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長い・・・
どんなに嫌だと思っても、日は昇って沈む。
アーメルン家から来た手紙は、ノグドシェル家に大打撃を与えた。世間知らずで獣人嫌いの母は断りの手紙を書こうとしたが、兄が慌ててそれを止めた。
隣国は軍事国家だ。
自慢ではないが、わが国の軍事力は最弱だ。だからこそ世界中の貴族と婚姻を繰り返し、親戚だらけにしてどうにか戦争を回避している。だが隣国は最近建国された新興国。獣人ということもあり、まだそこに嫁いだものはいない。そこの三男とはいえ公爵家の求婚をちっぽけな男爵家が会いもせず断ったらどうなるかは、火を見るより明らかである。
「本当にすまない・・・。ルイン、今回ばかりは頼む。かんしゃくだけは起こさないでくれ・・・!!」
いつもは温厚な兄に、胃薬を握り締め今にも死にそうな顔で言われれば、さすがにルインも頷かざるを得ない。
「心配しないで、兄さま。どうにかしてくるから。」
「本当に、それだけは、頼む!!」
「大丈夫よ!じゃあいくわね。」
今にも倒れそうな母と、今にも死にそうな兄。自分よりも家族が心配になる、奇妙な見送りであった。
「ねえムーメイ。この間のお茶会、獣人の方なんていらっしゃったかしら?」
「いえ、私の見た限りではいませんでした。」
思い出したくも無い、あの腹立たしいお茶会。かなりの人数がいたが、さすがに頭部丸ごと獣な獣人がいれば気がつくだろう。だが獣人の客は見当たらなかった。ましてや公爵家だ。あんあところにいるはずが無い。
「考えても仕方の無いことよね。とにかく円満にお断りできるよう、がんばりましょう!」
だが数時間後、ルインはこの見通しの甘さを後悔することとなる。
指定されたのは、王宮がもつ客人用の別荘だ。そこにアーメルンさまはご滞在なさっているらしい。のろのろとしか進まない老馬の馬車がひどくみすぼらしく思えた。
「指定の時間よりも少々早いですが、この程度許容範囲でしょう。」
ルインを抱き上げたまま、ムーメイはそうささやいた。
アーメルン家の使用人が馬車を馬小屋へと誘導し始める。他の使用人に車椅子は持ってもらい、きれいに掃除された屋敷内へと運ばれた。
「主をお呼び致します。この部屋にてお待ちくださいませ。」
流麗な動作で侍女が退出した。
「み、みた・・・?」
「はい、みました・・・。見てしまいました・・・。」
二人は震えが抑えきれないかのように、互いの手を握り合った。
「猫獣人かーーーーーーーーーわいいぃーーーーーー!!!!!!!!」
獣人のイメージといったら、でかくてごつい。それだった。だが、だが!
「あの猫の子!なんて小さいの!ふわふわだったわ!!!」
「獣人が巨漢っていう常識植え付けたの誰ですか!あんなにかわいい獣人もいるんですよ!!!?」
その後もまるで熱にうかされたかのように、獣人の可愛さ、美しさを語り合う二人。獣人は耳がいいらしいので、小声で激しく語り合う。二人の頭からは、見合いの文字など吹き飛んでいた。
「ああもうだめ・・・。これは隣国に嫁に行くしかないわ・・・。この可愛さを知りながらも捨てることなんてできない!!」
「そ、そのときは私もついていきますからね、お嬢様!」
小声できゃあきゃあと騒いでいると、足音が複数聞こえてきた。成人男性らしいブーツの音だ。どうやらやってきたらしい。
ルインは自然と背筋が伸びていくのを感じた。心臓は早鐘を打ち、緊張で手は震える。だがここでひいてはルイン=ノグドシェルの名がすたる。苛烈姫の名は伊達じゃないのだ。
軽いノックの後、扉が開かれた。
そこから現れたのは、漆黒の毛並みを持つ狼だった。たくましい体つきに、ルインなど片手で持ててしまうだろう太い腕。客人用と大きめに作られているドアもぎりぎりだ。
「ご足労頂き、申し訳ない。本来はこちらから向かうのが筋なのだが、こちらも気軽に外出が許されない身。話をお受けいただき、感謝する。」
頭を下げられ、ルインは驚きを見透かされぬように微笑んだ。
「どうぞ頭をお上げくださいませ。こちらこそ、立って正式にご挨拶申し上げたいところなのですが、この脚が許しませんの。久しぶりに外出するいい機会でしたわ。どうか謝らないでください。」
そういうと、どこかほっとしたような顔(?)でアーメルンは席に着いた。
紅茶と茶菓子が用意され、和やかな空気が流れる。ルインは手紙を貰った当初からずっと気になっていたこと疑問をぶつけた。
「アーメルン様、私達はどこかでお会いしたことがおありでしょうか?」
ここまで目立つ獣人がいれば、さすがに覚えている。だが、ルインにはただの一度も会った記憶が無い。初対面なのだ。
「いいえ、直接の面識はありません。なにしろ、初めてあなたを見かけたのは、数日前の王宮でだからだ。」
「と、いうと・・・。あの茶会ですか?」
「ええ。」
あの、私がかんしゃく爆発させた茶会が、まさかの引き金!!?でもどうして・・。
混乱状態に追い込まれたルインは、ウィシュスの言葉によって一気に引き戻された。
「あの激怒したときの苛烈な表情・・・。私はあなたに一目ぼれしました。」
「なっ、み、みて・・・!」
あまりのことに表情を取り繕うことすらできず、顔を歪めてしまう。
「あの人数に一歩もひかず、堂々と渡り合う気力。そのか弱く小さな体に、どれだけの力を秘めているのか・・・と。あなたのことを考え続けていたら、二日も眠れませんでした。」
「あなたにもう一度会いたい。できれば話をしたい。なにより、あなたがほしい。そう思ったのです。」
だんだんと、ウィシュスの言葉が浸透していくうち、ルインはあの抑えられない怒りがこみ上げてくるのを感じた。
いま、この人はなんといった?か弱い?私が、か弱いだって?
「ですが、もう心配要りません。あなたのことは私が守り・・・」
「ふざけないで!!」
ルインは視界が怒りで赤く染まったかのように感じた。
「守ってあげる、ですって!?私はそんなに何にもできない可哀想な存在だって言うの?私のことを見下すのもいい加減にしなさい!わたしはたかが脚が無いだけよ。どこもかわいそうなんかじゃない。私は私よ!ルイン=ノグドシェル!!可哀想なルインおじょうちゃんじゃぁないの!!!。」
ぜえぜえと荒れた息を整えていると、背中をさする柔らかな手の感触を感じた。ムーメイだ。
・・・・・やってしまった。もう取り返しがつかない。だが、すっきりした。
感情が渦巻き、目に涙が滲む。だがここで泣くのはプライドが許さない。ルインはきつく唇をかみ締めてウィシュスを睨みつけた。
だが、そこで目に映ったのは狂気的な目をして嗤うけだものだった。
「最高だ・・・!あなたは本当に最高の女だ・・・!」
ひときしり笑うと、彼はまるで獲物を見つけた野獣のような目つきでルインを見た。
「あなたは本当に気高い・・・。獣人族の女のようだと思ったが、そんなもの比べ物にならない。あなたの気高さは、英雄の気質だ。人間で、しかも女にしておくのがもったいない程だ!」
舌なめずりをして彼は言う。
「絶対に逃がさない。俺は獲物を逃がしたことが無いんだ。どんなてを使っても手に入れる。覚悟しろ。」
その瞬間、ルインは体に震えが走ったのを感じた。