第六話:緑の泉と新たな火種
村を出てから十日。帝都へと続く街道は次第に険しさを増し、周囲はそそり立つ岩壁と深い針葉樹の森に囲まれるようになった。旅路において、食料以上に彼らを悩ませたのは「水」だった。街道沿いの古井戸は枯れ、泥の混じった水溜りでは喉を潤すこともできない。
「……あっちから、水の音がしないか?」
ロドルフの鋭い耳が、風に混じる微かな水音を捉えた。藪を掻き分け、岩陰を抜けると、そこには緑に囲まれ、水晶のように澄んだ水を湛えた小さな泉があった。
「わあ、綺麗……!」
ルピーネは声を弾ませ、駆け寄った。ルークも彼女の肩から飛び降り、短い羽をパタパタと動かして水際へ向かう。 「ルーク、いきなり飲んじゃだめよ。……よし、大丈夫そうね」 ルピーネは両手で水を掬い、乾いた喉を潤した。冷たくて、驚くほど甘い。 《冷たくて、きもちいい!》 ルークは泉の縁で、まるで子犬のように水飛沫を跳ね上げ、はしゃいでいる。その背中のダークシルバーのたてがみが水に濡れ、白銀の鱗が午後の木漏れ日を浴びて宝石のように輝いた。
ロドルフも背負っていた重いハルバードを下ろし、たくましく骨ばった手で水を顔に浴びる。 「……生き返るな。ルピーネ、ここで少し長めの休憩にしよう」「ええ、そうしましょう」 ロドルフの提案に頷き、ルピーネは焚き火の準備を始めた。これまでは、小枝や柴に火を移すのに一苦労していたが、今日のルークは少し違った。彼はルピーネが集めた焚きつけ材をじっと見つめ、ヘーゼルの瞳を細める。
「ルーク? また丸焦げにしちゃうわよ?」 ルピーネが苦笑いして止めようとしたが、ルークは真剣な表情で枝に鼻先を近づけた。 (……ゆっくり、少しだけ。ママを、助けるんだ) ルークの小さな願いが、紋様を通じてルピーネの指先に温かく伝わってきた。次の瞬間、ルークの口元から、パチリと小さなオレンジ色の火花が飛んだ。それは雷光ではなく、柔らかな「火の粉」だった。 火の粉は乾燥した苔に飛び火し、やがて細い煙を上げて、確かな炎となって燃え上がった。
「できた……! すごいわ、ルーク! ちょうどいい火加減よ!」 ルピーネが驚き、ルークを抱き上げて頬ずりすると、ルークは誇らしげに喉を鳴らした。 《僕、火の係。任せて!》 その健気な成長に、ロドルフも口元をわずかに綻ばせた。 「……よし、少しは役に立つようになったな。これなら野営の効率が上がる」
それぞれ存分に水を浴び、身を清めた後、焚き火に当たって温まった。泉で二人分の水袋を満たしながら、ロドルフが尋ねた。 「帝都に行って何をしようっていうんだ?」 「ルークがね、他の竜を探したいと言うの。帝都なら情報が集まるかと思って」 ルピーネの答えに、ロドルフのアンバーの瞳が驚きで丸くなる。 「何だって、こいつの言うことがわかるのか? 魔獣が喋るなんて、聞いたことがないぞ」
「魔獣じゃなくて竜よ。何だか分かるのよね。ルークが生まれた時、このアザが出てきたんだけど……これを通じて、この子の考えていることが伝わってくるっていうか」 ルピーネは、説明のためにマントを少しずらして脇腹のアザを見せた。白磁のような肌の上に刻まれた、三日月と鱗の紋様。思わぬ「肌」の露出に、ロドルフは動揺してサッと目を逸らす。
「へえ、そんなこと聞いたこともないけど……なにかの魔法なのかな。獣人は魔法は使えないはずだけど」 「うん、その辺も帝都で何かわからないかなと思って。このアザについても。それに……」 ルピーネは自嘲気味に微笑んだ。 「狩りぐらいしかできることもないから、冒険者になろうと思ってるんだ。冒険者なら、従魔を連れていても変な目で見られないでしょ」
ロドルフは、幼い頃から戦いの素質がずば抜けた獣人として知られてきた戦士だ。成人したばかりの彼が村を抜けた影響は大きい。ルピーネは申し訳なさに胸が疼いた。 「ロドルフはどうして一緒に来てくれるの? 帝都まで一緒に行けたら私たちは嬉しいけど、ご両親や村のみんなが困るんじゃない?」
「大丈夫だ。お前を一人にできないからな」 ロドルフは短く言い、それ以上は答えない。彼はただ、水を含んで輝くルピーネのダークシルバーの髪を、熱をもった眼差しで見つめていた。
(帝都だってどこだって、どこまででも一緒に行くさ)
小さな呟きはルピーネの耳には届かず、泉の水音にかき消された。




