“ムカイ君”の理由 (幼馴染)
今回は三兄弟の幼馴染、ムカイ視点です。
九時から二十時の間に解放されてる食堂が一番混むのは、四限が終わった後の昼時。大人数が収容できるスペースであるものの、その時間帯だけはさすがに混雑する。理由は、学生だけじゃなくて講師、学生課の職員、しかも世間は学食ランチがブームらしく、大学とは全く関係のないおばさんやリーマンまで利用しているからだ。
テーブルと椅子があって、声の大きさを大して気にすることもなく、飲食しながらグループで固まることができるという利点。おかげで飯を食った後も雑談に興じたり、勉強道具一式取り出して留まる連中も少なくない。
今の俺も、その内の一人だ。
因みにテッペイは他の学部の女子に誘われてどっか行った。今頃はその子達とリョウの手作り弁当を突いているだろう。童顔で可愛らしい面立ちに加えて人見知りしないあいつは、とにかく顔が広い。
「そういや前々から気になってたんだけどさぁ」
レポートの提出期限が目前に迫る中、グループの一人がポツリと呟く。既に仕上げてるのはこの中で俺とこいつだけ。他の奴らは血眼になって俺らの答えを写している。
「何だよ?」
「妹尾さ、何でテッペイに“ムカイ”って呼ばれてんの?」
「あ、それ俺も気になってた」
「俺も」
「源氏名?」
ホストじゃねぇし。
八つの目が俺に集中する。完全に手を止めて俺を凝視する様子に、思わず溜息。
呼ばれるようになった由来、か……。
腕を組んで背凭れに寄りかかり、天井のシーリングファンを見上げる。クルクル一定のリズムで回るそれを茫洋と眺めながら、俺は回想に耽った。
俺が三兄弟の家の隣りに越してきたのは八歳のとき。それまではお袋と一緒にアメリカに住んでいた。急遽日本に戻ったのは、両親が亡くなり身寄りがなくなった三兄弟の後見人を、お袋が務めることになったから。お袋と三兄弟の両親は大学時代の友人らしい。
丁度三兄弟の隣りの家が売り出されてて、すぐさまそこに住み始めたわけだが、唐突に友達と離れ離れにならざるを得なくなった当時の俺は、大層臍を曲げていた。
ぶっちゃけた話、あの頃の俺は、三兄弟が大嫌いだった。
*
「ヒロキ君、テッペイ君、リョウ君。この子が私の息子」
「………」
いつまで経っても口を開こうとしない俺に焦れて、お袋が自己紹介しろと無言の圧力を掛けてくるが、無視。
俺は怒ってるんだ!そりゃ、親が亡くなったばかりで気の毒だとは思うけど、何でお袋がこいつらの面倒見なきゃいけねぇんだよ?!こいつらの所為で引っ越さなきゃならなくなったのかと思うと、ムカムカする。俺はアメリカにいたかったのに!
憎しみを込めて三兄弟を順に睨み付けていたら、まず次男が近付いてきた。
「おばさん!こいつ幾つ?何年生?!」
「誰がおばさんよ?え?!」
「テ、テッペイ!」
長男が制止の声を上げるも既に遅し。お袋の唸る拳が次男の側頭部をグリグリする。俺も反抗的な態度を取ればやられるから、その痛みはよく分かる。
というか、ついさっきされた。この家に挨拶に行くこと渋った所為で。
「痛い、痛い、いだい、いーだーい~!」
「……今八歳で、もうすぐ九歳」
「ということは小学三年生か。テッペイと一緒だな」
教育的指導の最中のお袋と悲鳴を上げている次男を横目に、とりあえず長男に質問の答えを言う。お袋と目が合って、また無視したら俺もあんな目に合わされると察したから。
すると長男が二人の……というかお袋の所業に若干引いた顔して答えてくれたわけだが、ぶっちゃけ耳を疑った。
「俺とあれが同い年?!」
「うん。因みに、僕は君より六つ上だから」
六つ……って、十四、五?!嘘だろ?!そんな貫禄全然ないのに?!
ポカンと口を半ば開けて茫然としていたとき、ズボンの裾を引っ張られた。下を見れば三男がジッと俺を見上げている。クリクリとした黒目に俺の間抜け面が大きく映ってて、思わず顔を顰めた。……何ジロジロ見てんだよ?
つーか、この兄弟、皆似てないな。まぁ長男と次男は整った顔してるけど、三男は普通だし。
「……何?」
「……ムカイ君?」
「は?」
「ムカイ君でしょ?リョウの部屋の前に見えたの!」
キャッキャッと楽しそうに笑うこの子どもが何を言ってるのか分からない。
知り合いの“ムカイ君”と俺が似てるってことか?
「リョウ?“ムカイ君”って幼稚園のお友達?」
「ちーがーう~!ムカイ君はムカイ君なの~!」
とりあえずこの子の中で俺は“ムカイ君”らしい。
こいつに限らず、小さいガキって変なことばっか言うから苦手なんだよな。ガキって否定すればムキになって融通利かないし。厄介。
誤解でも何でも勝手にしてろ。
「……お袋、俺もう帰る」
年不相応な見た目の長男に煩い次男、それに乳臭いガキの三男。ぜってー俺と合わない!あんな奴らと関わり合いになんかなるもんか!
地団駄を踏む勢いで住み慣れていない家に戻って、宛がわれた二階の自室を勢いよく開ける。
すると、窓の外で三男が大きく手を振っていた。
「……もしかして“ムカイ君”って」
部屋の掃除やら荷解きなんかでバタバタしてたし、自分の部屋から見える向かい側なんて気にしたこともなかった。でも昨日か一昨日の晩、犬の柄をした白いレースに青い布地の、まるで子ども部屋の窓にでも取り付けられていそうなカーテンが引かれていたのを思い出す。
つまり俺と三男の部屋は向かい合わせだったってこと。
「おいおい、マジかよ……」
よくよく見れば三男の口元が動いてるけど、当然ながら窓が閉まってるこの部屋にまで声は届かない。
放っておけばそのうち飽きるだろうとUターンしかけたものの、三男が身を乗り出したのを視界の端に捉えて、慌てて窓に駆け寄り勢いよく開ける。
「危ないから身を乗り出すな!」
「やっとムカイ君、窓開けてくれた!」
こちらの動揺など露知らず、無邪気にはしゃぐガキにイライラを募らせる。でもここで怒鳴り散らせば近所迷惑で、その非難がお袋に向かって、お袋が俺を叱るというパターンが想定される。
どうにか俺の怒りを発散させる方法はないかと室内をキョロキョロすれば、授業の一環で作った糸電話が見つかった。
赤い糸で繋がれた紙コップの片方を三男に向かって投げれば、三男の頭上を越えて向かいの部屋の中に転がる。
「クソガキ!ヒヤヒヤさせんな!親に続いてお前まで死ぬ気かよ?!」
紙コップの中を覗いてた三男は、突如そこから俺の声がしたことに驚いてたけど、俺がどういう風に喋ったかを確認すると自分も真似して喋り出した。
「ムカイ君、ムカイ君。リョウね、別に可哀想じゃないよ」
「はぁ?!」
「お父さんとお母さんにもう会えないのは悲しいけど、兄貴と兄ちゃんと離れ離れにならなくてよくなったの」
突然何を言い出すんだと思ったけど、ふと推測する。
両親が死んだら、残された子どもは親戚、或いは施設に引き取られるっていう話を聞いたことがあった。三男の言葉からして、三兄弟には親戚がおらず、ならば施設行きになることを誰かから聞かされたに違いない。場合によっては、三人バラバラに別の施設に引き離されるというのも。
だから、多くの人に可哀想だと同情された。慰められた。
お袋以外の、手を差し伸べられない多くの人達から、どうしようもない、無力な慈悲の重みだけが課せられた薄っぺらな言葉を。
「ミキさんにありがとうって言ったよ。いっぱい言った。でも……ムカイ君、ごめんね」
「……何で俺には“ごめん”なんだ?」
「ムカイ君、前いたところから引っ越さなくちゃいけなくなったから……」
その言葉に思わず息を呑む。
こいつはちゃんと分かってるんだ。お袋が三兄弟の後見人になったから、俺が厭々こっちに引っ越さなきゃならなくなったのを。俺がアメリカに留まりたかったことを。
俺よりも、ずっとずっと小さなガキなのに……ちゃんと分かっている。
「馬鹿野郎……」
住んでる国は違うけど、友達とは話そうと思えば話せるし、テレビ電話があれば顔だって見れる。
でもこいつは、この兄弟達はもう、大切な人と逢えなくなった。
自分の憤りが酷くちっぽけに思えた。お袋みたいに、こいつからありがとうって言われたかった。
泣きそうな顔をしながら必死に笑顔をつくって、自分は可哀想じゃないと訴えるリョウが痛々しくて、健気で……守ってやりたいって、強く思った。
*
「うわっ!妹尾がすっげぇだらしない顔してる!」
「彼女の顔でも思い出してんのか?!」
「この流れで何で?!」
「いや……あの頃のあいつ、凄い可愛かったなぁと。勿論今も可愛いけど」
「惚気?!」
惚気て何が悪い。
それよりお前ら、レポートいいのか?もうすぐ予鈴鳴るけど。
時計の秒針を見ながらカウントダウンしてたら、連中の一人が呟いた。
「……つーか妹尾の下の名前って何だっけ?」
よーしお前、歯ァ食いしばれ。
ムカイと三兄弟のファーストコンタクトの話で、今回も入れ替わりなしでした。オイオイ……(汗)
因みにムカイの下の名前は……秘密です(笑)