歪んだ場所
感情の欠けた事務的な声がそう告げた。
「ここで本来一番偉いはずの千歳が案内役だなんて、そのリクって人は随分お偉いんだね。雇われの身じゃなかったっけ?」
先程のリクの話に対する反発心からつい皮肉めいた物言いをすると、千歳は静かに言った。
「俺は予知し予言する者。リクはその俺を永遠に綾峰に留め置く者。……俺達は二人揃う事で生き神のように扱われ、この本家の庇護の元で生きてきた」
だから俺達を置き、血を与える本家は綾峰の中で最高権力を握る。
そう付け足して千歳は壁を押した。
軽やかに壁は回り、室内と石造りの廊下を繋げた。
「まだこの屋敷には隠し部屋があるのか?」
訝しげにそう訊ねたのは鷹槻だ。
「本家屋敷のだいたいの隠し扉、隠し部屋については把握していたつもりだったんだけどな」
「歴代当主と当たりの血。それに二ノ峰から五ノ峰の戸主だけが知らされる、この屋敷一番の秘密だからな」
千歳は言って鷹槻を振り仰いだ。
「お前はここまでだ。鷹槻」
「『当たり』じゃない俺はリクに会う資格がないってことかよ?」
千歳はそれを無言と言う形で肯定する。
鷹槻は小さく舌打ちして苛立ちを隠すことなく顔を歪めた。
「これから呪いを解くっつってんだろ? その呪いの元凶とその周りの連中が定めた決めごとなんて知ったことかよ」
「そうだな」
刺々しい鷹槻の言葉にも千歳は軽い調子で肯定した。
その顔には出会ったばかりの頃のような、綺麗だけれど食えない笑み。
「『これ』はこの家に約束された永遠を生きる奴だけが従わなければならないルール。つまり逆に言うなら」
「それに従わないならそのルールに従う必要はないってことか」
鷹槻の言葉に千歳は満足そうに唇を歪めた。
そんなやり取りを見ていて、どこか安心している自分がいた。
今日ここに来て、この家の歴史を話し出した時から千歳の表情は私が知るものと違った。どこか陰が潜んでいて、笑った時ですらそれは辛そうな印象を与えた。
それがさっきの鷹槻の啖呵を聞いてからいつもの千歳のペースに戻ってきた。
私や鷹槻を子供扱いし、十のうち三くらいしか敢えて言葉にせず、その反応を楽しむようなどこか意地の悪さを発揮して。
……これでこそ、千歳だ。
そう思うと何だか嬉しくなってきて、この先何があっても大丈夫だなんて思えてくるからおかしい。
千歳は千歳で、鷹槻は意外とキレやすいけど頭がよくて行動力がある。
頼もしい限りの二人がいれば、私にも無茶が通せるような気がしてくる。不思議な高揚感と共に、力が湧いてくる。
「千歳、何でもいいから早く案内!」
「何だ? 急に元気に」
千歳が不思議そうに首を傾げる。
「て言うか、何でもいいって何だ。何でもいいって」
鷹槻が不満そうに口にするがかまわない。どうせ私が何を言わなくたって、鷹槻は自分でどうこうする力を持っている。
「ま、いいや。……じゃあ、行くか」
そして石造りの廊下へと一歩踏み出した。
にっと笑った千歳の顔が一瞬だけ陰って見えたのは気のせいじゃないと思う。すぐにまた笑顔を張り付けたけれど、千歳にとってリクという人は複雑な存在なのだろう。
ひと口で彼女に抱く感情を現すなんて到底無理だろうと、千歳自身の口から聞いた言葉、鷹槻との会話を思い出しながら考える。
五百年。
言葉にするのは簡単だけれど、途方もなく長い時間だ。
私には想像もつかないような気が遠くなるような長い時間を、千歳は何を思って生きてきたんだろう。
リクという人の裏切りとも言える行為に気づいてから、どうやって生きてきたんだろう。
薄暗い廊下を歩み出した千歳の背を負いながら、そんなことを思う。そのすぐ後ろから鷹槻もついてくる。
黙って一列になって、私達は前へと足を進めた。
初めて千歳に出会った時に一度だけ通ったこの隠し廊下。
だからうろ覚えではあるが、多分ここが丁度中間点といったところだろう。
そこで千歳は歩みを止めて足下のランプのひとつに手を伸ばした。
その灯りが消えると、どこからか重い音がする。
「な、何?」
「隠し扉だろ」
全く動じずに鷹槻が答える。
そう言えば彼はこの屋敷の隠し通路やら何やらはだいたい把握しているというようなことを言っていた。
「鷹槻はここ……」
「知らなかった」
「だよね」
知っていたらこんな回りくどいことをせずとも、もっと早くにリクの元へ辿り着いていただろう。
そんな私達は気にも留めず、千歳は消えたランプの上方の壁を押した。それと共に千歳の部屋にあるあの隠し扉と同じように壁が回転し、壁の向こうに更に続いていた通路を暴き出した。
「また廊下?」
千歳の視線の先には人ひとりが通るのがやっとの、灯り一つない暗闇に覆われた通路。
今いる廊下の微かな光に照らされて、何とかそこがまっすぐな通路になっているのが見えるが、ほんの 少し先は真っ暗で何も見えない。
「そんなに歩かないさ」
そう言って千歳が先に進むと、それに反応するかのように足元から小さく灯りが灯って行く。
「うわ」
「熱感知センサー式の灯りが足元を照らすようになってるから、人が通る時だけ灯りが点くんだ」
「レトロな洋館が売りだと思ってたのに、妙なところハイテク……」
「レトロなのは外観と人間だけだ」
私の呟きに鷹槻が皮肉っぽく言う。
「どういうこと?」
背後を振り仰ぐと、鷹槻は隠し扉を閉めながら答えた。
「この屋敷の扉は指紋と虹彩センサー式。この屋敷の庭も実は相当の防犯カメラやなんかに囲まれてる」
言われてみれば大富豪の居住地。それくらいの設備があってもおかしくはない。外界と隔絶されたような異様な空間につい防犯なんていう概念を失念していたが。
「あれ。じゃあ鷹槻ってこの間とか今日とか、千歳のところまで来るの大変だったんじゃないの? この間の話を聞いてた限りじゃ割としょっちゅう隠し通路から来てるみたいなのに」
「あー見逃されてたんだろうな。ガキの頃は俺も監視カメラとかそこまで気にしてなかったし、どっかしらで本家のセキュリティに引っかかっててもおかしくない。けど今までお咎めがなかったってのは、やっぱりお前が口添えしてくれてたってことだろ? 千歳」
「さぁ? どうだろなー」
前を向いたままなのでその表情は読み取れない。けれどその口調はどこか楽しげで、鷹槻の言葉は事実なのだとわかる。
それからまた黙って私達は千歳の後に従った。三つの足音が狭い廊下に響き、それに反応するように前方に明かりが灯って行く。
やがて遠目に扉らしいものがうっすらと見えてきた。
……あの向こうにいるのか。
今千歳は、鷹槻はどんな表情をしているのだろう。
それでも足だけは前へと進んでいく。
この家に……千歳に呪いをかけた人物へと一歩一歩、近づいて行く。
そして扉の前まで来て、千歳は立ち止まって振り返った。その顔に表情らしい表情はない。
「この先にリクがいる」
「……うん」
「リクに『当たり』だと告げたらもう戻れない」
「わかってるよ」
千歳は観念したように息を吐いた。
「わかった。この強情娘。……で、そこの反逆者まがいはどうする?」
千歳の視線が私を通り越して背後の鷹槻に向けられた。
「決まってるだろ。わざわざ聞くなよ、過保護」
顔を見ずとも分かる。
この偉そうな口ぶりから、またあの偉そうな顔をしているんだろうと容易に想像がつく。
「あーわかった、まったく可愛くないよなー」
そう言って千歳はくるりと背を向け、千歳の部屋のものとほとんどデザインの変わらない扉に手をかけた。扉は錆びたような、少し重い音を立てて開いていく。
中は薄暗いが、広い洋間だと一目で分かる。ルームランプのような明かりがいくつか室内に灯っていて、部屋の中央に大きなベッドが置かれている。天蓋つきの、まるで眠り姫が眠っているかのようなベッド。
心臓の音が主張し始める。
一歩一歩、広い室内を千歳の後を追って進む。
部屋の中央へ。
白い霧のようなレースがヴェールのようにベッドを覆っいて中の様子はよく見えない。ただぼんやりと、眠っているような影が見えた。
今更だが、女性の部屋に声もかけずに無断で入っていいものなのか。だがベッド上にいるらしい部屋の主が何も言わないからいいのか?
そう言えば勝手に室内にドカドカ踏み込んだというのに、何も言われない。眠っているらしい影を見ても、微動だにしない。よほどよく眠っているのか。
「――リク」
千歳がその名を呼んだ。
そしてレースを退けて、ベッドの上の人物を覗き込む。
私と鷹槻も千歳の後ろからその姿をそっと覗いた。
そこには墨のような黒い艶やかな髪が白いシーツの上に広がり、白い単衣を着た、私とそう年の変わらない少女が固く瞼を閉じていた。
その右目から頬にかけては包帯で覆われているが、磁器のような白い肌と左目の長く濃い睫毛、小さな赤い唇はまるで極上の日本人形のようだった。
これが、リク。この家に呪いをかけた……。
だが今目の前にいるリクはぴくりとも動かず、寝息すら感じられない、それこそ本当の人形のようだ。
困惑混じりに千歳を見ると、千歳はリクにかけられた布団をまくりあげた。
「千歳?」
何を、と聞く間もなく千歳は躊躇いなくリクの単衣の襟を開いた。
「ちょっ、千歳!?」
実年齢は五百歳近くても、一応相手は女だ。同じ女として千歳の暴挙は見逃せない。そう思って千歳の手を取ろうとしたが視界に入ってきたモノがその意識を奪う。
「……何、これ?」
リクの白い素肌は左胸を中心に、墨で読めない文字のようなものがぎっしりと書かれた包帯で巻かれている。
千歳はそれらをゆっくりと解きながら答えた。
「今、リクは生きてない」
「え?」
鷹槻と揃って声を上げた。
千歳はそれでもリクから目を逸らさずに、しゅるりしゅるりと音を立ててどこか異様な包帯を解いて行く。
「この文字の書かれた布。これはリクの作った呪術らしくて、これが巻かれている間は仮死状態になるんだってさ」
「仮死状態?」
「そ。リクは『当たり』の人間との対面の時や当主や各家戸主が挨拶に来る時にだけ目覚める。普段はこうして眠って……いや、死んでるんだ」
道理で生きている気配がしないわけだと思うと同時、何でそんな面倒をと思う。リクは千歳と常磐と同じく不老長寿なのに、と。
鷹槻と目線を交わし合うと、千歳はその気配を感じ取ったように言った。
「俺達の呪いは不死じゃないから。今だって俺は殺せば死ぬ。それに常磐のことで話したよな? この呪いは放っておけば解けて普通の人間に戻れる。老化し始めていずれは朽ちる。リクや綾峰の一族はそれを避けたいんだ」
「仮死状態の間に呪いが解けることはないの?」
「リクの話では生きている人間に有効なのが呪いなんだそうだ。だから最低限しかリクはこの世を生きない。綾峰の有事の時だとか、『当たり』の人間の挨拶の時とか。……少しでも呪いが解ける日を遅らせるために」
低く千歳は呟いた。
その言葉に疑問を覚えると同時、鷹槻がそれに疑問に対する解答となる声を上げた。
「その女は綾峰の血族じゃないから、『当たり』の人間の血が人魚の肉と同じ作用は働かないってか?」
「そういうことだ。リクには人魚の肉に相当するものがない」
千歳は答えながらも包帯を巻き取っていく。
床に落ちた包帯には墨で模様のようにも見える文字が書かれ、どこか不気味で異様だ。
「なるほど。そうやってこの女は守らてきたってわけか……大層な身分だな」
苦々しげに鷹槻は呟いた。
千歳は何も言わず黙々と包帯を解いていく。少しずつリクの白い肌と痩せた体が露わになっていく。
随分と細い。
鎖骨はくっきりと浮かび、腕など枝のようだ。軽々しく手を触れたら折れてしまいそうなくらいに。
そんなことを考えているとふいに千歳が口を開いた。
「この包帯が全部解けたらリクが目覚める」
その言葉に、弾かれたように私と鷹槻はリクの体に残った包帯を見やる。もうその細く白い体を覆う包帯はほとんど残っていない。
対峙の時は近い。
この部屋に入る直前の緊張が蘇ってきた。
――これからどうする。
そればかりが頭を巡り、却って焦るばかりで答えなど出るわけもない。
そして千歳は再びその名を口にした。
「リク」
私達は動きを止めてリクを見た。
包帯は全て床に落ち、単衣の襟元は千歳によって正されている。隠されていない長い睫毛が微かに震えるのを見て、無意識に私達は身構えた。
ゆっくりとその瞼が開かれる。闇色の大きな瞳はまっすぐに千歳を捕らえ、小さな赤い唇が開かれる。
「千歳様」
硝子のように透き通った声。衣擦れの音と共にリクは身を起こし、花のような笑みを浮かべてその手を千歳へと伸ばす。その長い黒髪が滝のようにベッドから零れる。
「千歳様。千歳様」
宝物のように、何度も千歳の名前を呼ぶ姿はただただ純粋無垢な少女のようで、とても彼女がこの家に呪いをかけ、まして里久を殺したなんて考えられない。
隣に立ち尽くす鷹槻からも困惑が伝わってくる。
この場で唯一、リクに身を寄せられた千歳だけが異様なほどに平静だった。
「……リク。今日は連れてきた」
リクは大きな目を瞬かせ、千歳から私達へと視線を向けた。
大きな漆黒の瞳とまっすぐに私へと向けられてきた。
何故だろう。
とても綺麗なのにその瞬間、全身に何とも言えない悪寒が走った。
隠された右半分など気にならないくらい、リクの顔立ちは可憐に整っている。
白い肌と、漆黒の瞳と髪。そして緋色の唇。
その時初めて、私は自分が震えていることに気付いた。ああ、私は目の前の彼女に恐怖しているのだとようやく悟った。
リクはにっこりと赤い唇で笑みを形作った。
綺麗なのになぜ彼女の笑みはこうも怖いと思えてしまうのだろう。そんな心情を顔に出さないように必死に体を抑え込んでいると、透き通った声が告げた。
「はじめまして。貴女は千歳様のために選ばれた子。誇りなさい。千歳様のために生き、そして死ねる事を」