コイン
また今度
さてと始まった1学期。中学校という長い3年間が終わり、新たな扉を開く期間。温かい風に煽られながら、桜咲き乱れる道路を歩く僕もまた、その扉を開く一人だった。
「はぁ〜、今日から高校生か〜!」
希望、期待、そして渇望。その3つを胸に抱き、ただ目的地に向かって歩く。今日は晴天。視界は良好。最高の入学式日和だ。
「高校生活、どうなるのかなぁ…。」
未来に想いを馳せて、歩くこと10分。
「ん?」
T字路に差し掛かる直前で、道の真ん中に誰かの姿が目に映る。
(アレは、確かうちの高校の制服じゃなかったっけ?)
金色に輝くショートヘアーを揺らしなが、周りをキョロキョロと見回す一人の美しい少女の姿があった。
(綺麗だな…。)
思わず見惚れてしまう。雰囲気からは上品さが溢れ出していて、目の色は青。色白美人と言って差支えのない容姿。一見すると外国人のようだった。
(困ってるのかな?でも声、掛けちゃっていいのかなぁ。)
コミュニケーションが苦手な方では無いと自覚しているけれど、触れたら壊れてしまいそうな儚さを纏う彼女に声をかけるのはそれなりの覚悟が必要に思えた。
少し、抵抗と迷いを感じて足踏みをしていると、ふと振り返った彼女と目が合った。真っ直ぐと。彼女の目は僕の目を確かに真っ直ぐに見つめて、僕もまた彼女の目を見つめた。すると、彼女は安堵する様にニコッと笑顔を見せると、こちらに歩み寄っていた。
「貴方、私と同じ高校よね。」
そして、声を掛けられた。よく通る声は僕の耳にすっと入り、頭の中で何度もリピートされた。壊れたラジオの様に。
(ああ!声かけられちゃった!どうしよう!)
反響する声の意味を理解するでもなく、ただ予想外の展開に混乱の渦に巻き込まれていた。
「ちょっと道を、」
そう、言った所で、ヒューっといたずらな風が吹く。
「あ、」
「あぁ!!」
目に、入ってしまった。スカートに隠されていた白い布の神秘が!
「……まぁ、仕方がないわね。」
「うぅ……。」
見てしまった、見てしまった!あぁ!見てしまった!頭の中はぐるぐると渦巻き続ける。めくれ上がるスカートが再生しては巻き戻し、再生しては巻き戻し、思考を支配する。普段見れない、見てはいけない物を見てしまったことに対する感情は性欲によるものでは無かった。驚きと焦燥。そんな感情が体の温度を急速引き上げ体色を赤く変色させる。
「なに?こんなの見て興奮してんの?」
「だって…」
「子供じゃないんだから!全く、情けない。」
「えぇ…。」
必死の弁明をしようとするも、全く斜め上の説教を食らい意気消沈する。それでも冷めやらないこの感情。まだまだ頭の中はあの一瞬に集中してしまっていた。
「はぁ…まぁ、貴方が信用出来る事は理解できたわ。」
「んん?何で?」
「貴方がこの程度で顔を赤くしてしまう程に子供で臆病で卑屈なビビリで、悪い事をする事が出来ない男だと理解出来たからよ。お分かり?」
「うっ!」
突然矢の如く降り注ぐ心ない言葉のナイフ。何で初対面でここまで言われないといけないんだ!いやでも、実際僕は臆病で卑屈でビビリで悪い事をした事が無いけれど…。
「はぁ…高校への道を案内してほしいのだけれど。」
「え?」
「聞こえなかったかしら?高校へ道を案内してほしいの!」
「あぁ、はい…」
「ずいぶんと情けない返事ね。」
何で初対面でここまで言われないといけないんだ…。さっきまでの聖女の様な彼女はどこへやら。今は生粋の暴君にしか見えない。
「えっと…そこの道を…。」
「同じ目的地なんだから一緒にそこまで行けばいいじゃない。」
「あぁ…確かに…。」
「もっと頭を使いなさい。」
「…はい。」
「ほら、さっさと歩く!」
そう急かされて、さっきとは違っていきなり重たい足を動かして、2人は目的地に向かった。
「鈍臭いわね、速く歩く!」
「はいぃ…。」
何で…ここまで…言われないといけないんだ…。
無数の暴言を吐かれ、心をズタズタにされながら何とか学校に着いた。今日は記念すべき入学式。なのに何でこんなに心が痛いんだろう。理由は明確。あの少女のせいだ。だって向かう間ずっと僕のことをなじるんだもの。
「はぁ〜…。やっと、やっと…着いた。」
「もう、予定より遅れちゃったじゃない。」
腕時計を一瞥してそう言う少女。そもそも道に迷わなかったらそうならなかったんじゃないかな。そう指摘する余裕も勇気も僕には残されていなかった。大きく入学式の看板の掲げられた校門をくぐり抜け、靴を履き替え校舎に入る。
「貴方、クラスは?」
「え?、1組だけど…。」
「あら、同じクラス?良かった。教室の場所覚えてなかったのよね〜。」
(嘘でしょ…)
あってほしくなかった事実が公開され、どんどんと沈んでいく僕のテンション。何でこんな酷い事に…。いや、席が遠いかもしれない。それならまだ…!
心の中で悲痛な願いを必死に祈り、教室へと足を進める僕。対象的に彼女は何とも涼しげな表情で優雅に足を進めている。
(着いた…教室。)
運命の瞬間。ガラガラと扉を開く。もう既に多くの人で教室は賑わいを見せていた。その無数と有る椅子の中から自分の席を探し出し、ゆっくりと座り込む。そして…
(なんで!どうして隣なんだよ!!)
右隣に座る彼女。僕の苦悶に歪む顔は更に酷く歪むばかりだ。そんな酷い顔を見せまいと顔を手で覆う。
「え、隣?すごい偶然…。」
流石の彼女も驚きの反応を見せている。
(あぁ…最悪だぁ…なんでなんでこんな事に…!)
こんな暴力を擬人化したような人が隣にいるなんて僕には耐えられない。どうして運命とはこんなにも残酷なんだろうか。
「なによ、随分と気分が悪そうだけど。そんなに私の隣は嫌なのかしら。」
「あ!いや、そんなんじゃ、なくて…」
「はぁ…嘘が下手ね。」
「…。」
僕の心境を看破した彼女は、プイっとそっぽを向いてしまった。一応平常心を保とうとしてはいたがどうやら意味は無かったらしい。そうして少し微妙な空気が流れると、教室の扉が開いた。
「はーい。皆さんおはようございます!さっそくですが、今日の日程を確認します。」
先生が教室に入り、説明を始める。でも話は全くと言っていいほどに入ってこない。こんなに絶望的な状況で人の話を聞けるほど僕の心に余裕は無かった。隣をチラッと見てみると、彼女はなにやら上の空で窓からの風景を観ている。一体何を考えているんだろう。純粋な疑問が頭をよぎる。
「…。」
晴天の映る窓を背景にした彼女は、まるで絵画のようだった。青い空と、青い目。太陽の光に照らされる金色の髪。そしてそれを引き立てる白い肌。頬杖をつく彼女は、本当に、美しかった。
「ちょっと、これ!」
「え、あぁすいません。」
強く催促をされ、やっと気付いた前から回されるプリントを受け取り、後ろに回す。少し前の人に申し訳なく思いながら。
「…。」
しかし…美しい。彼女の性格を知っていながら、そう思う。
「…そうだ。」
僕はシャーペンを握った。ノックをして芯をだし、貰ったプリントを裏にしてペンを走らせる。彼女をここに写す為に。
「…。」
空、輪郭、表情。今までに無いほどに集中する。音を置き去りにし、思考を放棄して、ただ目の前にある芸術を描き進めていく。
「…?」
「あ。」
こちらの視線に気付いてか、彼女はこちらに顔を向けた。被写体が動いてしまった事に僕は声を漏らす。視線を落とした彼女は描いていた絵に気付いたようで、またこちらの目を見ては、軽蔑の眼差しを送る。
「人を勝手に被写体にするなんて随分な趣味ね。」
「うぅ…。スミマセン…。」
そう意地悪に言う彼女は、もう一度絵に目を向けた。
「あら…良い絵ね。ふぅーん…。」
「!…ありがとう、ございます。」
彼女の口から出た意外な感想に、僕は思わず驚いた。まさか褒められるとは。てっきり勝手に自分の絵を描いたことにネチネチと嫌味を言ってくると思ったのに。
「ちょっとー、そこ聞いてる?」
先生に注意をされて、僕は慌てて視線を前に戻した。でも隣の彼女は相変わらず僕の描いた絵を見ている。どんだけマイペースなんだこの人。
「ちょっと寄越しなさい。」
「え、ちょっと…。」
なんとプリントを奪い取ってまじまじと見始める始末。そんなに出来がいいかなこの絵?描いた時間は10分も無い、色は黒だけ。未完成も未完成。上手く描けた感覚も無かった。そんな作品をここまで食いついて見るなんて、正直驚きを隠せない。
「はい、では、これから体育館に向かうので、廊下に並んでください。」
先生からの指示が出た。皆席を立ち廊下に向かう中、何故か1人だけ席を立たない。
「ちょっと、廊下に並ぶって、」
「聞こえてるわよ。全くせっかちなんだから」
やれやれという感じで席を立ち上がり、廊下に向かう彼女。その手には、まだあのプリントが握られている。
「そんなに、その絵気に入ったんですか?」
「…まぁ、いいセンスしてるんじゃない?」
なんで疑問形なんだ。
「まだ、完成してないんですけど。そんなに気に入ってくれたなら、あげますよ。」
「良いの?…じゃあ、ありがたく受け取っておくわ。」
そう言うと、彼女は紙を四つ折りにしてスカートのポケットに仕舞う。僕はそれを確認する事もなく、もう出来ている廊下の列に入り込んで、皆が動き出すのを待った。
無事に入学式も終わり、学校からの帰り道。まだまだ明るく青い空の下を歩く僕の隣には彼女がいた。
「ねぇ、貴方絵描きなの?」
「まぁ…そうですけど。」
「毎回こんな風にシャーペンで描くの?」
「いや…普段は油絵を描いてます。」
「へぇ…油絵で…。」
困惑を隠せない僕は彼女の質問攻めに遭っていた。
「なんで絵を描き始めたの?」
「えっと、なんとなく?」
「…ぱっとしないわね。」
たまに挟まれる悪口はやはりこの人を象徴しているのかもしれない。そんな事が頭をよぎりつつ、さっきからずっと気になっていた事についてちょっと勇気を出して聞いてみることにする。
「僕からも質問良いですか?」
「え?まぁ、良いけど。」
「絵、好きなんですか?」
「…えぇ。好きよ、絵。」
「なんで好きなんですか?」
「…なんと、なく。」
「なんかぱっとしないですね。」
「……。」
ジトッと睨見つける彼女を横目に僕はしたり顔をする。これはちょっとした仕返しだ。そんなこんな少しの復讐の様なものをしているとあのT字路に辿り着いた。
「貴方はどっちに行くの。」
「僕はこっちです。」
曲がり道を指さすと、彼女は何か残念そうに肩を落とす。
「そう、私はこっち。ここでお別れね。」
「あ、そうですか…じゃあ、また明日。」
「ええ、また明日。」
そう別れを告げて僕は家路に足を進める。だけど気付いた。少女が居なくなる前に、直ぐに振り返ってまたあそこに走っていく。
「あ、居た!」
まだ少女はまだそう遠くには行っていなかった。僕は彼女に聞こえるように口を大きく開けて声を出す。
「すみません!名前何て言うんですか!」
彼女はびっくりしたように振り返って、数秒僕の姿を見ると体を翻して彼女も大きく声を上げて言った。
「西園寺春!貴方は!」
「結城彰人です!」
「そう!地味な名前ね!」
そう返す彼女のしたり顔は目が輝いたとても良い笑顔だった。その言葉を聞いた僕は少し顔を引き攣らせたけど、その顔を見ると僕も自然と笑顔が浮かんだ。彼女は僕の目を真っ直ぐと見ていた。僕もそれを返す様に彼女の目を真っ直ぐに見つめる。
「じゃーねー!」
彼女はそう言うと、体を翻して少しスキップをするように、とても機嫌が良さそうに歩き出した。僕もそれを見届けると、家路を辿る為に体の向きを変えた。その時は僕もまた彼女の様に機嫌が良かった。何故だろうか。あぁ、そうだ。彼女の笑顔が美しかったからだ。
「また明日も楽しいかなぁ。」
明日への希望、期待、そして渇望。その3つを胸に、僕は家に帰るのだった。