9話
《魔の森》はその名にふさわしく、まさに魔物の巣窟だった。
一歩歩けばゴブリンに。
二歩歩けばマンティスに。
三歩歩けば葉に偽装した魔物に。
四歩目は狼型の魔物だったっけ? この辺から順番なんて忘れた。
それらに、背後から襲われ、周囲を囲まれ、音もなく奇襲され、数で襲われ、それでも、調査隊の面々は労もなく切り抜けていく。
流石としか言えなかった。
ま、わたしとユリは【犬の嗅覚】で全部把握してるんだけどね。
そんなわたしたちの、知っている故の余裕は、見るものにとって違う意味に取られていた。
オスカーやジョージ、出発前に質問していた男性だ、など、わたしたちを不用意に見下していない人にとっては、それなりの実力はあるようだと。
ザカリーとその周辺のクズたちは、見栄を張るための空元気もしくは脅威を理解していない素人だと。
どう捉えようがその人の勝手だし、どうでもいい。
が、一々こちらに視線を向けるのはやめて欲しいものだ。
この視線も、気遣いと蔑みの二種類に分けられる。視線の主は言うまでもないね。ああ鬱陶しい。
「やはり、魔物が多いな」
「ですね」
オスカーのつぶやきに答えるジョージ。彼は調査隊副隊長という肩書きらしい。
森の中の様子は、入ったことのないわたしたちには違いは分からないが、経験者からすれば異常なようだ。
そりゃそうだ、ランクC以上の魔物がこれだけいるのなら、入場制限はDなんかじゃなくもっと上になっているはずだ。
「しかし、やはりというかマンティスが多いな。これは産卵が重なったと見るべきか?」
「賛成です。魔物は多いが、何かに追われている風でもない。単に数が増えたと考えるのが自然かと」
そんな風に言葉を交わす二人を、ザカリーが忌々しそうに眺めている。
「チッ……細かいことばっか気にしやがって、臆病者が。……あぁ、なんで俺が餓鬼の子守なんざしなきゃならねぇんだ」
指名依頼はかなりの拘束力がある。断ることはできなくはないが、相応のペナルティが発生するのだ。
だから、時折こんなヤツが紛れ込むのだが……。
いやほんと、なんでこんなの調査隊に加えたんだろね?
討伐隊ならともかく、調査隊には致命的に向いてないのに。
ギルドも人材不足なんだろうか。
っと、新手だね。
「ッ! ファングウルフだ!」
「戦闘準備! 迎撃するぞ!」
やれやれ、まったく。
森の深部は、未だ遠い。
◇◆◇
森に入ってから五時間ほど経過した。
太陽が中天に昇り、お腹も空き始めてお昼時だ。
オスカーさんに呼ばれたフレッドという冒険者が、何もないところから調理道具や食料を取り出す。
彼はポーターと呼ばれ、わたしの【貯蔵】にも似たスキルの持ち主だ。名称は【物質収納】。違うのは、【貯蔵】が【吸収】を前提としたスキルであるのに対し、【物質収納】は直接使用できる点。亜空間に繋がる穴を開けるスキルなので、使用の前提となるスキルはないのだ。
ただ、あくまで物質収納なので、生物は入れられない。
調査隊の半数が見張りに立ち、半数は一時の休息を得る。もちろん護衛される立場であるわたしとユリは休む側である。
「なんか申し訳ないなぁ……」
ピリッとした雰囲気の中、わたしを胸に抱えて苦笑いを浮かべるユリ。
(何が?)
「わたしは何の役にも立ってないのに、ただ守ってもらって……食事や見張りまで……」
「無理を言って同行させたのはこちらなのだから、そんなことは気にしなくてもいい」
「オスカーさん!?」
胸に抱え込んだわたしに頭を預けるような体勢だったユリが、慌てて体を起こす。そのまま立ち上がろうとしたが、それはオスカーに止められた。
「ちょっと話が聞きたくてな」
オスカーはそのままユリの隣に座ろうとして、ユリの顔色を見て諦めたようだ。
向かいに生えている木の幹にもたれかかるようにして話し出す。
「マンティスの数から言って恐らくは産卵時期の被りだろうが……とにかく、何でもいいから気付いた点はないか?」
「そ、そうは言っても。わたしは《魔の森》に入るの初めてですし……わたしが、というよりもノエルですけど……が倒したマンティスも、特にこの森に入るのと変わった様子はないし」
そこまで言った時だった。
オスカーの目が見開かれ、慌てた様子で手を上げてユリを止める。
「ふぇっ!?」
「ちょっと待て。マンティスの様子は変わらなかっただと?」
「え、あの」
「答えてくれ。大事なことかもしれん」
鬼気迫る様子のオスカーにコクコクと頷くユリ。
「そ、そうです。歩いていたらのんびりしてるマンティスに出会って、襲われました」
「……おかしい」
その言葉にオスカーが考え込む。
……けどね。そりゃ、わたしだってそう思うよ、ユリ。
素直なのはいいけどもう少し考えよっか?
「えっと……?」
(ユリ、マンティスはなんで外にいたと思う?)
「うん? ……ケンカして追い出された、とか?」
……………………。
いや、まあ……間違いじゃないけど。
(えっと、ケンカした理由は?)
「……食べ物かな?」
(その通り!)
じゃあ。
じゃあ、だよ。
(食べ物がなくて追い出されたマンティスはなんでのんびりしてられるの?)
「!?」
そこまで伝えてようやく、ユリはその異常性に気が付いたようだった。
そう。
オスカーの言っていた、マンティスが森の外で発見された二つの要因。
産卵時期の重複、そして外敵の発生。
それらはどちらも、マンティスからすれば命の危機である。
そんな状態で住処を追い出された魔物が、のんびりしているなんてことはあり得ないのだ。
だとしたら、外に出たのは外的要因ではなく、魔物の自発的な行動によるものとなりーーーー
《魔の森》の魔物は外に出ないという、前提を崩されることになる。
そして、
その原因は?
それに思い至ったのか、オスカーが叫び声を上げる。
「総員、撤退準備だ! 街に戻るぞ!」
そして、怪訝そうな表情を浮かべる冒険者たちに、こう告げた。
「魔王種が発生した可能性があるッ!!」
弾かれたように動き出す冒険者たち。
そして、そこに、
「「「キィィイイイイイッ!!」」」
三体の巨大なカマキリが襲いかかった。
マンティスの上位種、討伐ランクB、グレーターマンティス。
そしてその背後に、もう一体。
討伐ランクA+、森の死神と恐れられる最強種。
マンティスの最上位種、グレーテストマンティスが、そこにいた。
ノエル「あーあ」
ユリ「ど、どうするのこれ!?」
ノエル「どーしょーもないねー。調査隊の皆さん頑張って〜」
【犬の嗅覚】
パッシブスキル。サーベルドッグを捕食したことで入手した。鋭い嗅覚によって生物の位置を知ることができる。本来ノエルは嗅覚を持たないが、捕食により得た情報をもとに体の構成を変化させることで使えるようになった。
ノエル「ちなみに、討伐ランクSは災害級、A+は支配級と呼ばれるよ。災害級は国を幾つも滅せるレベル、支配級は一つの国と互角に戦えるレベルかな」
ユリ「あああ、勝ち目なんてないよ」
ノエル「まさしくその通り! 人はこれを絶望と呼ぶ!」