第二話:銀の帯飾りと黒い噂
嵐が去った翌朝、ルピーネを待っていたのは、安堵の後の烈火のような怒声だった。
「何を考えているんだ、お前は!」
幼なじみのロドルフが、家の中庭でルピーネの肩を掴んで揺さぶった。彼のアンバーの瞳は怒りと、それ以上の恐怖で潤んでいる。 「一人で、あの崩れかけの廃坑に入るなんて……族長の娘だろう? 自覚を持て!」
ルピーネは反論できなかった。ただ、泥に汚れた革袋を強く握りしめる。ロドルフがその袋を力任せに奪い取り、中身を地面にぶちまけた。転がり出たのは、鈍い光を放つ数個の銀鉱石だ。
「……こんなもののために死にかけたのか」
吐き捨てるような言葉に、傍らで見ていたルピーネの母がたまらず口を開いた。 「ロドルフ、責めないであげて。……ルピーネはね、あなたの成人式の帯飾りに使う銀を、自分で手に入れたかったのよ」
ロドルフの動きが止まった。成り行きを見守っていた数人の戦士たちも、息を呑んでルピーネを見る。 狼獣人の成人式において、最高の銀で作られた帯飾りは、厄を退け、戦士の誇りと命を守る守護の印として珍重されている。それは送り主からの、この上なく深い友情の証であった。 気まずい沈黙の中、ルピーネはそっと腹部を抑えた。そこには、誰にも言えない異質な「熱」が宿っていた。
その日から、ルピーネの日常は一変した。 母竜を静かに逝かせてあげたい――その一心で、ルピーネは両親以外には詳しい事情を打ち明けなかった。しかし、古竜との契約の影響か、彼女の腹部は服の上からでも判るほど、うっすらと淡い光を放ち始めた。さらに、強靭な狼獣人の身体には縁遠いはずの「つわり」に似た激しい嘔気が、彼女を襲う。
「娘は銀山の廃坑で、山の神から預かり物をした」
父である族長は、村人たちにそう布告した。しかし、その言葉を額面通りに受け取る者は少なかった。 獣人の社会は純潔、すなわち血の純度を何よりも重んじる。どこの誰とも知れぬ男の子を孕み、腹を膨らませていく族長の娘。そんな彼女に注がれる視線は、尊敬から軽蔑へと、急速に色を変えていった。
「山の神? どこかの流れ者の男の間違いじゃないのか」 「族長も甘いものだ。あんなふしだらな娘をかばうなんて」
水汲み場を通るたび、そんな毒のような陰口が耳に届く。 ある日、子供たちが投げた石がルピーネの足元で跳ねた。直接身体を狙われないのは、父への畏怖が辛うじて壁になっているからに過ぎない。村はもはや、彼女にとって安息の地ではなかった。
数ヶ月が過ぎ、ルピーネの腹部はさらに大きく膨らんだ。臨月が近づくにつれ、彼女の心に、あの日逝ってしまった母竜のことが重くのしかかる。
(あの母竜は、暗い洞窟で独りぼっちのまま……)
せめて、もう一度あそこへ行って、祈りを捧げたい。だが、重くなった今の身体では、あの険しい崖に近づくことすら叶わない。ルピーネは月明かりの下、庭先で一人、自分の腹をさすった。
皮膚の下で、卵が成長し、時折力強く内側から蹴り上げてくる。それは、普通の赤子の胎動とは違う、魔力が弾けるような激しい脈動だった。
「……痛い。でも、生きているのね」
ルピーネは、うっすらと光り輝く自分の腹部を見つめた。 村中から白い目で見られ、孤独に耐える日々。それでも、この命を守らなければならないという、逃れようのない宿命が彼女を支えていた。
その様子を、物陰からじっと見つめる人影があった。 赤髪を夜風に揺らし、複雑な表情を浮かべるロドルフだった。彼は、ルピーネが自分のために銀を掘りに行ったあの日から、彼女にどう声をかけていいのか分からずにいた。
村の静寂が、嵐の前の静けさのように、暗く、沈んでいく。 竜の子が産声を上げるその時は、もうすぐそこまで来ていた。




