第3話、それぞれの過去
劉備、関羽、張飛。出自も性格もバラバラな三人の奇妙な共同生活は、黄巾賊の混沌とした野営地で始まった。
まずは寝床の確保だ。打ち捨てられた荷車の陰は風雨を完全にしのげるわけではない。四人は協力してどこからか拾ってきたボロ布や枯れ草でその場しのぎの壁を作り、わずかながらも「自分たちの場所」を確保した。
次に食料。ある時、配給の列で、体格のいい男たちが強引に割り込もうとした。以前なら諦めるか、見て見ぬふりをするしかなかった場面だ。だが、今は違う。
関羽が、その長い鬚を撫でながら、黙って割り込み男たちの前に進み出て、じろりと睨みつけた。その威圧感だけで、男たちの足が止まる。すかさず張飛が、わざと唾を飛ばしながら悪態をついた。
「んだ、てめえら! この関羽の兄貴の前に割り込もうってのか? 死にてえのか、あぁん!?」
相手が怯んだところを見計らい、劉備が人の良さそうな笑顔で間に入る。
「まあまあ、皆さん。順番は守りましょう。ここで揉めても、腹が減るだけですよ。さあ、後ろへどうぞ。」
関羽の威圧、張飛の恫喝、劉備の宥和。三者三様の連携の前に、割り込み男たちはすごすごと引き下がっていった。周囲で見ていた者たちから、小さなどよめきが起こる。
この一件は、三人の関係性を周囲に示す最初の出来事となった。以来、彼らの「縄張り」である荷車の周りで、あからさまにちょっかいを出してくる者はいなくなった。
その夜、いつもの荷車の陰で、四人(劉備、関羽、張飛、そして仲間の石)は小さな焚き火を囲んでいた。昼間の喧騒が嘘のように、野営地は静まり返っている。パチパチと薪のはぜる音だけが響いていた。昼間の、三人の連携による「勝利」が、彼らの間に普段とは違う空気をもたらしていた。
ふと、劉備がぽつりと呟いた。
「故郷に、母を残してきた。達者でいるだろうか…。貧しい暮らしで、俺が筵を売らねば食うにも困るというのに…。」
言葉は途切れたが、その思いは他の三人にも痛いほど伝わった。石もまた、故郷に残した家族を思ったのか、黙って俯いている。
しばらくの沈黙の後、いつもは寡黙な関羽が、焚き火の炎を見つめたまま、重々しく口を開いた。
「俺には、帰る故郷はない。人を…斬ってきた身だ。」
その告白に、劉備と石は息をのんだ。張飛も、珍しく真剣な表情で関羽を見つめている。
「元は、ある役人に仕えていた。」関羽は、遠い目をして語り始めた。
「その男は、自分の知識をひけらかし、学のない俺を事あるごとに見下し、嘲笑った。『この田舎者が』『文字も読めぬくせに』…とな。悔しかった。腹の底で、何度もそいつを殴りつけたいと思った。だが、耐えた。食うためには、耐えるしかなかった。」
関羽の声に、抑えきれない怒りの響きが混じる。
「だがある日、その男は…屋敷で働く娘に目をつけおった。まだ若い、何の罪もない娘だ。男は、その娘の一家にありもしない借金をでっち上げ、娘を力ずくで手籠めにしようとしたのだ。娘の怯えた顔、助けを求める目…それを見た時、俺の中で何かが切れた。」
回想がよぎる。役人の卑しい笑い声、娘の悲鳴、そして、自分の手が握りしめた剣の感触。
「気づいた時には、斬り捨てていた。後悔はしていない。だが、それ以来、俺は追われる身だ。行く先々で役人の腐敗を見てきた。学があり、地位のある連中ほど、己の欲望のために平気で人を踏みにじる。そんな奴らが支配する世の中など…信じられるものか。」
関羽は、懐から古い竹簡を取り出した。何度も読み返されたのだろう、掠れた表には『春秋左氏伝』の文字がかすかに読めた。
「せめて、文字くらいは読めるようにならねば、と思った。奴らに、これ以上見下されてたまるか、とな…。」
彼はそれだけ言うと、再び口を閉ざし、炎を見つめた。その横顔には、深い孤独と、揺るがぬ誇りが刻まれているようだった。
場の重い空気を破ったのは、張飛の豪快な声だった。彼は酒甕を呷り、げっぷを一つした。
「へっ! 役人だの金持ちだの、どいつもこいつも、ろくなもんじゃねえ! 俺も、そんな連中には反吐が出そうだぜ!」
そして、少し自嘲するように続けた。
「俺の家はよぉ、まあ、ちいとばかし裕福でな。親父もお袋も、やれ『家の名を汚すな』だの、『立派な跡継ぎになれ』だの、うるさくてかなわんかった。」
回想。窮屈な屋敷、形式ばった挨拶、周囲からの「坊ちゃんは優秀だ」「将来が楽しみだ」という囁き声。
張飛は、それが全て自分の本当の姿ではないと感じていた。人の良さ(あるいは要領の悪さ)から、面倒な役目や、やりたくもない勉強を押し付けられる。誰も、本当の自分を見ていない。
「周りの奴らは、俺が良い子でいることを望んでやがる。俺が何か失敗すりゃガッカリしやがるし、うまくやりゃ『さすがだ』とおだてやがる。どっちも胸糞悪ぃ! まるで人形じゃねえか!」
張飛は、地面に力強く唾を吐き捨てた。
「ある日、もう我慢ならねえってんで、飛び出してやったのよ! ああ、せいせいしたぜ! こうやって、誰にも指図されず、大声出して、飲んで、暴れてよぉ! これが一番、性に合ってる!」
だが、その快活な口調とは裏腹に、彼の目には一瞬、複雑な色がよぎったのを劉備は見逃さなかった。裕福な暮らしを捨て、わざと粗暴に振る舞うことでしか得られない「自由」。それは、彼にとっての精一杯の反抗なのかもしれない。
三者三様の、これまで歩んできた道。
貧しさ、義憤、そして息苦しさからの解放。抱えるものは違えど、今の世に対する不満と、現状を変えたいという渇望は、どこか通じ合っているように思えた。焚き火の炎を囲む四人の間には、言葉を超えた共感と、確かな連帯感が、静かに、しかし強く、生まれつつあった。
そんな、少しだけ互いの距離が縮まった夜が明けた数日後のことだった。
一人の小柄な若者が、目を輝かせながら三人の元へやってきた。年の頃は十六、七だろうか。ひょろりとしていて、どこかお調子者といった風情だ。
「あ、あの! や、やっぱりここでやんしたか!」
若者は、三人の前にひれ伏さんばかりの勢いだ。
「あなた様方が、かの劉備様、関羽様、張飛様でやんすね!?」
「はあ? まあ、そうだが…。」劉備が戸惑いながら答えると、若者はさらに興奮した様子でまくし立てた。
「やっぱり! 噂は本当だったんでやんすね! 関羽様は元は漢の将軍で、張飛様は山で熊を素手で三頭も絞め殺したって! そして、劉備様はその二人を束ねる、とんでもねえ大親分だって!」
どこから広まったのか、荒唐無稽な噂だった。おそらく、劉備や張飛が口にしたハッタリや、関羽の威圧感から生まれた尾ひれがついたのだろう。
「あっはっは! そうよ! 俺様が熊殺しの張飛よ!」張飛は面白がって、胸を叩いて見せる。関羽は呆れたように眉をひそめているが、否定はしない。
「わたくし、陳と申しやす! どうか! この陳を、兄貴たちの舎弟にしてくださいでやんす! 一生ついていきやす!」
陳と名乗る若者は、必死に頭を下げた。
劉備は苦笑するしかなかったが、悪い気はしない。自分たちのハッタリが、こうして人を引き付けているのだ。
「まあ、好きにすればいい。だが、俺たちは別に偉いわけじゃないぞ」
「とんでもねえ! 謙遜なさる! さすがは大親分でやんす!」
陳はすっかり三人を信じ込み、甲斐甲斐しく世話を焼き始めた。どこからか情報を仕入れてきては報告したり、器用に食料や酒をくすねてきては差し出したりした。お調子者だが、憎めない男だった。そして何より、彼は三人の「威光」を周囲に喧伝する、格好の広告塔となった。
こうして、劉備たちのグループに、最初の「舎弟」が加わった。貧しい筵売りの劉備玄徳。義によって人を斬り、追われる身となった関羽雲長。そして、裕福な家の息苦しさから逃れ、粗暴を演じることで自由を求める張飛益徳。
三者三様の過去を持つ彼らの周りに、新たな風が吹き始めようとしていた。
この出会いが、彼らの運命を、そして時代の流れを、大きく変えていくことになる。その確かな予感を、劉備は感じていた。
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執筆の一番の励みになります。
前作、完結しました。
風受ける帆、孫策主人公のIFストーリーです。
こちらは歴史改変天下統一もの。
孫策&大喬の心情たっぷりのストーリーなので、もし良ければそちらもご一読くださると幸いです。
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