綾峰家の子供たち 2
「一階中央階段から西、北側七部屋。南側八部屋」
「あ? 北と南で部屋数違うじゃん」
令が訝しげにモニターから顔を上げる。
「北側は扉が七つしかなかったよ。間違いない。メイドさんが西端の扉に出入りしてたから、多分物置として一部屋分広くなってるんじゃないかな」
「四葉がそう言うならそうなんだろ。一階西は外れか。あの屋敷はシンメトリーが売りだから、東も同じだろうな」
律は机に手をついてモニターを覗き込んだ。
そこにはところどころに空白の目立つ製作途中の図面が表示されている。
「中央階段の下にも部屋が左右それぞれ三つずつ」
四葉はモニターを指差し、令はその指示通りに図面を新たに埋めて行く。
規則的な音を立てながら令はキーボードを打っていき、そうしてその音が止まると空白が多少残るが建築物の図面が出来あがった。
「こんなもんか。本家屋敷図面」
「知っちゃいたが、だだっ広いな」
令と律が感嘆とも呆れともつく声を上げると、四葉が鋭い声音で言った。
「狭かったら今まであたし達から生き神様を隠すなんて出来るわけないよ」
「確かに。レトロな造りのくせしてあの屋敷、セキュリティも並みじゃない。図面ひとつ閲覧出来ないようになってるしな」
「図面自体は本家と二ノ峰のコンピューターにあるっぽいけど、ガードが異様に固いんだよな。下手うったら俺ら自体がやべぇよ。つーかこの部屋の中身だって偽装がばれたらどうなるか」
令は大きく伸びをして、三人の会議室と化している四ノ峰邸の一室を占拠したコンピューターに古い資料の山を見渡した。
それらは少し見た限りではIT系統に興味ある令、古文書学に興味ある律と四葉の趣味としかとれないが、その偽装がはがれれば現れるのは本家に関するあらゆる情報だ。
「知られなければいいんだよ」
そう言い切るのはこの部屋をうまいこと両親を言いくるめて手に入れた張本人、四葉だ。
「ただそれだけ」
短く言って二人を見る四葉の表情は常の幼い様子も無邪気さも欠片もない。
年齢より遥かに大人びた冷めた表情を浮かべる。実年齢よりずっと幼く見える容姿をした彼女には不釣り合いな表情を。
知らない人間にはさぞや奇妙に映る事だろう。だが律も令も驚きなどしない。生まれた時からの付き合いであり、同じ目的を持って行動する彼らにとっては今さらの事だ。綾峰四葉が幼い外見と幼い言動を隠れ蓑に、異様に切れる頭脳と冷徹なまでの行動力を持つことなど。
冷めた表情のまま、四葉は苛立ち混じりに呟く。
「生き神がこの家の封建体制の要だってことは確かなのに。分かっていて手が出せないって苛立つな」
「そう簡単に手出し出来るもんなら、俺らよりずっと前の世代がこの家の制度ぶっ壊してたろうよ」
「そーそ。下剋上狙いが無駄に長い綾峰の歴史上に俺らだけなわけねーもん」
薄い笑いを浮かべて令は言う。
そんな弟を見ながら、ぽつりと律は零した。
「鷹槻は最奥を見たんだろうな」
四葉と令の視線が律に向けられた。
「一応鷹槻も本家だからね。言わないけど多分そうだろうね」
「あいつ、何を見たんだろうな」
独白めいた呟き。
「あたし達に言わないんだから、言うべきでない何かに決まってるよ」
軽い調子で四葉は言った。
「鷹槻が俺らを裏切ったとは考えないんだ?」
からかうような令の言葉に、律と四葉の鋭い視線が向けられる。
「当たり前じゃん。何言ってるの?」
「お前、バカだバカだって思ってたけど、本気で大バカだよな」
間髪入れずに返ってきた二人の刺々しい言葉に、令は軽く肩を竦めた。
「言ってみただけだぁって」
「言わないなら言わないなりの理由があるに決まってるでしょ」
四葉は頬杖をついて令を睨んだ。
「あたしはこの家の中、無条件で信頼できるのは鷹久と鷹槻。薫子ちゃん、あんた達。それに結恵っちもかな、だけだと思ってる」
「あとは標葉な」
律が補足するように言うと、四葉は頷いた。
「そーいう事。うちのぼーっとしたお兄のためにもあたしは呪いを解く。理由は違ったってそれを願ってるのは皆一緒。だからこそあたしはあんた達も皆も信じてる」
「ついでに薫子のため、か」
「二人には幸せになってほしいって妹ながらに思うからね」
四葉は胸を張って言った。
「そのためにはこの家の呪いも、封建体制も邪魔でしかない。だからあたしはこの家の呪いを解いてやる」
「標葉には俺らも世話になってるしな」
律と令が頷き合う。
「幸い呪いを解くのは俺らも利害が一致してるわけだし。俺らはこの家で四ノ峰分家なんつー中途半端な地位から一番上を目指す。それにはやっぱりこの家の体制はうざいことこの上ない」
「四ノ峰で、それもその分家筋が上に登ろうっつっても限界あるもんな」
令はパソコンを閉じて呟いた。
「鷹久や鷹槻なら我慢してやるけど、二ノ峰分家や三ノ峰なんかにでかいツラさせるくらいなら俺らが上に行く。誰にも邪魔なんかさせるかよ」
赤い夕焼けを窓の外に見ながら、律は強い口調で言った。
「俺は親父みたいにはならねぇ」
「……だな」
令は厳しい表情をした律を見て頷いた。
「律って面倒くさがりっぽいのに熱血だよね」
四葉が意外そうに言う。
「熱血じゃねぇよ。ただ単に俺はうざい連中に自分の上に立たれるのが嫌なだけだ」
「四葉こそ意外に兄ちゃん思いで薫子思いだよなぁ」
にやにやと言ってくる令に、四葉は胸を張って答えた。
「大事なたったひとりの兄弟と、大事な親友だもの。当たり前でしょ。あたしはどうでもいい人間に情なんかかけない。そんな余分な情けがあるなら、その分をどうでもよくない人間にかける」
「結恵、今のお前見たら驚くだろうな」
「ムービー撮っとけばよかったな。そしたら見せてあげれたのに」
双子は笑いあって四葉を見る。
そんな二人に四葉は目を据わらせた。
「うるさいな。必要があれば見せるよ。普段の性格だって別にあたしじゃないわけじゃないもん」
そう言ったところで、部屋の外から声がかかる。
「四葉? 律くんと令くんもいる?」
「標葉だ。いるー!」
律が声を上げると、扉が開かれて標葉が姿を現した。
「夕食を一緒にどうかって母さんが言ってるんだけど、どう?」
「ああ、もらってく」
「わかった。じゃあそう伝えてくるね。あんまり根を詰めすぎないようにね」
緩やかな笑顔でそう言って、標葉は部屋を後にした。
「今日の夕飯何だ?」
「んーとビーフシチューって言ってたかな」
「やりぃっ! 俺、ビーフシチュー好きなんだよな」
「んじゃ連絡入れとかないとな」
嬉しそうに声を上げる令の隣で律は自宅へと電話をかけた。
「帰ったのか、鷹久」
自宅に帰り着くなり出迎えたのは使用人ではなく実の父親だった。
あまりに珍しい光景に鷹久は軽く目を見張った。
「帰ってらしたんですか、お父さん」
「さっき戻ったところだ。またすぐ出なければならないがな」
そう言った父親は相変わらず厳しい表情を浮かべていた。
「本家に行っていたと聞いたが鷹槻はどうした?」
「何でも本をお借りしたいとかで、俺だけ先に帰ってきました」
「そうか」
父親は何を考えているのかわからないままに相槌を打った。
鷹久は昔からそんな父親が苦手だった。何しろ実の父とはいえ自宅にいることは稀で、顔を合わせ会話することなどもっと稀なものとして育ったためどう接していいのかわからない。
「それでは俺は部屋に戻ります」
父親の横をすり抜けようとすると低い声がそれを妨げた。
「義将様の孫はどうだ?」
鷹久は顔を逸らしたまま答えた。
「……普通の可愛らしいお嬢さんですよ」
「鷹槻はあちらとうまくやっていけそうか?」
「図書室に案内頂くようでしたからそうじゃないでしょうか」
あくまでも当たり障りなく鷹久は答える。
「そうか。お前もしっかり見ていてやれ。あれは我が家の切り札であると同時にアキレス腱でもある。風向きが悪くなるような気配があれば逃亡者の血には退いてもらうようお前が計らえ」
それだけ言い父親……二ノ峰家戸主は鷹久には一瞥もくれず隣をすり抜けて行った。
結恵に対しても、義理の息子である鷹槻に対してすらも情の欠片もないような物言い。
鷹久はその場に立ったまま、両手を握り締めた。
「だからあんたは……この家は嫌いなんだ」
吐き捨てるようにそう呟く。
叔母と先代当主との不義の子である鷹槻は生まれてすぐに二ノ峰家に引き取られた。
先代の妻であり、本家直系の桂子の不興を買う事を恐れて叔母から鷹槻を取り上げ、本家とは何の関係もない我が子として育てるために。本当は本家との繋がりを持つために引き取ったことなど、周囲の誰もが知っていたが。
そんな鷹槻に媚売る者、露骨に侮蔑の眼差しを向けてくる者、腫れものに触るように接してくる者と大人たちの対応は様々だったが、それに対して幼い鷹槻が傷ついていたことだけは今もよく覚えている。
だから自分は兄として鷹槻を守ろうと決めた。泣いている弟に守ってやると約束した。それは自分たちが実の兄弟じゃないと知ってからも変わらない。
実際の血縁がどうであろうと鷹槻は大事な弟だ。自分以上にこの家の柵に捕らわれた弟。
いつも鷹久の実の母親であり、鷹槻の義母に邪険にされて泣いていた。
「泣かなくていいんだ、鷹槻」
人前では決して涙を見せなかったが、いつも一人で泣いていた二つ年下の弟。
「お母さんはお父さんとケンカしてるから機嫌が悪いだけだよ。だから鷹槻は何にも悪くないんだよ」
綾峰とは血縁のない名家から嫁いできた神経質な母親。父とはいつも衝突していた。
「お父さんは僕を他の家への『きりふだ』にするためにうちに置いてくれてるんだって」
小さくうずくまって、幼い弟は言った。
「本当なら僕みたいな子、ここにいちゃいけないって。お母さんだけじゃなくて家の皆が言ってた」
「そんなことないよ」
「僕の本当のお父さんとお母さんは最低な人間なんだって。だからその子供の僕も最低なんだよ」
まだ小学生になるかならないかという子供が、そう言った。
「ごめんね鷹久。僕みたいなのが弟だって言わなくちゃいけなくて、ごめんなさい。ごめんなさい」
何度も何度も謝ってくる鷹槻の姿が痛々しくて、血の繋がりなど関係なく大事な弟を守らなきゃいけないって強く思った。
「鷹久。あまりあの子に構うのはおやめなさい。貴方にまで悪影響があっては家の名が下がります」
ヒステリックな母親の声。
「お母さん。鷹槻は僕の弟です。そんな言い方はやめて下さい。鷹槻は僕よりずっと優しくていい子です」
「鷹久。貴方もあの子の出自は知っているでしょう? 本家の子だからなど、この家の中でしか通用しません」
「そんなこと知りません。鷹槻は僕の弟です。血の繋がりなんて関係ない。鷹槻は僕のたった一人の大切な弟です」
物心ついた時からそんな言葉に鷹槻はさらされてきた。
母親の露骨な態度に、使用人の陰口に。
父親は何も言ってくれない。
だから兄である自分が守らなきゃいけない。
周囲の人間からも、鷹槻を追い詰めるこんな体制の家からも。
「……呪いなんてものがあるとしたら、それはこの家だ」
自室に戻り、薫子は机の上に飾られた写真立てを手に取った。
そこには小さな子供達に囲まれ、穏やかに笑っている標葉。その彼の周りにいるのは四葉と律令。それに自分。
確かこの時も律令はくだらないケンカをして律が力技で令を制し、令が大泣きして標葉がそれをなぐさめ、四葉は横でそれを見て笑っていたのだった。
「……変わらないわね」
口にしてみて笑みが零れる。
もう九年も前だというのに彼らは今と全く同じ行動を取っている。自分もそうだ。
標葉の隣で彼の制服の裾を引き、少し俯いていてうまく笑みを作れない自分。
あの頃の薫子は標葉を実の兄のように慕っていて、本を読んでもらったり遊んでもらうことが何よりも好きだった。
標葉も標葉で、嫌な顔一つ見せずによく付き合ってくれた。
薫子の家、五ノ峰家はこの敷地内では最も地位の低い家でどこか他の家に遠慮する気風がある。それは幼い薫子もそうで、例え自分より年少の者であろうとも他家の子供には一歩退いて接することが常だった。
そのせいか薫子は人見知りが激しく、近しい人間にも甘えることができない子供だった。
寂しくても寂しいと言えない。
構ってほしくてもそう言えない。
そんな薫子に、標葉は家の序列など気にせず妹や従兄弟たちと同様に接してくれた。集団の中でひとりになりがちな薫子をいつも気にかけ、いつも手を引いてくれた。
――薫子さんもおいで。
そう言って差し伸べられた手がどれほど嬉しかっただろう。
どれほど心強く、安心できただろう。
標葉が大好きだった。
幼い頃からの安心感は年を重ねるにつれて次第に恋心へと形を変えていく。
――標葉さんが好きです。
そう告げたのは去年の末。
四ノ峰の跡取りである標葉に、七つも年上の彼に受け入れてもらえるなんて思いもしなかった。そう思っていたのに、膨らんみきった想いは爆発するように薫子の口から言葉となって発せられた。
それを受け入れてもらえた。優しい顔を真っ赤にして受け入れてもらえた。
そしてもっと彼を好きになった。
何を気にすることなく、彼といたい。
「……だから私は、呪いを壊す」
決意を込めて、今一度そう呟いた。
夕暮れ時の図書室は赤く染まり、濃い影を落とす。
「千歳は間違いなく、呪いの一端を担ってると思っていい」
鷹槻の抑揚の少ない声が図書室に響く。
「一端、てことは他にもまだあるの?」
鷹槻は小さく頷いた。
黒く強い瞳がまっすぐに見てくる。
「お前は呪いやこの家の奇妙な繁栄云々より、千歳がどうかってことのほうが大事みたいだな」
改めて鷹槻に指摘され自分でも驚く。
自分が何故この家に来たのかを考えれば不思議なことだ。
呪いなんていう得体のしれない何かを信じ、会ったばかりの誰かがそんな得体のしれない物かもしれないと不安になるなんて。
だけど私は確かに綾峰の権威より呪いの真偽より、千歳の無事を祈るように願っている。
「……何度か顔を合わせたら情が移ったんだよ」
「ああ、まぁあいつはそういう奴だよな」
言い訳のように言った私に被せるように鷹槻も頷いた。
見上げた鷹槻の顔に表情はない。けれどその目の鋭さは変わらず、その口から発せられる言葉に嘘や冗談がないと理解させられる。
「俺はこの家なんかどうでもいい。嫌いだから」
「嫌い……なんだ」
「ああ。面倒だしな」
その言い方はどこか投げ遣りなもの。
「だから呪われてたってザマーミロって感じだし、俺がそれをどうこうしようなんて間違っても思わない」
鷹槻の言葉はどこか自分の考えと似ている。やはり少なからず血の繋がりがあるからなのか。
そんなことを思いながら彼の言葉に耳を傾けていた。
「けど俺は、千歳の呪いだけは解きたい」
「千歳の、呪い?」
その言い方だと彼自身が呪いその物であると言うより、千歳にかかった呪いと聞こえる。
そしてその考えは間違っていないらしい。
「千歳はこの家の呪いの一環だけど、けど思うんだよ。本当はあいつが一番呪われてるって」
「どういうこと?」
「そのままの意味だ」
淡々と鷹槻は答える。
「あいつに比べりゃ俺の生まれなんて大したことじゃねぇって思える。千歳は……俺にとって数少ない、大事な人間の一人だから、どうしてもお節介したいって思う。あいつの呪いを解いてやりたいって思う」
あくまでも淡々と、けれど強い決意を滲ませた声がそう告げる。
「……私も」
知らず呟いていた。そしてさらに言葉を続けていた。
「私も千歳のこと、大事だ」
マイペースで、何考えているのかわからなくて不思議で、そして優しくて温かい千歳が。
一緒に過ごした時間なんて関係なく私は千歳が大事で、恋愛感情かどうかはわからないけれどとても好きだ。
「千歳にとってその呪いがよくないものなら、私も千歳の呪いを解きたい」
鷹槻をまっすぐに見据えて、そう言葉にする。
「千歳にはたくさん優しくしてもらった。身勝手で汚い私にも優しくしてくれた、身内扱いしてくれた。私はこの家の呪いなんて何も知らないけど、それが千歳を苦しめるものだったらどんなことをしてもそれを失くしたい」
それは結局、私の自己満足でしかないのだけれど。この家の事情も何も知らない身が軽々しく口にしていいようなことではないのかもしれないけれど。
それでも自分の思いに嘘を吐きたくない。そのために私はこの家に来たんだ。
鷹槻は黙って私を見ていたかと思うと、静かに口を開いた。
「正式に最奥へ行ったら全て教えられる。千歳本人から」
「……うん」
「それでもお前がこの家に留まろうって思うような変人だったら、その時はよろしく」
「変人?」
どういう意味だ、と鷹槻を見るが彼は最早私と視線を合わす気すらないらしい。
けれど小さく、本当に小さな言葉を口にした。
「お前が変人だったらいいと思うよ」
「……よくわかんないけど、私はそう易々とこの家から出て行こうなんて思わないだろうから今から言っておく。今後ともよろしく」
胸を張ってそう言うと、鷹槻は見逃しそうなほど小さく口元を弛めた。
「ああ、よろしく。変人」
「変人て言うな」
「変人は変人だろ。事実を認めろよ」
「確かに私は一般的じゃないのは認める。でも事実だからこそ尚更オブラートに包んで言ってよ」
「悪いな。俺にそういう気遣いを求めても無駄だ」
まるで悪びれずに鷹槻はそう言った。悪びれるどころかどこか楽しげに。