第四十二話:悪魔の飛翔と反転の引力
一陣の風が霧を晴らし、黒い霧の渦――『虚無』の沼のほとりから、一人の人影が姿を現した。 緑の長髪に、薄紫の肌。異形ではあるが整った顔の中心には、少し濃い紫の刺青のようなものが刻まれている。魔物とも人ともつかぬ奇妙な姿のその男は、退屈そうに欠伸をしながら一行を見やった。遠目にもわかる。彼の放出する魔力の奔流は、到底常人のそれではない。
「ああ、やっと誰か来たのか。待ちくたびれたよ」 よく通る、しかし冷ややかな声だった。この男こそ、古竜を殺し、世界を崩壊の淵へ追いやった張本人であった。男は背中に畳んでいた灰色の翼をゆっくりと広げ、三人の頭上へと舞い上がった。
「何者だ! 貴様が……古竜たちを殺したのか!」 ロドルフの咆哮に、男は優雅に微笑んだ。 「殺した? 違うな、こいつらの魔力を有効活用してやっただけだ。我はクロケル。お前たちは、エルフと獣人か。お前たちのような劣等種族は、我を天使とも悪魔とも呼ぶなあ」
「……何のために、こんな酷いことをしたの」 ルピーネが絞り出すような声で問う。 「何のため? 理由などないさ。ただ、何万年も代わり映えのしないこの世界を、ちょっと掃除してやっただけだ。もう少しましな、私を退屈させない世界を新しく作ろうと思ってね」
クロケルと名乗った悪魔は、空中で翼をもう一度はためかせた。 「この古竜の一族は実に使い勝手が良かったよ。竜脈に流している魔力が多いから、こいつらを巣ごと潰すだけで勝手に森が、そして世界が壊れてくれる」 その顔に冷酷な微笑を湛えたまま続ける。
「……それに、大切な子供を殺された時の父竜や母竜らの嘆きが、魔力を反転させるのに不可欠な『絶望という引力』になったのだからな」 「……なんてことを!」
ルピーネたちには到底理解しがたい、ただ「退屈だった」という、あまりにも身勝手で傲慢な悪意。それだけのために、この悪魔は古代から崇められてきた世界の守護者を根絶やしにしたのだ。その非道な行いのせいで、今、大森林の魔力は枯渇して『虚無』の黒い沼が広がり、世界は崩壊へと向かいつつある。




