1 断言
第一章です。
主人公は基本的に一人称が「僕」ですが、喋る時は「俺」になります。高校生で「僕」って言う人もなかなかレアなので(汗
「なんていうか、ただの夢って言うにはあまりにも素っ気無くて」
「・・・・じゃあ妄想?」
「それじゃあただの猟奇的な変態だわ。それに自虐的」
「じゃあなんだよ」
「だからそれを一緒に考えてほしくて此処へきたのよ、さっき言ったでしょ」
そう言って彼女はマグカップに淹れられたコーヒーを音を立てず啜った。
コーヒーからたつ湯気という名の透過した白の水蒸気が、彼女の顔を纏っては、漂う。
彼女の唇がカップの淵に触れると同時に、僕は大きく息を吐いた。俗に言う、溜息というやつだ。
溜息で会話を遮断して気付いたが、くすんだ茶色の木製テーブルについていた右肘がそろそろ痛くなってきた。
彼女との矛盾したやりとりを交わしているうちに、僕の頭の重さに耐えられなくなってきた様だ。
そう思って僕は右腕を膝の上において、今度は左腕の肘をテーブルについて、左の頬を手のひらに委ねる。
彼女こと有澤誄は自分が今まで生きてきた中で、一番自分勝手な人間だ、と思う。
まず他人の意見より、自分の意見を尊重する癖があり、自分の意見を曲げることを何より嫌う。
さらに、異常なまでに自分に自信を持っているという重度のナルシスト。
こういった類の人間は、一般人から見れば忌み嫌われるタイプであるはずなのだが、神様は何を思ったか、彼女に「美形」という大きなプレゼントをあげてしまった。
深い栗色でふわりとしたショートカット。その髪色を目立たせる色白な肌。すらりとした体型。整った顔立ち。細い顎。
唯一、彼女のきつい性格をあらわす一部分は、少しだけつり上がった目元。
猫っぽいな、と僕は思う。栗色の猫なんているのかは分からないけれど。
だけどそのつり目すら、彼女の魅力を引き立てるための個性として存在している。
これらのルックスがあってか、彼女の自己中心的ともいえる身勝手な行動は「ああ、なんかそういう感じだよね」という何とも寛容な感想だけで許されてしまう。
いつか友人が「有澤さんて、女王っぽい」という寛容とはまた別の謎の感想を述べていたが、どうやら僕のまわりの「女王」のイメージというのは『我侭で美人』というもので固まっているらしく、確かによく当てはまっているかもしれないと僕がぼやいてしまったのも事実だ。
実に、自由でずるい生き方だ。決して誰でも真似ができるわけでは無いのだから。
「ねえ、聞いてるの」
眉間に皺をよせて、誄が僕の肘を左手でばしりと叩く。その拍子にがくりとバランスを崩した僕は、カップに腕をぶつけ、危うく床に落としかけた。
カップの中の液体が、大きく揺らいで波紋を広げる。液体の中で歪む僕の顔を見た瞬間、自分がとても疲れている顔をしている事に気付いてしまった。
表情とは裏腹に、此処にいたいと感じている自分の意志にも。
「危ないな、落とすだろうが」
「拭けばいい話じゃない」
「手伝わないくせに」
「当たり前でしょう、零すのは貴方だもの」
「・・・・・・・・・・あっそ」
反論しようと開けた口を無理に閉じる。誄に口で勝った試しが無い。屁理屈が達者で、ある意味才能があるとも言える。
僕は片手でカップを元の位置に戻し、「聞いてるけど」と言って、会話を少し横暴に繋げる。
その時の声が不機嫌極まりない、といわんばかりの低い声だったことに口にしてから気がついたけれど、いちいち誄に気をつかうのも馬鹿らしく感じた為、僕はそのまま言葉を続けた。
「考えてほしい、って言われても只の夢だろ?そんなに気にしなくても」
語尾に嘲笑を僅かに含んでから、ちらりと誄へ視線を向けると、彼女はさっきより更に眉間に深く皺をよせていた。
恐らく、返答をする際に僕が不機嫌な顔をしていたのと、嘲笑を含んでいたと言う二点が気に入らないからだろう。
面倒なので、僕はそれに気付かない振りをして、コーヒーをすすった。もう湯気は立っていなくて、あの白い世界が僕の視界を覆うことは無かった。
ほんの少し、残念な気がした。だって、湯気に包まれていたときの誄は、まるでそれに好かれている様だったから、その世界に混ざってみたかった。無理、だけど。
「随分と他人事なのね」と文句を言って誄は意味もなくカップの取っ手を摩る。それから、あの猫目をさらに吊り上げて、怒った風に僕の顔を睨んだ。
「その只の夢が、何度現実になったと思っているの?私の言うことは外れない」
栗色の髪が前後に揺れた。僕は何故か時計の振り子を連想させるそれを見つめながら、自分の胸がどくりと大きく脈打つのを感じた。
誄の視線が、頬に刺さって傷をつくる。傷口から溢れる見えない血液は、冷や汗となって流れる。
ああそうだ、誄は昔からこうだ。自信過剰で、自分を隠すのが上手で。
『私の言うことは外れない』
あの時の僕は、何よりも誰よりも、君が憎かった。
「今回のは必ず現実になる。私が殺されるってこともね」
そう言って、反発するかのように誄は僕に向かって笑った。
★
予知夢。誄のおかしな部分はそれがみられるという所。
そもそも予知夢というのは、これから起こる未来の出来事を夢を通して見ることができる、という非現実的なもので、オカルト系にたいして興味のない僕は小さいころそんなもの鼻から信用していなかった。
夏の特番でよくやっていたホラー番組だのUFOだの、超能力者だの、そんなものがあったら地球がどんなに平和か、と幼いながらに可愛らしくない思考を持っていた。
確かその時、僕は小学校二年生で、夏休みに家族三人で祖母の家に外泊しに行っていた。
祖母の家は佐賀県の田舎にあり、神奈川育ちの僕に祖母は良く分からない方言でにこにこと話しかけてれる。
それで僕も祖母の笑顔につられて、おばあちゃんおばあちゃんといつでもくっついて歩いていた。
祖母は僕にとって祖父にあたる夫を癌で早く亡くしたため、古ぼけた大きな家に一人で住むはめになった。
僕が四才の頃亡くなったので、顔をよく覚えていないのだが、大らかで優しい気質の人だったらしい。
勿論、一人で取り残されてしまった祖母が寂しくないわけが無く、孫が来るのをいつでも楽しみに待っている。
二年生の夏休みとは言っても、特別な宿題もなく、朝顔の観察や足し算や引き算だらけのプリントを適当にこなすだけだったので、正直言うと暇だった。
だが、田舎の空気はおいしいもので、鬱陶しいくらい眩しい太陽も、庭に生った歪な形をしたキュウリやナス畑も、僕は大好きだった。
そんなある日、祖母の家に別の家族が泊まりに来た。伯父達である。
元々、この祖母は父方の母親であり、僕の父には二歳年上の兄がいた。僕にとって伯父にあたる人である。
伯父とその家族は東京で暮らしていて、なかなか会う機会が少ない。その当時、僕は伯父に会うのは二度目らしく、一度目は僕が生後間もない赤ん坊の頃だったらしい。
その一ヵ月後、伯父の妻が女の子を産んだ。親たちは、同い年ね、と仲良く笑いあっていたという。そして僕の一月遅れで生まれたその女の子が有澤 誄である。
伯父の顔を全く覚えていない僕が物珍しそうに、伯父たちが祖母に挨拶する様子を眺めていると、伯父と目が合った。
すると、にこりと微笑んで「久しぶりだね、洸」と言った。有澤 洸という自分の名前を知っているため、少し驚いたが、すぐに伯父の微笑みに安堵してあっという間に懐いた。
そんな夏休み、僕は彼の愛娘であり、僕にとって従姉にあたる誄と知り合う。
田舎なので特に何もすることが無い中、僕と誄はあっという間に仲良くなり、二人であれこれ遊びの案を練っては、外へ飛び出した。
あの頃からすでに、誄は自己中心的な考え方の持ち主で、ほとんど遊ぶというよりは誄に振り回されている感じだった。
それでも構わなかったのは、今の僕より小さい僕のほうが心が広かったと言うことと、誄の可愛らしさに中々反抗する気が起きなかったこと、そして誄の言う意味の分からない持論に騙されていたことの三つがある。
「誄のお父さんは洸のお父さんより大きいから、誄の方が偉いんだよ」
誄はあの日、向日葵にホースで水をまきながら、栗色の髪を頭の後ろで一つにくくって、自慢気にそう言った。
僕は理由が分からず、「そうなんだ」と適当な相槌をうつ。そんな日々が楽しかった。誄と僕は相当馴染んで仲が良くなり、僕の両親も、誄の両親も微笑ましかったことだろう。
僕の父が「将来結婚するんじゃないか」と冗談めかして言うと、「娘はやらんぞ!」と誄の父親が笑って叫んだ。それをみて、皆が笑う。
下らなくて、どうでもよくて、でも明日を迎えるのが嬉しくて、こんなにもあっさり終わりが来てしまうなんて、僕はその時思ってもいなかった。
「ねえ、洸。私ね、夢を見るのよ」
「ユメ?ユメは誰でも見るよ。俺だって昨日見たもん」
「違うくて。普通の夢とね、そうじゃない夢のふたつをみるの」
「そうじゃないって?」
誄は持っていたホースの先端を、向日葵の根元ではなく咲き誇る花々の花弁に向ける。
勢いよく零れ出た水は、飛沫をあげて向日葵にぶつかり、茎を曲がらせた。
「みたことがね、かならず起こる夢」
彼女なりのカミングアウト。羨ましいな、なんて言ってた僕を過去に戻って殴り飛ばしてやりたい。
そんな衝動を、僕はまだ抱えている。
両親が死んでから、もう九年経つというのに。
★
「自分が死ぬって言っても、それって自殺って意味だろ?」
眼鏡の紺のフレームが秋の木漏れ日に鈍く反射した。誄が僕の家から帰った後、即効で友人に電話した。
夢の内容を大雑把に伝えると、友人こと律辺 圭一は面倒くさそうかつ気だるそうに、明日学校で、と言って一方的に携帯電話を切った。
律辺は僕の数少ない本当の理解者だ。中学校一年生の時に知り合い、それ以来ずっと付き合いがある。
中学一年の頃は眼鏡を掛けていなかったのに、いつの間にやら視力を悪くしていたらしい。恐らく、真夜中にやるゲームが原因だ。
律辺にはよく誄のことを相談している。
律辺に言われて初めて気付いたのだが、僕には誄を放っておけない部分があるらしい。両親を殺したのはあいつに等しいようなものなのに、中々自分もいい奴だ、と自己満足に浸る時がある。
特に律辺に相談している時などだ。
肌寒い誰もいない教室の放課後、部活動に所属していない僕と律辺は前後の席で向かい合って喋る。高校生にとって最後の青春のチャンスである部活動に、僕は特別な感情は抱いていなかった。
根暗というわけでもないし、運動が苦手、というわけでもない。ただ、なんとなく、だ。人の団体に紛れるのが、少し嫌なだけ。
律辺も大体、同じような感じだったのか、「洸が入んねぇなら、俺もいーや」と適当な言い訳をかまして、部活動の所属をパスした。
都合よく、うちの学校は部活に絶対に入る、などという決まりは無いのだから。
「いや、違うっぽい」
僕が否定すると、律辺は少し驚いたように目を瞠った。律辺は後ろの机に寄りかかっていた自分の体を、前に戻す。
椅子が傾く音がやけに大きく響く。手を口元に当てて、考え込むように言った。
「イコール、殺されるってコトですかぃ」
「かも。夢んなかで自然災害に巻き込まれるってのも微妙だろ」
「確かに」
二人で笑うと、小さいと思っていた声は、意外と大きく教室内に反響した。
律辺がまた、考え込むような顔をした。彼は昔からそうである。他人のことに一生懸命になるのが上手だ。
前に本人にそう言うと、いい人っぽくね?と照れ笑いをしていた。もしこれが全部作られた表情、仕草であっても、それまでが上手くいっていたから、大して怒る気もしないかもしれない。
まあこういう時点ですっかり信用しきってしまっているということなのだが。
僕はとりあえずもう一度、誄がみた夢の話をしようと思った。昨日は携帯電話ごしに一部分伝えただけであって、途中で切られたという中途半端な状況のままだ。
話そう、と決めてから色々考えている様子の律辺の額を指で弾く。小さな悲鳴があがって、何?と聞いてきた。
「痛いんですけど」
「デコピンしたからな。それより、昨日のこと、ちゃんと話していいか?」
「あ、はい。どうぞ」
すんなり対応する律辺に、僕は昨日誄が話していた言葉の一つ一つを丁寧に思い返しながら、説明する。
律辺が口元から手を離した。
「まず、誄は裸足で森のなかでさまよってたらしい」
「それはまた野生的な・・・」
「いいから、聞け。それで、足元を見たらクマがいて」
「・・・・・ごめん、意味わからん」
「俺だってわかんない。とにかく、足元にクマがいたらしい。どんなクマかは覚えてないって。でもとにかくクマだったんだと」
「それって要するに、リアルなクマかもしれないし、絵に描いたようなクマかもしれないってことか?」
「ん、そう。とにかくクマ」
律辺はそんなに頭脳明晰というわけでは無いのだが、頭の回転が妙に早い時がある。
天才となんとかは紙一重というやつで、突然ものすごい実力を発揮したかと思えば、何も無いところで突如転倒したりする。
血液型占いとかの支持者ではないけれど、「AB型だな」と思うところが無いと言ったら嘘だ。
「それで、誄はそのクマがなんでだか分からないけどすごい怖くて、走って逃げたらしい」
「まあ、そりゃ足元にいきなり熊がいたら怖いさな」
律辺が眉根に皺を寄せて、苦笑いのような顔をした。
「その時走りながら、ポケットにノート一冊入っていたことに気付いたんだって」
「・・・・・・随分と収納性のあるポケットですね」
「そこは深くつっこむな。夢だから。ドラえもんみたいな感じなんだろ、多分」
「それから」と続けようとして、また記憶を探る。正直、こういう作業は好きじゃない。何だか余計なことまで思い出してしまう時があるから。
気にしないように、と頭の中で自分に一度言い聞かせ、話の続きをしようと、言葉を紡ぐ準備をした。カキンと球体を打つ音と、二つ離れた教室から聞こえる女子の笑い声が響いた。
それから、という発音をしようとした時、頭の中に一つの映像が浮かび上がる。
栗色の髪の少女は立っている。
誄だ。
誄は何かを言おうと口を開く。
喉が、ひゅうと鳴った。
「おいっ」
突然、視界が眩んだ。と思いきや、額に痛みが走る。「いたっ」と思わずもらすと、律辺が「デコピン返し」と言ってにやりとした。
そして真顔に戻る。どうかしたか?と聞くつもりだ。心配はかけたくないと思って瞬時に僕は「それから」と言った。
僕は会話の糸口を無理やり紡ぎ合わせるのが上手いらしい。大抵、再手術は失敗に終わるが。
「それから、そのノート、1と4が書いてあったって。算用数字で」
「あ、そ」
あっさり普通の顔に戻った僕を見て、律辺は少し気が抜けたような顔をする。それを確認して、僕は心の中で何故かホッとしていた。
話したくない、話題に触れたくない。律辺はとっくに知っているのに。それでも。僕はいつまで、この鎖に縛られ続けるのだろう。そう考えたら、笑いそうになった。
「あと、花がなんとかって」
「花?」
「自分でもよく分からないらしいけど、その場にそぐわない花が咲いてたんだと」
「ソグワナイハナ・・・・」
律辺は呪文のように繰り返す。
わからないという点ばかりが目立って、やや困惑気味の様だ。
「そしたら黒い影が迫ってきて・・・・」
「迫ってきて?」
「終わり」
「は?」
何言ってんのお前?と言いたそうな顔をして律辺が顔を寄せてきた。「何言ってんのお前?」と、律辺が本当に言った。
聞いた瞬間、僕は少し吹き出した。それを見て気を悪くしたのか、「なんだよ」と呟く。
軽く謝罪してから、僕は理由を述べるべく、腕を組んで、足を組んで、髪の毛を手櫛でといてみせたあと、あごを引いて律辺を睨むような視線で捕らえる。誄の真似だ。
「此処からは思い出したくないわ。聞かないで」
「ふはっ似てる」
律辺は人懐っこそうな笑みを見せる。僕より身長は高いし、声も低い。大人びているはずなのに、時々見せるこの子供っぽさは何なんだろうか。
「自分から相談しといてさ、勝手だろ?でもなんかボソボソ言ってたな」
「ボソボソって?」
「その黒い影の正体が嫌だって」
「・・・・嫌?なんだそれ、怖いんじゃなくて?」
「さあ」
他人の夢の内容を律辺に話したって何も解決しないと言うことくらいお互い分かっている。
ただ、話してスッキリしたい、という僕の勝手な解決法に律辺がわざわざ付き合ってくれただけの話しだ。
律辺は誄の予知夢のことを知っているが、誄は律辺が予知夢のことを知っていることを知らない。
恐らく知ったら「どうして喋るの」と怒って問い詰めてくるだろうけど、どうしても何も、そんなの僕が律辺に話したかったから、それだけだ。
誄は僕に解決法を求めてくるけれど、それは困る。大体、どうして今回ばっかり、僕に相談してきたのだろう。
僕が誄に聞かされる予知夢についての内容はほとんど「結果」・「報告」である。一昨日夢でみたとおり、隣の家の犬が死んだとか、青い車がやっぱり事故にあった、とか。
誄は夢の内容がいつ起こるのかまでは分からないらしく、果たしてその夢が本当に起こるのかすら曖昧らしい。
だからこそ、今回異様なまでにはっきりと「現実に起こる」と断言したため、少し不安になって律辺に相談したのだ。
「ま、今の状況だけでどうにか解決しよーっつほうが無理っしょ」
「ぼちぼち分かる、と言いたいわけか」
「そ」
ギギッと木製の学校特有の椅子が嫌な音を立てた。律辺は机に付いているフックからぶら下がっているバッグを手に取り、肩から提げる。
俗に言う「学生カバン」というやつで、澱んだ藍色の布は誄の瞳を思い出させた。帰ろう、と律辺が僕に声をかけた瞬間に心が軽くなり、自分はさっさと家に帰りたいのだと初めて気付いた。
第一章完了ですー。
これからどんどん複雑な部分に食い込んでいけたらいいなと思ってる次第です・・・!
どうぞ見捨てないでやってください。




