ヒカル 文化祭
お化け屋敷の暗幕はすごい量だった。
片付けはあと暗幕たけとはいえ、けっこう重い。
もう後夜祭の始まりの合図…キャンプファイアは灯されている。
最後の暗幕を視聴覚室に置き、急いで教室へ。
もらってきた衣装に着替えなきゃ、と慌てながら、もう薄暗い教室のロッカーで自分の紙袋を探していた。
「…ここにいたか」
「わぁっ」
思わず振り返る。扉に立っていたのは、雨宮先輩だった。
暗がりにいるからつい驚いて声をあげてしまったけど、先輩の衣装にすぐ目を奪われる。
燕尾服にその黒いマントが闇に揺れる。
ドラキュラの衣装だろうか。
声がでない、それくらい先輩の姿に魅了された。
「何をしている?
後夜祭の開始時間が迫ってるぞ」
そんな私の様子になど、興味ないように冷たい視線で見下す。
我に返って、訳を話そうとした……時、誰かが廊下を走って近づいてくる。
「おーい、着替えたかー?
ヒカルー?迎えに来たぞー?」
「あ、榊先輩」
榊先輩から後夜祭で、今回の仮装を見せ合いっこしよう、と言われていたのを思い出す。
廊下に出ようとするが、でも手を掴まれる。
なぜか雨宮先輩から引っ張られた。その反動で、自然と先輩に抱きつく状態になってしまう。
「雨宮せ…」
思わず離れようとする私を抑え、口を左手で塞ぎ、その闇色のマントで隠すように包まれた。
足元も余っている布で隠れて、靴さえ見えない。
「あれ、雨宮じゃん。なにしてんの?
つか、俺の妹分、見なかった?」
鼓動がおさまらない。
声なんて出ないのに、息もできないくらいきつく私の口を塞ぐ雨宮先輩。
「…妹分?」
「一年のヒカルだよ、星崎ヒカル!
俺様の可愛い妹分っていつも呼んでるだろ?」
布ごしに榊先輩の声が聞こえる。
私の事には気づいてないみたい。
「あぁ…。
ヒカルなら見たけれど、一足先に出たよ。
『約束』があるから、とね」
嘘をついている。
なんでだろう?
「はぁ?!
ヒカルと『約束』したのは俺様が先なのに……どこの野郎だ、クソっ…」
毒づいて、榊先輩はまた何処かへ走り去った。
辺りが静かになる。
「あの、雨宮先輩…」
「仕事が残ってると言ったはずだ。
……黙ってついてこい」
そう言って、冷たく微笑んだ。
でも、私と繋いでいる手は暖かくて優しい。
雨宮先輩はいつも私に二つの顔を見せる。
二人で話すときは、そっけなくて冷たい素振り。
でも外にいるときは、人当たりよくてにこやか。
敬語から、最近は命令口調に。
生徒会に入ったばかりの頃は、困惑した。
怖い人なんじゃないか、嫌われているんじゃないかと。
でも、気を使って話しかけてくれる榊先輩を通して、雨宮先輩の小さな優しさに少しずつ気づいていった。
どん。
花火の音。
確か後夜祭のフィナーレに、長谷川先生が花火を上げてくれると聞いていた。
でもこの部屋から花火は見えない。
いま私は生徒会室にいる。
応接用のソファに座り、紅茶を飲んでいた。
…雨宮先輩と二人きり。
仕事がある、と私の腕を引いて生徒会室に招かれたけど…先輩は向かいのソファで本を読んでいる。
私が用意されたアリスの衣装に着替えると、雨宮先輩は黙って紅茶を出してくれて…現在に至る。
どん。
私はさっきから雨宮先輩の顔や指をそっと見ながら、カップに口をつけている。
長い指先、冷たい目線、滲み出る高貴な雰囲気……
なんだか雨宮先輩を独り占めしてるみたいで、少し嬉しい。
先輩は副生徒会長だから、いつも何かと忙しい。
頭もよくって、人当たりのいい人柄。しっかり榊先輩の脇を固めている。
だからひそかに人気があった。
「…嬉しそうだな?」
いつのまにか、雨宮先輩の目がこちらをとらえていた。
「先輩のこと、なんだか独り占めしちゃってるみたいで…嬉しかったんです」
目が合うと、どうしても恥ずかしくて喋れなくなってしまう。
私の言葉に、静かに笑う先輩。
その仕草一つがすごく綺麗で品がある。
ドラキュラの衣装はぴったり。
「……さっき、榊が何やらわめいていたが、
『約束』したのか?」
どん。
花火がまた一つ上がる。
雨宮先輩の白いその指が無機質な本の紙を繰る。
さも無関心とでもいうように。
「えと……衣装を見せ合おう、と約束しました」
「ふん」
カチャ、とカップを手に取る。
ふ、と声を漏らして、本を閉じた。
どん。
「花火、見えないんですね…ここからは」
雨宮先輩といられるのは嬉しいけれど、できれば花火を一緒に見たかった。
今回の花火は初めての試みらしくて、イベント委員でもある門脇先輩が先生たちの許可取りに奔走していたし。
夜の学校に花火なんて、少女漫画みたい。
しかし、私の言葉に『見る必要はない』と雨宮先輩は冷たく返す。
「...ここに、いればいい」
ちらりと一瞬だけ、冷たい視線が私に向けられる。
強い、逆らうことを許さない、瞳。
「………ふふ」
思わず笑ってしまう。
「…なんだ」
「いいえ、ごめんなさい」
そんな瞳、外では見たことなかった。
いつも綺麗な仕草で優しい笑顔。それが雨宮先輩。
でも、いまの瞳は別人のよう。
そんな一面に人間らしさを感じた。
血の通った、男の人の…一面。
どきどき、する…。
静かな部屋。暖かいカップ。
ここにいると、雨宮先輩と私だけが存在してるように感じる。
生徒会に入りたての頃、あんなに遠く感じていた先輩が、こんなにも近い。
彼の綺麗な世界に、一瞬でも私を写してもらえることが、嬉しかった。
ばん!
扉が乱暴に開けられる。
「ああっヒカルー!くっそ、やっぱりテメーのとこかよ!
俺の妹分、独り占めすんな!」
飛び込んできたのは榊先輩だった。
まるでお気に入りの人形を抱き締めるみたいに、私に飛び付く。
「雨宮ー!
俺にも茶出せ茶!
校内走り回ったから喉乾いた!」
そんな榊先輩と私へ、雨宮先輩は心底不快そうに鋭い目線を走らせた。
「…嫌だ」
「はぁっ!? なんでだよ!」
「榊先輩、私が淹れますよ」
どん。
最後の花火が終わった。