異形伝承 2
和んだところで四葉がにこにこと話しかけてきた。
「あのね、結恵っち。こないだは律が気色悪い怪談したでしょ?」
「怪談じゃなくて伝説だっつーの」
「それでね。お兄がもっとちゃんとしたお話知ってるって言うから今日はそっちを話してもらいに来たの」
律の抗議を綺麗に無視して四葉はにっこりと笑う。
「ちゃんとした話?」
標葉さんを見ると、標葉さんは少し困ったように言った。
「ちゃんとしたと言うか、あの半魚伝説の元になった言い伝えがあるんだ。僕は子供の頃にたまたま祖母に聞いたことがあって」
「元になった話って、やっぱりあるんですか?」
「うん。あの半魚伝説はそれをかなり脚色したものだと思うよ」
「標葉、今までそんな話してくれなかったじゃんよ」
律が不満そうに声を上げながら椅子に座り直す。
「いや、何だか四葉も律くんも令くんもえらく盛り上がっていたから水を差しちゃ悪いかなと思って」
「標葉は変なところで几帳面だよなぁ」
まだ不機嫌な律の隣で令は楽しげに笑う。
ずり下がった眼鏡を直しながら標葉さんは眉を下げて笑った。
「この間の昼食会の時にその半魚伝説で皆随分気分が悪くなっていたって四葉から聞いて、だからもういいだろうと思ってその話は嘘だって言ったんだ」
「結恵っちと薫子ちゃん、半泣きだったって言ったらあたしと律が怒られたんだよー」
「そう言えば半泣きしたっけ」
いくら気色悪い話だからといって、十五にもなって半泣きになったと人に言われると恥ずかしいものがある。薫子を見てみると、彼女も顔を赤くして椅子の上で小さくなっていた。
「で、その話の元を知っているって言ったら四葉が皆の前で話してくれって言って、今日押しかけちゃったんだ」
「そうだったんですか」
「せっかくの本家の半魚伝説の真実の言い伝えだし、皆で聞いたほうが楽しいと思って。実際はそんなにグロくないんだって」
「それは俺も聞いてみたいな。でもガキの俺達が聞いちゃっていいんすか?」
鷹久の言葉に、確かに、と鷹槻と薫子から同意の声が上がる。
けど標葉さんは柔らかに笑って言った。
「それは構わないと思うよ。僕も聞いたのは小学生の頃だったから」
「へぇ。じゃあ標葉さん、早速話して下さいよ。ほら、結恵ちゃんも座って座って」
鷹久に促され、私も上座下座などは関係ないらしい空いた椅子に座る。隣は丁度鷹槻だった。
「あ、おはよう」
「……どうも」
目線だけをこちらに寄こして、鷹槻はそれだけ答えまたそっぽを向いてしまった。
本当に愛想のない奴だ。別に悪い奴ではないし、少し慣れたてきたが。
「お兄。ほら皆揃ったから話して」
「えーと……せっかく皆で集まったのに、本当にそんな話でいいのかな?」
標葉さんがぐるりとテーブルに集まった顔ぶれを見渡すとそれぞれが頷いた。
「僕が亡くなった曾祖母から聞いた言い伝えはそんなに詳しくはないんだけど。とりあえあず始まりは同じ。この家の先祖が行方不明になったところから始まる。当時は綾峰という姓ではなく、峯という姓で商いをしていたそうだよ。その時代の当主の次男、草次郎という子供がある日突然姿を消したんだそうだ」
――じきに七つを数えようかという頃、隠れ鬼をしたまま草次郎は姿を消した。それを人は山の天狗によって攫われたのだと噂したと言う。
「隠れ鬼っていうのはかくれんぼのことだね。昔は夕暮れ時にかくれんぼをすると神隠しに遭うって言われていたそうだよ。それから神隠しって言うのは別名天狗隠しとも言って、天狗に攫われてしまったという考え方もあったんだ」
そう言って標葉さんは更に話を続けた。
――七日七晩山狩りをしても草次郎は見つからず、誰もが草次郎はもう帰って来ない、そう思った。
だが八日目の朝、草次郎は村へ帰ってきた。そして村が戦によって焼かれる、と予言した。
「その後は半魚伝説と同じで草次郎という人の予言は当たり、その後もいくつもの予言でこの家を助けたそうだよ」
「え? まさかそれで終わり?」
令がまさか、という顔で標葉さんを見ると、標葉さんは首を縦に振った。
「一応僕が曾祖母に確かに聞いた話はここまで」
「本当に詳しくないなー。神隠しにあった先祖の名前が分かっただけかよ」
令はつまらなそうにテーブルに突っ伏した。
「神隠しなんて、本当にあったのか? それに予言ってのも。ガキに先祖を敬わせるためのデマじゃねぇの?」
律が訝しげに尋ねると標葉さんは苦笑した。
「神隠し自体は昭和初期くらいまで本当にあったんだよ。ただその原因はヒステリーや精神疾患、人為的な誘拐、事故なんかが主らしいけれど」
「なーんだ。ロマンないー」
四葉も令の真似をしてテーブルに突っ伏する。
「神隠しはわかった。けど予言は? やっぱデマか?」
「うーん……ここから先は僕の推測なんだけれど」
ここから先、という言葉にすっかりやる気をなくしたかに見えた四葉と令が起き上がった。
「何? この先って何? お兄、何に気づいちゃったの?」
「標葉の推測って?」
四葉と令に詰め寄られて標葉さんは後ずさりした。
「そ、そんな期待した顔されると……本当にこの先はあくまで根拠のない推測だから」
「いいよーそれで! だから教えてよ!」
「そうそう! 標葉、かわいい妹と従兄弟がこんなに頼んでるんだからさ」
標葉さんという人は見た目に反せず押しに弱いらしい。
本当に根拠はないけど、と前置きをして話し始めた。
「天狗小僧を聞いたことがある?」
聞き馴染みのない言葉に目を見張ると、標葉さん以外の全員が似たような反応をしていた。
それで理解したらしく標葉さんは続けた。
「文政年間……1800年代に天狗に攫われて、異界を見たり不思議な術を覚えて数年後に帰ってきたっていう子供のことだよ。天狗小僧・寅吉っていう」
「天狗小僧、寅吉……」
いかにも昔の響きを持った名前だ。
「彼は元から予知能力を持っていたとも言われるけれど、神隠しから帰ってくるとますます不思議な術を覚えていたそうなんだ。もともと天狗の中には人に剣術を教えたり、超能力を与えたりすることが好きな大天狗という話もあるから、もしかするとうちのご先祖様も天狗に不思議な力を授かって帰ってきたって一族は考えたんじゃないかなと思って」
「……帳尻合わせには良さそうだな」
「当時の国学者の平田篤胤という人の『仙境異聞』という著書に、彼の異界で見聞きしたことが書かれているらしいよ。読んだことはないから詳しい事はしらないんだけど」
「つまりうちのご先祖は天狗に攫われて予知能力みたいなものをもらって、それで帰ってきたんじゃないかと」
頬杖をついて、鷹久は標葉さんを見た。
「あくまで推測だけどね。天狗から予知能力をもらいました、なんてさすがに大真面目には考えられないし。でも昔の人ならそういう意識があってもおかしくないと思って」
「本気でそんなこと言ったらドン引きだよな」
「やっぱりウソだ。大ウソ」
令と律が互いに頷き合う。
「あの」
私が小さく声を上げると、部屋中の視線が集まった。
「あの……その神隠しに遭ったご先祖はその後どうしたんですか?」
小さな疑問に皆がそう言えば、という顔をして標葉さんを見た。
「えーと……そこまでは聞いてな」
「半魚になったんじゃねぇの?」
言い淀む標葉さんの代わりに律が言った。
「いやさ、よく考えたら神隠しに遭って魚になるって辻褄合わなくね?」
令も腕を組んで首を九十度近く傾げながら言う。
「そもそもどこから半魚なんて持ってきたんだよ。誰だよ、そういう無責任なこと言ったの。律令。お前らは知らないのか?」
「だからひとまとめて呼ぶな。誰だったか……確か新年会か何かの時に大人達が言ってたんだよな」
「私も確かそう。お酒が入って随分楽しそうに話されたわ」
「何だよ、それって単なる酒の席でのノリじゃねぇの?」
大げさに溜め息を吐いて、令がこの話題に終止符を打った。
そう思った時、標葉さんが至極冷静な口調で言った。
「半魚の話は僕も四葉から聞いたんだけど、それってもしかして人魚の話から来てるんじゃないかな?」
「人魚ぉ?」
標葉さんの言葉に揃って声を上げた。
「人魚姫?」
「アンデルセンの?」
「いやジュゴンだろ?」
四葉、令、律が順に言って行く。
ああ、この間の私と全く同じことを言っている。案の定、標葉さんも千歳のように少し困った様子だ。
「えーと。アンデルセンの人魚姫じゃなくて、日本に伝わる人魚のほうなんだけど……」
標葉さんも千歳と同じことを言っている?
「それって首から下が魚で、化け物的外見でどう見ても人魚姫のイメージはなくて、外見はいかつくても一目見ると災難を逃れたり長生きしたりしちゃうっていう奴ですか?」
一息で千歳に聞かされた話を覚えている限り口にすると、標葉さんは驚いたように目を見張った。
「よく知ってたね。あんまり日本の人魚って有名じゃないのに」
「あ、えっと。偶然妖怪図鑑っぽいものを見たことがありまして……」
千歳から聞いた、とも言えず適当に誤魔化す。
「妖怪図鑑って……お前いくつ?」
律が呆れ顔で聞いてくる。当然と言えば当然の疑問だ。
「いいでしょ、ほっといて!」
「えっと。とにかく結恵さんが今言ったような日本の人魚が関係してるんじゃないかなって僕は思う。半魚伝説ではご先祖様はまだ生きていて、生き神としてこの家に祀られてるんだよね?」
「うん」
四葉が力いっぱい頷く。
「その内容の真偽は正直嘘っぽいなと思うんだけど、それならその半魚は人魚の話をかけ合わせたんじゃないかな」
「人魚って他にも何かあるんですか?」
鷹久が不思議そうな顔をして標葉さんを見た。
標葉さんは、気分のいい話ではないと思うけどと断ってから続けた。
「人魚の肉は食べると不老長寿を得られるって言うんだよ」
「不老長寿……? その化け物っぽい人魚とやらの肉が? とんでもないゲテモノ食いだな」
「うん、まぁ、勇気あるなとは僕も思う。八百比丘尼という女性がいてね、その人は若い頃に人魚の肉を食べてしまって、以来ずっと若くて美しい姿のまま八百年経っても死ぬ事はなかったそうだよ」
「へぇ。それでそのビクニさんはどうしたんだ?」
「確かどこかの洞窟に住むようになったんじゃなかったかな。そしてそのまま亡くなったって聞いたと思うけど。話によっては八百比丘尼と言う人は不老不死になったという話もあるそうだよ」
「肉を食べて不老長寿、あるいは不死。首から下が魚。……確かに半魚伝説に似てるっちゃ似てるな」
鷹久がぽつりと言い、甘い香りのする紅茶をひと口飲んだ。
「つまり結局伝説は伝説ってことか」
「だな」
律と令は顔を見合せて頷き合った。
「それってー」
四葉が無邪気に口を開いた。
「暗にその草次郎って人が人魚の肉を食べて不老不死になって、今もこの敷地内で生きてるってことじゃないのかな?」
「え?」
その場の全員が四葉を見た。
四葉はにこにことその視線を受け止め、高すぎる椅子で床につかない足を揺らした。
「半魚伝説ではその神隠しに遭った人は半魚になって今も生きてるでしょ? それも子孫の肉を食べて。それって、半魚になったんじゃなくて半魚に似た生き物の肉を食べて今も生きてるって意味なんじゃないの?」
「いや、だって不老長寿だ不死だなんてありえないだろ? そもそもそんな奴が実際にいたとしたら、綾峰の医療・製薬業はもっと劇的に進歩したろうし」
鷹久が頭をかきながら戸惑うように言うが、四葉は笑顔を崩さずに言った。
「進歩のためには解剖とか投薬とか、色々試さなきゃいけないよね? そんなことして万が一死んじゃったら、せっかく予言なんてありがたいものをしてくれる人がいなくなっちゃうんだよ? 医療関係の事業の進歩と予知能力による綾峰家全体の利益を秤にかけたのなら、予知を取ると思うな」
子供のような無邪気な笑顔。
だけどその断定的な物言いは子供のものとは到底思えない。外見にそぐわない、この場の誰をも圧倒する強さがある。
「……するってーと」
最初に口を開いたのは令だった。
「この家にいる生き神様とやらは、半魚じゃなくて人間の姿をしてるってことか」
「だと思うよ。もし本当ならの話だけどね。でも半魚の話よりは現実味があると思うな」
「そ、そうか?」
一番常識的に物を考えるらしい鷹久は疑問を隠すことなく顔に出している。確かに常識的に考えれば不老不死も予知能力も荒唐無稽もいいところだ。まして五百年前の先祖が人魚の肉を食べて今も生きているだなど。
……それに、まだ噛み合わない部分がある。
――いるのは、人の血をすする化け物だけ。
無機質な声が、そう教えてくれた。
――人の姿をした、忌むべき化け物がいるだけ。
一切の感情を消した声で、表情で。
千歳はそう言った。思い出すと背筋が凍るほど、冷たく別人のように。
……人の姿をした、化け物。
それは草次郎という人のこと?
まさか本当に今も?
でも人の血と言ってた。人魚の肉でなく人の血と。私やおじいちゃんは当たりだと。
当たりの意味はわからないけれど、私とおじいちゃんが人魚だなんて気色悪い考えは思いつかない。
少なくとも私は人魚じゃないことは確かだ。体に鱗が生えていないのはもちろんだが、水泳の授業では可もなく不可もなく。特別泳ぎが上手ではなく、泳ぐことも好きというほどではない。そういうことで人魚かどうかを量れるのかは知らないが。
千歳が人魚の話をしてくれて、その人魚と不老長寿に関する話と繋がるからと言って、本当に人魚が存在するなんて考えにくいが。
それにもう一つ。気になる事はある。
予知能力。
予め知る力。
あの時、なぜ彼は気づいたのか……。
「結恵?」
顔を上げると薫子が心配そうな顔でこちらを見ていた。
「大丈夫? 急に黙ってしまうから」
「あ、ああ。大丈夫! 本当にあんな気色悪い人魚なんていたら嫌だなぁって考えてただけ!」
心配してくれる薫子には申し訳ないが、まだ全部話せない。それが居候としてでも、この家に生きて行く上でのルールだろうから。
「確かに嫌よね。そんな妖怪じみた生き物が本当にいて、それがうちの先祖だなんて言うのなら」
「んー確かに」
鷹久も同意する。
「よし! 話を変えよう。そうだ結恵ちゃん、それぞれの家の役割とかもう知ってる?」
「役割? ううん。それぞれの家って、二ノ峰とかのこと?」
「そうそう。この敷地内の家にはそれぞれ役割があるんだ」
そう言って鷹久は薫子からメモを借りて何かを書き始めた。