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脆弱な子供/探る子供

「私、学校行かないで家で勉強するから。どうせ荒れてて授業になんかならないし。私立高なら内申より実力主義のとこも多いし、私はそういうところに進学するから問題ないよ」

 十四歳の秋、私はそう家族の前で宣言した。

 戸惑う家族の中で、おじいちゃんだけが不敵に言った。

「自分で決めたことなら、貫き通しなさい」

「うん、そうする」

 本当は学校に行くのが怖かっただけなんて、おじいちゃんじゃなくても分かったろうに。強がっているだけなんて分かっていただろうに。おじいちゃんも、お父さんもお母さんもそれに気付かないふりをしてくれた。

 それからずっと、私は学校に関するあらゆるものを遠ざけてきた。

 塾で勉強している。模試で結果も出している。

 なら問題なんてないだろう?

 そうしてどんどん、私は汚くて酷くて、最悪な人間になっていった。

 自分でも分かるほど嫌な人間に。元友人達などよりよほど嫌な人間になっていった。

 それでもこういう方法でしか自分を保てなかった。

 それからおじいちゃんが亡くなり綾峰家との繋がりができ、非現実的な逃げ道は現実的なものとなった。

 汚い私。

 それを最初に打ち明けたのは大叔母だった。

 私はやっぱり小心者なんだ。優しくしてくれる大叔母を利用することができない偽善者。

 祖父から既に私の話を聞いていた大叔母はそれでも私を受け入れてくれた。

 強がる私を受け入れてくれた。

 それから、この人と家族だけは裏切らないと決めた。私を信じてくれる人たちを裏切ることだけは絶対にしないと。

 それが汚い私のせめてものけじめだ。

 どれだけ酷い人間になっても、自分を信じてくれる人達だけは裏切らない。絶対に。

 家族と大叔母。祖父が亡くなっているから既に三人。

 それ以上なんて、現れないと思っていた。

 なのに――。

「何で千歳は、そういうことばかり言うのさ……」

「そういうって?」

 千歳は小さく首を傾げる。

「何で私のこと、汚い人間だって罵らないの!? 今言ったでしょ!? 私は友達だった人間を売ったんだよ!?」

「だってそれ、別に結恵は友達売ってないじゃん」

 本当に軽く言う。

 その上欠伸までして言った。

「て言うか俺、結恵の元友達なんてどうでもいいし。俺は身内以外にはけっこうどうでもいいからさ。他人なんてどこでくたばろうが知ったことじゃないよ。ましてそれが俺の大事な身内を泣かせるような奴らなら」

「でも……」

「汚い汚いって結恵は言うけどさ。本当に汚い人間は自分を汚いなんて言わないぞ? まぁ、結恵が自分を汚い人間だって思いたいならそれでもいいけど」

 そういうわけじゃない。

 汚い自分なんて好きなわけではない。

 だけど汚くなければ私は生きていけない。

 私は弱くて、あまりに弱すぎて、汚く生きる以外の生き方なんて想像もつかない。

 言葉にできずに唇を噛みしめる。口を開いたらそのまま声を上げて泣き出してしまうのは目に見えているから、血が出るほど強く噛みしめた。

 そんな私の今の顔はきっと物凄く不細工だろう。体を震わせて感情の爆発を抑える私を見て、案の定千歳は笑った。

「我慢しないで泣け?」

 必死でかぶりを振るも、今にも涙腺は決壊しそうだ。

 千歳は少し考えるようにしてから私の頭を撫でてくれた。

「……今までよく頑張った。だから、少し息を抜け」

 そんな言葉。

 そして涙腺が破壊される。

 私のちっぽけな意地もプライドも全て、木端微塵に破壊された。

 そのまま私は声を上げて泣いた。千歳にすがりつくようにして、大声で泣いた。

 何がそんなに悲しいのかなんて自分でもわからなかった。ただただ涙が溢れるばかりで。ずっとずっと張りつめていたものが緩んだ、そんな気がした。

 千歳は小さな子供みたいに泣きわめく私の背と頭をなでてくれながら、ずっとそばにいてくれた。

「結恵はまだ十五歳なんだから、まだまだいっぱい悩んでいっぱい泣いていっぱい笑って、それで年食ってばあさんになった時、あんなこともあったなって思えるような人生過ごせ」

「……っうん」

「化けて出るような後悔のないように、やりたいようにやるといい」

「う、ん」

「結恵の好きに生きろ。義将も桂子もお前の両親も……俺も、それでお前が少しでも幸せに過ごすことを祈るよ」

「……うん」

 その後もずっと泣き続けた。どこからこんなに水分が出るんだろうというくらい泣き続けた。

 そうして泣き疲れて夢心地に千歳の声を聞いた気がする。

 次に会うのは正式な場でだ、と。

 その時には全部話す、と。

 そして、結恵には拒否する権利があるから、と小さく付け足すように言った。

 それが夢だったのか現実だったのかはあまりに記憶が曖昧ではっきりとはしないが。




「今日は千客万来だ」

「結恵が来たのか? ……って、何で寝てるんだ? て言うかそいつ、泣いてたのか?」

 鷹槻は眉根を寄せ、瞼を腫らしてベッドで寝入っている結恵を見下ろした。

「人魚姫や人生論なんかについて話したりしてね」

「人魚姫?」

 鷹槻はますます分からないという顔をした。

「まぁいい。……こいつから聞いたか?」

「血のことか?」

「ああ。当たりみたいだからさ、コイツ」

「結恵はどうも義将に似ちゃったらしい」

 千歳は小さく笑って結恵の布団をかけ直してやり、鷹槻を連れて部屋を出た。

「そういや半魚伝説ってお前も聞いた?」

「ああ、律が話した時に俺もいたから」

 鷹槻は興味なさげに答えてソファに座った。

「何か食うか?」

「この間のチョコ。まだある?」

「あれ俺の秘蔵なのになぁ。お前は本当に遠慮がない」

 千歳は不満そうに言いながらも鷹槻の前にチョコ入った箱を置いた。

 鷹槻は遠慮なくそのうちの一つを手に取り、包みを剥きながら言った。

「最奥へ意識を向けながらも、真実への目くらましってところだろ。最奥はこの家の絶対。けど真実は知る者だけが知ればいい。そんなところか」

「さっきも和典が面倒なこと言いにきたしな」

「三ノ峰の親父が?」

 そう言った鷹槻の声に棘が混じる。

「俺がちゃんとしないとお前らに示しがつかないってさ」

 千歳は笑って自分もチョコを口に放り投げた。

「あの親父、苦手なんだよな。三ノ峰の役割をそのまま人間にしたような親父だよな」

「まぁそう言ってやるな。あいつはそれが仕事だ」

 鷹槻は嫌そうに顔をしかめた。

「この家のそういう面倒くさいところが嫌いだ」

「ははっ」

「俺みたいな奴には特に」

「……なぁ鷹槻。お前は義将を恨んでいるか?」

 鷹槻は軽く肩を竦めた。

「はっ。恨むなら義将じいさんじゃねぇだろ。実の親なら死ぬほど恨んだけどさすがにもういい。どうせもう死んでるしな」

「そうか」

「千歳は? 千歳はこの家を恨んだことねぇの?」

 鷹槻の切れ長の瞳がまっすぐに千歳を射る。

「この家のせいで千歳はこの家に捕らわれてる。今までだけでなく、この先も」

「鷹槻」

「何で千歳はこの家の言いなりなんだよ?」

 千歳は目を伏せ、噛みしめるように答えた。

「ここは俺の家だから」

「……わっかんねぇ」

「それでいいんだよ。お前まで俺みたいになることはない」

 言いながら千歳はテーブルの上のチョコの包み紙をまとめてごみ箱に放った。そしてふいに笑う。

 それを見た鷹槻は訝しげに眉根を寄せた。

「何だよ?」

「いや。昔、義将にも同じこと言われたなぁって」

「へぇ? あの人も同じこと思ったのか」

「はっきり物を言う奴だったから。結恵はあいつに比べればかわいいもんだ」

 千歳はソファの背もたれに身を預けて苦笑する。

 その様子を見ながら、鷹槻は呟くように言った。

「あの人も当たりだったんだよな」

「ん? ああ。当たりも当たり。大当たり」

 おどけたように千歳は言う。

「よくこの家を出したな。お前はともかく他の連中がよく見逃したよな」

「俺が見逃せって言ったから、それでおしまい」

 無邪気に言ってみせる千歳に鷹槻は額に手を置いた。

「さっすが綾峰本家は違う。鶴の一声か」

「桂子も俺と同意見だったからなぁ」

「でも他には?」

「他って?」

 千歳は知りながらとぼける。彼はこの話題を好まない。

 鷹槻がいつ口にしてもいつだってのらりくらりとはぐらかしてきた。

 そしてその奥にあるであろう真意を読みとることは今なお不可能だ。

 今日もやはり無駄だったかと思いながらも鷹槻は口にする。

 綾峰一族の、本家の、綾峰千歳の禁忌を。

「鶴でなく、ぬえの一声」

 鷹槻の言葉に千歳は失笑するようにして言った。

「くくっ。お前も大概ロマンチストだなぁ。半魚の次は鵺か」

 不自然なほど穏やかに千歳は笑う。

 子供に見せる大人の顔で笑う。

 そんな千歳に鷹槻は軽く苛立ちながら、半ば自棄になって口を開いた。

「鵺で悪ければ、この家に呪いをかけた奴だ」

 その言葉は痛いほどの静寂を呼んだ。

 目の前に座る千歳は笑いを納め、あらゆる表情を失くし鷹槻を見た。

「鷹槻」

 静かな声なのに畏怖を感じずにはいられない。

 鷹槻は小さく身震いし、目を伏せた。

「……悪い」

「口はわざわいの門だ。俺だからよかったけど、次からは気をつけろよ?」

 千歳はにこりと笑って立ち上がった。

 こういう時、思う。

 千歳の笑みは時として、威嚇でもあるのだと。

「さーて。俺は結恵を部屋に届けてくるよ。朝起きて部屋にいなかったら桂子が心配するだろ」

「……お前が? 上に行くのかよ?」

 鷹槻は心底驚いて目を見開いた。

 千歳ですら初めて見るレベルかもしれないほどあからさまに驚いている。

「ま、たまにはなー。屋敷内だけだしいいだろ。桂子には連絡入れて行くよ」

「桂子ばあさん、お前が結恵と会ってたこと知ってるのか?」

「さぁ? でもこれで分かるだろうしどっちでもいいだろ。ついでに『正式』に本家の結恵を俺の前に連れて来てくれって催促してくるよ」

「お前、結恵をどうするんだ?」

 戸惑うような鷹槻の言葉に千歳は笑顔で答える。

「どうもしないさ。けど結恵が当たりである以上、いつまでも先延ばしにできそうもないし」

「……そうだな」

「大丈夫。悪いようにはしないから安心しろ」

「わかってる」

 千歳が自分たちに不利になるような事をしないことくらい。

 それくらいは鷹槻だってわかっている。

「じゃあ俺も今日のところは帰る」

「ああ。悪いな、大して構ってやれなくて」

「別に。寝れなくてヒマだっただけだし」

「寝れない暇つぶしに人を使うなよ。俺が安眠中だったらどうするんだよ」

 不満げに口を尖らせる千歳を背に、鷹槻は隠し扉に手をかけた。

「その時は叩き起こして茶でも淹れさせるよ」

「こーのクソガキが」

「ガキじゃねぇし。じゃ」

「気をつけてな」

「だからガキじゃねぇって」

 鷹槻は振り返ることなく部屋を後にした。

 千歳は小さく笑い、結恵の眠る部屋のドアノブに手をかけた。

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