閑話(ルチウス):竜人の恋
「竜人の国」からの船が、この見知らぬ大陸の北端に辿り着いた時、ルチウスはまだ若く、誇り高い戦士だった。彼が竜人族の末裔であることを示す、額から伸びる一対の角。小さいが白銀に輝くそれは、ルチウスの一番の誇りであった。
戦火を逃れ、ようやく辿り着いたこの国の僻地にある村で、彼は一人の狼獣人の娘と出会った。 「……あなた、お腹が空いているの?」 嵐の中で独り遭難していた彼を見つけ、躊躇いがちに手を差し伸べた彼女の瞳は、蜂蜜を思わせる甘い琥珀色をしていた。
できたばかりの獣人の集落での生活は、ルチウスにとって驚きの連続だった。竜人は子供が少なく、血統と品位を極端に重んじる。対して、獣人たちは多産で、血縁を重んじつつも「群れ」として賑やかに、そして逞しく生きていた。昔から仲が悪いとされている竜と狼の種族。だが、ルチウスは彼女が作るスープの温かさに、そして群れの中で笑う彼女の強さに、いつしか心を奪われていた。
「ルチウス、あなたのその角……あまり外では見せないほうがいいわ」 ある晩、彼女は不安げに呟いた。 「獣人の土地では、竜は『恐れ』の対象。その角が竜の血の証だと知られれば、いつか諍いに巻き込まれるかもしれない」
ルチウスは静かに、自らの角に触れた。この角を失えば、竜人族の誇りも、故郷との繋がりも、完全に断たれることになる。だが、自分の隣で、少し大きくなった腹を優しく撫でる彼女を見た時、ルチウスの心は決まった。
「……誇りでは、腹は満たされない。私はただ、君と、生まれてくる子と共に、静かに明日を迎えたいだけだ」
ルチウスは鉄のこを手に取り、自らの額に当てた。 凄まじい激痛と共に、一対の白銀の角が床に落ちた。魔力が放出され、視界が歪む。駆け寄る妻の叫び声を聞きながら、薄れゆく意識の中で目にした彼女の不安げに揺れる瞳は、今まで見た中で一番、美しかった。
(これで、いい……。私は今日から、ただの獣人のルチウスだ)
数ヶ月後、彼らの間には一人の娘が生まれた。ルチアと名付けられたその赤ん坊は、母親譲りの狼の耳と尻尾、そして父親と同じ、緑がかった美しいヘーゼル色の瞳を持っていた。 「見て、ルチウス。この子、あなたの『竜』の輝きを持っているわ」
ルチウスは長く伸ばした前髪で額の傷跡を隠しながら、愛おしげに娘を抱き上げた。 彼が捨て去ろうとした古き血の誇りは、形を変え、新たな命の輝きとして赤子の瞳に宿っていた。
後に、ルチアの『竜の瞳』はその孫娘のルピーネへと受け継がれ、ふたたび「竜」を呼び寄せることになるのだが――この時のルチウスはまだ、自らが選んだ恋が、世界を救う物語の始まりになるとは知る由もなかった。




