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あの日、実はどうやって帰ったのか覚えていない。気がついたら次の日の朝で、何事もなかったかのように日常が始まった。
「あの日、実は私ずっと寝ていたんだわ。夢に違いない。」
「現実逃避はやめましょうねぇルイン。あれは確実に現実です。いまだに鳥肌の感触覚えてますから。」
ルインに朝食という名の昼食を食べさせながら、ムーメイは二の腕をさすった。
「お食事中失礼します。」
どうにかこうにかデザートまで完食させ、食後の紅茶を飲んでいるところに手紙を持った侍女が現れた。
「非常に申し上げにくいのですが・・・アーメルン公爵から、お手紙が届いております。」
「やっぱり夢じゃなかったのね・・・。」
昨日全力で怒鳴りつけたら、殺されそうな勢いで求婚してきた男の名がそこには刻まれていた。
「内容はなんと?」
無骨な字で簡潔に書かれていたのは、二日後に迎えにいく。どこか遠出しようといったような内容だった。こちらの予定などを気遣う気配はなく、返事は「はい」しか認めないような文面。
「文章ですら威圧感を発揮するとは・・・。獣人ってすごいわね。」
「ルイン、現実逃避は終わりにしてください。どうするつもりですか?」
ムーメイは冷めた紅茶を下げ、新しいものを差し出した。
ルインはあの日あった、まるで化け物のような目をした獣人を思い出す。
彼は自分の、このどうしようもない感情が好みだと言っていた。たった一人、ムーメイだけが理解してくれたこの悪癖を、むしろ好ましいと言ってのけた。そのときに感じた感情はいったいなんだったのか。
ルインは首を振って思考をとめた。今考えるべきことではない、と。
「いくしかないでしょう。ここまで来たら意地だわ。苛烈な性格が好き、ですって?その言葉を後悔させてやるわ。猫かぶりしたお嬢様ごっこは終わりよ。ここからはルインとして我慢せずに言いたいこといってやるわ・・・!!!」
きつくカップを握り締めて闘志に燃える主人を見、ムーメイはぽつりと呟いた。
「それ逆に喜ばせるだけなんじゃ。」
こうして彼らの二日間はすぎていった。
遠出の当日。天気は気持ちのいい晴れで、こんなときでなければ庭でお茶会をしているところだ。
ルインは動きやすい、だが脚をすっぽりと覆い隠すシンプルなドレスを着込み、ウィシュスの到着を待った。行き先は知らされていないが、馬車が苦手なルインは老馬がひく自分の馬車以外には乗る気がなかった。馬などもってのほかだ。
「目的地にたどり着くのをできるだけ伸ばしてやるわ・・・。私の馬車には、あ
の体格じゃ入らない。誰が仲良く一緒にお出かけしてやるもんですか!」
老馬でなるべくゆっくりと、全力を尽くしてゆっくりと移動することで本日の予定をめちゃくちゃにする作戦だ。そのほかにも些細な嫌がらせを数種類用意してあり、塵も積もればなんとやら。どうにかしてこの婚約から逃げてやろうと、ルインは必死だった。
「で、まだ着かないの?」
手紙の時刻まで紅茶の一杯でも飲めるだろうか?馬が走る音もしないし、この時刻でまだ馬すら見えていないのならば約束の時間には遅れるだろう。
そう判断し、ルインは傍らに立つムーメイにお茶の準備を頼もうとする。だがその時不意に窓へ巨大な影がかかった。
「なに!!?」
短い間だが、部屋への日光が完全に遮られる。驚いたルインが車椅子を窓へ向け
ると、突如地面が揺れた。
「ルイン、危ない!」
驚いて車椅子から落ちそうになるところをムーメイが支える。いったい何があったのか。混乱する主従の部屋に、慌しい足音が向かってきた。
「お、お嬢様!!アーメルン公爵様がいらっしゃいました!!」
「ハァ!!!?」
めったに声を荒げないムーメイの叫びにびくりと肩を揺らすも、まだ年若いメイドはもう一度繰り返した。
「アーメルン公爵様が、ご到着なさりました。そ、その・・・竜で。」