24話
わたしとユリは、森の中をのんびりと歩いていた。
つい先日の対グレーテストマンティス戦でこの辺りの魔物が一掃されたため、拠点として使っていた洞窟がある辺りよりも随分と奥に来ているにも関わらず実に平和だ。
もう少し進めばまた変わるかもしれないが、とにかく、時間は何事もなく経過していく。
(……だからね、ユリはもう一人で行動しちゃダメなんだよ!)
「うぅ、ごめんね、ノエル……」
で。
わたしはと言うと、ユリに抱えられながら説教だ。
スライムとしてのわたしはユリがどうしていたかは知らないので、取り敢えずユリの話を聞いた。たどたどしいユリの話をまとめると、要は森の中でマンティスを見つけて不安になったのが理由らしい。そんなことよりも自分の安全を優先して欲しいものだ。
しばらく説教し、そのあとは泣き落としにかかる。
(ユリがいなくなったら、ボクはまた一人になっちゃうんだよ……)
「ノエル……」
知能を持つ魔物であるわたしには、仲間がいない。ぶっちゃけ裏切られるかもしれない仲間なんていない方がマシなんだけど、そんなことは放っておこう。とにかくユリがいなければわたしは孤独なのだ。ハーフで迫害されてきたというユリにはこう言えば効くと踏んだ。
案の定ユリは、
「本当にごめん……もうノエルをおいてはいかないから」
(ありがとう)
そう約束してくれた。チョロい。
そんなところも優理と重なって、わたしのユリへの庇護欲は増すばかりだ。
何はともあれ言質を取って一安心。
(それで、これから……グリモワール? に向かうんだよね。でも、いいの?)
「うん。ノエルの言う通り、わたしがいると迷惑がかかると思うから」
わたしはユリに、街の人と一緒にいない方がいい、と言って説得した。
ハーフであるユリを嫌う者が多いことは容易に推測できる。そして、街を追われた人々が不安を抱いていることも。民間の死者こそいないものの、いわば極限状態である今、不和の原因となりかねないユリはいない方がいい。そう告げた。
これが最悪な説得方法だということくらい理解している。けれど、それでもあの国に留まるのは下策だと思った。
わたしのことが国にバレるだけならいい。個である程度の戦闘力を有し、姿を変えることもできるわたしはその場だけ何とかすればやりようはある。
けれど、その影響がユリに及んだとしたら……それだけじゃない。建前として使った、ハーフであるという理由。あれはまごう事なき本心だ。ただ、そこに……ユリに手を出されたら、周りの人全員を虐殺しかねない、という一言が付け加えられるだけで。
本当はもう少し違う理由付けができればよかったんだけど、時間がなかった。
「みんな生きてるんだから、また会えるよ! それに、グリモワールって言えば魔術師の憧れだから楽しみだよ」
ユリの声は、少しだけ無理をしたような明るさを含んでいた。
周りの人を大切にしていたユリだから、別れは寂しかったはずだ。
そんなユリの内心を思い、変えた話題に乗っかる。
(魔道王朝って呼ばれてるんだっけ。ボクも魔術、使えるようになるかな?)
「きっと出来るようになるよ。がんばろうね」
(そうだね)
うん、まあ、人間形態になれば使えるから、わたしの魔力の扱いに問題があるわけではないんだろう。だから正直、スライムのまま魔術が使えるようになる確率は低いんじゃないかと思ってる。魔術を使えるというカラースライムとは、体の構成が違うんだろう。
けれどそんなことを言っても意味がないので、楽しみだ、というふうに頷いておいた。
そこからはとりとめもない雑談をしながらしばらく進み、森を抜けると草原が広がる。
この森がファーレンガッハ王国と魔道王朝グリモワールの国境だ。つまり、これで密入国の完了である。
実はこの世界、他国の領土に踏み入ること自体はそう難しいことではない。申し訳程度には兵士の巡回もあるが、基本的には街の物見櫓から魔物の侵攻がないかを見張るくらいである。
人の出入りを管理しているのは街の門だ。
街を守る壁の中と外を移動するときに身分証の提示を要求される。ちなみに、この身分証はギルド証で十分だから、わたしたちは合法的に街に入ることができる。
では何故、こんなかたちで国境を超えたのか。
それは単純に近道だからだ。
今のわたしは物理攻撃だけに限定すればランクAに近い実力を持つ。森の魔物が障碍にならない以上、わざわざ遠回りする理由はない。
「抜けたね……。次は、村を探すんだっけ」
(街までの距離が分からないからね。今夜はしっかり休みたいよ……)
「あはは。昨日は大変だったもんね」
グレーテストマンティスとの戦いの疲れは抜けきっていない。それでもすぐに出立した方が良いと判断したのはわたしだが、それとこれとは話が別だ。
「でも村かぁ……グリモワールは国境付近に開拓村が幾つかあったよね」
ユリが簡単な地図を見ながらつぶやく。日本で見られるような精密なものではなく、東西南北のどちらに進むとどこにいけるのかがわかる程度の大雑把なものだ。流石に地図は機密事項らしい。戦争が少ないとはいえ、そこまで平和ボケはしていないようだ。
「でも、開拓村なんて載ってないんだよね……」
主要な街しか描かれていない地図では、開拓村なんて細かいところまではわからない。
村探しにはわたしの【鷹の目】と【気配察知】が役に立ちそうだが、当然ながら範囲内に入らなければ意味がない。
まあ、わたしの知覚範囲は普通の人よりもはるかに広い。あてもなくうろついたとしても、一日あれば村くらい見つかるんじゃないかと期待してみる。
(……ん?)
「どうしたの?」
しばらく草原を進んでいると人の気配が見つかる。けれどそれは、期待していたよりも小規模なものだ。
(これは……誰かが襲われてるのかな?)
生憎とこちらが風上なので【犬の嗅覚】は役に立たない。血の臭いがあれば一発なのだが、仕方がない。
感知した気配は、人間のものが九つと小型の……大きさから言えばゴブリンだろうか、が十五ほど。草原のど真ん中で、ゴブリンが人間を囲うように陣取っている。
(四人が五人を守ってる。護衛を雇った商人か何かかな?)
「大変だよ、助けないと!」
慌てて駆け出すユリに大雑把な方向を教えつつ、思考を巡らせる。
まあ助けるのは賛成だ、旅人だろうが行商人だろうが、この辺りにいるということは地理に詳しい可能性が高い。助けて恩を売れば道案内くらいはしてもらえるだろう。運が良ければお金をもらえる可能性もある。
ちょっと不安なのが、助けに入ったことで揉める可能性。獲物の横取りと言われれば反論は難しい。
(……まあ、それは見れば分かるよね)
「え?」
(彼らも仕事だろうから、大丈夫そうなら放っておこうね)
「あ、うん。そうだね」
冒険者同士の諍いは、ひょんなことから命のやり取りに発展することもある。ゴブリン十五体ごときを瞬殺できない人たちに負けるとは思えないが、ユリにはあまり血を見せたくないからね。
二分ほどで音が聞こえる距離にまで近づく。風に流されて聞こえづらいが、確かに今、悲鳴が聞こえた。
おそらく……人間のものだ。
「っ!」
ユリがはっきりと顔を強張らせ、速度を上げる。そして、馬車を守るように戦う少年たちに聞こえるように声を張り上げた。
「加勢しますっ」
彼らの返事を待たず、わたしは酸で濡れた触手を伸ばして一薙ぎ。黒く濁った血と臓物が地に撒き散らされる。
ゴブリンとはいえ、一撃で倒して見せたわたしに驚きの視線が向く。
(戦闘の最中に意識逸らすとか……ユリ、サポートしてあげよ)
「え、あ、うん」
ノエルっぽくない言葉だったかな? とちょっと反省しながら攻撃の手は止めない。ユリが《火球》を放つのを横目に見ながらゴブリンを屠り続ける。
わたしたちの乱入からおよそ五分、ゴブリンの群れは全滅した。