鷹槻
「せっかく遊びに来たのに辛気臭い話ばっかの上にとどめが令の滑ってばっかの話でごめんね」
本家屋敷の玄関ホール。
見送りに出た私に四葉はしゅんと項垂れながらも、その『滑ってばっかの話』をしていた令を見た。
「す、滑ったって言うなよ!」
「滑ってたろ。痛くて寒くて滑りまくり。聞いてて俺は涙が出そうになったぜ」
更に律が追い打ちをかける。
「律を泣かせそうになるなんて令も成長したなー。ガキの頃はいっつも律に泣かされてたのに」
呑気に鷹久が笑う。
「そう言えばそうだったね。律くんに新技を試されそうだからかくまってくれってよく僕のところにも来てたっけ」
「標葉まで人の恥ずかしい過去を暴くなよっ」
「大丈夫よ。あなたの人生は九割が恥で構成されているから。その枯れたサヤインゲンで外を出歩ける時点で」
ブリザードが吹き荒れそうなくらい冷たく薫子が言い放ち、一瞬令が固まった。
枯れたサヤインゲンという単語と令の髪を対比させ、思わず吹き出してしまう。
すると令は乾いた笑顔を向けてきた。
「結恵ちゃん……」
「ごっ、ごめん。つい……」
「笑え笑え。それだけ変な頭だってことだ。お前もいつまでその枯れサヤの頭でいる気だ? 兄の俺が恥ずかしいから早く何とかしろよ」
「枯れサヤじゃねぇっつの」
「そうだよ。枯れたサヤインゲンだってこんな変な色合いじゃなかったもん! 皆して酷いこと言わないで!」
「四葉……お前だよ、一番酷ぇのは」
「だって、あたしが育てたサヤインゲンを皆でこんな変なのと一緒にするなんて酷すぎる! あたしだって一生懸命育てたけど枯れちゃっただけなのにっ」
四葉は俯いて肩を震わし、傍から見ると今にも泣き出しそうな子供だ。
だがやはり付き合いも長ければ分かるものらしく、鷹久が苦笑しながら四葉の肩に手を置いた。
「はいはい。嘘泣きやめような」
「嘘泣きしたくなるくらい心外だって気持ち伝わった?」
顔を上げた四葉の顔には涙一滴ついていない。
「うん、まずは嘘泣きしたくなるくらい心外っていうわけのわからない気持ちが理解できない」
爽やかな笑顔でさらりと鷹久は言ってのける。
「鷹久は理解力が足りないね。感受性も乏しいんだね」
可愛らしい笑顔で四葉はそれに応じる。鷹久は鷹久で笑顔一つ崩さない。
「だってほら。カテゴリの違う生物の思考を理解しようって言ったってなかなか簡単にはいかないだろ? 例えるならクジラと火星人が理解し合おうってくらい」
さらっと毒を吐いた……。
やはり鷹久もこの面子の中に組み込まれているだけあった……それにしてもクジラと火星人というたとえは一体どこから来たのか。
四葉の笑顔は可愛らしいのにどこか寒気を誘う。
「そうだね。あたしも変なこと言っちゃった。土星人に地球人の思考を理解してもらおうなんて」
毒には毒で、か……でも土星人って何だ?
「やだなぁ四葉。土星人はまだその存在は確認されていないし、その姿形に共通の認識も広まってないよ?」
「存在を確認されていないのなら火星人もだよね? タコみたいな宇宙人なんて、実際に見た人は誰もいないもん。 鷹久知ってる?火星って昔は微生物が住んでいたらしいよ?タコじゃなくて残念だね」
この二人、笑顔で毒を吐き合っている……。
「気にしなくていいわ」
溜め息がちに薫子が言った。
「口論になるといつもこうだから。気が済むまでやらせてあげて。仲が悪いわけではないから。本人たちも楽しんでいるのよ」
「あ、そう?」
仲がいいのか悪いのかよく分からない。いや、ケンカするほど仲がいいとは昔から言ったものだし、ある意味とても仲がいいんだろう。ケンカしてもまた元通りの関係になれるのは根底に互いの信頼関係があってこそだろうし。
「ごめんね、結恵さん。四葉達が迷惑をかけて」
標葉さんが軽く頭を下げてきて、逆にこちらが恐縮してしまう。
「いえ。別に迷惑はかけられてませんから。見ている分には楽しいですし」
人のケンカを見て楽しむという言い方もどうかとは思うのだけど事実だ。
「そう? ならいいんだけど」
「傍で見ているだけなら下手なコントより俺は面白い」
ぽつりと鷹槻が漏らす。
「鷹槻は本当に見ているだけだからな」
令がけらけらと笑いながら鷹槻の背を叩いた。
「そう言えば鷹槻だけはまだ誰ともケンカしてるの見てないや」
初めて会った夜は千歳に子供のようにあしらわれていたけれど、昼間この面子で会った時は鷹槻は基本的に無関心に近い無言。千歳の部屋で会っていなかったら未だに何を考えているのか全くわからない近寄りがたい人という印象しかなかっただろう。
「たまに律なんかに吹っ掛けられてケンカ買ったりはしてるんだよ、こいつも。な?」
「まぁたまには」
楽しげに言う令に対し、鷹槻はあくまで気の抜けた返事。
それを見ていた薫子が小さく言う。
「……もう少し鷹槻は思う事を口にしてもいいと思うわ」
「面倒だからこれでいい」
心底どうでもいい、と言わんばかりに鷹槻は目を伏せて答えた。
「あなたって人は……」
まだ何か言いたげな薫子の肩に標葉さんが手を置いて抑えた。
標葉さんを見上げた薫子の表情は不満そうだったが、すぐに俯いて唇を噛み締めた。そばで令も軽口ひとつ叩かず困ったように笑みを歪めた。
……何だろう、この空気。
何か言うべきなのか迷っていると、使用人が車の準備が出来たと声をかけてきた。
「それじゃあ結恵、また。今度はよければうちにも遊びにいらしてちょうだい」
「うん。ぜひ」
「あーズルイ薫子ちゃん! うちも来てね。皆の小さい頃の写真とかもあるよ」
鷹久との笑顔の毒吐き合戦は終わったらしく、四葉が小さな体で目いっぱい挙手してくる。
「うちもここからなら一番近いし、落ち着いたら遊びに来てよ」
にっこりと笑って鷹久も言う。
「うん。ありがとう」
こうして普通の友達関係を築けるのはやはり嬉しい。またこんな友達関係を築ける日がくるなんて思ってもいなかったから余計に嬉しい。
「皆もまた遊びに来て」
「お。本家令嬢からお招き受けたぜ、律。俺らも出世したよなぁ」
令が茶化すように言う。
「だな。親父たちが聞いたら腰抜かすぜ」
「はいはいっ! あたしまた桂子様のお手製ケーキ食べたいっ」
「四葉、そんな子供じゃないんだから……」
「そうよ」
「だぁって桂子様のケーキってそこらへんで売ってるケーキよりよっぽど美味しいんだもん」
目を輝かせる四葉は本気で言っているらしい。
「おばあ様にお伝えしておくよ。きっとすごく喜ばれるから」
「ほらお前たち。いつまで車待たせる気だ?」
鷹久の声に、皆一家に一台用意された車にそれぞれ乗り込もうとする。
「じゃあ結恵ちゃん。桂子様にもよろしくお伝え願える?」
「ん、わかった。今は手を離せないけど、おばあ様も皆によろしくって」
そうして皆が車に乗り込んだ時、鷹槻が声を上げた。
「……そう言えば俺、本を見せてもらおうと思ってたんだ」
「本?」
鷹久と私の声が被る。
「本家の図書室は貴重な蔵書が多いから。発表演習があるからどうせならより詳しく調べたいと思って。そういうわけで図書室を少しだけ見たいんだけど駄目か?」
鷹槻は無表情に私を見た。
「いいと思うけど。おばあ様も特に何も言ってなかったし」
「なら俺はもう少しだけ邪魔する。鷹久。悪いけど先に帰っててくれ」
「付き合おうか?」
鷹久が車から降りかけたのを鷹槻が制する。
「いや、せっかく車用意してもらったし。俺は歩いて帰るから」
「わかった。じゃあ結恵ちゃん、こいつがもう少しお邪魔します」
鷹久が車窓越しに頭を下げる。
「あ、はい。それじゃあ皆、今日は来てくれてありがとう。すごく楽しかった」
そうして軽く言葉を交わし合い、車はポーチを離れて行く。
後には私と鷹槻と使用人数名が残された。
「……えーっと。すみません、図書室って一階でしたよね?」
「はい。ご案内致します。どうぞこちらです」
笑顔で老齢の執事は答え、私達は一階の東棟の外れにある一室へと案内された。古めかしい時代を感じさせる扉の前で執事は一礼した。
「こちらでございます」
「ありがとうございます。えっと、中って私も入っていいんでしょうか?」
「もちろんでございます。さ、どうぞ」
にこやかに執事は扉を開け、私と鷹槻を中へと入れてくれた。
部屋の明かりが一斉に点くと、天井近くまである書架で埋め尽くされた広い室内があらわになる。
「それでは何かありましたら内線でお呼び下さい」
「はい、ありがとうございます」
「……ありがとうございます」
鷹槻と小さく会釈してお礼を言うと、老執事は軽く微笑んで退室した。
そうして図書室に二人取り残されると意外にも先に口を開いたのは鷹槻だった。
「千歳は何だって?」
日が暮れ始めて少し暗い室内が、元から黒に近い色の鷹槻の虹彩をより一層黒に近づける。
「んーよく覚えてないんだけど、正式な場で話すって言われた気がする……」
「じゃあ桂子ばあさんも知って?」
やっぱり図書室というのは口実で、本当の目的はこの話か。
「うん。私がうっかり千歳のところで寝ちゃって、千歳が部屋まで運んでくれたらしくてさ」
あんなに人前で泣き喚いて、思い出すだけでも恥ずかしい。
思わず顔を伏せた私に鷹槻の淡々とした声がかかる。
「どのくらい聞いた?」
『何を』どのくらい、なのかなんて聞かなくても分かる。
「化け物がいるってことくらい」
「まだ全然ってことか」
「だから正式な場で話すって言われたって言ったじゃない」
全然知らない、と人から言われると何だか面白くない。特に知っている人間から言われると。
「……そう言えば、鷹槻は全部知ってるの?」
今日のメンバーの中で最もこの家に通じていそうな鷹槻。けどそれがどの程度のものかまでは知らない。全てを知っているのか、それに近いところまで知っているのか。
「そもそも鷹槻は何でそんなにこの家のことに詳しいの? 二ノ峰だからなんて言われても信じないからね。鷹槻は明らかに鷹久より多くの事を知っている」
まくしたてるように言う私を、鷹槻はどこか呆れたような目で見下ろしてきた。
「そんな一度に聞くなよ」
「ご、ごめん」
思わず謝ると、鷹槻は息を吐いて私から視線を外した。
「俺は多分、全部知ってる」
私の隣で鷹槻は正面の窓を見ながら低い声で言った。
「これからお前が正式な場で聞くだろうことは全部」
「……何で、鷹槻は知ってるの?」
兄である鷹久も知らないのに。他の誰も、鷹槻がそれを知っているということも知らないのに。
それに対する鷹槻の答えは簡潔だった。
「俺も本家の関係者だから」
言葉の意味を理解しかねる私を置いて鷹槻は言葉を続けた。
「俺と鷹久、実の兄弟じゃないから。鷹久は正真正銘二ノ峰戸主の子供だけど俺は違う。養子ってヤツ」
「養子……」
「俺の母親は鷹久の父親の妹なんだ。だから俺と鷹久の本当の関係は従兄弟ってことだな」
決して軽い話ではないのにどうでもいいことのように鷹槻は話す。まるで他人事のように。
「俺の実の父親は綾峰先代当主。桂子ばあさんの死んだ旦那」
淡々と告げられた事実に言葉を失う。
「……それって」
「俺を産んだ女と浮気してたんだよ。先代は婿養子だけど、それでも当主って立場だったから不義の子供とはいえ俺も微妙に本家に近い所にいるんだよ。まぁ分家も本家ももとは一つだったからこその一族だけどな」
綺麗な顔を微かにしかめ、鷹槻は心底忌々しげに呟いた。
世界屈指の資産家。
そこの主が正妻以外の女性と関係を持っていたとしても不思議はない。その女性との間に子供がいたとしても驚くことでもないのだろう。
鷹槻の告げた彼の身の上は、決して珍しいことじゃない。あくまで他人事として聞いている分には。
「そんな顔するなよ、俺は別に気にしてねぇし。ムカつく事実ではあるけどな。けどそれだけ。桂子ばあさんには申し訳ねぇなって思ってたこともあるけど、ばあさんが俺がそれを気に病むことはないって言ってくれたし。正直なところもう引け目とか負い目とか全くないから」
鷹槻は遠慮がちに小さく笑った。
「話、戻すな。先代も何世代か前の本家の血縁だとかで一応俺も本家の人間みたいに扱われるところがあって、三年前に俺も仕来たりに則って正式に最奥へ行ったんだよ」
「それ、他の皆は……?」
「誰も知らない。基本的に俺達は慣れ合いみたいな付き合いってしねぇし。けど黙ってるって、薄情だと思うか?」
鷹槻は色味のない目を私に向けてきた。
混乱する頭の中から、その言葉への答えを引っ張り出して言葉にするのに少し時間がかかった。
「薄情だとは思わない。……私はまだよく知らないけど、ここの皆はそれぞれ独立してるって思うし。何て言うか、大人の付き合いって言うか」
お互いに秘密を持たないことが良い関係のようにも言うけれど、鷹槻達は違う。まず自分の考えを貫いて、それを理解し合った上でお互い繋がっているように感じる。それは決して繋がりが弱いわけでなく、自分とは違う個人である相手を尊敬するからこそ出来る関係なのだと思う。
「よくわかってない私が知った風な口叩くものじゃないってわかってるけど、鷹槻が誰かに強要されたんでなく自分の意志で話さないならそれでいい気がする」
「……まぁ、話すなとは年寄り連中に言われはしたけど、言わないでいるのは俺が決めたことだな」
鷹槻は真顔で言った。
まっすぐな迷いない瞳で。
「この家のムカつく呪いをぶっ壊してやりたい。この家の未来永劫変わらることない体制。犠牲の上の不自然な繁栄。理由はそれぞれだがそれが気に食わないってところで俺達は一致してる。薫子は標葉とのこと。俺なんかはガキの頃の名残……先代への反抗心みたいなものだ。だから本来なら俺が知るもの全てを話したほうが話は早いのかもしれない」
「でも、話さないでいるの?」
私の言葉に鷹槻は書架にもたれかかって目を伏せた。
「この家の体制が気に入らないなら、この家を出るっていう手段もあるだろ?」
「……そのほうが手っ取り早いとは思う」
「そうだ。四葉に律令あたりは『逃げ』だって嫌がるだろうが、俺はこの家を出るのが一番早い道だと思ってる。本気で嫌がるなら、本家の人間でなく、それもまだこの家の闇に片足も突っ込んでいないあいつらなら出ることもできる。誰が文句を言っても千歳や桂子ばあさんが一声言えばいい。あの二人は俺達の意思を尊重してくれる」
「やっぱり……千歳も強い立場なんだ?」
鷹槻はやや間を置いてから頷いた。
「あいつは桂子ばあさんよりも強い立場にいる」
絶対王制国家と称される家の当主である、大叔母よりも。
「今現在、この家に千歳の言葉より重いものはない」
日が傾いてきて、より濃い影が鷹槻を覆う。
「本家が今も王である理由は、千歳にとって本家が必要不可欠なものだからに他ならない」
鷹槻の顔は影に遮られてほとんど表情が窺えない。
「千歳なしに、こう浮き沈みの激しい国際社会は生き残れない」
それはこの家が千歳なしにはやっていけないと言う事。
それはまるで……。
「それじゃあ」
考えたくない。考えたくないけれど思いついてしまった。酷く嫌なことを思いついてしまった。
「それじゃあまるで、千歳が鷹槻達の言うこの家の『呪い』みたいじゃない」
影の向こう、鷹槻は今どんな表情をしているのだろう。
「千歳が犠牲の上に立っているみたいじゃない」
暗がりでも鷹槻が目を逸らしたのが分かった。
「……鷹槻は犠牲を人柱って言ったよね? その言い方じゃまるで千歳が他人を犠牲にして生きているみたいじゃない」
少しずつ少しずつ。私の中でピースが嵌っていく。
「千歳が……この家の呪い?」
鷹槻は何も言わない。
否定もしない。
肯定もしない。
「バカなこと言ってるって笑ってよ。私、千歳が予知することができるとかそんなことまで思ってる」
昼食会の日の晩、千歳のもとへ行った時。
三ノ峰の誰かが千歳のもとを訪れる事を、彼は事前に察知した。
それは彼が予め知ったから。
そんな風に考えている。
「荒唐無稽だって、笑うなり怒るなりしてよ」
すがるような私の言葉にも、鷹槻は何も言わなかった。