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第41話、思わぬ祝言

許昌での劉備たちの雌伏生活。

彼は曹操から与えられた屋敷に住まい、左将軍・豫州牧という、決して低くはない官位を与えられていたが、その心は晴れなかった。

ここは自分たちの力で勝ち取った場所ではない。あくまで、強大な覇者である曹操の庇護下、そして監視下に置かれた、仮初めの居場所に過ぎなかった。


日々の暮らしの中で、劉備は曹操が築き上げたこの都の姿を注意深く観察していた。驚くべきは、その徹底された法治と、才能さえあれば出自を問わずに登用される実力主義だった。

厳格な法の下、都の治安は保たれ、戦乱が続く他の地域とは比較にならないほどの活気があった。市場は賑わい、人々は日々の生活を営んでいる。


それは劉備が理想としてきた、民に寄り添うような温かい「仁徳」の政治とは全く異なる。

だが、その効率性、合理性、そして現実に秩序と安定をもたらしている力強さに、劉備は強い衝撃を受け、学ぶべきものがあると感じずにはいられなかった。


(民を安んじる道は、一つではないのかもしれぬ…。だが、この曹操のやり方は、あまりにも…。)


彼の心は、仁徳と覇道の間で揺れ動いていた。

一方で、劉備の仲間たちも、それぞれの思いを抱えて許昌の日々を送っていた。

関羽や張飛は、曹操から与えられる役職や恩賞には目もくれず、ただ劉備の傍らで黙々と武芸の鍛錬に励んでいた。彼らにとっては、兄であり主君である劉備が曹操の下で息を潜めていること自体が、我慢ならないのかもしれない。


簡雍と陳隼は、持ち前の機転と行動力を活かし、連携して都の内外の情報を集めていた。「大親分! どうやら曹操様は近々…」「劉備、北の袁紹の動きだがな…」二人がもたらす情報は、この雌伏の時期にあって、劉備にとって貴重な判断材料となっていた。


そして劉備自身の心の支えとなっていたのは、やはり糜竺の妹、糜貞の存在だった。彼女は、兄と共に劉備の屋敷に身を寄せていた。劉備が政務や将来への不安に思い悩む姿を見かけると、彼女はそっと温かい茶を淹れ、静かに傍らに寄り添った。

多くを語らずとも、その優しい眼差しと穏やかな存在は、劉備の荒んだ心を慰め、孤独感を和らげてくれた。人目を避けながらも、二人の間には、確かな信頼と、それ以上の温かい感情が、静かに育まれていた。


そんなある日、曹操から私的な酒宴への誘いがあった。劉備は警戒しつつも断るわけにもいかず、簡雍を伴って曹操の壮麗な屋敷へと赴いた。

曹操は上機嫌で劉備を迎えた。


「劉備殿、まあ、固くならずに。今日は胸を開いて酌み交わそうではないか。」


酒が進むにつれ、曹操は天下の形勢や人材について鋭い洞察を披露し、そして劉備に意見を尋ねた。その会話の端々には、自らの天下取りへの野心が滲み出ているように感じられた。

劉備は当たり障りのない返答を繰り返しつつ、曹操の真意を探ろうとした。互いに笑顔を見せながらも、腹の底では相手の力量と野心を測り合う、息詰まるような時間が流れた。

やがて、曹操は、ふと思い出したかのように言った。


「そういえば、劉備殿。貴殿もそろそろ、身を固めてはいかがかな? 男たるもの、家庭を持ち、跡継ぎを成してこそ、大業への基盤も固まるというものだ。どうだろう、我が縁者に、器量も心映えも良い娘がおるのだが…紹介しようか?」


それは劉備を自身の縁戚として懐柔しようとする、曹操らしい計算も含んだ申し出だった。

劉備は、突然の雷鳴のような話に箸を取り落とし、狼狽しながらも丁重に断った。


「丞相のお心遣い、誠にありがたく存じます。ですが…私には心に誓った女性がおりますので…。」


その言葉に曹操は一瞬目を丸くしたが、すぐに全てを察したかのように、にやりと笑った。


「ほう! それはめでたい! いやはや、劉備殿にもそのような方がおられたとはな。その相手はもしや、糜竺殿の妹御かな?」


劉備が驚いて顔を上げると、曹操は満足げに頷いた。彼の情報網は、劉備と糜貞の間の微妙な空気さえも掴んでいたのだ。


「それならば話は早い。この曹操が、お二方のために許昌で最も盛大な祝言を執り行って進ぜよう。遠慮はいらぬ。費用も準備も、全てこの儂に任せるが良い。」


有無を言わさぬ口調だった。劉備は思わぬ申し出と、その裏にある計算を感じ取り困惑した。嬉しいはずの話が、素直に喜べない。だが、ここで断れば曹操の機嫌を損ねるだろうし、何より糜貞への想いは本物だった。


「丞相のお気持ち、ありがたくお受けいたします。」


劉備は、複雑な思いで、そう答えるしかなかった。


数日後、曹操の手配により、劉備と糜貞の盛大な祝言が許昌で執り行われた。華やかな衣装に身を包んだ糜貞は、息をのむほど美しかった。劉備は、彼女を妻に迎えられた喜びに確かに胸を高鳴らせた。


しかし、祝宴の席で、居並ぶ曹操の臣下たちからの祝辞を受けながら、彼の心は晴れなかった。この祝宴は、曹操によって与えられたものだ。自分はまた一つ、曹操に大きな「借り」を作ってしまった。そして、雌伏の身でありながら、このように華やかな宴の中心にいることへの、場違いな感覚…。


覇道の都・許昌で、劉備は予期せぬ形で伴侶を得た。曹操の巨大な影の下、幸せすら己の思いのままにならない複雑な状況が、苦しい雌伏の日々を表しているかのようだった。

ここまでお読みいただきありがとうございます。


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