昼食会
ほとんど眠れず迎えた、昼食会という名の同世代の親戚へのお披露目兼親睦会。
今日は気候も良いのでガーデンパーティースタイルで行うと大叔母から朝食の席で聞いた。
ペールピンクのワンピースにオフホワイトのカーディガンを羽織ってスウェードのブーツを履いた自分の姿を鏡に映して、変なところはないかとしつこいほどに見てみる。変なところ、と言ったらこういう服を着なれていない私自身なのだがこの際それには目を瞑ろう。
慣れればそのうち似合うようになる。多分。いや、なってみせる。
チェストの上に置いた写真立てに向かい、息を吐く。
小学生の時の家族旅行の写真には両親と私、そして在りし日の祖父の姿。
「それじゃあ行ってくるよ、おじいちゃん。おじいちゃんの実家なんだから、ちゃんと見守っててよね」
写真の中の祖父は変わらずいかにもひと癖あるという顔で笑っていた。
綾峰本家前庭、午前十一時半。
煉瓦の敷かれた広いテラスには十数人程度の私と同世代の男女が集まっている。その中には鷹槻の姿もあった。危うく声をかけそうになったが、会ったことは言うなと言われていたのを思い出して素知らぬふりで目を逸らす。
当の鷹槻は私になどまるで関心はないと言わんばかりに周りの人間と話していたが、他の人間はそうでもないらしい。不躾ではないものの視線はあちこちから投げかけられる。
居心地悪さに俯いていると隣でパンパンと乾いた音が響いた。それが大叔母の手を叩いた音だと知り、自然背筋が伸びる。他の人間も緊張したように顔を強張らせた。
けれど大叔母はどこまでも柔らかな笑顔を浮かべている。
「皆さん、今日は急なお話であったにも関わらずお越し下さって有難う。それでは早速ですが紹介します。私の新たな家族となった結恵さんです」
大叔母に促され、私は一歩前に出た。
目の前には綾峰姓を有する幾人もの十代の男女。
今まで私が見てきた同年代とは明らかに違った空気を纏い、私と言う存在を推し量ろうとするように見てくる。小さく震える体を抑え込み、彼らを見据える。
「綾峰結恵です。昨日よりこちらでお世話になることが決まりました。まだ慣れぬことも多いのでご迷惑をおかけすることもあるとは思いますが、どうぞよろしくお願いします」
僅かに震えた声で挨拶し、頭を下げると機械的な拍手が起こった。
軽く安堵の息を吐くと大叔母がそれぞれ私に自己紹介をするように、と目の前の親戚たちに言った。
まばらに立っている誰から声を発するのかと思えば、少し外れた所にいた二人が迷わず私の前へと歩み出た。そのうちの一人は鷹槻だ。
「はじめまして。結恵様」
にっこりと笑いかけてきたのは、少しクセのある茶髪の優しげな雰囲気の少年。
「二ノ峰家戸主長男、鷹久と申します。今、高校二年です」
二ノ峰家戸主長男ということは、この人は鷹槻の兄なのか。
「仲良くして頂けると嬉しいです」
そう言って鷹久は右手を差し伸べてきた。すぐに握手を求められたのだと気付き、その手を握り返すとにっこりと微笑んだ。鷹槻と違って警戒心を解く雰囲気の人だ。
「どうぞよろしくお願い致します」
「はい。こちらこそよろしくお願いします」
鷹久が軽くおじぎするのに合わせて頭を下げる。
そして顔を上げると、今度は鷹槻が口を開いた。
「二ノ峰家戸主次男、鷹槻。中学三年です。……どうぞよろしくお願いします」
無表情、淡々とした抑揚の少ないしゃべり方。無愛想を絵にかいたような人間性は人前であっても健在らしい。同じ兄弟でも鷹久とは真逆の雰囲気だ。だが、それでこそ数時間前に出会ったのは確かに彼なのだと、夢ではなかったのだと確認できて嬉しくもあるが。
軽く頭を下げ合って、鷹槻はそのまま外れのほうへと戻って行った。ついその後ろ姿を目で追ってしまうと、それからすぐに別の人物が愛想よく声を上げる。
「お初にお目にかかります、結恵様。二ノ峰分家長女……」
そういえば二ノ峰とかも分家と聞いていたが、そこから更に分家もあるのだったか。ややこしいことこの上ないが、血筋を重視する家というのはこういうものなのかもしれない。一応の形式通りの挨拶を交わしながら、そんなことを思う。
二ノ峰、二ノ峰分家、三ノ峰……数字の順通りという慣例でもあるのか、挨拶は滞ることなくその順番通りに行われていった。
それにしてもこれだけの人間を全員覚えるのは大変な努力を要しそうだ。嘆かわしいことに私は人の顔と名前を覚えるのは得意ではないのだ。
早速最初のほうに挨拶を受けた人間の名前がかすみ始めた頃、小さな影が目の前に現れた。
つややかで真っ直ぐな黒髪をそれぞれの耳の後ろで結っていて、大きな黒目がちな瞳が可愛らしい。この中で最年少だろうか。小学四、五年生くらいに見える。
「初めまして、結恵様。私は四ノ峰家戸主長女、四葉です。高校一年生なので結恵様より一つ年上になります。お友達になれたら嬉しいです」
そうはきはきとした声音で言って、四葉は私の右手を握ってぶんぶんと握手してきた。
その姿はどう見ても小学生にしか見えないのだが、彼女は今間違いなく一つ年上と、高校一年生と言った。
これはもしやサプライズではないかとか、一族ぐるみで騙されているんじゃないかだとか頭の中はひどく混乱していたが、こういう場でそうそう戸惑いを表に出すべきではないだろうと思い直し、取り繕うように笑顔を作った。
「え、えっと。こちらこそお友達になれたら嬉しいです」
「本当に?」
首を傾げ、目を輝かせて四葉は詰め寄ってきた。
「わぁ嬉しい。それじゃあ私の事は四葉って呼び捨てに……」
「おい、四葉!」
不機嫌な声に遮られ、四葉はそちらを振り向く。
声の先にはこちらも小学生くらいの少年が立っていた。さらさらの黒髪に大きな吊り目の可愛らしい容姿の子だ。
「後にしろよ、まだ俺達も挨拶終わってねぇんだから」
「はぁい……それじゃあ結恵様、また後でお話しましょう?」
にこっと笑顔を残して四葉は小走りに鷹槻達のほうへと行ってしまった。
彼女が鷹槻の言っていたトモダチなのだろうか?
呆然としていると、四葉よりは背の高い先程の不機嫌な声の主が一歩前へ出てきた。
「初めまして。四ノ峰分家長男、律。中学二年です。先程はうちの四葉が御無礼を働き申し訳ありません」
「いえ。気にしてないので……」
と言うか、彼もやはり小学生にしか見えないのに中学生なのか。私より低い身長にかわいらしい顔立ち、声も高めで黙っていれば女の子でも通りそうなのに。四ノ峰というのは童顔家系なのだろうか。
そんな私の思考を読んだかのように律の顔がわずかに不機嫌そうに歪んだ。それでも一礼を忘れないのは日頃の躾の賜物なのかもしれない。
鷹槻は実年齢より年上に見えて、四葉と律は実年齢より幼く見える。変わった家だ。おかげで鷹槻とあの二人のことは忘れられそうもないが。律を見送ってすぐに私の前に歩み出たのは金のメッシュが入ったアッシュブラウンの髪の少年。
ああ、一応名家と言われる家にもこういう奇抜な髪色はいるのか。ついそんなことを思ってしまう。だが彼の顔立ちは人好きのしそうな柔和ものだ。この髪色させなければ万人受けするだろう。
「初めまして、結恵様。四ノ峰分家次男、令です。さっきのちびっこの律とは似てませんが一応双子の兄弟です。本家にお嬢さんがいらっしゃると聞いて楽しみにしていたんですが想像よりずっとお可愛らしい方で嬉しいです。今後ともぜひよろしくお願いします」
そんなことをすらすらと述べて、令は手を握ってきた。この万人受けの顔がなければただの調子のいい男で片づけられそうだが、生まれながらの才能なのか。そう悪印象は受けないから不思議だ。これを普通の男がしたら絶対に悪印象と警戒心で固まって終わりだろうに。
双子の兄のほうは小学生に見えたが、こちらの弟のほうは加工された髪色と中学生にしては高めの身長から高校生に見える。双子だというから余計に極端だ。
「あ、ありがとうございます。どうぞよろしくお願いします」
一応社交辞令として答えると令はにっこりと笑い、そしてどこからか携帯電話を取り出した。
「ところで結恵様、携帯はお持ちですか? よかったらアドレス交換なんか……ぶっ」
令は笑顔を張り付けたまま、地面に垂直に倒れ込んだ。背後から押し倒されたかの如く、顔面から地面へと。
「貴方は何をしているの」
高らかな声が惨めに煉瓦タイルの地面に這いつくばった令へとかかる。
令の安否を尋ねるより先、その声の主に目を奪われた。
おそらくは令を蹴り飛ばした、長く形のいい脚とピンヒールのブーツの右足が空中で静止している。その足を下ろすとカツンとヒールが鳴った。
色素の薄い緩いウェーブのかかったロングヘアをなびかせ、両手を腰に当てて仁王立ちした少女というよりは女性という印象のその人物。細い眉をひそめ、切れ長の瞳を据わらせてはいるがモデルか何かのように美人だ。
「い、痛ぇよ薫子」
「お黙りなさい。恥知らず」
薫子と呼ばれた女性は令の手を容赦なくヒールで踏みつけ、私と大叔母の前へと歩いてきた。そしてさらりと髪を揺らして頭を下げた。
「御前にて失礼を致しました。どうかご容赦下さいませ。桂子様、結恵様」
まるで貴族の令嬢のように気高い雰囲気。古風な言葉遣い。これが真正のお嬢様というものなのか。名前までがお嬢様の響きを持っている。
圧倒される私の隣で大叔母が目を細める。
「いいえ。けれど薫子さん、ほどほどにして差し上げてね。せっかくの良い日に流血沙汰は見たくはないわ」
「はい。失礼を致しまして申し訳ございません」
ゆっくりと顔を上げた薫子と目が合う。
「お初にお目にかかります。五ノ峰家戸主長女、薫子と申します。結恵様と同じく今年十五になりました。どうぞ今後ともよろしくお見知りおき下さいませ」
そうしてまた優雅な仕草で礼をする。
その姿も溜め息が漏れそうなほど優雅だが、それよりも気になることがひとつ。
(今、今年十五って言った?)
「あの、失礼ですけれど薫子さん、学年は……?」
「中等部の三年に在籍しております」
一瞬薫子の笑顔が凍りついた。だが私の頭も凍りつく。
(これで同い年……)
十五歳でこの容姿、この落ち着き。やはり育ちが違うのかと軽く衝撃を受けていたところに明るい声が割って入った。
「すみません、結恵様。こいつ老けてて」
いつの間にか復活した令が片手で鼻を押さえながら、もごもごと薫子を指差す。
「指を差さないっ」
薫子の回し蹴りが令を再び地面へと反した。
令は無言でのたうち回り、薫子は何事もなかったかのようにさっとスカートについた皺を伸ばしていた。
そしてのたうち回る令を引きずっていく小さな影。律だ。
「……愚弟がお見苦しいところをお見せして申し訳ありません」
ぺこりと一礼して令を引きずりながら去っていく。
「律、貴方も兄ならしっかりと弟の手綱を握っておきなさいな!」
「うるせぇな、老け顔」
律の小さな呟きに薫子の目がさらに吊り上がった。
「あ、貴方といい令と言い……っ」
薫子は今にもが噴火しそうな勢いだ。これは放っておいていいのだろうか……止める勇気も自信もないが。
すると薫子と律令兄弟の間に人影が割って入った。
「まぁまぁ薫子。落ち着こう」
穏やかな顔立ちと柔らかな声。鷹久だ。
「鷹久! そこをお退きなさいっ」
綺麗な顔を憤怒に歪めて薫子は怒鳴る。
「いやね、薫子。お前の怒りはよくわかるから。けど後にしよう。結恵様もびっくりしてるからね」
そこで薫子はハッとしたように私を見て深く頭を下げた。
「し、失礼致しました」
「いえあの、お気になさらず……」
だから怒りを納めてくださいとは恐ろしくて口にはできないので、それだけ言うのが精いっぱいだ。
「そうだよー薫子ちゃん。あんまり怒ってばっかじゃダメだよってお兄にも言われたでしょ?」
呑気な高い声が薫子をいさめるように言った。勇気あるその声の主はあの童顔の少女、四葉だった。彼女は鷹槻の隣で困ったように眉を下げていた。隣の鷹槻はと言えば、まったく興味なさそうに今にも寝そうな顔をしている。
この嫌でも覚えてしまった彼らが鷹槻のトモダチだと言うのなら、類は友を呼ぶという言葉がぴったりだ。
「よっ四葉! 標葉さんには黙っていてよ!?」
「んー後でお菓子買ってくれるならいいよ」
「いい年して菓子に釣られてんじゃねぇよ、四葉」
律が毒づく。
「何よぅ。律だってお兄の本をボロボロにしちゃった時、あたしのことお菓子で買収しようとしたくせに」
「あ、あれは!」
「ぷっ! だっせぇ律」
「令! てめぇ!」
「あーお前ら、いい加減にしろよ。鷹槻、お前も何か言え。本当にお見苦しくて申し訳ありません。桂子様、結恵様」
鷹久が申し訳なさそうに頭を下げる。彼はこの中で一人常識人なのかどうも彼らをまとめ慣れているように見える。だとしたら苦労しているのだろうと思わざるをえなかった。
「いいえ。皆さんお元気でよろしいことだわ」
そんな彼らを前にしても大叔母はどこまでも寛容な人だ。
「さあさあ。それでは昼食に致しましょう。立食形式ですので好きに召しあがって下さいね」
朗らかに大叔母が控えた使用人に目配せすると、屋敷内から次々とワゴンに乗った料理が運ばれてきた。目の前ではテキパキとテーブルが整えられていき、シミ一つない白いテーブルクロスの上を様々な料理が彩っていく。
軽く感動していると使用人からグラスが渡された。
「ありがとうございます」
そこに黄色と赤褐色の液体が注がれる。りんごジュースと紅茶のセパレートティーだ。
全員にグラスがいきわたったところで大叔母が軽くグラスを掲げて声を上げた。
「それでは新たな家族と皆さんの幸いを祈って。乾杯」
乾杯、と声が上がってそれぞれグラスのセパレートティーに口をつける。
一瞬遅れて私もグラスに口をつけた。
それから大叔母は「私がいては皆さん緊張するようですから」と私に耳打ちして何人かの使用人と共に屋敷へと戻って行った。確かにそのほうが周りの人たちとは馴染みやすいのかもしれない。かもしれないが……。
「結恵様はどういった食べ物がお好きですか?」
「お取りしますよ」
「結恵様、甘いものはお好きですか? あちらにシトロンタルトが……」
……やはりいきなり様付け待遇は慣れない。高級店に入ったと思えば大人相手ならまだ何とか割り切れるが、同世代にというこの状況ばかりは。それも明らかに自分より育ちのいい人々にこんな風に接されるなんて。
二ノ峰家以下も序列はあるようだが本家は本当に別格らしい。
千歳と鷹槻が言った絶対王制という言葉がよみがえってくる。
そこでようやく、この昼食会の場に千歳の姿がないことに気付いた。軽く周囲を見回してみてもあの不思議と目を惹く容姿の彼はいない。
(同世代、だよね? 鷹槻のお兄さんと同じか一個上だし。千歳は欠席なのかな)
鷹槻に聞けば分かるだろうか。
だが知らないフリをしろと言われているし、鷹槻はあの強烈な個性の人々と食事を満喫していた。
出来あがった輪の中に入っていくのは苦手だし、今度千歳に直接聞けばいいか。案外夕べは遅かったから寝坊したのかもしれない。
「結恵様?」
「はっ、はい」
突然呼ばれて声が上ずった。……情けない。
「さっき言ったとおり、お話しに来ました」
そう言って無邪気な笑みを浮かべていたのは四葉だった。
「四葉、さん」
「嫌ですね~お友達になったんですから、四葉でいいですよ?」
四葉はかわいらしく首を傾げてころころと笑う。
「えっと」
そうは言われても、自分は様付けされてるのに相手を呼び捨てするというのはどうにも抵抗がある。
それに周りの視線が痛いのは気のせいだろうか……否、多分気のせいじゃない。派閥とやらの影響だろうか。
四葉は私の困惑を読み取ったかのように微笑み、その小さな右手を差し伸べてきた。
「あちらでお話しませんか? ベンチもありますから」
四葉の指差した先には木製のベンチが置かれている。
――敵・味方の判別を誤るな。
夕べ鷹槻に言われた言葉。
敵、と言われても所詮は子供。所詮は身内の問題。
常識的に考えたらそう大層なものだとは思えない。だがここで私の常識は通用しない。
(敵と、味方)
鷹槻は進んで私の敵になるつもりはないといった。
その鷹槻と親しいらしい千歳は絶対的に私の味方だと言った。
そしてこの子、四葉は鷹槻といた。多分彼女は鷹槻の言っていた、彼のトモダチと呼べる親戚の一人。
周囲の視線が無言の圧力をかけてくる。
選べ、と。
本家の肩書を得た私に、どの派閥に属するのか選べ、と。
ここで曖昧なことをして、この家に来た目的を泡に返すわけにはいかない。他の名前も覚えられない、媚を売ってくる親戚たちを信用するのは今はまだ無理だ。彼らが私を望むとしたら、それは私の後ろの『本家』。あくまで私を踏み台に本家に近づきたいだけ。
四葉達もそうでないとは言い切れないけれど、けど千歳と鷹槻は信頼出来る。まだほんの数時間程度の付き合いだけど、それは確かだ。
家の事を教えてくれた。忠告もくれた。
それで十分だ。
何より私が彼らと過ごすのが心地いい。
「……じゃあ、あっちでお話しましょうか?」
声にならないざわめきが空気を支配する。
四葉はにっこりと笑って私の手を取った。あの幼い言動は何だったのかと思うほど大人びた笑みを浮かべて。
「では、参りましょう」
私の手を引き、四葉は少し離れたベンチへと歩き出した。追い風に押されるように私も前に踏み出す。
「何であんな連中が……」
「まだあの人、この家に来たばかりで何も知らないからよ」
「まだこれからだ。あんな連中と合うようなら、むしろ邪魔なだけだ」
そんな剣呑な声が風に乗って微かに聞こえてきた。
ちくりちくりと刺さるように。
「驚いた?」
手を引いたまま振り向いた四葉は、いたずらっ子のような顔をして私を見上げてきた。
「ヤだよね、ここの人達。派閥とか権力とか大好きなの。本家にいると特にそういうのは面倒くさいだろうけど、自分がしっかりしてればすぐに収まるから大丈夫だよ」
小さな手が私の手をしっかりと握ってくる。
「後悔した? あたし達を選んだこと」
大きな瞳がじっと私を見上げてくる。どこか冷え冷えとした一片の嘘も通じない、そんな瞳で。
私はゆっくりと首を横に振った。
「むしろ人生ベストスリーに入る好判断をしたと思っているところ」
そう答えると、四葉は声を上げて笑いだした。
「あははは。結恵様っておもしろーい。あたし結恵様好きぃ」
「ありがとう。えっと、出来ればその、結恵様とか敬語もやめてもらえると。様付けとか慣れないから、呼び捨てとか」
四葉は大きな目を一層大きく見開いた。
「いいの? 様付けしなくて?」
「ここじゃそれが当たり前なのかもしれないけど、私はおとといまで本当に一般人育ちだから。友達になってくれるんだったら尚さら、様付けとか嫌だなって」
綾峰本家の結恵としてなら割り切れる。
けど友達として一個人の私として付き合ってくれるのなら、そんな距離を置いた付き合いは嫌だ。今日、親戚だという色々な人達に会って余計にそう思う。
距離を取りたい相手。
近づきたい相手。
千歳や鷹槻のように、呼び捨てで私個人を見てくれた人達。
そうして接してほしいと、この不思議な家の中でも特に強烈な彼女達には思う。近づきたいと、距離を置きたくないと思う。
「結恵、でいいの?」
「うん」
呼び捨てで抵抗があるとすれば、彼女がどう見ても年下にしか見えないからだ。
その四葉は本当に子供のように邪気のない笑顔で言った。
「じゃあそうするー。皆、ここじゃ綾峰でしょ? だから下の名前で呼ぶんだよ」
「ああ、そう言えばそうだよね」
綾峰さん、綾峰君だと誰だ誰だか分からない。
「親戚同士でもあんまり仲良くないと屋号で呼んだり呼ばれたりするんだけど、友達同士だと名前で呼ぶの。年も近いから呼び捨てで。あたし年齢的にはお姉さんなのに」
四葉は溜め息がちに言った。
言っていることはわかるが、やはりどう見ても小学生にしか見えないのが微笑ましいというか、可愛いというか。
「精神的にも四葉は『お姉さん』じゃねぇだろー?」
茶化すような声をかけてきたのはあの金メッシュの派手な頭。確か、令。
四葉は両手に腰を当てて、眉を吊り上げた。
「何ソレ。どういう意味ぃ?」
「そのまんまの意味だろ」
令から少し離れたところでサンドウィッチをお皿いっぱいに持っているのは四葉に続く童顔、律。
律はじっと私を見た。
「……アンタ、こっち来んの?」
こっち、の意味するのが場所的な意味合いでないのはすぐわかった。
四葉の言ったベンチの側。律の近くには鷹槻にその兄の鷹久、そして薫子がいた。
鷹槻以外が視線を私に向けてくる。
攻撃的でも値踏みするようでもなく、ただ私の動向を傍観するように。
この綾峰家の敷地内の……どういう意識を持って集団を成しているのかは分からないが、彼らに属するのかどうかをただ見ている。
きっと彼らは私を拒みもしなければ、去っても追うことはないだろう。
彼らは他の子供達とは違い、本家というものへの執着をそれほど持ち合わせていないように見えた。絶対的な力に追従するのではなく、隙あらば利用しようという野心すら感じる。
きっと私にはここが一番合ってる。
そう思い、一歩踏み出す。
「綾峰結恵です。よろしく」
そして一番に。
「様付け敬語、しないでくれると嬉しいんだけど」
令と薫子が目を丸くし、律は「物好き」と言い、鷹久は笑い、鷹槻は相変わらず興味なさそうに私を見た。