×××が現れた! (長男3)
現在、僕はとてつもない窮地に立たされている。
「だ、大丈夫ですか?テッペイ先生」
「今大きな音がしたけど……」
「うん……ああ。だ、大丈夫……」
入れ替わる兆候に起きる眩暈でテッペイがホワイトボードに頭を打ち付けた丁度そのとき、僕も目と鼻の先の場所で同じ症状に見舞われていた。
チラリと右斜め後ろを見遣れば、廊下側の一番前の席で僕が……改め、リョウがアワアワとした様子で僕を見つめている。きっと僕のノートの所為だろうなぁ。テッペイが教壇に立って教えていたことの半分以上が意味不明で、結局仕事のことに思考を巡らせてたから碌なこと書いてないし。つまり教科書のどの辺やってたかも曖昧なんだよね。
そんな僕が授業を進めることができようか。否!無理です!
テッペイ、ごめん!
「テッペイ先生、脂汗凄いですっ」
「やっぱり具合悪いんですよね?!保健室行きましょう!俺、一緒についていきますから」
「馬鹿野郎、何でお前が!」
「ここは保健委員の僕が妥当だろうっ」
こんなに多くの生徒に心配されて……。テッペイ、慕われてるなぁ。
良かった、良かったと安堵するものの、教室内の喧騒は勢いを増すばかり。チャイムが鳴るまで残り十五分弱といえど、このままだと隣りのクラスから苦情が来るかも。そうなったら注意を受けるのは当然テッペイなわけで……それは絶対に駄目だ。
大きく手を鳴らして、生徒の視線をこちら向けさせる。
「静かに。まだチャイム鳴ってないんだから。授業続けるぞ」
そう言っておいて何だけど……授業の進め方が全く分かりません。
リョウに助けを求めようにも、馬鹿正直に訊きに行けるはずもなく、だからといってチャイムも鳴ってないのに中途半端に授業終わらせるわけにもいかないし。そもそもリョウに訊ねようにも、一年生のリョウが二年生の授業内容を把握できてるなんてこと、ないわけで。
マジックペン片手に途方に暮れていたそのとき、廊下から奇声が聞こえてきた。何を言ってるのかまでは聞き取れないけど、その声は徐々に近付いてきている。今、まだ授業中だよね?
「ねぇ、この叫び声ってあいつだよね?」
「何で二年の教室の廊下で騒いでんの?」
不審に思うのは僕だけじゃないようで、一人一人が声を張り上げてるわけじゃないから先程に比べたらまだ小さいけど、それでも再び教室内でざわめきが起こり始める。
眉間や小鼻に皺を寄せたり、あからさまに耳を塞いだり、親指の爪を噛んだり……ここにいる生徒の大半が顔を顰め、不快感を露にしている。
一番前の、廊下側に一番近い席に座っているリョウもまた、血の気の引いた表情で扉の向こうに集中しているようだった。机の上に置かれた手を固く握り締めて震えている。怯えているのは一目瞭然だ。
それを見て、瞬時に騒ぎの原因が誰であるのかを悟る。まだ僕は彼の顔を知らないけど、きっと間違いない。
いや、相手が誰であろうとリョウをこんな表情に豹変させたんだから、お灸を据えてやらなきゃ腹の虫が治まらない。
動き出した僕を察して狼狽するリョウの姿を視界の端に留めながら、閉められたドアの窪みに指を掛けようとした次の瞬間、甲高い叫び声の主とは異なる、けれど聞き覚えのある声が鼓膜まで届いた。
「教卓の大学ノート、青い付箋ーーーー!」
………は?
「い、いきなり何言い出すんだよ、リョウ?!ていうか、どこに行くんだ?!」
「うるせぇ追ってくんなちくしょーーーー!」
小さくなっていくエコー音にハッとしてドアを開けたけど、既に足音だけ残して二人の姿はなかった。
あの意味不明の言葉叫んでたの、テッペイだよね?声はリョウだったけど。
それにしても、他のクラスの先生達は何してるんだろう?注意するどころか、教室から顔を出すこともしないなんて……。ああ、あの子、理事長の甥なんだっけ?でも下手に不興を買う真似したくないからって、この状況はさすがにどうかと思う。
「さっきの……大学ノートがどうしたって?」
「つーか、やっぱウザイよ、あいつ。授業中なのに好き勝手に走り回って」
「理事長の甥ってだけでいい気になってるよな」
「このあいだので懲りないなら次どうする?」
「また親衛隊を集めて――――」
バンッ!
「し・ず・か・に」
皆の言いたいことは分かるけど、さすがに不穏極まりないことを起こそうとしてるなら見過ごすわけにはいかないよね。
「今の傍迷惑な声の子、多分噂になってる愛敬君かな?僕はまだ会ったことないけど。まぁ、合っててもそうでなくてもどっちでもいいか。さっきの、授業中だというのに病気とは到底思えない溌剌とした様子で廊下を走ってるあたり、とても常識に欠けてるよね。ここにいる殆どの子が不愉快に感じたと思う。……だから僕は皆に謝らなきゃいけない。申し訳ない」
「え?!」
「は……?!」
「何でテッペイ先生が謝るの?!」
「大声を出しながら廊下を走ってると察した時点で、僕はすぐにドアを開けて注意すべきだったんだ。それを見過ごして皆に不快な思いをさせてしまった責任は僕にもある」
「そんな!いくらテッペイ先生が注意したところであいつが素直に聞くはずないって!」
「そうですよ!僕達が散々忠告したのに変な言いがかり付けてきて、反論に詰まると暴力を振るってきたりもするんですから!」
「先生が責任を感じることなんてないッスよ!」
先生は悪くないんだと皆、声を揃えてそう言ってくれる。けれど先程のあの状況、不謹慎な行動を起こしているというのに誰も注意をしないというのは間違っている。元の体のままならまだしも、今の僕は教育実習生といえど教師に近い立場にあるテッペイなんだ。間違いを黙認するような真似を生徒達の前で行っていいはずがない。
「……注意しても聞かない。だから親衛隊を繰り出そう」
「!」
「言っても言うことを聞かなかったら、次はどうするつもり?」
「そ、それは……」
「暴力も辞さない。もしそう答えるなら駄目だよ。それなら君達も彼と同じだ」
「違います!」
「俺達があいつと同じなんて、そんなこと……!」
「反論に詰まって暴力を振るうことは勿論理不尽だけど、一人相手に複数で囲んで腕力で訴えることだって十分理不尽なんだよ。分かるよね?」
「………」
「君達は理不尽なこととそうじゃないことの分別ができないような、浅慮な人間なのか?もし今後、彼が間違ったことを仕出かしてそれを訴えようと行動するのなら、ちゃんと胸を張って主張できるやり方でやりなさい」
そう僕が述べたところでチャイムが鳴った。……あれ?僕、授業やってない。
授業の進め方なんて分からなかったけど、さすがにこれはないよね?
サー……と青褪めながら「じゃあチャイムが鳴ったから」と教卓の上に置いてあった教科書類を持って、そそくさと教室を後にした。
教室の空気、ちょっと重くなってた気がするけど、でも今から休み時間だし、すぐ元に戻る……はずだよね?
どこに行けばいいか分からないから、とりあえず職員室の方へ歩いていると、ポケットから携帯電話のバイブが鳴っていた。フラップを開くと宛先はリョウ。ということはテッペイからだ。
『次は授業ないから、特別棟の第三資料室で指導案作成よろしく』
六時間目、授業ないんだ。……良かったぁ。
ホッと胸を撫で下ろしながら、まだ時間があるならと、僕はとある教室へと向かう。本当は放課後に落ち合うつもりだったけど、いつ元の体に戻れるか分からないからね。
授業中なら引き返すつもりだったけど、中から人の声は聞こえてこない。
教室に入る前に独特のテンポでノックしたら、内側からもノックがあった。うん、大丈夫みたい。
「そっちの首尾はどう?タツヤ」
……どうしよう。今回特に新しく登場した奴がいない(汗)
大学ノートの青い付箋に何が書いてあるかは、次回判明します。
といっても「あ、やっぱりね」って内容ですが。
いずれにしよ、わざわざ次男が言いに来てくれたのに……長男はそれを使わずという(笑)