通り雨
「とにかく変わった人達だなっていうのが第一印象」
一旦記憶の再生を止め、ココアを一口飲んで千歳を見上げた。
「けど何て言うか、流されない強さみたいなものがあって凄いなって思った」
「へぇ」
楽しげに相槌を打ちながら千歳はソファに寄りかかった。
「鷹槻から聞いてはいたが面白そうな奴らだな」
「うん。かなりだよ」
笑ってマグカップをテーブルの上に置く。
「他の人達とは雰囲気が違った。何て言うんだろう……鷹槻達は生命力が強そうっていうか、自尊心が強そう……意思が強そう、そんな感じ」
「うちの大半は流されるままに生きてるからな。そういう奴らは少数派だから面白いだろ?」
「面白いね。自分たちを『はぐれ者』って言うあたり、自覚はあるんだなって思ったけど」
令は自分たちを『はぐれ者の群れ』と言った。
確かに綾峰の封建的体制からは外れているように感じる。薫子の話からも律と令の言葉からも、この家の絶対王制を受け入れているようには到底思えなかった。
「現状に満足してこの家の古い体制を疑問に感じない奴が多い中で、よくそんな道を選ぼうと思えたものだ。拍手でも送りたい気分だな」
本当に手を叩きながら、千歳はくつくつと笑う。
「面倒な道だと知りながらその道を選び進む。なかなか骨のあるガキ共だ」
「それ、褒め言葉なの?」
下手をすると皮肉に聞こえそうだが。
だが千歳は笑顔のまま、至って真剣な眼差しを向けてくる。
「もちろん。古い中で新しい事を成すには気概がいる。それは楽な道じゃない。だからその楽でない道を選んだガキ共に我が身内ながら心から賛辞を送るよ」
「本家の千歳がそんなこと言っちゃっていいの?」
「それを言ったら結恵だって本家だろ? 俺は本家って言ってもいないも同然。せいぜい傍観して楽しませてもらうよ」
そう意地悪く言って千歳は天使のように笑った。
「ってわけで続き続き」
子供のようにせがむ彼に溜め息を吐きながら、私は話の続きを始めた。
「それから空が曇ってきて、雨が降りそうになって――」
「なかなか気丈だねぇ」
令は半ば感心したような声を上げた。
「それはどうも」
握手した右手を握りつぶす気満々で握って皮肉に笑ってやる。
「いやーホント、すごいすごい。すごいからスミマセン。手ぇ痛いんでもう少しお手柔らかにしてくれると」
「いや全然お手柔らかに握ってるから」
そう言いながらも全力で令の手を握り締める。爪を立てて。
令の笑みが引きつる。
「あのほんとごめんなさい。威嚇するようなこと言って申し訳なかったのでマジで離して下さい」
「いえいえ。全然気にしてないんで」
「言葉とは裏腹に手の力がどんどん強くなってる気がするんですけどー」
「気のせい気のせい」
笑顔で更に力を込める私と、引きつっても笑顔を絶やさない令。
見兼ねたように鷹久が声をかけてきた。
「えーと結恵ちゃん、こいつがちょっと挑戦的でムカツクこと言ったのはちゃんと謝らせるから離してあげて?」
「いえ、本当に気にしてませんから」
「じゃあ離して下サイ。マジで」
泣き笑いに近い顔で言ってきた令を見て、渋々力いっぱい握りしめていた手を離した。
令は解放されるなり右手を引っ込めて爪の痕がついた手に息を吹きかけた。
「痛ててて」
「舐められるだけのつもりはないから、どうぞそのつもりで」
力を込めすぎて筋がつりそうな右手をぶらぶらと振りながら律と令を見た。
短気なチビとチャラ男だと思って油断していたら、きっと利用されるだけで終わる。ならば先にこちらも強気なところを見せておかなければ。
令は顔の前で止まれの合図のように左手を突き出した。
「や、結恵ちゃんの心意気はよくわかった。すいやせんでした。流されるままだけのお嬢ちゃんなら利用するだけしてやろうと思ってたけど、敬意を持って接させてもらいます」
「それはありがたいわ」
「律も。いいだろ?」
令は離れたところで傍観していた律に声をかけた。
「……まぁ及第点か。かなりギリで」
「律ぅ」
情けない声を出す令は無視して律は挑むような視線を私に向けてきた。
「バカでも鈍いわけでもなさそうだし、自分で考えられる程度の脳みそはあるみたいだしな」
律は高めの声音でそんなことを言いながら私の前まで歩いてきた。そして少し私より低い位置にある双眸が真っ直ぐに見上げてきて、まだ華奢な右手を差し出してきた。
「一応認めてやるよ。利害関係が一致しそうな時はこっちもてめぇに付き合ってやる」
「どこまでも偉そうなことで。……でもま、よろしく」
律の右手を握ると、肩の力が抜けた。
「よかったよかった」
「だなー」
四葉と鷹久が呑気に笑い合う。
「律、令。あなた達はもう少し礼儀をわきまえなさい」
「っせーよ、薫子。てめぇだって似たようなこと言ってたろうが」
「そうそ。同罪だよ、同罪」
「あなた達と一緒にしないでちょうだい」
律令は薫子と火花を散らし始める。
随分短気な人達だ。そう思いながらベンチ横の芝生に座っていた鷹槻にこっそりと近づく。
「……これが鷹槻の『トモダチ』?」
小声で尋ねると鷹槻はだるそうに私を見上げた。
「そうなる」
「なかなか個性豊かな面々で」
「まぁ退屈はしねぇよ。で、これで一応こいつらは結恵の味方だと思っていい」
腕をコキコキと鳴らしながら回して鷹槻は言った。
そして顔は律達に向けながら声のトーンを極力下げた。
「けどまだ、夕べのことは言うなよ」
夕べのこと。それは千歳のことか。
「わかった」
わからないけれど、一応了承しておく。
それから小さく尋ねる。
「あんたに会ったってことも言うべきじゃない?」
「ああ」
短い答え。
それ以上ここでは話してくれる気はさらさらなさそうだ。
「次にあいつの所で会った時に話す。いつになるかはわかんねぇけど」
あいつの所は千歳の所、だろう。
「じゃあそれまで私達はさっき初めて顔を合わせたってことで」
「ああ」
そして鷹槻は私を見てきた。
「律令にびびるようなそれまでの奴だと思ったけど、意外にやるよな。お前」
「それ、褒め言葉?」
「純然たる褒め言葉」
そう聞こえないのは彼の淡々とした声音のせいか。
律や薫子と違って鷹槻は感情の起伏に欠ける。けれど無駄な嘘がなくていい。そう思うと急に気分が晴れてきた。
「ここに来る前に腹はくくってきた」
苦笑して灰色の雲に覆われてきた空を見上げる。
「私もあんた達が傲慢なだけの人間だったら適当なお付き合いで済まそうと思ってたけど、思っていた以上にあんた達は面白そう。さっすがおじいちゃんの生まれ育った場所!」
「お互い仲良くやっていけそうってことか」
「うん、そう」
こくんと頷くと鷹槻は僅かに口元を弛めた。
あ、笑った。人形のように整っているけれど無機質な印象の顔は、笑うと急に生気に満ちた人間のものになった。
軽く見惚れていた私の前に右手が伸びてくる。
「ヨロシク」
「あ、よ、よろしくっ」
右手を握り返して手を離す頃にはもう元の無表情に戻っていた。
(何だか偶然希少生物を見かけたみたいな気分)
それとも鷹槻は予想に反して意外と笑うのだろうか。夕べは全く見ることがなかったが。
するとふいに誰かが声を上げた。
「あ、雨」
ぽつり、ぽつり。
灰色の空から細かい雨が降り始めた。
「こりゃ本降りになるかな」
鷹久が空を見上げると、使用人の一人が声を上げた。
「皆さま、濡れますのでどうぞお屋敷のほうまでいらして下さい」
その声に従ってその場にいた人間は揃って前庭に面した部屋へと駆け込んだ。そして最後の一人が室内に入ると同時、雨がバケツをひっくり返したように地面を叩きつけた。
「危機一髪だったね」
「通り雨っぽいな」
窓から空を見上げて四葉と令が言う。
すると広い室内の扉が開かれた。
「あらあら。雨が降ってきたの?」
柔らかな声と共に、大叔母が室内へと入ってくる。
皆その声に打たれたように頭を下げるので、私も慌てて頭を下げた。
「挨拶はよろしいからそれよりも皆さん、濡れませんでした?」
「はい、大丈夫です」
何ノ峰だったか、多分序列は上のほうだった気がする人がそう言うと、他の人たちもその声に続いて頷く。
「そうですか。それは良かったわ。けれど残念ですがこれでは昼食会はお開きですね。随分強い雨ですので車を出させましょう」
大叔母が指示を出し使用人数名がそれを伝えに部屋を出て行く。
「……敷地内を車で移動」
あまりにスケールの大きな話に呆然としていると、鷹久が小さく笑った。
「田舎だからだだっ広くてね。ここから薫子の家までだと直線距離で六百メートルくらいあるんじゃないかな」
「そうね。今朝も車で送ってもらったし、それくらいあるかしら」
「はぁ……世界が違うわ」
この綾峰家の居住地は東京の郊外にある。
東京と言っても緑豊かで夜には多くの星が臨める場所だ。なので地価も都心よりはずっと安く、ここまで来る時に何件か見かけたよその民家も大きな物が多かった。
だがそう言った事を差し引いてもこの敷地は広い。常識はずれに広い。遊園地か小さな町くらいのサイズはある。大富豪一族の住居区なのだからそれくらいあってもいいのだろうが、自分がその敷地に暮らしているという事実がどうにも信じ難い。
「すぐに慣れるわ」
薫子が安心させるように笑ってそう言ってくれる。
「慣れるまでは戸惑うこともあるでしょうけれど、そういう時は遠慮なく言ってくれれば力になるわ」
「……薫子さん」
優しい人だと地味に感動していると薫子の顔が引きつった。
「あの、薫子さんてやめてくれないかしら? 一応私達は同い年なのだけど」
「え、ごめんなさい。大人っぽいからつい敬語使わなきゃいけない気になって」
まずい、せっかくのご機嫌を損ねかけている。
「老けてるって素直に言っていいんだぜ?」
追い打ちをかけるように律が皮肉った笑顔でそう言ってきた。薫子の眉と右手がぴくりと持ちあがる。
「か、薫子さ……じゃなくて薫子ストップ! 落ち着こう!」
「そうだ、落ち着け。桂子様もいるんだぞ」
鷹久がこっそりと耳打ちすると薫子はハッとしたように手を納めたが、代わりに強く律を睨みつけた。美人は睨み顔も凄い迫力だ。
「……後で覚えてらっしゃい」
「やなこった」
舌を出した姿は可愛らしいのに、その表情には可愛げの欠片もない。
薫子の拳がぷるぷると震えていたが、辛うじてそれ以上にならないように抑え込んでいた。これが大叔母の前でなかったならばさっきの見事な格闘劇がまた見れたんだろう。
怒りの納まった薫子に肩を撫でおろしていると、ポンと背中を叩かれた。振り返ると四葉が笑っていた。
「薫子ちゃんの喋り方は薫子ちゃんのおばあちゃん譲りなの。一応本人は頑張って標準学生っぽくしたいらしいんだけど、長年の習慣てなかなか消えないんだよねぇ」
「ああ、おばあちゃん譲り。道理で」
あの喋り方が一層彼女を年齢より上に見せているのは間違いない。今時ああいう喋り方をする中学生は日本中探してもそうはいないだろう。
「で、薫子ちゃんて若く見られる分には構わないんだけど、一個でも年齢より上に見られるのって我慢ならないみたいだから気をつけてネ」
「……了解」
実年齢なんて言われなければ絶対にわからないだろうと思いながら答える。
四葉はにこにこと背後を振り仰いだ。
「鷹槻はそんなに怒んないのにね」
彼女の視線の先にはやっぱり実年齢と外見年齢の一致しない鷹槻の姿。腕を組んで壁を背にもたれかかっていた鷹槻はどうでもよさそうに答えた。
「別に他意がないならどうでも。あるならこっちも他意を以て応じるけど」
無表情のままなのに、絶対零度の響きを持って聞こえるのが怖い。
「昨日は律に倍返ししてたよな」
令が朗らかに笑いながら、鷹槻の肩を叩いた。
「だってアイツのは他意満々だろ。て言うか悪意だろ、あれは」
「悪意ってか単なるねた……っ!」
へらへらと笑う令が一瞬で視界から消え失せる。何が起きたのか理解できずに目を見張ると、不機嫌な高めの声がした。
「別に妬んでねぇよ」
不機嫌そのものの表情で律はいつの間にか地面に這いつくばっている令を見下ろした。
「おー見事な足払い。一瞬だったなぁ」
鷹久が呑気に拍手を送りながら言う。
「あ、足払い……」
「うん、そう。あの一瞬でスパーンと」
鷹久は笑いながら手刀を右から左へと真横に滑らせて見せた。それからこっそりと耳打ちしてきた。
「律と四葉は年齢より下の扱いすると怒るから気をつけて」
二人には聞こえないように言って、鷹久は人の好さそうな笑みを浮かべた。善人そうだがやはりこの人も読めない感じだ。
そうこうしていると部屋の扉が開かれた。
「皆様、お待たせ致しました。お車の準備が整いました」
「それでは皆さん、今日は有難う。結恵さん?」
「……はいっ!」
大叔母に呼ばれ、人混みをかき分けてその隣へと小走りで向かう。
「貴女からもお礼を言ってあげて下さるかしら?」
「あ、はい」
言われるがままに頭を下げる。
「今日はお越し下さり、どうも有り難うございました」
これでいいのだろうか?
こういう時にどう言ったらいいかなんて分からないけれどそれで良かったらしく、他の人達からも頭を下げられる。「お招き有難うございました」だとかそんな挨拶が返ってくる。
そんな相手の名前がさっぱり思い出せない自分に胸の内で軽く溜め息を吐きながら、彼らが退室して行くのを大叔母の隣で見送った。
そうおやってあらかた見送ったところで突然四葉がジャケットを引いてきた。
眉を下げ、大きな瞳を子犬のように潤ませてじっと見上げてくる姿はとても可愛らしい。そしてどう見ても高校生には見えない。
「え……と、四葉? どうしたの?」
「まだおしゃべりしたりないなぁって」
四葉はジャケットを片手で引いたまま寂しげに俯いた。相手は年上の高校生だと分かりながらも、その姿はどうにも胸に訴えかけてくるものがある。
「あら。結恵さんは四葉さんと仲良くなったの?」
大叔母が嬉しそうな声を上げた。
「あ、はい」
「お友達になって頂いたんです。結恵様はとてもお心の広い方で」
四葉は顔を上げ、にっこりとひまわりのように笑った。
大叔母はそんな様をにこにこと見ていた。
「まぁ。そうでしたの」
「はい。先程も一緒にお食事致しました。少しですがお話もさせて頂けてとても楽しかったです」
四葉は少しばかり舌足らずな声でかつ三割増しほど可愛らしく、いたいけな子供のように微笑む。確かに可愛らしいし保護欲を誘う事は確かなのだが、どこか違和感があるのは気のせいじゃないと思う。
けれど大叔母は気にする様子もなく嬉しそうにする。
「まぁまぁ。良かったわ。結恵さんが少しでもこの家に馴染んでくれたようで」
「はい、お陰さまで」
「四葉さん。それに皆さんももう少し留まって行かれない? 結恵さんも年寄りの相手ばかりで退屈してらっしゃると思うの」
「そんな、退屈だなんて滅相も……」
そこではたと気付く。皆さん……?
「そんなご迷惑でしょうから」
鷹久がやんわりと笑う。
「私共のような者がいつまでも本家にお邪魔するわけには」
薫子もしおらしく首を振る。
「何を仰るの? そんなこと仰らないで。皆さんも私にとっては大切な身内なのですから。それに結恵さんのお友達なら私には家族として歓迎する義務がありますもの」
大叔母はにっこりと笑い、壁際に控えた使用人たちに目をやった。
「お茶の用意をして頂戴。もう午後のお茶の時間だわ。さぁ。こちらよりもサロンのほうがよろしいでしょう。そちらに準備をさせますからせめてお茶くらしして行って」
「それでは……お言葉に甘えて」
令が気色悪いほど控え目に答える。
「もう少しお邪魔致します」
鷹槻と律が頭を下げる。
「勿体ないほどのお気遣い痛み入ります、桂子様」
四葉が満面の笑みでお礼を言う。
「いいえ。それよりも皆さん、これからも結恵さんのことをよろしくお願いしますね」
「はい」
仲がいいのか悪いのか測りかねる六人の声が、この時ばかりはぴたりと重なった。