因みにこうなった場合は…… (長男)
どうも。三度目の語りとなる長男、ヒロキです。現在次男、テッペイの体になった直後です。
これまでの経験上、目に見えて狼狽することは減ったんだけど……今、声を大にして言いたいことがある。
――――何でこのタイミングで……!
顔を覆って嘆きたい。いや、顔を覆うこと自体は既に叶っている。眩暈を覚えて咄嗟に構えたのだろうポージングをテッペイがしていたので、入れ替わって間もない僕も同じ恰好を保ったままだ。
思えば今朝からツイてなかった。依頼人が早朝にミキさんを呼び出したこともあって、送り迎えしてもらってる僕も同じ時間に出勤。昨日寝たのが遅かった所為で睡眠時間は三時間。さすがに眠い。
おかげでコピーする向きを間違えたり、しょっちゅうキーボードを打ち間違えたり、持ってきた資料が別の物だったりと、集中力散漫。それに加えて追い打ちをかけるように依頼が殺到して、所員の殆どが日を跨いでの残業となってしまった。
深夜にテッペイ、或いはリョウと体が入れ替わる可能性があるということで、定時で帰れることになった安堵感と、体質の所為で役に立てない不甲斐なさ。
ネガティブな心境でジレンマに頭を悩ませながら、夜食の買い出しからの戻っていたとき、一年ほど前からちょくちょく通っているバーのウェイターと再会した。
アルコールを飲んでるときに体が入れ替わったらと思うと店に通い辛くなって、おまけにここ最近は忙しさも相俟ってたから、顔を合わせるのは一、二ヶ月ぶりだろうか。前は月に二、三回のペースで足を運んでいたというのに。
いくら僕が長く通っていると自負していても、彼は従業員の中でも特に人気者だから僕のことなんて眼中にないものと思っていた。実際会話したことってあんまりないし。でも、容姿だけじゃなくて中身も華やかな彼に、僕はずっと憧れていた。
だから、寄り道がバレたら怒られるのを覚悟で、お茶しようって誘いに乗ってしまったんだと思う。
そんな浮かれ気味で席に座った瞬間に――――例の眩暈。
クサクサしてたときに良いことがあって、そして再び打ちのめされる。情けとばかりに極稀に飴があるよりも、鞭ばかりの方がマシな気がするのは僕だけだろうか。
「五十二番!早く答えなさい!」
「おい、テッペイ。早く何か言わないとあのバーコード、さすがにオカンムリだぞ」
後ろから突かれてノロノロと顔を上げれば、髪の薄い白衣を着た講師がこちらを睨みつけていた。五十二というのは、テッペイの学籍番号か何からしい。
ホワイトボードに書かれた文章を一瞥。テッペイの書いたルーズリーフを一瞥。答え、これ……かな?綺麗な字なんだけど、相変わらず癖が強くて逆に読み難い。
とりあえずそれっぽいのを答えようとしたら、チャイムが鳴ってしまった。大学というのはキリが悪くてもそこで講義は終了する。シンプルで分かりやすいけど、煮え切らない感じがするのも確かで。
だから、これが切欠でテッペイがあの講師に目を付けられたとしても、不可抗力……ということにしてほしい。
テッペイの身近な人物で俺達の秘密を知ってるのはムカイだから、大学で入れ替わりの事態が起きたときは彼にフォローを要請することになっている。とはいえテッペイとムカイは同じ学部だけど学科が違うから、講義が重なる場合とそうでない場合がある。入れ替わったとき、傍にいてくれたら何かと手助けしてもらえるんだけど、今回は後者だったようだ。
丁度あの講義の後は昼食の時間帯だったので、ムカイと連絡を取り合って食堂で落ち合うことにした。
「ああ、去年の前期にあいつの般教受けたことあるんで知ってます。間違いなくテッペイ、ロックオンされましたね。あのバーコード、かなり粘着質って有名だし」
「うわぁ……テッペイに悪いことしちゃったな」
「放っておいて大丈夫でしょ。良いお灸にもなるし。何よりあいつがリョウに構う時間が減るわけですから」
「君……ホントうちの末っ子大好きだね」
「何を今更」
内心うわぁ……と引くけど、それこそ今更か。リョウと初対面を果たしたその瞬間にフォーリンラブだったのは、された本人を除く皆が知ってることだし。
因みに“フォーリンラブ”がカタカナなのは、僕がテッペイと違って英語苦手だからです。
「ムカイ。五限、六限とどうなってる?」
「六限は一緒だけど五限は違いますよ。俺は演習でテッペイは確か、英語だったはず」
「え……いご……」
「必須科目だから、サボると単位に響きますよ」
鞄のポケットに入ってた時間割表を確認すれば、確かに火曜日五限は実用英会話Ⅱとなっていた。
「嘘だろぉ……」
テッペイ、勉強できない兄貴を許してほしい。君も知っての通り、僕は君より一年遅れで高校を卒業した人間だから。
「ハハハ……」と乾いた笑いを漏らしながらテーブルに突っ伏す僕を、周囲の学生が胡乱な目で見ていたことなんか知る由もなく、しかも自分は他人とばかりに、いつの間にやらムカイが立ち去っていたことも気付かなかった。
勿論気付いてすぐ呼び戻したけど。
*
ハイスピードで書き進められる文字をルーズリーフにひたすら綴り、当てられてはアタフタしながらもそれらしい答えを言ったつもりだけど、講師には物凄い心配をされてしまった。発音がらしくないとか、いつもならこの程度の問題、簡単に解くはずなのにとか。
うちの次男坊、英語に関しては優秀みたいです。
そんなこんなでどうにか五限目が終わったときに、漸く体が元に戻った。
……どうしてもっと早くに戻ってくれなかったんだ!ジーザズ!
中学の頃から英語が苦手だったっていうのもあるけど、まず英文を耳に、目にして思い出すのは、仕事の合間にミキさんから叩き込まれたスパルタ。それが身に染みてて、高校を卒業した瞬間に覚えた大半を忘れてしまったけど、どんな拷も……ゲフン!飴と鞭を受けたかは否が応にも記憶している。いっそ逆なら良かったのに。
ともかく、体が戻って慌てて簡易キッチンが設置された給湯室に向かえば、既に夜食は作られていた。タツヤに訊けば、僕の体になってたリョウが調理してくれたらしい。
それからミキさんに家まで送ってもらって、玄関前でテッペイと合流した。
「ちょっと、兄ちゃん!今日僕の体に替わったとき何したの?!」
夕食を食べ終えてお風呂に入った後、リョウとテレビを見ながらまったりしていたら、自分の部屋で勉強をしていたリョウが激昂した様子で下りてきた。
どうやら昼間、リョウの体になっていたテッペイが何かしら事を荒立てたようだ。
「テッペイ。あんまりリョウらしくないことするなよ?」
自分でそう言ってて、ヒヤリと冷汗が背筋を伝う。多分、今日一番らしくないことやらかしたのって僕な気がする。
テッペイ。明日どんな噂が立ち回ってるか知れないけど、これも試練だと思ってどうにか乗り越えてほしい。大丈夫、君ならできる!
自分の失態に頭を悩ませていた僕は、体が入れ替わる直前、彼と出くわしたことなどすっかり忘れていた。
おかげで彼との間柄に少なからず変化が起きてしまったことなど……このときの僕はまだ知らない。