1話
ゆっくりと意識が浮上する。
わたしはまず、周りが見えることに驚き、そして周りの様子に再び驚いた。
わたしの名前は天成 空、高校二年。通学途中で大型トラックにはねられたのが最後の記憶だ。
痛覚が麻痺していたのか特に痛みもなく、けれど感覚はもう手遅れだということをはっきりと悟っていた。だから、まずは意識が戻ったことが驚きだったのだ。
だが、見渡した周囲の状況は、意識が戻ったことよりもさらに非現実的だった。
目の前には地平線が見えるほど広大な草原。少し先には湖もある。背後には、なにやら黒ずんだ空気を発している深い森。そして、決定的なのが空だ。宙に浮かぶ遺跡、二つの太陽。翼を広げ飛翔する龍のようなシルエット。
それを見て確信する。
ここ、異世界だ。
トラックにはねられ異世界転生とか、なんたるテンプレ。これでチートがもらえれば……そこまで思って気が付いた。
手足の感覚がないことに。
いや、もっと言えば、頭や胴体などといった体の区分けがないように思える。
途方にくれながら、とりあえず前に進もうと念じてみると、あら不思議。視点がゆっくりと移動していく。かなり自然な感覚で移動できた。体の使い方はなんとなく分かるようで安心である。
自分の姿だけでも確認しようと湖に向かって進み、水面を覗き込む。
そこにいたのは、
(…………スライム?)
ファンタジーな魔物の定番。最弱の代名詞。
スライムである。
体は透き通った空色で、揺らすとプルンと震える。
まぎれもなくスライムである。
(うわ……どうしたものかなあ)
よりにもよってこの魔物。冒険を始めてすぐのチュートリアルで噛ませ犬役を演じることになるのは御免だが、スライムなんてどうしたものか……いや。
スラ〇ちさんという例外もいることだから、スライムに絶望するのはまだ早い。
とりあえず、できることを確認してみよう。
話はそれからだ。
とはいえ、どうしたものか。
ステータス画面みたいな分かりやすいものがあればいいんだけど……そう思った瞬間だった。
ポーン
そんな音がして、目の前に青く透き通った板のようなものが浮かぶ。
(ステータスウィンドウ?)
そこには、こう記載されていた。
==========
名前:
種族:スライム
所持スキル:《通常スキル》【魔力変換:生命】【変換効率上昇Ⅱ】
《種族固有スキル》【物理攻撃90%カット】【流動】【固定】【酸攻撃】【消化】【吸収】【貯蔵】
《エクストラスキル》【魔力量増加:特大】【魔力自然回復強化:特大】
==========
名前が消えてる……まあそれはいいや。種族はやっぱりスライムだね。
で、スキルは、と。
……あれ、意外と強い?
見たところ、物理攻撃はほとんど効果ないし、通常スキルの【魔力変換:生命】とエクストラスキルの【魔力量増加:特大】って最強コンボじゃね? これって、即死じゃなければ即座に全回復可能ってことだよね。
攻撃手段が少ないのは気にかかるけど、スライムって……強い?
う、うん、まずは確認だ。
実際にいろいろとやってみよう。
まずはとはいっても、【流動】と【固定】。これはおそらく、今も使っているこれのことだ。やろうと思えばもっと体を柔らかくすることも固くすることもできる。この二つのスキルを併用することで体の状態を決めているんだと思う。感覚的には、使いこなせられればどんな形でもとれるようになる気がする。要練習だね。
他のスキルは、【魔力変換:生命】は傷を負わないとダメだし、【消化】【吸収】と【貯蔵】は今は必要なさそうだから後回し。
てなわけで、【酸攻撃】行ってみようかな。
それ、スキル【酸攻撃】発動!
…………何も起こらない。
どういうこっちゃ?
いや、待てよ。
酸攻撃といえば、酸性の液体を相手に吐き掛けるようなイメージをしていたけど、スライムといえば捕食だ。食べて、それを体内で消化する。そのための酸攻撃ではないのか?
つまり、これは【吸収】とセットで使うスキルだということだ。
物は試しだ、さっそくそこらの雑草を【吸収】し、【酸攻撃】を使ってみた。
……成功だった。
この仮説であっているのだと思う。
遠距離攻撃はできないのか……それでも十分強力だ。なにせ、抱えるほどもあった雑草が一瞬で溶けてしまったのだから。かなり強い酸だったと思う。
これは使える。近づいて吸収さえしてしまえば、わたしは無敵かもしれない。
戦力の確認を終えたところで、移動開始だ。
どうやったら人間になれるのかとか、スライムでいいのかとか……いろいろと思うところはあるけれど。まずは何もないこの場所を離れよう。もしかしたら、魔物でも街に入れるかもしれないし。転生なんてことが起こったんだから、もう何にだって可能性はあると思うんだ。
森に沿うように移動を開始する。地平線が見えるような草原を移動するのは馬鹿らしいし、この森なんかやばい。本能が『入ってはダメだ!』と叫んでいる。
移動しているうちに【貯蔵】スキルの使い方が分かった。
【酸攻撃】を取り込んだ草に使いながら進んでいたんだけど、そうしているうちに、体内に取り込んだ草をどこかに収納できることに気が付いたのだ。どこか、というのは感覚的なものだから何とも言えない。しいて言うなら胃袋がつながる亜空間だ。
草を食べても食べても底が見えないので、相当な量が入るらしい。アイテムボックス来たー!
しばらく進むと、一人の女の子がこちらに向かって走ってくるのが見えた。
背後に巨大カマキリのような魔物を引き連れて。
(ちょっ、あれって)
少女の顔は恐怖に歪んでいる。目には涙がたまり、今にもこぼれそうだ。
(初めての人間! できれば助けてあげたいなけど……)
わたしが躊躇しているのは、『スライムってもしかして強い?』というのが思い込みである可能性があるからだ。
スライムが強いのではなく、この世界の基準が高いのではないのか。
そんな不安が湧き上がってきている。
(うぅ……。ええい、ままよ!)
どうにでもなれ! と心の中で叫ぶと、全速力でカマキリに向かっていく。
相手はおそらく純物理系。【物理攻撃90%カット】を持つわたしからすれば、凶悪なまでに相性の良い相手、のはずだ。
だったら、もしスライムが最弱だったとしても、時間稼ぎくらいはできるはず!
「スライム!?」
(どいてー!)
もちろんわたしの思いなど伝わるわけもなく、慌てて杖のようなものを抜く少女。そして背後のカマキリを思い出したのか、どうしたらいいのか途方に暮れている。
そんな少女の傍らを駆け抜け、カマキリの頭に向けてとびかかった。
「えっ」
後ろから驚きの声が聞こえるが、わたしはそれどころではない。
目の前に、カマキリの巨大な鎌が迫っていたからだ。
空中にいるわたしには避けられない。咄嗟に【固定】を使用する。
固いだけでは切り飛ばされる、弾むような弾力を生み出すことで刃に押されるように地面に激突、吹き飛ばされて何度か地面を跳ねた。
(ふふ……やったぜ!)
が、わたしの目的は達成している。カマキリの鎌には透明な液体がこびりつき、白煙を上げながら溶けだしていたのだ。
「キィィイイイイイッ!!」
カマキリが怒りの叫びをあげる。
わたしがしたことは単純、一瞬だけ鎌を【吸収】で体内に取り込み【酸攻撃】を仕掛けたのだ。
思わぬ痛手を負ったカマキリは標的をわたしに変える。
初っ端から強敵相手だが、一瞬であそこまでの威力を出せるということが分かれば、あとはひたすら回避して機を待つのみだ。【流動】と【固定】を駆使し回避に徹する。
十五分ほどの攻防の後、ようやくスキルの使い勝手が分かってきた。今までは全体に使うだけだったが、今度は部分的に【流動】を使って触手のような突起をつくり、大きく振るう。
その結果、鎌が切り飛ばされた。
触手と鎌が接触した瞬間に【吸収】により【酸攻撃】の酸が満ちた触手内部へと取り込まれ、瞬時に溶解したのだ。異物を溶かす【酸攻撃】は内部に溶かす対象が存在しないと使えないのだが、【貯蔵】で蓄えておいた草を触手内に送り込むことで常時【酸攻撃】を発動することができるようになったのである。
そこからは蹂躙だった。
二本目の触手を生み出して乱れ打ちにすると、カマキリはあっという間に細切れになった。
結論。
スライム、マジ強ぇ。
◇◆◇
倒したカマキリを【消化】して吸収すると、能力が底上げされたような感覚があった。ついでに、カマキリの情報も入ってきた。この情報をもとにすれば【流動】と【固定】を使ってカマキリに変化できるだろう。しないけど。
だってこのカマキリ、本気で脳筋ステなんだもん!
魔力はゼロ、スキルは【身体強化】のみ。攻撃手段といえば鎌だけである。
あ、ちなみに解析された【身体強化】はスキルとして手に入った。ちょっと動きやすくなった気がする? 程度のものだけど。
助けた女の子に向き直ると、それはもういい感じにぽかーんとしていた。
この反応を見ると、やっぱりスライムは弱キャラなのか。
(おーい、大丈夫?)
「はっ」
とりあえずぽよぽよしてみた。言葉が通じないって不便だねー。
「あ、あの、スライムさんは、わたしを助けてくれたの?」
(そうだよー)
縦にぽよぽよする。頷いているつもりだ、これでも。
……伝わるかなあ。
「えっとえっと、それじゃあね。お願いしたいことがあるんだけど……」
(なにー?)
ぽよん?
こう、小首を傾げるような雰囲気ね。
女の子は勇気を振り絞るような顔をして、手を差し出した。
「お願いします! わたしの従魔になってもらえませんか!?」
(……あ、テイマーさんなのか)
ちょっと考える。
従魔になるメリットはなんといっても街に入れることだろうか。あのカマキリが襲い掛かってきたのを見ると、やはり魔物は魔物なんだろう。
けれど、人間に従うのならば話は別だろう。女の子についていけば街に入って情報が集められる。
あ、あと、この子結構かわいい。
デメリットはといえば、自由に過ごせなくなることだろうか。
従魔になるってことは、この女の子に従うってことだ。杖を持っているところを見ると、冒険者とかハンターみたいな職業があるのだろうけど、彼女が依頼を受けるのならばそれに同伴しなければならない。
メリットとデメリットを天秤にかけ……受け入れることにした。
今はスライムだけど、わたしは元人間。文化的ライフ万歳。野生なんて耐えきれない。
それに、この女の子は明らかに慣れていない。おそらく、わたしが初めてかそれに近い従魔になると思う。従魔を使い捨てるような人には見えないし、あのカマキリを倒せる程度の戦力なのだからしばらくは安泰だろう。
最悪逃げたっていいし。
というわけで、ぽよぽよと跳ねて触手で手を握り了承を示すと、女の子はぱっと顔を明るくした。
……もうちょっと警戒した方がいいよ。この触手、【酸攻撃】を使ってないだけで見た目はカマキリを切り飛ばしたのと同じだよ?
「いいの!? じゃあ、えっとね。名前を付けさせてもらうね。そうだなあ……よし、ノエル。あなたの名前はノエルだよ!」
(はいな!)
「えっ、ノエルって話せたの!?」
え、伝わったの!?
わたしが驚きだ。
少女は驚き冷めやらぬ顔で説明してくれた。
「あ、えっとね。テイマーて、従魔とは念話ができるんだよ。でも、普通はちょっとした感情が伝わってくるくらいだって聞いてたから驚いちゃった。あ、わたしはユリだよ。よろしくね」
(そうなんだ、よろしくねユリ)
そんなわけで、わたしはユリの従魔になったのだった。