとも、一旦私達だけで出口を見つけて外へ出た後、救助を呼んだうえで彼女の捜索を――いや、そんなことをすれば、独り置き去りにされた彼女は、いったいどんな気持ちになるだろうか……。深層から出てきても、何か、別の意味で出てこれなくなってしまう、そんな気がする。彼女は私達の手で探し出そう。それが間違いだとしても、私は彼女にあの笑顔を失ってほしくない。
でも、このまま闇雲に歩くだけでは、いつまで経っても……。途方に暮れ始めていた、そのとき――
――ごごご――!!
「うわっ!!」
突然の轟音。それとともに床や壁、天井が揺れ動き、よろける私達の頭上からぼろぼろと塵や破片が降ってきた。
――不意に午前中の授業風景が脳裏をよぎる――
『――ところが、近年における急速な社会発展に伴い、それらの涸渇化が進んでいることが専門家などの間で問題視されている。今後、枯渇化の影響によりエネルギー不足や地盤沈下、地震、それに伴う多くの二次災害などが──』
過剰な採掘によって空洞化した深層は、やがて他の層を支えきれなくなり、崩れてしまうという話。授業やニュースで散々聞かされてきたことだった……だったはずなのに、ああ、どうして今まで忘れていたのだろう……。
……まずい、急がなければ――!
焦る私の傍で、遠くを見て不安そうにしていた美由が、ふと壁の方に目を向けると、その中から何かを発見したようだった。彼女はそれを見ていると、急に真剣な顔つきになった。
涙の跡が頬に残る少女が、独り片隅で膝を抱えている――
――陽射しに照らされた草木が暖かな風に揺れる庭で、幼い少女が母のひざの上に座り、母子ともに本を読んでいた。本には巨大なロボットが悪と戦うものや、異世界に迷い込んだ少女が魔法で住民を助けるものなどの話が描かれていた。
『このお話が好きなのね』
本の中の魔法少女に一喜一憂する娘に、母が微笑みかける。
『うん!』
幼い少女が、にっ、と笑う。それを見た母は、
『そんなあなたにママからプレゼント』
取り出したペンダントを幼い少女に手渡す。幼い少女は、わぁ、と驚き、ありがとうママ、と言って満面の笑みを浮かべた。
それから数年の月日が流れた。
『どうして!?』
狭い台所部屋に怒鳴り声が響く。背丈が伸びた少女が肩を震わせている。
『何をそんなに怒っているのよ。お金が必要だったの。ほら、上層に引っ越すって、この間、話したでしょう――すみません、娘が……』
母は怪訝そうな顔をすると、携帯端末で他の人と話し始めた。
『だから、行きたくないって言ったじゃない!』
少女の怒鳴り声に、再び母は携帯端末を顔から離す。
『本当にこの子は……。だいたい、あんな場所をどうしてそんなに大事にしているの』
『――――っ!』
少女は悲痛な表情を浮かべて後ずさり、振り返ると走って部屋を出ていった。
庭に出た少女は、首に掛けたペンダントを荒っぽく掴み首から外すと、腕を振り上げて地面に叩きつけようとする。しかし、振り上げられた腕は震えたまま下ろされることはなく、やがて力をなくしていった。そして腰を下ろしながらゆっくりと腕を下ろすと、それを両手で握り、胸に当て、肩を落として、少女は弱々しい声で泣いた。
さらに、月日は流れ――
コンクリートとセメントで塗り固められた庭の一角で、憂いの色を浮かべた虚ろな目の少女が、独り本型携帯端末を読んでいた――
――深緑色の冷たい壁を背にして冷たい床に座り、膝を抱える少女。
(結局、独りになってしまった。誰かに渡せばこうなるかもしれないことくらい、分かっていたはずなのに……)
彼女が膝に顔を埋める。
(きっと、私はずっと独りきりなんだ。だったらせめて、この思い出のままで――)
――ごごご――!!
(――えっ!?)
地震に驚き顔を上げて周りを見回した篠野は、降り注ぐ塵と破片に狼狽し、目を瞑り頭の位置を低くする。
(――怖い――)
彼女は無意識のうちに震える手で首元を探る。しかしそこには、もはやペンダントはない。あっ、と目を見開くと、それでも彼女は、すがるように宙を握る。
(――私、このまま死ぬのかな)
体を震わせながら彼女は、半ば諦めたように目を薄く閉じる。
(それでも、小さい頃、あんなに幸せに過ごせたんだ)
壁や天井がボロボロと崩れる中、幼い頃の母と過ごした光景を思い浮かべながら、彼女は瞳を閉じていく。
(その記憶だけで、十分だよ)
――ふと、彼女の脳裏に、二人と探索した光景がよぎった。
(……どうして……)
彼女の両目にいつの間にか溜まっていた涙。
(あれ、なんで……)
それが一つ、また一つと零れ落ち、
(――ちひろさん、美由さん――)
そして、一気に堤防が決壊するように、
「……いやだよ、独りきりは寂しいよう」
溢れ出し、篠野の頬に残っていた涙の跡を、塗り潰していった。
そのとき――
――キン――コン――キン――コン――♪
遠くから、ガラス細工のような透き通った音が響き渡ってきた。
(…………?)
篠野は瞑った目を薄っすら開けて、涙で歪む視界のまま顔を上げると、辺りを見回す。
(……きれいな音……)
音に導かれるように篠野は腰を上げると、惹かれるままに音のする方へと歩を進めていく。そして、やがて見えてきた明かりの先に、彼女は入った。
「あ……!」
深緑の壁と床が薄い黄色のライトに照らされた一角。通路口の一つから篠野さんが姿を現した。私は思わず声を上げる。目が合う私達と、彼女。わずかな沈黙。それを崩すように、美由が篠野さんのところへ歩み寄る。そして篠野さんを照らすスポットライトの下へと、歩を緩めながら、彼女は入った。
「……あの、ええと……」
口籠りつつ、美由は片手に持ったものを差し出す。
「元に戻せなくて……ごめん」
篠野さんは視線をそれに移す――それは、欠けたところに水晶がむりやり埋め込んであるペンダント。篠野さんはそれを受け取って見つめると、俯いて、涙を零しながら目を閉じて微笑み、
「ううん」
と、首を振った。
泣いている篠野さんと、反省しつつも微笑む美由。その様子を後ろで見ながら、私は息をついて、少し呆れるように苦笑した。
……もぞもぞ……
窓から美由が地上に這い出る。そのあとを篠野さんが続こうとする。なかなか上がれない彼女に、美由が彼女の手を引っ張り、私も後ろから靴裏を押し上げる。彼女が出たのを確認すると、よっ、と私も外へ出た。暗闇にしばらくいたため、いきなりの眩しさに私は思わず手をかざす。次第に目が慣れてくると、指の隙間から覗いた空は、すっかり夕焼け色に染まっていた。
川端の堤防の天辺に続く歩道で、私達は、暗くなる空の中に明かりが星のように目立ち始める都市を見上げていた。
「……深層が崩れたら、この都市、なくなっちゃうのかな」
私は頭に浮かんだことを呟いていた。両手を頭の後ろに回した美由が、隣の私を見ると、また都市へと視線を戻す。反対側から私を見ていた篠野さんは、少し心配そうに俯いた――そこでふいに、いつもと違うペンダントに気付いたらしい彼女は、それを両手で握ると、星が現れ始めた、橙と紺のグラデーションの空を見上げた。