千歳
千歳の笑顔から逃れるように俯いて、頭の中に浮かぶ幾つもの言葉を何とか形にしようとしてみる。そして浮かんだ考えをひとつ、口にした。
「……神隠しに遭って、帰ってきた子供はひとりじゃないんだよね」
数人の子供が行方不明になって、そのうちの数人だけが帰って来れたと言った。
「常磐……草次郎以外の複数人が神隠しから帰って来たのなら、千歳はそのうちの一人じゃないの?」
何の根拠もない私の勝手な憶測。
けれどそれなら何となく、私の中で辻褄が合う。
「神隠しから帰ってきた他の子供がどうなったのか話してくれなかったよね? 複数帰ってきたのなら、草次郎以外にも予知能力を持って帰ってきた子がいたっておかしくない。それが千歳じゃないの?」
強い強い、千歳のまっすぐな瞳が私を射る。今すぐに逃げ出したくなる程に強い目が。
張りつめた空気の中で千歳の口元が緩い弧を描き、そして開かれる。
「ちゃんと人の話を聞いてたんだな」
そう言って明るく笑う。それと同時に空気が緩んだ気がした。
「……バカにしないでよ」
それだけ言うのが精一杯だった。
「バカになんてしてないって。うん、大当たり。俺は草次郎のバカと一緒に隠れ鬼をして神隠しに遭った子供の一人。ついでにどういうわけか草次郎と共に先を見る力を、予知能力を持って帰ってきた」
やっぱり。そう思ったけれど言葉にはならない。
「別に答えられなくても取って食ったりしないのに」
「うるさいなぁ」
取って食われなくてもあそこで答えないのは何となく嫌だったのだ。
そんな私の心情を察してか千歳は苦笑して続けた。
「その時の俺の名前は照三。峯昭三」
「峯? それじゃあ」
思わず出たその言葉の続きは、千歳本人の口から発せられた。
「俺は草次郎の弟。峯家で大事に大事に育てられた草次郎とは対照的に、汚らわしい存在って絶賛嫌われ中だった双子の弟」
その口元に自嘲めいた笑みが浮かべられた。
かつては獣のように一度に複数の子が生まれることは畜生腹と忌み嫌われた。当時の峯家の長男は病がちだったため、次男として生まれた草次郎は歓迎すべき存在だったのだろう。だが草次郎がいるのなら昭三はいらない。
「よく殺されなかったものだと未だに思うよ」
まるで他人事のように千歳は言う。
「まぁ長男がいつ死んでもおかしくないような病弱だったし、あの時代って成人するまで生きられる確率も低かったからさ。万が一の保険ってことで一応俺も生かしておくかって話になったらしい」
「……本当にそれは親なの? 千歳のお父さんとお母さんなの?」
千歳が嘘を吐いていると思うわけじゃない。だがそれを事実として受け入れるのはあまりに辛い。
千歳は苦笑して答えた。
「そういう時代のそういう家だったんだ。そう珍しい話じゃなかったさ」
そう言って千歳は話を続けた。
草次郎は健やかで利発な子として家族中に愛され、昭三は草次郎と全く同じ容姿をしながら別人という不気味な存在として隠すように育てられた。
その昭三の境遇が変わる日は、彼らが数えで六歳の夏の日に訪れた。
ある日、常に屋敷の離れで暮らす昭三の元に草次郎がやってきた。
「おい、昭三。これから村の奴らと隠れ鬼をするからお前も来いよ」
「は? だってもう黄昏時だろう。黄昏時に隠れ鬼は駄目だって」
「知ったことか。これは度胸試しだ! それともお前は怖くてこの薄汚れた離れを出ることもできないか?」
「そんなわけないだろっ」
昭三が声を荒げると草次郎はにっと笑った。
「じゃあ決まりだな」
それから草次郎と昭三、それに村の数人の子供達はこっそりと山の近くで隠れ鬼をすることになった。
そして、そこで一度彼らの消息が途絶える。
一番の年長者だった草次郎と昭三をはじめ、まだ幼い子供達のことだから山で迷っているのかもしれない。村一番の権力者である峯家の子供がいなくなったことにより大規模な山狩りが行われ、七日七晩捜索は続けられたが、村人達は彼らの痕跡すら見つけることは出来なかった。
それが八日目の早朝、草次郎と昭三、それに数人の子供達が村の外れで発見された。
そして草次郎は戦を予言する。
そして昭三がどこまで逃げればよいかを告げる。
それが峯家の双子の最初の予知。
双子の予言はその後も峯家を助ける。それによって峯家は栄えてゆく。
隠されるようにされていた昭三も相変わらず離れに置かれることは変わらなかったが、以前のようにあからさまに家族に避けられたり、下男下女にまで軽んじられることはなくなった。
やがて草次郎は隣村の庄屋の娘を娶り子を成す。病弱な長男は子を成すことが出来ないためその子が峯家を継ぐことになった。
そして草次郎が常磐と名を改め、昭三は千年の時という意味を込めて千歳と名を改める。
それから程なくして千歳が幼馴染みでもある村の娘を妻として迎え、双子の子供達が数えで十七になった年、あの呪術師の娘が屋敷に迎えられた。
庭に面した座敷には優しい日差しが降り注ぎ、藺草の青い匂いが心地いい。心地よいまどろみの向こうで、優しい声が響く。
「千歳様」
そう呼ぶ声は愛しいもの。
「千歳様」
けれどもう一度呼びかけてきた声に、狸寝入りを決め込む。
それから少しして、傍らで大きく溜め息が吐かれた。
「……昭ちゃん」
その声に満足して、千歳は満面の笑みで身を起こした。
「何だ? 里久」
声の主は眉を下げて困ったように千歳を見ていた。
「起きてたんなら返事して下さい」
「だって呼び方が気に入らなかったから。いつも言ってるだろ? 昔のままがいいって」
彼女、里久は同い年で、あまり外へ出ることが許されない千歳の数少ない友達でもあった。
幼い頃から不吉な子と呼ばれ、村でも厭われた頃から彼女は普通に接してくれ、異界帰りと更に忌避されるようになってからも変わることなく付き合ってくれた。
嫁を取れと両親に言われた時、自分が近隣の村でまで気味悪がられていることを知っていた千歳は自分は一生独り身でいると言った。家の力を使えば強引にどこぞの娘を嫁にする事は出来ただろうが、そんな歪な形で他人と生涯を共にする気にはなれなかった。
だが峯家は千歳を独りにはさせてくれなかった。
名家の出ではないが、せめて千歳とうまくやっていける相手をとして連れてこられたのが里久だった。
『ごめんな、里久』
『何で謝るの?』
『お前だって嫌だろ? 不吉で不気味な男の嫁なんて』
けれど里久は言った。
『あたしは小さい頃から昭ちゃんのこと大好きだったんだよ? だからあたしは嬉しいの。本当だったら昭ちゃんとはとても釣り合う生まれじゃないのにこうして昭ちゃんのお嫁さんになれて、本当に嬉しいの』
そしてためらいがちに言った。
『昭ちゃんはあたしなんかじゃ嫌かもしれないけど。でも、でもあたし頑張るから! 昭ちゃんのお嫁さんにふさわしくなるように頑張るから!』
必死になって言ってくる彼女の存在がどれほど嬉しかっただろう。
独りに慣れていた。
一生独りで生きて、そして独りで死んでいくんだとずっと思っていた自分にとってどれだけ嬉しい言葉だっただろう。
誰かが想ってくれること、想うことが出来ること、それがこんなに嬉しいなんて知らなかった。
彼女が好きだって気持ちは幼い頃からあったんだと思う。けれどそれを口にしてはいけないと、何となく思っていた。
不吉で不気味な自分などが彼女を好いてしまったら、彼女が損なわれてしまう気がして怖かった。
だから彼女に対して感じる好意は気のせい。
ただ単に良い人間だと感じているだけ。
それだけだと、そう思ってきた。
『……里久』
『なぁに?』
明るい声で聞き返してくる彼女は、こんなにも綺麗だっただろうか。
『有難う』
『やだ、何ー? 昭ちゃんってば』
里久は顔を赤くして落ち着かない様子で両手を振り回した。
『俺も好きだよ、里久のこと。子供の頃から、ずっと』
里久の顔が真っ赤に染まる。真っ赤になってそのまま後ろにバタンと倒れた時はどうしようかと思った。
まだ一年も経たない昔を思い出し、千歳はひとり笑いをかみ殺した。
「何? どうしたんですか?」
里久が訝しげに顔を覗き込んでくる。
「んー単なる思い出し笑い。それより里久。その話し方も嫌だって言ってるだろー?」
「え、だ、だって。昭ちゃんは旦那様で、昭ちゃんは峯家の人で、とっても立派なお家の人で、だからちゃんとしなきゃって……」
「俺の前でまで立派になんてしないでいいよ。いつもの通りじゃないと嫌だ」
拗ねるように言って、千歳は里久の肩にあごを置いた。
「で、でも」
「どうせこんな離れにはほとんど人だって来ないんだからいいだろ」
「だって普段から気を付けてないと、必要な時までついいつもの口調に……」
ふいに里久の言葉が途切れた。
彼女の肩にあごを置いた千歳が、小さな子供のような心細いような目でじっと見上げてきていた。
「……昭ちゃん、ずるい」
彼は自分の整った容姿には全く頓着がない。なのに必要な時は最大限利用してくるから性質が悪い。言う事を聞かせたい時はこうしてじっと子供のような目で見上げてくる。
この目に逆らえる人間なんていないだろうと里久は常々思っている。少なくとも、自分は一生逆らえないだろうと確信している。
「ずるい? 何で?」
目をきらきらさせて里久の平凡な顔立ちを覗き込んでくるのは、子供のようにも大人のようにも見える整った綺麗な顔立ち。
里久は顔が熱くなるのを感じながら、ぷいと顔を背けた。
「もういいっ。それよりお義父上様と義兄上様が母屋の座敷へ来るようにだそうです」
「父上と兄上が?」
長い睫毛を何度も瞬かせながら、千歳は不思議そうに聞き直してくる。
「何で?」
「さぁ? ただ使いの人がそう言ってたから。昭ちゃんだけじゃなく、草ちゃん……じゃなくて常磐様もお呼びになったって」
「常磐も? 何だろ。あいつも呼ばれたってことは何か変なモノでも見たかな」
「昭ちゃんは何も見てないの?」
「見てないって言うか、見る気がないと言うか……まぁいいや。行けばわかるか」
千歳はそう言って立ち上がり、猫のように大きく伸びをした。
「それじゃあ俺は行ってくるけどあまり動き回ったりしたら駄目だからな? 用事は全て人にやらせろ。それから何かあったらすぐに俺に……」
「昭ちゃん。あたしは大丈夫だから」
里久が呆れ顔で言い切る。
その腹は緩やかに膨らんでいる。あと三月もすれば子が産まれるのだ。千歳と里久の子が。
千歳はその腹に手を当て頬を弛ませた。
「いいから大人しくしててくれ。でないと俺はここから一歩も動かないからな。誰に呼ばれようと天変地異があろうと動かないからな」
子供のような物言いに、里久は諦めた風に溜め息を吐いた。
「わかりました、大人しくしてます。だから早くお義父上様達のところへ行って差し上げて。そうしないとさっきの使いの人が怒られちゃう」
「わーかった。けど本当にくれぐれも大人しく……」
「昭ちゃん!」
千歳は肩を竦ませて笑った。
「それじゃあ行ってくるよ」
「行ってらっしゃい。お義父上様達によろしくね」
「ん。里久も腹の子が動いたらすぐ知らせろよ?」
「はいはい」
里久は呆れながらも笑って手を振った。
それを見ながら千歳は座敷を後にする。
「千歳様」
座敷を出てしばらくすると母屋に仕える若い下男が今にも泣きそうな顔で現れた。
「大旦那様がお早くお越しになるようにと仰っているので、後生でございますのでどうぞお越し下さい」
どうやら先程使いにやって来たというのはこの男のことらしい。この様子だとなかなか姿を現さない千歳に業を煮やした父の叱責をくらってきたのだろう。
「今行くよ。悪いな、俺が勝手に遅れたんだって父上には説明するからさ」
さほど年の変わらない下男に軽く詫びて、千歳は母屋へと向かった。
母屋と離れとは父の意向で細い板張りの廊下で繋がっているもののそれなりの距離がある。
「父上達は何の用だって?」
千歳が下男を振り返ると彼は首を傾げた。
「私もお客人がいらしているとしか」
「客?」
千歳は眉をひそめた。
「また長寿の食い物だとか、秘薬だとかを持ってくる胡散臭い連中じゃないだろうな」
今まで千歳はそういう出所も分からない奇妙なものを散々試させられてきた。特に効能がないまでならまだしも、時には腹を下したりもしたのだから冗談ではない。
千歳の待遇は変わった。
変わったが所詮自分は常磐の次なのだ。
それは永遠を意味する兄の名前と、千年である自分の名前からも明らかだ。
峯家は常磐の子が継ぎ、常磐は峯家のために予言し続ける。そして自分は常磐を少しでも長くこの家に留めるためにあらゆる長寿、不死の法を試す。
自分はあくまでも常磐の次。
よくても代替品。
そんなことを考えているといつの間にか座敷の前に着いていた。下男が声をかけ、中から父の声がすると襖が開かれる。促されるままに千歳が座敷内に足を踏み入れると襖は閉じられた。
「人払いをしてある」
老いても尚、強い威厳を持った父の声がそう告げた。
「お前も座りなさい」
「はい」
有無を言わせず父は千歳を常磐の隣へ座らせる。
そこで気付いた。この座敷にいるのは自分と常磐、それに父と長兄の他にもう一人いたのだと。
一番の下座に楚々として座し、緋色の小袖の頭を垂れた女。顔は見えないが若い女だろう。
「面を上げなさい」
父の声に女が顔を上げる。
隣で常磐が息を呑むのが伝わってきた。
艶やかな黒髪が肩にかかり、細面の顔には形の良い赤い唇。千歳と常磐とそう歳は変わらないだろうが稀に見る美人だ。
だが、常磐が息を呑んだのは彼女の見目が良いからだけでないのは千歳も分かる。彼女は顔の右半分近くが怪我でもしたかのように白布で巻かれていた。その隙間からは僅かに火傷跡のようなものが覗く。
女は小さな赤い口を開いた。
「リクと申します」
「この者にはこれから当家で呪術師として働いてもらうことになった」
父の言葉に千歳と常磐は思わず顔を見合わせた。
「呪術師、ですか?」
ある程度の発言権がある常磐がさすがに聞き返す。
不審を隠す気もない常磐の顔も見ずに、父は言った。
「彼女にはお前達に長寿、或いは不死を与えるために働いてもらう」
その言葉に千歳も常磐も得心がいった。
今までにも散々にそういった呪いだ何だと受けてきたが、とうとう父はお抱えの呪術師まで雇う気になったのか。
「話とはそれだけですか?」
「そうだ」
愚問だと言わんばかりに父は一言で片付ける。
千歳は見えないよう息を吐き、立ち上がった。
「わかりました。ではまた御用の際は人を遣わして下さい」
「千歳」
「不老不死の妙薬でも大陸伝来の呪いでも、私が必要であればその都度言いにいらして下さい。拒むつもりはありません。では失礼します」
父の渋い顔を見ずに千歳は座敷を後にした。
常磐と兄の声を背に聞き、細い渡り廊下へと向かう。そして渡り廊下に一歩足をかけたところで大きく息を吐いた。
「……また面倒な」
先を知る力というものが、この明日の知れぬ乱世において重要なのはよく分かる。
分かるが、それを少しでも長くこの家に留め置くためにと奇妙な食物、呪い、薬。そんなものを試すほうの身にもなってほしい。
千歳も常磐の次であるとは言え、三日に一度は先を見てそれを報告する。
その結果が常磐と違ったことはない。千歳と常磐は全く同じ未来を見ることが出来る。
同じなら、より望まれるのは最初から愛されてきた常磐のほうで当然だ。それに関してはもういい。
血の繋がった親兄弟より自分を一番に想ってくれる者は別にいる。彼女がいればそれでいい。
そして峯家にいれば彼女に何不自由ない暮らしをさせてやれる。
予言をして、そして多少の面倒……長い生を得るための法を試しさえすれば。ただそれだけの代償で大切なものを守れる。それならば安いものだ。
「――千歳様」
鈴を転がすような声。
いつの間にか、千歳のすぐ後ろに先程のあの呪術師だという女が立っていた。
緋色の小袖に白い肌が映え、柔らかな風に長くまっすぐな髪が揺れる。
そうしている分にはごく普通の娘にしか見えない。とてもではないが、呪術師などという大層なものには見えない。
「もう何か用か?」
笑顔の面を張り付けて、千歳は尋ねた。
すると彼女はためらうように目を伏せた。
「あの、先程は私が何かご気分を害するようなことを致したかと思い……」
「は?」
何の事だかさっぱりわからず、千歳は大きく目を見開いた。
すると彼女は小さな声で言った。
「急に席を立たれましたから……常磐様も私の顔をご覧になった際に随分驚かれたようでしたし、やはり千歳様にも御不快な思いをさせてしまったかと」
「は? 待った。席を立ったのは別にあんたのせいじゃなくて俺があれ以上あの場にいる必要がないって思ったからで、別に不快に思ったわけじゃない」
彼女は顔を上げ千歳を見た。
顔の右上半分、目も頬も白布に覆われているが、左は切れ長の黒目がちの瞳、磁器のような頬も隠すものは何もない。見上げてくる左目は不安に揺れている。
それはかつての自分のようだと、そう思った。
いつも隠されていた頃。人の顔色を窺っていた幼少期。
彼女はあの頃の自分と同じ目で、千歳を見上げてくる。
「ですが私の顔は人を不快にさせますから……その。この布の下は火傷の痕があって常は布で隠すようにしているのですが、ふとした弾みに布から覗くことがあります。もしこの顔がお目に留まることが不愉快だと思われましたら仰って下さい。面を被るなりして、お目に触れぬように致しますから」
何かを諦めたようにそう言ってくる姿に既視感を覚える。
ああ、やはり似ている。
目の前のこの少女は昔の自分と似ている。
「あのさ」
「はい」
「俺は別に不快だとか思わないから、気にしなくていい」
彼女は目を瞠った。
「常磐が驚いたのはせっかくの美人が布で隠されてたから。だからあんたが気にする事じゃない」
「私は醜いです」
千歳の言葉の一切を拒絶するように彼女は言いきった。
「美しいなど私ではなく、千歳様や常磐様のような御方のためにある言葉です」
「あんたの審美眼が歪んでるだけなんじゃ?」
対して千歳は無礼としか取れないような言葉を、真顔で吐く。
「まぁ好みなんて人によって違うし、俺が口を出すようなことでもないけど。でもあんたが自分を醜いって思っても、別の誰かは綺麗だって感じるよ。この国だけでなく大陸に住む人たち含めたらどれだけ人がいると思うよ? そいつら全部が同じ価値観しかないわけない。中には真逆の奴もいるだろう」
千歳にとってはただの事実。
事実でしかない言葉を聞いた彼女の左目から涙が一筋零れる。
これにはさすがの千歳もたじろいだ。女を泣かせたなど里久に知られたら盛大に叱られる。
「あ、その……何も知らない俺が勝手を言って悪かった。だから気にするな!」
「……違います」
涙を零したまま彼女は赤い唇を弛めた。
「そんなことを仰ってくださる方がいるなんて、思いもしませんでした」
涙に濡れた目で彼女は千歳を見上げてくる。
「有難うございます。千歳様」
「……いや。俺は言いたいことを言っただけだから」
「その言いたいことのおかげで、私は今、とても晴れ晴れとした気持ちです」
その言葉を示すように、彼女はまだ涙が残る目を細めて柔らかな笑みを浮かべていた。
千歳は居心地悪く頭を掻いた。
「えーと……呪術師なんて言うからどんな怖い女かと思ったら、意外と普通だな」
「私は呪術師と申しましても修業中の身ですから」
「修行が終わると怖くなるのか?」
「さぁ? 私はまだ女の呪術師には会ったことがないので存じませんが……」
彼女は真剣そのものの表情で首を傾げた。
自分にとって面倒をもたらす存在以外の何物でもないと思っていた娘は、意外に面白い。
「なぁ。お前、名前何だっけ? 確かさっき名乗ってたよな。悪い。眠くてちゃんと聞いてなかった」
千歳のどこまでも無礼な発言にも、彼女は気を悪くした風もなく素直に答えてくれる。
「リクです」
「リク。字は?」
「里に、数の玖と書いて里玖です」
「それは奇遇だな」
リクの言葉に千歳はにこやかに声を上げた。
「俺の妻もリクと言うんだ。字も近い。うちのリクは里に久しいと書く」
「そうでしたか」
「年の頃も近いと思うし、気が向いたら話相手にでもなってやってくれると嬉しい。今あいつは身重であまり動けないんだ」
「私などでよろしければ奥方様のお相手を務めさせて頂きたく存じます」
リクははにかむように笑って言った。
つられるようにして千歳も笑う。
「人に奥方と呼ばれると何だかこそばゆいな。奥方か。うん、あいつは俺の奥方なんだよな」
「千歳様は奥方様を大事にされているのですね」
「当たり前だろ? あいつと腹の子は俺の一番の宝なんだ。あいつと俺の子ならきっと三国一の良い子が生まれる」
臆面もない千歳の言葉にもリクは笑顔で頷く。
「千歳様とその宝である御方の御子でしたら、必ずや良い御子でしょう」
呪術師の少女、リクが峯家の食客となった葉桜の季節。
各地で戦が絶えない世。
そんな中でも、彼らにとって一番幸福な時だった。